羽田周辺の船溜めぐり…3
(『羽田周辺の船溜めぐり…2』のつづき)

●呑川水門の前に到着。水門の名前でもおわかりように、ここは呑川のかつての河口で、旧河道のほとんどは昭和57年5月に埋め立てられ、緑地化されました。残された、全長わずか120mあまりの水面を、北前堀同様、船溜として利用しているのです。
こうして水門を前にしても、特に「呼ばれていない」感じはせず、風も収まってきたのか、艇はきわめておとなしく応えてくれます。さっそくお邪魔してみましょう。
●水門をくぐると、思ったより幅のある水面が広がっていました。小河川とは言え、旧河口の貫禄でしょうか。住宅や小工場の建屋が水辺に並び、落ち着いたいい雰囲気です。
繋留艇は、左手に槍付けで整然と並び、右手に広く水面が確保されているのも好印象…。
●水面の奥をのぞいてみると、雑草の茂った、砂のままの水辺のようです。その向こうの林は、緑地帯の東端でしょうか。いかにも「埋め立てたまま」といった感じ。手前では、水鳥の遊ぶ姿が見られました。
奥に漁船が一艘、ぽつりともやわれているほかは、かつて海苔舟が岸を埋めて連なり、両岸には海苔干場が果てしなく続いていたといわれる、最盛期の呑川の姿を髣髴させるよすがはありませんでした。
●入口付近の両岸は、石組みの法面護岸で、わずかに河口であったころの雰囲気をしのばせます。フェンスの上には、鴨さんがひとりぼっちで休憩中。
眠たかったのでしょうか、艇を近づけても全く動じず、つぶらな瞳ででじっとこちらを見つめていました。
●水門を裏側から。何分「量産型」水門ですので、南前堀・北前堀のそれとそう変わりはありませんが、堰柱天端に、テレビのアンテナが立っているのがちょっと変わっています。かたわらに建っている、官舎で使っているものでしょうか。
なお、呑川の現河道(新呑川)については、過去ログ「新呑川…1」以下のシリーズに航行記が掲載してあります。ご参考まで。
【撮影地点のMapion地図】
(21年12月13日撮影)
(『羽田周辺の船溜めぐり…4』につづく)

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●呑川水門の前に到着。水門の名前でもおわかりように、ここは呑川のかつての河口で、旧河道のほとんどは昭和57年5月に埋め立てられ、緑地化されました。残された、全長わずか120mあまりの水面を、北前堀同様、船溜として利用しているのです。
こうして水門を前にしても、特に「呼ばれていない」感じはせず、風も収まってきたのか、艇はきわめておとなしく応えてくれます。さっそくお邪魔してみましょう。

繋留艇は、左手に槍付けで整然と並び、右手に広く水面が確保されているのも好印象…。

奥に漁船が一艘、ぽつりともやわれているほかは、かつて海苔舟が岸を埋めて連なり、両岸には海苔干場が果てしなく続いていたといわれる、最盛期の呑川の姿を髣髴させるよすがはありませんでした。

眠たかったのでしょうか、艇を近づけても全く動じず、つぶらな瞳ででじっとこちらを見つめていました。

なお、呑川の現河道(新呑川)については、過去ログ「新呑川…1」以下のシリーズに航行記が掲載してあります。ご参考まで。
【撮影地点のMapion地図】
(21年12月13日撮影)
(『羽田周辺の船溜めぐり…4』につづく)

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羽田周辺の船溜めぐり…2
(『羽田周辺の船溜めぐり…1』のつづき)

●もう少し奥へ行ってみよう…と、いったん戻したスロットルを前進に入れたのですが、突風が断続的に吹いてきて、艇がやたらと振り回されます。風向きがよほど悪いのか、周囲が立て込んでいるにもかかわらず、全く風除けの効果は期待できない模様。
う~む、これは「呼ばれていない」に違いない…あの青い橋をくぐってみたかったのですが、繋留艇にぶつけでもしたらこと、ここは素直に退却した方がよさそうです。
●というわけで、転回もせずに後進をかけ、まさにしっぽを巻いて退散の情けないありさま。水門に笑われているような気が…。
ちなみにこの北前堀、リンク先である写真家さんのブログ「ブログ・ザ・デラックス」に、素晴らしい夜景写真(北前堀水門。 [彫刻水路都市])があります。静かな水面に映る水門の倒立像と、ライトの光芒が美しい…ぜひご覧ください。
●次なる船溜を目指して、海老取運河から平和島運河へ出て北上。
モノレールが、河底トンネルから躍り出てくるおなじみのシーンを楽しみつつ、干潟水路をゆるゆると進みます。モノレールの雄姿を見ると、東京南部の水路群に来たんだなあ、と、何か開放的な気分にさせられるのですから、不思議なものです。お客さんにばっちり注目されてしまうのは、ちょっと緊張しますが。
●大森南と昭和島の間、モノレールと首都高が渡る水路は、浚渫がされておらず極めて浅いのですが、この日の高潮位に助けられて、鼻歌まじりの気楽な通過。いや~、潮が上げている日って、こういうときは本当にありがたい。
おや、首都高の桁には足場がかかっている…補修工事のようですね。
●桁下に入ると、足場の段差ができた部分に、「高さ制限 A.P.+5.7m」と書かれた横断幕が。う~ん、桁の側面に張ったほうがいいような気も…。
ぐふふ、A.P.+2.3mをくぐりなれた我が艇には、脅しにもならんわい…などと、低次元な自慢をつぶやく不気味な船頭を乗せて、艇は二つ目の船溜へ。
【撮影地点のMapion地図】
(21年12月13日撮影)
(『羽田周辺の船溜めぐり…3』につづく)

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●もう少し奥へ行ってみよう…と、いったん戻したスロットルを前進に入れたのですが、突風が断続的に吹いてきて、艇がやたらと振り回されます。風向きがよほど悪いのか、周囲が立て込んでいるにもかかわらず、全く風除けの効果は期待できない模様。
う~む、これは「呼ばれていない」に違いない…あの青い橋をくぐってみたかったのですが、繋留艇にぶつけでもしたらこと、ここは素直に退却した方がよさそうです。

ちなみにこの北前堀、リンク先である写真家さんのブログ「ブログ・ザ・デラックス」に、素晴らしい夜景写真(北前堀水門。 [彫刻水路都市])があります。静かな水面に映る水門の倒立像と、ライトの光芒が美しい…ぜひご覧ください。

モノレールが、河底トンネルから躍り出てくるおなじみのシーンを楽しみつつ、干潟水路をゆるゆると進みます。モノレールの雄姿を見ると、東京南部の水路群に来たんだなあ、と、何か開放的な気分にさせられるのですから、不思議なものです。お客さんにばっちり注目されてしまうのは、ちょっと緊張しますが。

おや、首都高の桁には足場がかかっている…補修工事のようですね。

ぐふふ、A.P.+2.3mをくぐりなれた我が艇には、脅しにもならんわい…などと、低次元な自慢をつぶやく不気味な船頭を乗せて、艇は二つ目の船溜へ。
【撮影地点のMapion地図】
(21年12月13日撮影)
(『羽田周辺の船溜めぐり…3』につづく)

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【特盛】高架下水路づくし
●以前も書いたと思うのですが、首都高が覆いかぶさった川を渡って通学していたせいか、高架下を流れる水路というものに、どういうわけだか惹かれるものがありました。
先日南前堀を訪ねたことで、東京近辺の高架下可航水路は、ほとんど見て回ることができた、ということもあり、高架下水路のまとめでもやろうかしら…と、思っていたら、エスカレーター愛好家のtamuraさん(ブログ:東京エスカレーター)が、「高架橋脚ファンクラブ」を設立されたとのこと。
おお、これは楽しそうですね! 応援も兼ねて、高架下水路づくしとまいりましょう。お目汚しまで、今まで走った高架下水路の写真を一枚づつ、以下にまとめてみました。
なお、ここに採り上げた高架下水路は、「道路・線路が水路の水面上を、流路とほぼ同方向に走っていて、しかも高架下に可航状態の水路が確保されているもの」と、勝手に定義させていただきました。
ですから、隅田川や綾瀬川のように、河畔に橋脚を建て、水面に少しはみ出した形で走っている高架道路は、仲間に数えていません。悪しからずご了承ください。
【↓「続きを読む」をクリックしてご覧ください】
先日南前堀を訪ねたことで、東京近辺の高架下可航水路は、ほとんど見て回ることができた、ということもあり、高架下水路のまとめでもやろうかしら…と、思っていたら、エスカレーター愛好家のtamuraさん(ブログ:東京エスカレーター)が、「高架橋脚ファンクラブ」を設立されたとのこと。
おお、これは楽しそうですね! 応援も兼ねて、高架下水路づくしとまいりましょう。お目汚しまで、今まで走った高架下水路の写真を一枚づつ、以下にまとめてみました。
なお、ここに採り上げた高架下水路は、「道路・線路が水路の水面上を、流路とほぼ同方向に走っていて、しかも高架下に可航状態の水路が確保されているもの」と、勝手に定義させていただきました。
ですから、隅田川や綾瀬川のように、河畔に橋脚を建て、水面に少しはみ出した形で走っている高架道路は、仲間に数えていません。悪しからずご了承ください。
【↓「続きを読む」をクリックしてご覧ください】
羽田周辺の船溜めぐり…1
(『南前堀…5』のつづき)
●お次は、南前堀のすぐ北、やはり海老取運河に接する北前堀に入ってみました。
こちらは、本来の区間の大半が埋め立てられており、現存区間のほぼ半ばに、北前堀水門が位置する、まさに船溜と言ってよい小さな水面。
雲はますます厚く、怪しい空模様の上、ときおり吹く強い風でバウが振られて、針路が定まらないことおびただしい。ううむ、「呼ばれていない」感触が強い…。でも、せっかく来たのだからと、そろそろと前進開始。
【撮影地点のMapion地図】
●入口付近のコンクリート護岸は、急角度の法面の上に、波返しつきの垂直護岸が組み合わされたタイプ。この手の護岸、好きなんですよ。晴れた日に、法面の上にゴロンと寝転んで、焼けたコンクリートの感触を楽しみたい…。
柵付きのテラス護岸ばやりの昨今ですから、このような古い型の護岸も、いずれ貴重になるかもしれません。
●北前堀水門に接近。ご覧のとおり、南前堀水門と同じ図面から起こしたことを感じさせるそっくりさん。他の船溜の水門も略同型で、何か利根川下流域の「量産型」水門群を思い起こさせる情景です。
右手には、パイプ組みの桟橋が見えますが、繋留船はなし。水深はこの時点で2m前後、艇種によりますが、大干潮時の進入は控えたほうがよいでしょう。
建物の影に入ったのに、風が渦を巻いているのか、あいかわらず艇がフラフラする…。写真左手の水面に、風が細波を立てているのが写っていますね。

●針路の定まらないわが艇に緊張させられながらも、水門の下から、内部の水面をのぞいたスナップを一枚。おお、なんだかイイ感じの詰まりぐわい…。青い桁橋が架かっているのも見えますね。
短い水路でも、橋が架かっていると、どこかイキイキとして見えるから不思議ですね。水門にせよ、高架にせよ、水面上を横断するストラクチャーは、単調になりがちな水路に変化をつけてくれ、また造形を楽しませてくれる、親しい存在であることを再認識。(いまさらながら…)
●こちらの繋留船は、プレジャーが目立ちます。右奥のフライブリッジ付きの艇、出入りが大変そう…。最奥部はスロープになっていて、インクライン式の船台も見えます。
ちなみに、現存の可航区間は260mあまり。現在緑地となっている、本来の水路を含めた延長は約830mと、南前堀とあまり変わらない長さがありました。北前堀緑地は、昭和55年1月に埋め立てが完了したとのことです。
(21年12月13日撮影)
(『羽田周辺の船溜めぐり…2』につづく)

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こちらは、本来の区間の大半が埋め立てられており、現存区間のほぼ半ばに、北前堀水門が位置する、まさに船溜と言ってよい小さな水面。
雲はますます厚く、怪しい空模様の上、ときおり吹く強い風でバウが振られて、針路が定まらないことおびただしい。ううむ、「呼ばれていない」感触が強い…。でも、せっかく来たのだからと、そろそろと前進開始。
【撮影地点のMapion地図】

柵付きのテラス護岸ばやりの昨今ですから、このような古い型の護岸も、いずれ貴重になるかもしれません。

右手には、パイプ組みの桟橋が見えますが、繋留船はなし。水深はこの時点で2m前後、艇種によりますが、大干潮時の進入は控えたほうがよいでしょう。
建物の影に入ったのに、風が渦を巻いているのか、あいかわらず艇がフラフラする…。写真左手の水面に、風が細波を立てているのが写っていますね。

●針路の定まらないわが艇に緊張させられながらも、水門の下から、内部の水面をのぞいたスナップを一枚。おお、なんだかイイ感じの詰まりぐわい…。青い桁橋が架かっているのも見えますね。
短い水路でも、橋が架かっていると、どこかイキイキとして見えるから不思議ですね。水門にせよ、高架にせよ、水面上を横断するストラクチャーは、単調になりがちな水路に変化をつけてくれ、また造形を楽しませてくれる、親しい存在であることを再認識。(いまさらながら…)

ちなみに、現存の可航区間は260mあまり。現在緑地となっている、本来の水路を含めた延長は約830mと、南前堀とあまり変わらない長さがありました。北前堀緑地は、昭和55年1月に埋め立てが完了したとのことです。
(21年12月13日撮影)
(『羽田周辺の船溜めぐり…2』につづく)

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南前堀…5
(『南前堀…4』のつづき)
●南前堀唯一の橋。まだ新しそうなコンクリート桁橋です。橋の規模にくらべて、橋脚が太くがっしりしており、手前(下流側)にはみ出た形なのが印象的。拡幅の予定があるのか、または人道橋でも、後日併設するつもりで造ったのでしょうか。
名前はわからなかったのですが、エキサイト地図でこの付近を見たら、「旭橋」とありました。…ん? 付近の小さな橋たちの名前は、一切書いていないのに、なぜこの旭橋だけが? 何かいわれがあるのかしら…。
●旭橋の橋詰角地にあった、何か可愛らしい感じのするパン屋さん「田口商店」に惹かれて一枚。今まで、堀沿いは大区画の建物ばかりだったので、こういった生活臭の感じられる商店を目にすると、何だかホッとするものが…。
橋上は交通量も多く、自転車や歩行者が多く行きかい、旭橋が生活道路であることを実感させます。

●旭橋をくぐると、永遠に続くと思われた「係船禁止」の断り書きが、ウソのように姿を消し、橋脚沿いに連なって浮いていた、フェンスも途切れて、静かな船溜となっていました。
ここからは、いわば「公の水面」でなく、よそ様のお庭先なのですね。奥まで行くと、転回しづらそうということもあり、高架橋脚4本分を残して、回頭することとしました。
【撮影地点のMapion地図】
●ご存知のように、頭上を走る首都高羽田線は、この少し西で南へぐっと向きを変え、多摩川に向かいます。この、東糀谷3丁目と羽田旭町の間を走る首都高も、六間堀という、南前堀から分岐した水路があった区間を利用して、造られたものだったのです。
南前堀の西端部同様、今は埋め立てられて現存しませんが、かつては付近の水路群同様、海苔養殖船や漁船の船溜として、フネブネがひしめいていたのでしょう。国土変遷アーカイブの航空写真「USA-M376-No2-9」(200dpiでご覧ください)を見ると、南前堀とともに、埋め立てられる前の六間堀の姿がとらえられています。
ちなみに、羽田周辺の入堀群、六郷用水末端の排水路として、利用されていたものがいくつかあるのですが、この南前堀もそのひとつで、浜竹用水の排水を受けていたそうです。
●決して広くはないものの、水路幅は充分あり、楽に転回できそう…と思っていたら、目の前の杭にバウの左舷を軽くゴツン!
いや、相手が木だったことが幸いして、ゴツンというより「キュキュッ!」と、ちょっといやな音ながら、ガンネルを傷付けずに済みました。何やら、南前堀に「ナメるなよ!」と釘をさされた気分。江戸前の豊饒を一身に受けた、歴史ある船溜であり、四ヶ領を潤した誇り高き六郷用水の落し口、失礼があってはいけません。
●冷汗をぬぐう気持ちで、旭橋に向き直ると、おや、こちら側には、すでに人道橋が架かっていたのですか。
たたみかける「係船禁止」の洪水にはちょっとびっくりしましたが、形の揃った、端整と言ってよい高架橋脚のつくる遠近法の消失点に、吸い込まれてゆくような感覚のある水路…、短いながらも、「東京最南端の高架下水路」の風格?が、堪能できたひとときでした。
(21年12月13日撮影)
(『羽田周辺の船溜めぐり…1』につづく)

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名前はわからなかったのですが、エキサイト地図でこの付近を見たら、「旭橋」とありました。…ん? 付近の小さな橋たちの名前は、一切書いていないのに、なぜこの旭橋だけが? 何かいわれがあるのかしら…。

橋上は交通量も多く、自転車や歩行者が多く行きかい、旭橋が生活道路であることを実感させます。

●旭橋をくぐると、永遠に続くと思われた「係船禁止」の断り書きが、ウソのように姿を消し、橋脚沿いに連なって浮いていた、フェンスも途切れて、静かな船溜となっていました。
ここからは、いわば「公の水面」でなく、よそ様のお庭先なのですね。奥まで行くと、転回しづらそうということもあり、高架橋脚4本分を残して、回頭することとしました。
【撮影地点のMapion地図】
●ご存知のように、頭上を走る首都高羽田線は、この少し西で南へぐっと向きを変え、多摩川に向かいます。この、東糀谷3丁目と羽田旭町の間を走る首都高も、六間堀という、南前堀から分岐した水路があった区間を利用して、造られたものだったのです。
南前堀の西端部同様、今は埋め立てられて現存しませんが、かつては付近の水路群同様、海苔養殖船や漁船の船溜として、フネブネがひしめいていたのでしょう。国土変遷アーカイブの航空写真「USA-M376-No2-9」(200dpiでご覧ください)を見ると、南前堀とともに、埋め立てられる前の六間堀の姿がとらえられています。
ちなみに、羽田周辺の入堀群、六郷用水末端の排水路として、利用されていたものがいくつかあるのですが、この南前堀もそのひとつで、浜竹用水の排水を受けていたそうです。

いや、相手が木だったことが幸いして、ゴツンというより「キュキュッ!」と、ちょっといやな音ながら、ガンネルを傷付けずに済みました。何やら、南前堀に「ナメるなよ!」と釘をさされた気分。江戸前の豊饒を一身に受けた、歴史ある船溜であり、四ヶ領を潤した誇り高き六郷用水の落し口、失礼があってはいけません。

たたみかける「係船禁止」の洪水にはちょっとびっくりしましたが、形の揃った、端整と言ってよい高架橋脚のつくる遠近法の消失点に、吸い込まれてゆくような感覚のある水路…、短いながらも、「東京最南端の高架下水路」の風格?が、堪能できたひとときでした。
(21年12月13日撮影)
(『羽田周辺の船溜めぐり…1』につづく)

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