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水路をゆく・第二運河 21年10~12月のご案内



水路をゆく・第二運河にようこそ!
閘門・水門や橋、船の大好きな管理人が、水運全盛期への愛惜を胸に、全長21ft(約6m)の小さなモーターボートに乗って、東京周辺の川や運河をうろついたり、素敵な川景色や、舟運時代の面影を求めて、各地の水辺や博物館、遊覧船を訪ねるブログです。
少しづつですが、東京とその近郊にある可航水路の、全線ご紹介を目指しています。

ボートオーナーの方へ…当ブログに掲載された水路を航行され、事故を起こされても、管理人は責任を負いかねますので、航行にあたっては、各艇長の責任で安全航行をお願いいたします。
小さい画像は、クリックすると別窓で拡大表示できます。
当ブログ掲載の本文、画像の無断使用はご遠慮ください。
各記事と関連のないコメントは、できれば、この「ご案内」のコメント欄にお願いいたします。
いただいたコメントは、承認後の表示となります。

当ブログは、Doblog「水路をゆく」の姉妹編として、20年4月6日に開設、「航行水路メモ」を主な記事にしてまいりましたが、21年2月8日以降、Doblogに障害が発生、更新が不可能になったため、本文記事をこちらで継続することとなりました。
なお、閉鎖されたDoblog「水路をゆく」の記事は、FC2ブログ「水路をゆく 過去ログ」に順次移設しています。

【12月31日】今年もお陰さまで、無事故で川走り、水辺探訪を楽しむことができました。お世話になった皆様、ブログにお越しくださった皆様に、御礼申し上げます。良いお年をお迎えください。
【12月27日更新】タイトルバック画像を更新しました。芝浦東運河日の出水門です。21年12月13日撮影。
【12月21日更新】タイトルバック画像を更新しました。大田区、南前堀を西側から見たところです。21年12月13日撮影。
【12月18日更新】タイトルバック画像を更新しました。曙運河を縦断する京葉線の橋梁を、北から望んだところです。21年12月13日撮影。
【12月13日更新】タイトルバック画像を更新しました。東京港、日の出埠頭に憩う、港内曳船群です。21年12月13日撮影。
【12月4日更新】タイトルバック画像を更新しました。宮城県石巻市、福地運河(旧追波川)にある、梨ノ木水門です。21年12月3日撮影。
【11月28日更新】タイトルバック画像を更新しました。東雲運河に建設中の、富士見橋の橋脚です。21年10月18日撮影。
【11月24日更新】フカダソフトの「きまぐれ旅写真館」と相互リンクが開通しました。
【11月22日更新】航行水路メモの各記事に設けていた、旧ブログへの該当記事リンクを、過去ログと当ブログへの検索結果リンクに置き換えました。各記事末尾の「~を検索」の部分をクリックすると、該当記事のタイトルが表示されます。水路によっては、まだ過去の記事をアップしていないものがあり、該当記事が表示されない場合もありますので、悪しからずご了承ください。
【11月19日更新】タイトルバック画像を更新しました。建設中の東京港臨海大橋、中防側トラスです。21年11月15日撮影。
【11月13日更新】タイトルバック画像を更新しました。大横川、菊柳橋から北側を見たところです。21年9月20日撮影。
【11月6日更新】タイトルバック画像を更新しました。千葉県香取市下小堀、豊水門です。21年7月20日撮影。
【10月31日更新】タイトルバック画像を更新しました。春海運河、旧東京都港湾局専用線・晴海鉄道橋の遺構です。21年10月18日撮影。
【10月23日更新】タイトルバック画像を更新しました。日本橋川、江戸橋の裏側です。21年10月18日撮影。
【10月16日更新】タイトルバック画像を更新しました。大阪市、堂島川の大江橋下から水晶橋(旧堂島川可動堰)を見たところです。21年9月12日撮影。
【10月8日更新】タイトルバック画像を更新しました。京都市左京区、蹴上インクライン、蹴上船溜付近です。21年9月12日撮影。
【10月2日更新】タイトルバック画像を更新しました。京都市伏見区、濠川の蓬莱橋です。21年9月11日撮影。

羽田周辺の船溜めぐり…6

(『羽田周辺の船溜めぐり…5』のつづき)

20071.jpg船溜めぐりの最終コースは、平和島運河北端に注ぐ小河川、内川。船溜とするには、ちょっと無理がありますが、今回入ってから、実は近い状態であることに気づきました。

第一橋、浜辺橋をくぐって遡上開始。ここはとても浅い区間なのですが、今回は高い潮位のおかげで、らくらく進入できます。
撮影地点のMapion地図

20072.jpg浜辺橋のすぐ上流、南側の岸辺近くに、卒塔婆と切花を立てた素朴な供養塔を発見。水難で亡くなられた方を供養しているのですね。以前訪れたときには気づかなかったのですが、最近祀られたのでしょうか。通過しながら、思わず手を合わせました。

水難供養というと、私もよく利用する海老取川澪筋の、羽田五十間鼻無縁堂が思い出されますが、かつては隅田川でも、主に関東大震災で亡くなった罹災者を供養するため、永代橋下流や相生橋付近の浅瀬に卒塔婆を立て、川施餓鬼が毎年9月に行われていました。

浚渫が行き届き、浅瀬が消滅した今では、卒塔婆を立てることは行われなくなりましたが、行事としての川施餓鬼は続けられており、毎年7月、小名木川の高橋にて、灯籠流しを見ることができます。

20073.jpg水深は徐々に浅くなりますが、A.P.+143cmの威力(?)で、まったく不安なし。

これなら内川水門も楽勝でくぐれるでしょう。左手には、内川排水機場の施設が姿をあらわしました。



20074.jpg内川排水機場の樋門です。スキンプレートを陸側に向けて、構造を見せているせいか、いかつい風貌に見えます。おとなしい表情の内川水門とは、好対照です。

かたわらには、てっぺんにパトランプの付いた「放流中」の電光掲示板も。これらを煌々と光らせて、ザブザブと排水に大活躍する姿、ちょっと見てみたくなりました。


20075.jpg
こうして近づいてから、ようやく気づかされるくらいの地味さながら、内川水門の手前には、ご覧のとおりの橋があります。地図で見ると、排水機場の専用橋のようですね。

もっとも、この無名橋に近づいてから、「地味」などと、あなどった感想を持ったことに後悔しました。いや、地味なことには違いないのですが、近来まれに見る、壮絶なモノを目の当たりにするハメになったからです…。


(21年12月13日撮影)

【ご案内】昭和島周辺の水路については、過去ログの以下の記事をご覧ください。

昭和島をめぐる…1
昭和島をめぐる…2
昭和島をめぐる…3
昭和島をめぐる…4

(『羽田周辺の船溜めぐり…7』につづく)

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タグ : 内川内川水門平和島運河川施餓鬼水難供養

羽田周辺の船溜めぐり…5

(『羽田周辺の船溜めぐり…4』のつづき)

20066.jpg船溜の例に漏れず、各船のオーナーが、思い思いに桟橋をあつらえてもやっているのですが、ほとんどは価格・耐久性の点からでしょうか、工事の足場に使われるような鉄パイプ組みのもの。

この桟橋、主構造(?)は鉄パイプながら、手すりや歩み板は木製で、なかなかの雰囲気。一見、やっつけたような造作に見えますが、個人で桟橋を組み上げるのは、結構大変なのでしょうね。
私が桟橋を持てる身分になったら…。木製の簡易トラス構造に、チェーンブロックで上下するドルフィンが釣ってあるとか、マニアな桟橋にしてみたい…、などと、妄想してしまいました。

20067.jpg
縦列繋船のお陰か、はたまた貴船堀に歓迎されているのか、すんなりと奥まで来ることができました。堀の周りは、意外に人通りが多く、また北側には木立があって、悪くない雰囲気です。

もやうフネブネは、漁船とプレジャー型が、半々くらいでしょうか。

20068.jpg旧呑川船溜では、最奥部の写真がブレブレでお見せできなかったので、ここでようやくご覧に入れられます。砂地のままのスロープに、インクライン式船台の線路が一組設けてあるのは、北前堀、旧呑川と同様です。

手前の水面にフェンスが張られているのは、ゴミの漂着を防止するためでしょうか。船台の背後も金網で囲まれて、陸上からも、自由に出入りできる感じではなさそうですね。

20069.jpg貴船堀を出て、みたび平和島運河に戻り、最後の目的地へ。フェンスと澪標に囲まれた、「ふるさとの浜辺公園」の水面に沿って進みます。

前回触れた国土変遷アーカイブの航空写真、「USA-M376-44」を見ると、写真右に見えるコンクリート堤は、防波堤として造られたものだったことがわかります。現在の大森グラウンドに、かつて東京ガスの工場があった際、この防波堤の内側を、横付けする船舶の船溜としていたのですね。今は堤内側に砂洲ができて、トリさんの社交場になっているようです。

そうそう、京浜運河と、この平和島運河をつなぐ水路、「ガスミオ運河」なる変わった名前がついていますが、これも東京ガスの工場に出入りする船のために、浅瀬を浚渫して造った澪筋(ガス澪)が、その由来のようですね。
これも先の航空写真で、澪筋を確認することができます。いや~、昔の写真を見ていると、埋め立ての歴史が髣髴されて、興味が尽きないなあ…。

20070.jpg昭和島西岸では、クレーン船が出て、護岸工事中のようです。水辺を見ると、真新しい石積みの法面護岸を構築中。

浜辺公園の対岸と言うこともあり、公園からの視界に入るここを、体裁よく修景するための工事なのでしょう。風波から守られた広い水面であることも手伝って、プレジャーボートの皆さんにも、眺めのよい泊地として、いずれ人気が出るかもしれません。


(21年12月13日撮影)

(『羽田周辺の船溜めぐり…6』につづく)

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タグ : 貴船堀平和島運河貴船水門

羽田周辺の船溜めぐり…4

(『羽田周辺の船溜めぐり…3』のつづき)

20061.jpgふたたび平和島運河に出て、どんより曇った空の下を北上。前方には、「大森ふるさとの浜辺公園」の砂浜が、白く見えてきました。

次に目指す船溜は、あの砂浜の南端近くにあります。



20062.jpg
貴船水門前に到着。…同じような水門ばかり見せられて、そろそろウンザリしてきたころかもしれませんが、アンテナのあるなしとか、階段のつけどころとか、細かい部分の違いを、よろしくお楽しみいただきたく…。

ここ貴船堀も、大部分が埋め立てられたという点では、他の船溜と変わりありませんが、かつての形はなかなか個性的でした。
国土変遷アーカイブの航空写真に、かつての堀の形が写っています。昭和22年撮影の「USA-M376-44」(200dpiでご覧ください)の写真左上、弓なりに反った防波堤の右端近くが、貴船堀の入口です。
かぎの手に、東京ガスの敷地を囲むようにして奥に伸び、さらに丁字流で2本の支堀を分かつ、まるで迷路のような水路形…。ミニ水郷と言ってもよい情景が、展開されていたに違いありません。

もし、今も残っていたとしたら、支堀の奥まで走ってみたくなるような、魅力的な水路になっていたことでしょう。イヤ、ビッシリともやわれた海苔舟に恐れをなして、入口付近で逃げ出す公算が高いかな?

20063.jpgお邪魔してみると、こちらは縦列繋船ですか、これなら奥までいけるかな…。

ちなみに、この右(北西方)には、幕末に徳川家の大筒丁打場(大砲の試射場)が設けられ、岸に沿って南東方向を射界としていたとのこと。今でも遺跡は残っているのでしょうか。もしかしたら、昔、運河の底を浚渫したとき、当時の円弾(丸い大砲のタマ)が掘り出された、なんてこともあったかもしれませんね。
撮影地点のMapion地図

20064.jpg水門を入ってすぐのところにもやっていた、この漁船にハートわしづかまれた! 傾斜前面2枚窓の、やたらとスリムなキャブが格好良すぎます。アンカーも古風なストックアンカーと、ダンフォースにしないあたり、硬派の雰囲気濃厚。

惜しむらくは、だいぶくたびれているところですが、船体は健全のようですから、ガンネルを張り替えて、化粧直しをすれば見違えるでしょう。

20065.jpg護岸は、旧呑川のそれより、さらに星霜を経た風に見える、石組みの法面。

埋立が進む戦後しばらくまで、風向きによっては、直接外海の波が堀を洗うこともあったでしょうから、早い時期に堅固な護岸が組まれたと見てよいでしょう。



(21年12月13日撮影)

(『羽田周辺の船溜めぐり…5』につづく)

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タグ : 貴船堀平和島運河貴船水門

高架下が鳥居びっしりに似ている件

まあ、昨日こちらにちらりと書いてしまったので今さらなんですが、「南前堀…4」で、「今、何だか惹かれる理由のひとつがわかった気が…。」について。

おなじみ「がーちゃんフォトアルバム Vol.2」を拝見していて、ハタと思い当たった写真に出会ったのです。多くは語りますまい。がーちゃんにお願いして、写真をお借りしましたから、まずは並べてご覧いただきましょう。




がーちゃんフォトアルバム Vol.2 「穴守稲荷神社 奥の宮」より転載

何やら南前堀が、神々しい存在に思えてきました。


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タグ : 南前堀高架下水路