浪逆浦閘門…2
(『浪逆浦閘門…1』のつづき)
●閘室内の側壁には、下利根流域の閘門ではおなじみ、セルフ操作の把手が設けられ、通航船側からの操作によって、随時運転ができるようになっています。繋船用のチェーンが渡されているのも同様です。
風が強いせいか、閘門付近では必ず見られる釣り人さんの姿はなく、こう言っては何ですが、気兼ねのない閘門見物を楽しむことができました…。
●メーカーズプレートが、堰柱に二枚並べて貼ってあるのを発見。読んでみると、左の赤錆びたものは全体の施工、右がゲートとその運転設備のメーカーのようです。
全体の施工は鹿島建設、ゲート周りは日本自動ダム。数字を拾ってみると、扉体の径間6・4m、高さ5.5m。全長25mは、閘室の寸法か、全体の長さかはわかりません。
●もう一枚のプレートは、管理者である水資源開発公団によって、後年貼られたもののようです。
しかし、設置年が下るごとに、プレートの造作が安っぽくなってきているのがなんとも。無駄遣いをつつしむのはもちろん結構なのですが、土木施設の来歴を示すある種の「顔」にあたるだけに、銘板のたぐいはしっかりとしたこしらえにして損はないと思うのですが、皆さんはいかがお考えでしょうか。
●これは外浪逆浦側に設けられている、通航船に向けての注意書きですが、通航時間の項を読んでちょっと驚きました。
「通航時間…午前零時から午後12時まで」
真夜中からお昼まで? 普通、朝×時から夕方×時まで、だと思うのですが…、管理上の理由? それとも、夜中に用がある船がいる、ということ? 午後に通航ができないというのは、このあたりの生活サイクルからすると、困ってしまうような気がするのですが…。いずれにせよ、こんな通航時間の閘門は初めてです!

●閘門から西側、与田浦に通じるエンマを眺めて。外浪逆浦は白波が立っていても、風裏で、しかも水面の狭いこちらは穏やか。内水のありがたさを実感します。
閘門群生地帯、水郷と下利根流域の閘門たちが大好きで、ここ数年ずいぶん見て回ってきましたが、まだいくつか訪ねていない閘門が残っています。またこのあたりに遊びに来がてら、いずれその全てに会ってみたいものですねえ。
(21年7月20日撮影)
(『なんちゃって閘門・豊水門…1』につづく)

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風が強いせいか、閘門付近では必ず見られる釣り人さんの姿はなく、こう言っては何ですが、気兼ねのない閘門見物を楽しむことができました…。

全体の施工は鹿島建設、ゲート周りは日本自動ダム。数字を拾ってみると、扉体の径間6・4m、高さ5.5m。全長25mは、閘室の寸法か、全体の長さかはわかりません。

しかし、設置年が下るごとに、プレートの造作が安っぽくなってきているのがなんとも。無駄遣いをつつしむのはもちろん結構なのですが、土木施設の来歴を示すある種の「顔」にあたるだけに、銘板のたぐいはしっかりとしたこしらえにして損はないと思うのですが、皆さんはいかがお考えでしょうか。

「通航時間…午前零時から午後12時まで」
真夜中からお昼まで? 普通、朝×時から夕方×時まで、だと思うのですが…、管理上の理由? それとも、夜中に用がある船がいる、ということ? 午後に通航ができないというのは、このあたりの生活サイクルからすると、困ってしまうような気がするのですが…。いずれにせよ、こんな通航時間の閘門は初めてです!

●閘門から西側、与田浦に通じるエンマを眺めて。外浪逆浦は白波が立っていても、風裏で、しかも水面の狭いこちらは穏やか。内水のありがたさを実感します。
閘門群生地帯、水郷と下利根流域の閘門たちが大好きで、ここ数年ずいぶん見て回ってきましたが、まだいくつか訪ねていない閘門が残っています。またこのあたりに遊びに来がてら、いずれその全てに会ってみたいものですねえ。
(21年7月20日撮影)
(『なんちゃって閘門・豊水門…1』につづく)

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浪逆浦閘門…1
(『扇島閘門みたび…2』のつづき)
●扇島閘門を離れて、水郷風景を楽しみながらドライブし、十六島の東の果て、附洲新田にやってきました。目的地は、十六島の東の玄関である、浪逆浦(なさかうら)閘門。与田浦に通じる閘門のうち、ここのみ未見だったのです。
霞ヶ浦からの常陸利根川に、北浦から流れる鰐川を合流する外浪逆浦は、この日は折からの東風で、その名にたがわない荒れ模様。白波が一面に立つ湖面には、一隻の船影も見えませんでした。

●浪逆浦閘門との初対面。加藤洲や仲江間のような小型閘門の多い十六島では、珍しい大規模(?)のもので、高くそびえる堰柱と巻上機室は、やはり頼もしく見えます。
信号の灯器は、今ではおよそお目にかかれなくなった型の三灯式。変遷の激しい道路の信号のことを思うと、時間が止まったような感じがしますね。
●正面に掲げられた銘板。石造りの立派なもので、昭和四十八年二月完成の文字が。
波のたち方でもわかるように、鹿島灘を渡ってくる風が、内陸まで衰えずに吹きつけ、水際に少しでも近づくと、しぶきが飛んでくるくらいでした。
●閘門に併設された排水機場、新附洲機場の建物。
「水郷の原風景」(千葉県立大利根博物館刊)によると、ここ附洲は、昭和17年に十六島で初めて排水機場が設けられたところで、昭和38年に建設された西端の八筋川排水機場とあわせて、水郷の湛水被害の軽減に貢献しました。
附洲に最初に設けられたポンプは、現在は県立中央博物館・大利根分館(旧大利根博物館)に保存されています。(過去ログ『魅惑の水郷…1』参照)
●与田裏側ゲート。扉体の汚れ具合を見ると、水位差は結構ありそうですね。
観光のサッパや釣りのボートが行きかう、十六島の日常を考えると、この閘室がいっぱいになるような大型船が、与田浦に入る用事はめったにないのでしょうが、浚渫や護岸工事などのために、曳船や台船が入ることを考えて、一つだけ大型の閘門を設けたのかもしれません。
(与田裏側からの写真は、8月7日からのタイトル参照)
【撮影地点のMapion地図】
(21年7月20日撮影)
(『浪逆浦閘門…2』につづく)

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霞ヶ浦からの常陸利根川に、北浦から流れる鰐川を合流する外浪逆浦は、この日は折からの東風で、その名にたがわない荒れ模様。白波が一面に立つ湖面には、一隻の船影も見えませんでした。

●浪逆浦閘門との初対面。加藤洲や仲江間のような小型閘門の多い十六島では、珍しい大規模(?)のもので、高くそびえる堰柱と巻上機室は、やはり頼もしく見えます。
信号の灯器は、今ではおよそお目にかかれなくなった型の三灯式。変遷の激しい道路の信号のことを思うと、時間が止まったような感じがしますね。

波のたち方でもわかるように、鹿島灘を渡ってくる風が、内陸まで衰えずに吹きつけ、水際に少しでも近づくと、しぶきが飛んでくるくらいでした。

「水郷の原風景」(千葉県立大利根博物館刊)によると、ここ附洲は、昭和17年に十六島で初めて排水機場が設けられたところで、昭和38年に建設された西端の八筋川排水機場とあわせて、水郷の湛水被害の軽減に貢献しました。
附洲に最初に設けられたポンプは、現在は県立中央博物館・大利根分館(旧大利根博物館)に保存されています。(過去ログ『魅惑の水郷…1』参照)

観光のサッパや釣りのボートが行きかう、十六島の日常を考えると、この閘室がいっぱいになるような大型船が、与田浦に入る用事はめったにないのでしょうが、浚渫や護岸工事などのために、曳船や台船が入ることを考えて、一つだけ大型の閘門を設けたのかもしれません。
(与田裏側からの写真は、8月7日からのタイトル参照)
【撮影地点のMapion地図】
(21年7月20日撮影)
(『浪逆浦閘門…2』につづく)

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