船越といっても

●…英一郎ではありません、などというお約束はさておいて。
これ、ずいぶん前に手に入れた絵葉書なんですが、隠岐諸島の島前にある、船越運河(Googleマップはこちら)を俯瞰したものです。キャプションには「隠岐風景 舟越舟引運河」とあります。検索してみると、どちらかというと船曳の方がヒットするようですね。船越は地名で、運河の名前は船曳、ということでしょうか。
●まあ、可航水路バカとして、この手のものが気にならないはずもなく、吸い寄せられるように買ってしまったのですが、この運河、矢野剛の「運河論」にも掲載されており、また「船越」という地名にもちょっと関心を引かれていたこともあって、以前から気になっていたのです。
せっかくなので、開鑿の経緯やスペックを「運河論」から抜き書きしてみましょう。
第二十款 船越運河
本運河は島根縣木村・浦郷村の漁船が浦郷半島を迂廻して漁場に出入りする不便を除去せんが為に開鑿せられたもので、即ち木村の有志相謀り、組合を設立し縣費補助五九〇〇圓を得て總工費一五二四〇圓を投じ大正三年起工、翌四年竣工したものである(中略)。
最近一ヶ年間に於ける出入船舶は小漁船二〇〇〇艘、日本型及び発動機船各六〇〇餘艘を算し、附近一帶の漁船の避難所ともなって居る(後略)。
延長・一八七間、幅員・四間、通過船舶最大頓数・五頓、通航料・徴収せず。
●島前北岸を往来する漁船の避航路として、地元から待ち望まれていた存在であったことが伝わってきます。
山がちな地形で、昔は陸上交通が不便だったことが容易に想像できますから、漁船だけでなく、舟運による人や物の行き来にも、大いに役立ったことでしょうね。
●さて、地名や地形に関心のある方はよくご存じと思いますし、ウェブ上にもたくさんの記事があるようなので、今さらの感もありますが、船越という地名は、全国の至るところにある(あるいは、あった)わけです。
そのうちのいくつか、例えば対馬や愛知の由良半島の船越には、隠岐の船越と同様に運河が開鑿されているあたり、いかにも興味をそそられますよね。
●私にとって最も身近な船越は、英一郎(しつこい)…ではなくて、横須賀の船越町でしょう。
艦船ファンなら、海上自衛隊の地方総監部がある場所として、知らぬ人はいない地名ですが、かつては幕府の置かれた鎌倉が、前面が砂浜で良港に恵まれず、関東一円からの物資の受け入れにも不便なため、三浦半島の根元を越え、東京湾側の六浦(横浜市金沢区)に外港を求めたといいます。
地名から察して、あるいは船越も、そういった外港のひとつだったのかもしれません。
●ちなみに、六浦に着いた舶載物は、既存の河川(侍従川)を改良して船をギリギリまで遡らせ、山を切り開いた緩勾配路・朝比奈切通しを通って鎌倉を目指したとのこと。
鎌倉に入れば、滑川とその支派川を水路として利用できたそうですから、中間に陸路を挟みこそすれ、機能としては、現在の各船越運河と、全く同じだったことがわかります。
●書き散らしてまとまりがなくなりましたが、船越とは、フネを利用したい側からの視点から見た、いかにももどかしい、あとちょっとでイケるのにという、歯がみをして悔しがるような、切実な気持ちに満ちた地名のように感じられるのですが、いかがでしょうか。
今なら「地峡」という、ある種オカ側目線の言葉で済んでしまう地勢に、このような地名がいくつも伝わっている事実は、太古から長きにわたり、水運が最強であったことを思わせて、何とはなしに愉快になるのです。


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三土氏と水路行…3
(『三土氏と水路行…2』のつづき)
●分水路を通ってくると、行きと帰りで違った風景が眺められるのも楽しみの一つ。この日のお楽しみは、小石川橋の架け替え工事現場です。
もちろん、旧橋の本体はすっかり撤去されてしまったでしょうが、重機や資材を乗せた台船のもやう現場と、橋が取り除かれた後の橋台のディテールが拝める、数少ないチャンスです。(『小石川橋の撤去工事』参照)
●まずは北側の橋台地を検分。両側の護岸は、後年追加されたものなので、橋の竣工時より前進しており、角を石材で装飾した橋台が、取り込まれてしまったように見えます。
橋台上端のコンクリートが新しいのは、路面を改修した際に、あわせて新設した部分だからでしょうか。左側には、切断された何本かのパイプも見えますね。あっ、右手に見えるのは?
●何と、切断されたガーダーの一部が、まるでちびた鉛筆のように残されていました! 三土氏、大野氏もツボだったようで、何度もシャッターを切っています。
支承の上にチョコンと乗っかった、リベット組みの鉄の箱になり果てたかつての鈑桁…。今まで建造途中の橋の断面や、解体中の断面をいくつか眺めてきましたが、こういうパターンは初めてかも。もの悲しくも、ユーモラスな風景です。

●南詰の桁も、同じ目に逢っていました。ご覧のように、酸素で無造作にあけた穴にワイヤーが通してあり、ちびた鈑桁が、支承を中心にコテン、とおじぎしないように縛ってあるのがまた強烈。
ううん、何でここだけ残してあるんだろう? 支承を引っこ抜くとき、作業がやりやすいとか、理由があるのでしょうね。
●三土氏が、橋脚の根元を指差し、「アレ、何だか風景画というか、風呂屋のペンキ絵のように見えますよね」…ああ~、言われてみれば!
水際の、汚れでグラデーションがついた部分が、海辺の白砂と山野の緑を思わせて、確かに風呂屋の壁面画のよう。さすが。もうこれからは、通るたびに意識してしまいそうです。
【撮影地点のMapion地図】
(22年9月19日撮影)
(『三土氏と水路行…4』につづく)

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もちろん、旧橋の本体はすっかり撤去されてしまったでしょうが、重機や資材を乗せた台船のもやう現場と、橋が取り除かれた後の橋台のディテールが拝める、数少ないチャンスです。(『小石川橋の撤去工事』参照)

橋台上端のコンクリートが新しいのは、路面を改修した際に、あわせて新設した部分だからでしょうか。左側には、切断された何本かのパイプも見えますね。あっ、右手に見えるのは?

支承の上にチョコンと乗っかった、リベット組みの鉄の箱になり果てたかつての鈑桁…。今まで建造途中の橋の断面や、解体中の断面をいくつか眺めてきましたが、こういうパターンは初めてかも。もの悲しくも、ユーモラスな風景です。

●南詰の桁も、同じ目に逢っていました。ご覧のように、酸素で無造作にあけた穴にワイヤーが通してあり、ちびた鈑桁が、支承を中心にコテン、とおじぎしないように縛ってあるのがまた強烈。
ううん、何でここだけ残してあるんだろう? 支承を引っこ抜くとき、作業がやりやすいとか、理由があるのでしょうね。

水際の、汚れでグラデーションがついた部分が、海辺の白砂と山野の緑を思わせて、確かに風呂屋の壁面画のよう。さすが。もうこれからは、通るたびに意識してしまいそうです。
【撮影地点のMapion地図】
(22年9月19日撮影)
(『三土氏と水路行…4』につづく)

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三土氏と水路行…2
(『三土氏と水路行…1』のつづき)
●というわけで分水路突入。このころはすでにだいぶ涼しくなっていたのですが、地中の世界は、長きにわたる猛暑であぶられた熱が冷めてないのか、ムッとする蒸し暑さです。
何より残念だったのは、デジカメの設定を間違えてしまったこと。フルオート+ストロボ強制発光が正解だったのに、愚かにも「夜景」モードを選んでしまい、ご覧のとおりブレブレ、ボケボケのていたらく。舵を握る身としては途中で訂正することもできず、悔しい結果に終わりました。

●全景をしっかり撮り直しておきたかった大地下空間・発進縦坑(『分水路打通作戦【お茶の水分水路編】…7』参照)も、ヒトダマが飛んだようになり、もう何が何やらわけのわからんモノに…。三土氏と大野氏の傑作写真を、ぜひウェブ上で発表していただきたいものです。
この後、水道橋分水路に入ってからは、例の低い区間で、大野氏が天井にさわってみたり、2号分水路との疎通口「地下水門」では、三土氏が「反対側から見られるなんて思わなかった」と感動されたりとかなりの盛り上がり。
●しかし良いことばかりではなく、何かチクチクするな、と思ったら、蚊の大群に囲まれて刺されまくるというハプニングも。
狭い穴倉の中では逃げ場もなく、手を振り回したり、ふんづけたりひっぱたいたりと大騒ぎ。血を吸える獲物もなく、ボウフラが湧くような水たまりもない分水路の中で、どうして大量の蚊が住みついていたのか、今もって謎ではあります。
●白鳥橋上流の呑口から脱出、2900mの打通を達成しました。地熱のこもった、蒸し暑いよどんだ空気の中から出てきただけに、さすがに外の空気がうまい! 三土氏はまだくぐり足りないのか、ポータルを名残惜しそうに振り返っています。
ここでメーターパネルの警報ランプが点灯すると同時に、エンジンの警報ブザーが鳴り、一気に緊張が高まりました。
●停止・チルトアップして点検の後、しばらくアイドリングで漂泊していたら警報が止まったので、あまり回転を上げないように、そろそろと下ることに。まあ、先日お伝えしたとおり、この時点ですでに1気筒死にかけていたわけで…。
幸い海の真ん中などではなく川ですから、ゆっくり走っていれば、仮にエンジンが止まっても、まず大事には至りません。首都高の桁裏を眺めつつ、のんびりとまいりましょう。
●上流側から船河原橋の裏側を撮ってみました。この角度から眺めると、飯田橋の橋台地の隅というか、旧橋詰広場の存在を匂わせる、丸みをつけて組まれた石垣のスペースを利用して、突っ込まれていることがわかります。
う~ん、この乗っかり具合、いつ見ても不安を掻き立てられる…。いや、吊られる桁や喰われるトラスの強烈さにくらべれば、はるかにおとなしめではあるものの、これはこれで違ったインパクトがありますよね。
【撮影地点のMapion地図】
(22年9月19日撮影)
(『三土氏と水路行…3』につづく)

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何より残念だったのは、デジカメの設定を間違えてしまったこと。フルオート+ストロボ強制発光が正解だったのに、愚かにも「夜景」モードを選んでしまい、ご覧のとおりブレブレ、ボケボケのていたらく。舵を握る身としては途中で訂正することもできず、悔しい結果に終わりました。

●全景をしっかり撮り直しておきたかった大地下空間・発進縦坑(『分水路打通作戦【お茶の水分水路編】…7』参照)も、ヒトダマが飛んだようになり、もう何が何やらわけのわからんモノに…。三土氏と大野氏の傑作写真を、ぜひウェブ上で発表していただきたいものです。
この後、水道橋分水路に入ってからは、例の低い区間で、大野氏が天井にさわってみたり、2号分水路との疎通口「地下水門」では、三土氏が「反対側から見られるなんて思わなかった」と感動されたりとかなりの盛り上がり。
●しかし良いことばかりではなく、何かチクチクするな、と思ったら、蚊の大群に囲まれて刺されまくるというハプニングも。
狭い穴倉の中では逃げ場もなく、手を振り回したり、ふんづけたりひっぱたいたりと大騒ぎ。血を吸える獲物もなく、ボウフラが湧くような水たまりもない分水路の中で、どうして大量の蚊が住みついていたのか、今もって謎ではあります。

ここでメーターパネルの警報ランプが点灯すると同時に、エンジンの警報ブザーが鳴り、一気に緊張が高まりました。

幸い海の真ん中などではなく川ですから、ゆっくり走っていれば、仮にエンジンが止まっても、まず大事には至りません。首都高の桁裏を眺めつつ、のんびりとまいりましょう。

う~ん、この乗っかり具合、いつ見ても不安を掻き立てられる…。いや、吊られる桁や喰われるトラスの強烈さにくらべれば、はるかにおとなしめではあるものの、これはこれで違ったインパクトがありますよね。
【撮影地点のMapion地図】
(22年9月19日撮影)
(『三土氏と水路行…3』につづく)

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