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南前堀…5

(『南前堀…4』のつづき)

20041.jpg南前堀唯一の橋。まだ新しそうなコンクリート桁橋です。橋の規模にくらべて、橋脚が太くがっしりしており、手前(下流側)にはみ出た形なのが印象的。拡幅の予定があるのか、または人道橋でも、後日併設するつもりで造ったのでしょうか。

名前はわからなかったのですが、エキサイト地図でこの付近を見たら、「旭橋」とありました。…ん? 付近の小さな橋たちの名前は、一切書いていないのに、なぜこの旭橋だけが? 何かいわれがあるのかしら…。

20042.jpg旭橋の橋詰角地にあった、何か可愛らしい感じのするパン屋さん「田口商店」に惹かれて一枚。今まで、堀沿いは大区画の建物ばかりだったので、こういった生活臭の感じられる商店を目にすると、何だかホッとするものが…。

橋上は交通量も多く、自転車や歩行者が多く行きかい、旭橋が生活道路であることを実感させます。

20043.jpg
旭橋をくぐると、永遠に続くと思われた「係船禁止」の断り書きが、ウソのように姿を消し、橋脚沿いに連なって浮いていた、フェンスも途切れて、静かな船溜となっていました。

ここからは、いわば「公の水面」でなく、よそ様のお庭先なのですね。奥まで行くと、転回しづらそうということもあり、高架橋脚4本分を残して、回頭することとしました。
撮影地点のMapion地図

ご存知のように、頭上を走る首都高羽田線は、この少し西で南へぐっと向きを変え、多摩川に向かいます。この、東糀谷3丁目と羽田旭町の間を走る首都高も、六間堀という、南前堀から分岐した水路があった区間を利用して、造られたものだったのです。

南前堀の西端部同様、今は埋め立てられて現存しませんが、かつては付近の水路群同様、海苔養殖船や漁船の船溜として、フネブネがひしめいていたのでしょう。国土変遷アーカイブの航空写真「USA-M376-No2-9」(200dpiでご覧ください)を見ると、南前堀とともに、埋め立てられる前の六間堀の姿がとらえられています。

ちなみに、羽田周辺の入堀群、六郷用水末端の排水路として、利用されていたものがいくつかあるのですが、この南前堀もそのひとつで、浜竹用水の排水を受けていたそうです。

20044.jpg決して広くはないものの、水路幅は充分あり、楽に転回できそう…と思っていたら、目の前の杭にバウの左舷を軽くゴツン!

いや、相手が木だったことが幸いして、ゴツンというより「キュキュッ!」と、ちょっといやな音ながら、ガンネルを傷付けずに済みました。何やら、南前堀に「ナメるなよ!」と釘をさされた気分。江戸前の豊饒を一身に受けた、歴史ある船溜であり、四ヶ領を潤した誇り高き六郷用水の落し口、失礼があってはいけません。

20045.jpg冷汗をぬぐう気持ちで、旭橋に向き直ると、おや、こちら側には、すでに人道橋が架かっていたのですか。

たたみかける「係船禁止」の洪水にはちょっとびっくりしましたが、形の揃った、端整と言ってよい高架橋脚のつくる遠近法の消失点に、吸い込まれてゆくような感覚のある水路…、短いながらも、「東京最南端の高架下水路」の風格?が、堪能できたひとときでした。


(21年12月13日撮影)

(『羽田周辺の船溜めぐり…1』につづく)

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タグ : 南前堀高架下水路