第三芭蕉丸の船旅…8
(『第三芭蕉丸の船旅…7』のつづき)
●桟橋の両側には、ご覧のような通船タイプのフネブネが、ずらりと艫づけして並んでいました。どれもきれいで、手入れが行き届いているようです。小人数のお客さんがチャーターする、観光船なのでしょうか。
屋根付きブネが苦手の私ですが、こういう業務船タイプの船なら許せちゃうかも。同じ船室に閉じ込められるなら、好みの船に乗りたいですものね。

●桟橋に降り立って、愛しの第三芭蕉丸とお別れの一枚を。
改めて、いいフネだなあ…。
眺望の良い大窓を備え、ちゃんと観光船らしい外観を保ちながら、うわついたところが全くありません。霞ヶ浦や水郷を走っても、似合いそうに思える落ち着いたスタイルです。
【撮影地点のMapion地図】

●桟橋の反対側にもやっていたのは、僚船第二芭蕉丸。ううん、このフネもツボ!
第三芭蕉丸より、さらに古典味を感じさせる前面形状。ファンネルに取り付けられた、丸文のシンボルマークが切り抜きなのも好感度大。惜しむらくは、眺めの良いトップに操舵室があるところでしょうか。もう完全に丸文船隊びいきになりました!
●ひとつ嬉しかったのは、船が桟橋に寄せ始めたころから、鴨さんたちがスーッと舷側に近寄ってきて、エサをねだってきたこと。動いている船に近寄ってくるなんて、よほど馴れているのでしょう。
ご覧のとおり、ボリボリと羽づくろいを始める鴨もいて、あまりがっついた様子がないのも可愛らしく、どこか品の良さを感じさせる鴨たちでした。
●鴨さんといえば、石井閘門(『北上運河閘門めぐり…5』ほか参照)を訪ねたとき、閘門近くの親水水路にいた鴨たちも、本当に可愛らしかったなあ…。
音もなく近寄ってきて、ガアガア鳴くでもなく、二羽でしきりに「お腹空いてるんです…」と、遠慮がちに目線で要求するさまが、やはりどこか品良く思わせるのです。仙台周辺の鴨たちには、上品なDNAが受け継がれているのでしょうか。
(21年12月3日撮影)
(この項おわり)

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屋根付きブネが苦手の私ですが、こういう業務船タイプの船なら許せちゃうかも。同じ船室に閉じ込められるなら、好みの船に乗りたいですものね。

●桟橋に降り立って、愛しの第三芭蕉丸とお別れの一枚を。
改めて、いいフネだなあ…。
眺望の良い大窓を備え、ちゃんと観光船らしい外観を保ちながら、うわついたところが全くありません。霞ヶ浦や水郷を走っても、似合いそうに思える落ち着いたスタイルです。
【撮影地点のMapion地図】

●桟橋の反対側にもやっていたのは、僚船第二芭蕉丸。ううん、このフネもツボ!
第三芭蕉丸より、さらに古典味を感じさせる前面形状。ファンネルに取り付けられた、丸文のシンボルマークが切り抜きなのも好感度大。惜しむらくは、眺めの良いトップに操舵室があるところでしょうか。もう完全に丸文船隊びいきになりました!

ご覧のとおり、ボリボリと羽づくろいを始める鴨もいて、あまりがっついた様子がないのも可愛らしく、どこか品の良さを感じさせる鴨たちでした。

音もなく近寄ってきて、ガアガア鳴くでもなく、二羽でしきりに「お腹空いてるんです…」と、遠慮がちに目線で要求するさまが、やはりどこか品良く思わせるのです。仙台周辺の鴨たちには、上品なDNAが受け継がれているのでしょうか。
(21年12月3日撮影)
(この項おわり)

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第三芭蕉丸の船旅…7
(『第三芭蕉丸の船旅…6』のつづき)
●焼島の横を過ぎ、松島海岸もほど近くなってきたころ、松島の桟橋を発った船が二隻、こちらに近づいてくるのが見えました。
お天気もよくないというのに、これだけの行き合い船があるあたりに、松島観光の人気のほどがうかがえます。さて、今度はどんな船かな? デッキに出て、カメラを構えて待っていると…。

●松島ベイクルーズの「はくつる」でした。先ほど出会った「あおば」によく似た外観の船ですが、総t数と定員は、こちらのほうが少ないのですね。
最上甲板には、一人でこちらを眺めている男性の姿が。手に何か袋を持っていたところを見ると、私同様、カモメにエサをやろうと待ち構えていたのかもしれません。

●続いて現れた船は、ちょっと変わった船首のデザインが目を引く「やまびこ」。「はくつる」と同じベイクルーズ船隊所属。外見にたがわず、速力は結構出るようですね。
松島航路各船社の、バラエティ豊かなフネブネを存分に眺めることができて、満足満足。これも、眺望の良い最上甲板のある、第三芭蕉丸に乗せていただいたおかげです。
●松島の桟橋が見えてきました。塩竃同様、各船社共同使用の桟橋で、幅をゆったり取ったポンツン構造です。
最高に居心地の良かったデッキや船室、正統派観光船(?)たる第三芭蕉丸とも、これでお別れかと思うと、名残惜しいものが。
●桟橋の西側、松島海岸駅に近いあたりでしょうか、緑濃い小さな入江には、ヨットの泊地が見られました。
風光明媚な多島海を縫って帆走するのは、楽しいでしょうね。いや、海苔ヒビや岩礁も多い海域ですから、気が抜けない部分もあるのかもしれませんが。
【撮影地点のMapion地図】
(21年12月3日撮影)
(『第三芭蕉丸の船旅…8』につづく)

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お天気もよくないというのに、これだけの行き合い船があるあたりに、松島観光の人気のほどがうかがえます。さて、今度はどんな船かな? デッキに出て、カメラを構えて待っていると…。

●松島ベイクルーズの「はくつる」でした。先ほど出会った「あおば」によく似た外観の船ですが、総t数と定員は、こちらのほうが少ないのですね。
最上甲板には、一人でこちらを眺めている男性の姿が。手に何か袋を持っていたところを見ると、私同様、カモメにエサをやろうと待ち構えていたのかもしれません。

●続いて現れた船は、ちょっと変わった船首のデザインが目を引く「やまびこ」。「はくつる」と同じベイクルーズ船隊所属。外見にたがわず、速力は結構出るようですね。
松島航路各船社の、バラエティ豊かなフネブネを存分に眺めることができて、満足満足。これも、眺望の良い最上甲板のある、第三芭蕉丸に乗せていただいたおかげです。

最高に居心地の良かったデッキや船室、正統派観光船(?)たる第三芭蕉丸とも、これでお別れかと思うと、名残惜しいものが。

風光明媚な多島海を縫って帆走するのは、楽しいでしょうね。いや、海苔ヒビや岩礁も多い海域ですから、気が抜けない部分もあるのかもしれませんが。
【撮影地点のMapion地図】
(21年12月3日撮影)
(『第三芭蕉丸の船旅…8』につづく)

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タグ : 松島観光船
第三芭蕉丸の船旅…6
(『第三芭蕉丸の船旅…5』のつづき)

●船内の売店で買った、熱いお茶と笹かまぼこをいただいて一息つくと、体もだいぶ温まってきました。なにぶん観光客としては不真面目ですから、島々の美しい風景をだいぶ見逃してしまったのは、致し方ないところです。
4つの洞窟が口をあけた、まるで秘密基地があるかのようなこの島は、鐘島。道々の景色やコースの詳細は、丸文松島汽船の「芭蕉コースご案内」にお任せするとしましょう。動画でコースが楽しめる「バーチャルクルーズ」もお勧めです。
●船から周りを見ていて驚かされたのが、塩竃湾を出たあたりから、見渡すかぎりの海苔ヒビが海面を覆っていたこと。先日掲載した「はやぶさ」を写した写真にも見えますが、海苔養殖全盛期の東京湾奥を思わせる、圧倒的な光景です。
後半のコースでは、海苔ヒビの間に空けられた狭い航路を、縫うようにして進む区間もあったりして、大いに興奮させられました。東京湾も、つい数十年前まで、航路以外の水面は海苔ヒビで占められていたんですよねえ…。
ちなみに「海苔の産地」(海苔JAPAN・海苔の基礎講座)によると、松島湾は兵庫・香川に次ぐ大規模な海苔養殖場で、コンビニのおにぎり需要の増大をバックに発展、「松島湾産」ブランドの海苔は有名なのだとか。
●もうお気づきかと思いますが、海苔ヒビと同じくらい気になったのが、上の写真手前のトリさんビッシリ。トリ好きとしてはたまらず、塩竃の売店で買ったエサを手に、後部デッキに出てみました。
船室から出た瞬間、カモメたちがクウクウと鳴きながらいっせいに追いかけてきて、もう入れ食いです! フネとトリが同時に楽しめる、まさに一粒で二度おいしい状態。
●なにしろ相手はビュンビュン飛んでいるので、残念ながらうまく撮れませんでしたが、右下のカモメが見事に投げたエサをキャッチした瞬間です。中には、手からエサを取らんばかりに近づいてくる鳥もいます。
ちなみにこのエサ、かっぱえびせんを「カモメのエサ」と称して塩竃の売店で売っているもの。味が濃くないかしら、と心配になりましたが、海鳥なので、塩味には慣れているから大丈夫かな?
●飛来しては次々とキャッチしてゆく、カモメたちの妙技が面白く、ひっちゃきになって放り投げていたら、わずか一分で餌付け終了。
エサがなくなった瞬間、それまで賑やかに鳴いていたカモメたちが、突然無口な真顔になり、「なんだ、もうおしまいか」「ちっ」といった表情で、あっという間に船尾から離れていったのが、妙におかしかったです。
(21年12月3日撮影)
(『第三芭蕉丸の船旅…7』につづく)

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●船内の売店で買った、熱いお茶と笹かまぼこをいただいて一息つくと、体もだいぶ温まってきました。なにぶん観光客としては不真面目ですから、島々の美しい風景をだいぶ見逃してしまったのは、致し方ないところです。
4つの洞窟が口をあけた、まるで秘密基地があるかのようなこの島は、鐘島。道々の景色やコースの詳細は、丸文松島汽船の「芭蕉コースご案内」にお任せするとしましょう。動画でコースが楽しめる「バーチャルクルーズ」もお勧めです。

後半のコースでは、海苔ヒビの間に空けられた狭い航路を、縫うようにして進む区間もあったりして、大いに興奮させられました。東京湾も、つい数十年前まで、航路以外の水面は海苔ヒビで占められていたんですよねえ…。
ちなみに「海苔の産地」(海苔JAPAN・海苔の基礎講座)によると、松島湾は兵庫・香川に次ぐ大規模な海苔養殖場で、コンビニのおにぎり需要の増大をバックに発展、「松島湾産」ブランドの海苔は有名なのだとか。

船室から出た瞬間、カモメたちがクウクウと鳴きながらいっせいに追いかけてきて、もう入れ食いです! フネとトリが同時に楽しめる、まさに一粒で二度おいしい状態。

ちなみにこのエサ、かっぱえびせんを「カモメのエサ」と称して塩竃の売店で売っているもの。味が濃くないかしら、と心配になりましたが、海鳥なので、塩味には慣れているから大丈夫かな?

エサがなくなった瞬間、それまで賑やかに鳴いていたカモメたちが、突然無口な真顔になり、「なんだ、もうおしまいか」「ちっ」といった表情で、あっという間に船尾から離れていったのが、妙におかしかったです。
(21年12月3日撮影)
(『第三芭蕉丸の船旅…7』につづく)

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ハートわしづかまれるマイタゲート
●主に川蒸気の写真が見たくて、古い絵葉書をぼつぼつ集めているんですが、水運全般に関連する絵葉書はもとより、閘門や水門などを題材にしたものにも当然心惹かれて、つい手が伸びてしまうときも少なくありません。そんな中でも、最近出色だったのが、この絵葉書。
●「(近江八景)比良の暮雪」というタイトルでもおわかりのように、有名な近江八景のうちの一つ、冠雪した比良山地を遠望したものです。時代は昭和戦前でしょうか。
水辺に傘をさした女性を配したりして、叙情豊かな写真になっていますが、まあ当然ながら、女性や比良山地に惹かれたわけではなく(近江の皆さんごめんなさい)、目が釘付けになったのは、もちろんかたわらの木製マイタゲート!
●木製マイタゲートの写真というだけでも珍しいのに、径間2mくらいでしょうか、その可愛らしいほどの小ささに、極小水門好きとしてはタマランものがあり、即決。
左右の堤体が、棒杭と板で土留めを施しただけなのも、最近ではお目にかかれない素朴な造りで、いかにも灌漑水路の逆止水門といった感じ。イヤ~、ごちそうさまでした! しばらく机の前に飾っておこう…。

●良くピントが合っていて、こうしてアップにしても違和感がないほど、ディテールがしっかり捉えられていますね。
左側の扉体には、知恵の輪のようなアイが一本突き出ていて、扉体とは鎖でつながれているようです。扉の継ぎ目からリーク(漏水)があることから、向こう側の水位はかなり高い…右側扉体越しに見える杭に目をやると、なるほど高いほうの水面は、扉体ひたひたくらいまであるようです。
●ん? 手前の土留めの板や扉体のこちら側、冠水した痕がある…。ついさっきまで、高いほうと同じくらいまで、水が入っていたような雰囲気です。ここでふと、ピンと来るものが。
もしかして、もしかして、これは閘門じゃないのか?
いや、そう考えると、冠水の痕も、通航時の注排水のためだとすれば納得がいくし、左側にしかない不自然なアイも、注水用のスルースバルブを引き上げる取っ手とすれば、つじつまが合う!
まあ、今のところ確かめようがないので、妄想のレベルに留まりますが、極小木製マイタゲート閘門というだけで、もう何だか萌え死にそうな気分になる、安上がり船頭であります。

●滋賀県の地理には詳しくないので、絵葉書がどこから撮ったものなのかはわからないのですが、平らかな土地に水辺の広がる、水郷地帯といった感じの風景とくれば、思い出されるのが、一昨年に訪ねた近江八幡水郷のあたり。
私が艪舟を楽しんだ西の海は、八幡山の陰ですから比良山地は見えますまいが、もっと北、かつては水郷の一部だった大中あたりからは、望むことができたのではないでしょうか。
昭和戦前は、このマイタゲートのような閘門が、琵琶湖沿岸のあちこちで、ひなびた閘門風景を繰り広げていたのかなあ…などと想像していたら、また近江八幡に行きたくなってきました。

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水辺に傘をさした女性を配したりして、叙情豊かな写真になっていますが、まあ当然ながら、女性や比良山地に惹かれたわけではなく(近江の皆さんごめんなさい)、目が釘付けになったのは、もちろんかたわらの木製マイタゲート!
●木製マイタゲートの写真というだけでも珍しいのに、径間2mくらいでしょうか、その可愛らしいほどの小ささに、極小水門好きとしてはタマランものがあり、即決。
左右の堤体が、棒杭と板で土留めを施しただけなのも、最近ではお目にかかれない素朴な造りで、いかにも灌漑水路の逆止水門といった感じ。イヤ~、ごちそうさまでした! しばらく机の前に飾っておこう…。

●良くピントが合っていて、こうしてアップにしても違和感がないほど、ディテールがしっかり捉えられていますね。
左側の扉体には、知恵の輪のようなアイが一本突き出ていて、扉体とは鎖でつながれているようです。扉の継ぎ目からリーク(漏水)があることから、向こう側の水位はかなり高い…右側扉体越しに見える杭に目をやると、なるほど高いほうの水面は、扉体ひたひたくらいまであるようです。
●ん? 手前の土留めの板や扉体のこちら側、冠水した痕がある…。ついさっきまで、高いほうと同じくらいまで、水が入っていたような雰囲気です。ここでふと、ピンと来るものが。
もしかして、もしかして、これは閘門じゃないのか?
いや、そう考えると、冠水の痕も、通航時の注排水のためだとすれば納得がいくし、左側にしかない不自然なアイも、注水用のスルースバルブを引き上げる取っ手とすれば、つじつまが合う!
まあ、今のところ確かめようがないので、妄想のレベルに留まりますが、極小木製マイタゲート閘門というだけで、もう何だか萌え死にそうな気分になる、安上がり船頭であります。

●滋賀県の地理には詳しくないので、絵葉書がどこから撮ったものなのかはわからないのですが、平らかな土地に水辺の広がる、水郷地帯といった感じの風景とくれば、思い出されるのが、一昨年に訪ねた近江八幡水郷のあたり。
私が艪舟を楽しんだ西の海は、八幡山の陰ですから比良山地は見えますまいが、もっと北、かつては水郷の一部だった大中あたりからは、望むことができたのではないでしょうか。
昭和戦前は、このマイタゲートのような閘門が、琵琶湖沿岸のあちこちで、ひなびた閘門風景を繰り広げていたのかなあ…などと想像していたら、また近江八幡に行きたくなってきました。

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第三芭蕉丸の船旅…5
(『第三芭蕉丸の船旅…4』のつづき)
●しばらく暖を取りながら、船室の雰囲気を楽しもうと、白いカバーのソファーに腰かけながら、物見高く周りをキョロキョロ。
木目化粧板張りの壁、茶色い絨緞…ドアや窓枠のアルミ色を除けば、どこから見ても昭和30年代風味。昔の応接室と違うのは、椅子もテーブルも床にガッチリ固定されていることと、テーブルのフチが高く盛り上げてあること。いずれも船の揺れに備えてのことです。
●こういう注意書きの看板、何だかアナクロな感じがして、吸い寄せられるものが。この書体、注意書きに独特のフォント(?)のように思えるのですが、何ていう書体なんでしょう?
国鉄の駅名板とか、首都高の案内表示とか、それぞれの業種独特の書体というのがありますが、これもそのたぐいなのでしょうね。この「注意書き書体」をPCで打てるようにしてくれたら、職場や学校で、すんごく説得力のある看板が、気軽に作れるようになるのですが…。
●船室の入口、デッキの壁に備わっていたこの電話も、上と同様の理由で惹かれるなあ…。電話のある一角は、ちょうど車掌室のように引っ込んでいて、竣工当時は、一等船室専属のボーイさんがいたのでは、と思わせる造りでした。
この薄緑色、ある種の工作機械などにもよく塗られていた色ですが、最近見かけなくなりましたね。ちなみに電話は沖電気製でした。
●こちらは帰りしなに撮った、2階のグリーン船室の様子。リクライニングしない椅子、背もたれにはこれまた懐かしい、パッカンと開くテーブル付き。子供のころに一度だけ乗せてもらった、横須賀線のグリーン車を思い出させるものが。
ううむ、本当にこの船、昭和末製なのか? 20年ちょっと前には、電車ではすでに、この手のシートをつけた車輌は絶滅していたような。何だか泣けてきた…。
丸文の社長は、頑固一徹な人だったに違いないと、確信する船頭。
●ふと我に帰ると、第三芭蕉丸はさらなる狭水道へ。うひゃ、こんな狭いところを通るのか…。ここはえ~と、小藻根島だっかな?
大時代な(失礼)船室がすっかり気に入ってしまい、ほとんど外を見ていなかった…。
(21年12月3日撮影)
(『第三芭蕉丸の船旅…6』につづく)

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木目化粧板張りの壁、茶色い絨緞…ドアや窓枠のアルミ色を除けば、どこから見ても昭和30年代風味。昔の応接室と違うのは、椅子もテーブルも床にガッチリ固定されていることと、テーブルのフチが高く盛り上げてあること。いずれも船の揺れに備えてのことです。

国鉄の駅名板とか、首都高の案内表示とか、それぞれの業種独特の書体というのがありますが、これもそのたぐいなのでしょうね。この「注意書き書体」をPCで打てるようにしてくれたら、職場や学校で、すんごく説得力のある看板が、気軽に作れるようになるのですが…。

この薄緑色、ある種の工作機械などにもよく塗られていた色ですが、最近見かけなくなりましたね。ちなみに電話は沖電気製でした。

ううむ、本当にこの船、昭和末製なのか? 20年ちょっと前には、電車ではすでに、この手のシートをつけた車輌は絶滅していたような。何だか泣けてきた…。
丸文の社長は、頑固一徹な人だったに違いないと、確信する船頭。

大時代な(失礼)船室がすっかり気に入ってしまい、ほとんど外を見ていなかった…。
(21年12月3日撮影)
(『第三芭蕉丸の船旅…6』につづく)

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