江戸川・三郷中之島覚え書き
●「水門先生と水路行…3」でお約束した、三郷中之島付近の澪筋などについて、覚え書き的に少し…。
航路情報うんぬんと言うよりは、ちょっと気になる点がいくつか思い当たったので。

●上の写真は、平成7年8月に撮った、坂川放水路河口・松戸水門です。写真でもわかるように、西岸(水門のあるほうが東)にかなり寄った位置から撮っており、水門の基部は、手前にある中之島の木立で隠れているのがわかります。
【撮影地点のMapion地図】
これは、この前の航行で、下流側で中之島に寄せ過ぎ、結果座洲した反省から採った航路で、無事中之島付近を通過、常磐道流山インター上流まで到達しました。この時は、三郷放水路のかなり下流から西岸に寄せたことを憶えています。下のGoogleマップ上に描いた赤線が、おおむねその時の航路です。
●すでにお話したように、今回は平成7年と同様、西岸寄りに遡上しようとして浅瀬につかまり、東に向けて進んだところ、澪筋が東岸寄りから中之島沿いにあることがわかり(航路はGoogleマップ上の青線)、かつての感覚とはだいぶ違うことを実感しました。
恐らく、現在の澪筋は、黄線で描いたように走っているように思われました。
すでに「江戸川限界遡上」にも書かれているように、佐藤氏には「坂川・三郷両放水路から流下する土砂が、このあたりの河床を上げ、澪筋を変えてしまったようだ」とお話したものの、帰宅してからGoogleマップに浅瀬の推定エリアを落としてみて、「ハテ、ちょっと違うかな?」と、また別の感想(イヤ、妄想に近いかな)を持つようになったのです。

ホンモノのGoogleマップで江戸川 三郷中之島付近を表示
●まず、合流河川の堆砂で河床が上がった件ですが、常時水を流している坂川放水路はともかく、三郷放水路は逆に、年に数回あるかないかの放水時に、その流速で堆砂を押し流しているように思えたのです。
中之島下流付近から東岸に至る深みは、その前後の区間にくらべて唐突で、角度も三郷放水路の取付け角に一致しているため、そうでも考えなければ、説明がつかないように思えました。
三郷放水路からの放水は、中川が危険な状態にならない限りないはずで、いざ放水が始まれば、相当な流速で東岸下流方向に向かってぶつかるはずですから、この考えもあながち外れてはいないと思えるのですが、いかがでしょうか。
今回はまった浅瀬の推定エリアも、同じ考えから、上流側を三郷放水路の吐口の角度に合わせて描いてみました。もっとも、平成7年に通過したときは、たまたま水位が高かったので、気づかずに通ってしまった…という可能性も、否定できません。
●今ひとつ…。ボート乗り諸先輩の非難も空恐ろしいので、念のため記しておくと、このあたりが動力船の遡上限界では、もちろんありません。
Googleマップの航空写真を拡大してご覧になればおわかりのように、中上流部にも結構な数の繋留船が見られます(私の艇より大きな艇も、たくさんありました)し、これは特殊な例ですが、大雨直後の増水時を狙って、関宿閘門を通られた方も、過去には一人ならずおられる(水路をゆく 過去ログ『江戸川走破の快挙!』参照)わけです。
●私のお世話になっている、ボートサービスの社長によると、流山付近で漁をしている舟の、船外機の整備を請け負っており、その舟は年に一回ほど江戸川を下って来て、エンジンの修理をしてこともなげに(!)帰っていくとのこと。
その社長ですら、「松戸のあたりから上は怖いから、上がりたくないねえ」と尻込みするのですから、まさに地場の、わずかな川船乗りしか知り得ない澪筋が延々と続く川、それがかつてのメインラインであった江戸川の、現在の姿なのでしょう。
●お隣の中川が、三郷放水路のはるか上流まで、難なく遡上できる環境にあることを思うと、まさに動力船にとっては「航路の廃墟」と呼んで言い過ぎではない荒廃ぶりで、かつての賑わいを考えると、やはり寂しさがつのるのを、抑えることができません。

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航路情報うんぬんと言うよりは、ちょっと気になる点がいくつか思い当たったので。

●上の写真は、平成7年8月に撮った、坂川放水路河口・松戸水門です。写真でもわかるように、西岸(水門のあるほうが東)にかなり寄った位置から撮っており、水門の基部は、手前にある中之島の木立で隠れているのがわかります。
【撮影地点のMapion地図】
これは、この前の航行で、下流側で中之島に寄せ過ぎ、結果座洲した反省から採った航路で、無事中之島付近を通過、常磐道流山インター上流まで到達しました。この時は、三郷放水路のかなり下流から西岸に寄せたことを憶えています。下のGoogleマップ上に描いた赤線が、おおむねその時の航路です。
●すでにお話したように、今回は平成7年と同様、西岸寄りに遡上しようとして浅瀬につかまり、東に向けて進んだところ、澪筋が東岸寄りから中之島沿いにあることがわかり(航路はGoogleマップ上の青線)、かつての感覚とはだいぶ違うことを実感しました。
恐らく、現在の澪筋は、黄線で描いたように走っているように思われました。
すでに「江戸川限界遡上」にも書かれているように、佐藤氏には「坂川・三郷両放水路から流下する土砂が、このあたりの河床を上げ、澪筋を変えてしまったようだ」とお話したものの、帰宅してからGoogleマップに浅瀬の推定エリアを落としてみて、「ハテ、ちょっと違うかな?」と、また別の感想(イヤ、妄想に近いかな)を持つようになったのです。

ホンモノのGoogleマップで江戸川 三郷中之島付近を表示
●まず、合流河川の堆砂で河床が上がった件ですが、常時水を流している坂川放水路はともかく、三郷放水路は逆に、年に数回あるかないかの放水時に、その流速で堆砂を押し流しているように思えたのです。
中之島下流付近から東岸に至る深みは、その前後の区間にくらべて唐突で、角度も三郷放水路の取付け角に一致しているため、そうでも考えなければ、説明がつかないように思えました。
三郷放水路からの放水は、中川が危険な状態にならない限りないはずで、いざ放水が始まれば、相当な流速で東岸下流方向に向かってぶつかるはずですから、この考えもあながち外れてはいないと思えるのですが、いかがでしょうか。
今回はまった浅瀬の推定エリアも、同じ考えから、上流側を三郷放水路の吐口の角度に合わせて描いてみました。もっとも、平成7年に通過したときは、たまたま水位が高かったので、気づかずに通ってしまった…という可能性も、否定できません。
●今ひとつ…。ボート乗り諸先輩の非難も空恐ろしいので、念のため記しておくと、このあたりが動力船の遡上限界では、もちろんありません。
Googleマップの航空写真を拡大してご覧になればおわかりのように、中上流部にも結構な数の繋留船が見られます(私の艇より大きな艇も、たくさんありました)し、これは特殊な例ですが、大雨直後の増水時を狙って、関宿閘門を通られた方も、過去には一人ならずおられる(水路をゆく 過去ログ『江戸川走破の快挙!』参照)わけです。
●私のお世話になっている、ボートサービスの社長によると、流山付近で漁をしている舟の、船外機の整備を請け負っており、その舟は年に一回ほど江戸川を下って来て、エンジンの修理をしてこともなげに(!)帰っていくとのこと。
その社長ですら、「松戸のあたりから上は怖いから、上がりたくないねえ」と尻込みするのですから、まさに地場の、わずかな川船乗りしか知り得ない澪筋が延々と続く川、それがかつてのメインラインであった江戸川の、現在の姿なのでしょう。
●お隣の中川が、三郷放水路のはるか上流まで、難なく遡上できる環境にあることを思うと、まさに動力船にとっては「航路の廃墟」と呼んで言い過ぎではない荒廃ぶりで、かつての賑わいを考えると、やはり寂しさがつのるのを、抑えることができません。

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水門先生と水路行…4
(『水門先生と水路行…3』のつづき)
●つつがなく江戸川本流を下り、閘門前まで戻ってきました。往きは水位差が大きかったので、注水待ちが充分あり、楽しめたのですが、帰りは潮位が高いため、あっけなく扉が開き、少々物足りないほどでした。
写真は閘門進入をひかえ、カメラを構える佐藤氏。折からの風にシャツがひるがえり、ポーズもカッコ良く決まっておりますです!
●旧江戸川を出たあとは、道々のお話で、F氏がガンダムファンであることが判明したこともあり、お台場の実物大ガンダムを見に行こうということに。先日、新東京丸に乗ったときも、窓越しにチラリと見たきりだったので、自艇から間近に眺められるのは楽しみです。
荒川河口に出ると、午前中より南風が強くなってきており、すでにかなりの荒れよう。砂町南運河を通って、直接東京港に出るのは断念し、砂町運河~東雲運河のルートで向かうことにしました。凌波性の乏しい小型艇にとって、風波を防ぐ運河の存在がいかに頼もしいか、お2人にご覧いただけたので、結果的に良かったかもしれません。
●東雲運河の北東端、運河のジャンクションである六叉流に入ったところで、佐藤氏がニヤリとして「あれ、いいですねえ!」と指差したのは、湾岸警察署の豊洲運河水上派出所。
以前も紹介しましたが、陸上の交番そのままの建物が、運河の交差点に建っているのは、やはりちょっとしたミスマッチというか、ユーモラスな感じがしますよね。
【撮影地点のMapion地図】
●東雲運河とくればコレ、ローラーゲート3径間にセクターゲート1径間を持つ、バラエティ豊かな(?)東雲水門。ローラーゲートの方は、長い間工事中でしたが、先日ようやく終わったばかりです。
どちらを通ります? と問えば、「セクターゲートはこの間通ったので、ローラーゲートで!」。そういえば、「タモリ倶楽部」ご出演のときは、セクターを通っていましたよね。演歌調の標語を見上げつつ、何やら嬉しそうに通過する水門先生と水門バカ。
●ガンダム前に到着。いや、前でなく後ろですが…。お台場というか、正しくは潮風公園ですね。この一帯だけ、品川区の飛び地なんだそうで。
いやもう、ものすごい人出です。ガンダム人気を再認識させられました。屋台も出ているのか、バーベキューのようないい匂いが、海上まで漂ってきます。我々のほかにも二隻、ガンダム見物に繰り出したボートが漂泊していました。
佐藤氏が黙って下を向いておられたので、ふと手元を見ると、何やら携帯をいじっておられる様子…。その時は、はて?と思っただけでやり過ごしたのですが、帰宅してから佐藤氏のブログを拝見すると、ガンダムの写真がアップされている! う~ん、現場から実況とは、やられました。
【撮影地点のMapion地図】
●切れ間から薄日の差し込む曇り空は、少し早い夕焼けの風情。お天気もギリギリのところで持ちこたえ、好事家(?)同士の会話もはずんだ、楽しい水路行でした。佐藤氏、F氏、私の水路遊びにお付き合いいただき、ありがとうございました!
次の機会があったら、もっと濃厚な水路風景をご覧いただいて、都市河川の魔手から、逃れられないようにさせていただこうかと画策しております。ぐひひ…。
(21年7月18日撮影)
(『7月18日のフネブネ』につづく)

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写真は閘門進入をひかえ、カメラを構える佐藤氏。折からの風にシャツがひるがえり、ポーズもカッコ良く決まっておりますです!
●旧江戸川を出たあとは、道々のお話で、F氏がガンダムファンであることが判明したこともあり、お台場の実物大ガンダムを見に行こうということに。先日、新東京丸に乗ったときも、窓越しにチラリと見たきりだったので、自艇から間近に眺められるのは楽しみです。
荒川河口に出ると、午前中より南風が強くなってきており、すでにかなりの荒れよう。砂町南運河を通って、直接東京港に出るのは断念し、砂町運河~東雲運河のルートで向かうことにしました。凌波性の乏しい小型艇にとって、風波を防ぐ運河の存在がいかに頼もしいか、お2人にご覧いただけたので、結果的に良かったかもしれません。

以前も紹介しましたが、陸上の交番そのままの建物が、運河の交差点に建っているのは、やはりちょっとしたミスマッチというか、ユーモラスな感じがしますよね。
【撮影地点のMapion地図】

どちらを通ります? と問えば、「セクターゲートはこの間通ったので、ローラーゲートで!」。そういえば、「タモリ倶楽部」ご出演のときは、セクターを通っていましたよね。演歌調の標語を見上げつつ、何やら嬉しそうに通過する水門先生と水門バカ。

いやもう、ものすごい人出です。ガンダム人気を再認識させられました。屋台も出ているのか、バーベキューのようないい匂いが、海上まで漂ってきます。我々のほかにも二隻、ガンダム見物に繰り出したボートが漂泊していました。
佐藤氏が黙って下を向いておられたので、ふと手元を見ると、何やら携帯をいじっておられる様子…。その時は、はて?と思っただけでやり過ごしたのですが、帰宅してから佐藤氏のブログを拝見すると、ガンダムの写真がアップされている! う~ん、現場から実況とは、やられました。
【撮影地点のMapion地図】

次の機会があったら、もっと濃厚な水路風景をご覧いただいて、都市河川の魔手から、逃れられないようにさせていただこうかと画策しております。ぐひひ…。
(21年7月18日撮影)
(『7月18日のフネブネ』につづく)

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水門先生と水路行…3
(『水門先生と水路行…2』のつづき)
●三郷放水路に近づくまでは、あくまで基本に忠実に、屈曲のアウトコースを選んで速度をしぼり、そろりそろりと艇を歩かせます。
あいかわらず分厚い曇り空、風は穏やかではあるものの、どこか心細くなるような空模様…。
●やがて河道の中央に、木々がこんもりと茂った中洲―イヤ、そのさまは中洲などという生やさしい感じではないので、「三郷の中之島」と呼び習わしているのですが―が見えてくると、三郷放水路はもう間もなく。(写真を撮れなかったので、平成5年の写真でご勘弁ください)
ここまでは無事に来ることができて、少しホッとしましたが、気をつけなくてはいけないのは、ここからです。
●過去、最初の江戸川行では、この手前で座洲したことがあり、再挑戦時に西岸寄りの航路を取って上流まで行けた経験から、今回も同じ伝で行こうと、徐々に西岸に寄せると…、予想に反して、水深はぐんぐん浅くなり、魚探も感を示さなくなってしまいました。う~ん。
エンジンをチルトアップ、ボートフックで水底を探りながら微速航行するも、やはり浅くなる一方。ついにはプロペラが泥を巻き上げて、水中に泥煙を立てる始末…。これではいけません。少し後進をかけてから、河道を直角に横断し、澪筋を探ることにしました。
(このあたり、航路情報を含めて、後ほどまとめてみようと思います。とりあえずGoogleマップをご覧になり、よろしくご想像くだされ…)
●東岸に向かって進むと、次第に水深が増して、一同安堵の表情。ううむ、繋留船もいたことだし、最初からこちらを通ればよかったかも。ご心配をおかけして、申しわけないです。澪筋は予想に反して、中之島西岸に沿って延びていたようですね。せめて三郷放水路だけでも正面から眺めようと、微速前進。
ジャングルのような中之島の水辺には、インアウトのボートが横転してご臨終…。ううう、何でこんなくだらない写真を撮っていて、肝心なモノが撮れていないのか(まあ、こういうモノに惹かれるたちではあるのですが…)。
●未来的な匂いのする、三郷排水機場の巨大な建屋と、対照的な古びた感じの樋門を正面に望んだところが、今回の最終遡上地点。
佐藤氏は、中之島の森の向こうに顔を出す、坂川放水路の松戸水門に惹かれていたようでしたが、双眼鏡で上流を偵察すると、河道中央に杭の列のようなものも見えるなど、若干の不安もあるので、今回は大事を取って、ここまでとさせていただきました。
【撮影地点のMapion地図】
●中之島下流の深みにアンカーを打って、川面でのランチタイム。あっ、三郷排水機場の向こう側はるかに、ツェッペリン飛行船が…。
カヤックが一艘、遡上していったきりで船影もなく、堤防上や水辺にも人影が乏しい上、高い堤防で、街や道路のざわめきからも遮られているとあって、その静けさは天下一品。佐藤氏も、堤防の「防音効果」には、驚いておられるようでした。
●帰路は、河川敷の茂みの向こうに現れては消える、小さな樋門たちを眺めながらの下航。まだ、時おり小雨が顔を打ちますが、幸い本降りになることもなく、空も幾分か明るくなってきました。
写真は、松戸の市街地付近で見た、二径間の樋門。角に施された石材の装飾が、いかにも古典的です。佐藤氏にお訊ねすると、「赤圦樋門」と即答! 間髪いれず名前が出てくる「水門先生」の頼もしさ、鬼をもひしぐ(?)ものがあります。
(21年7月18日撮影)
(『水門先生と水路行…4』につづく)

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あいかわらず分厚い曇り空、風は穏やかではあるものの、どこか心細くなるような空模様…。
●やがて河道の中央に、木々がこんもりと茂った中洲―イヤ、そのさまは中洲などという生やさしい感じではないので、「三郷の中之島」と呼び習わしているのですが―が見えてくると、三郷放水路はもう間もなく。(写真を撮れなかったので、平成5年の写真でご勘弁ください)
ここまでは無事に来ることができて、少しホッとしましたが、気をつけなくてはいけないのは、ここからです。
●過去、最初の江戸川行では、この手前で座洲したことがあり、再挑戦時に西岸寄りの航路を取って上流まで行けた経験から、今回も同じ伝で行こうと、徐々に西岸に寄せると…、予想に反して、水深はぐんぐん浅くなり、魚探も感を示さなくなってしまいました。う~ん。
エンジンをチルトアップ、ボートフックで水底を探りながら微速航行するも、やはり浅くなる一方。ついにはプロペラが泥を巻き上げて、水中に泥煙を立てる始末…。これではいけません。少し後進をかけてから、河道を直角に横断し、澪筋を探ることにしました。
(このあたり、航路情報を含めて、後ほどまとめてみようと思います。とりあえずGoogleマップをご覧になり、よろしくご想像くだされ…)

ジャングルのような中之島の水辺には、インアウトのボートが横転してご臨終…。ううう、何でこんなくだらない写真を撮っていて、肝心なモノが撮れていないのか(まあ、こういうモノに惹かれるたちではあるのですが…)。

佐藤氏は、中之島の森の向こうに顔を出す、坂川放水路の松戸水門に惹かれていたようでしたが、双眼鏡で上流を偵察すると、河道中央に杭の列のようなものも見えるなど、若干の不安もあるので、今回は大事を取って、ここまでとさせていただきました。
【撮影地点のMapion地図】

カヤックが一艘、遡上していったきりで船影もなく、堤防上や水辺にも人影が乏しい上、高い堤防で、街や道路のざわめきからも遮られているとあって、その静けさは天下一品。佐藤氏も、堤防の「防音効果」には、驚いておられるようでした。

写真は、松戸の市街地付近で見た、二径間の樋門。角に施された石材の装飾が、いかにも古典的です。佐藤氏にお訊ねすると、「赤圦樋門」と即答! 間髪いれず名前が出てくる「水門先生」の頼もしさ、鬼をもひしぐ(?)ものがあります。
(21年7月18日撮影)
(『水門先生と水路行…4』につづく)

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水門先生と水路行…2
(『水門先生と水路行…1』のつづき)
●可動堰のローリングゲートに、ギリギリまで近寄ってみると、本流下流部との水位差が見て取れ、ちょうど崖っぷちから下をのぞいているような気分。
フネに乗ったまま…しかも動力船で、扉体ギリギリまで近づいて、水面の高さを実感することができる行徳可動堰って、実は貴重な場所かもしれません。
ふと周りを見ると、ここ数日の雨のせいか、若干水位が高いように思えました。これなら、少しは遡上も楽かも…。
●行徳可動堰を後に、本流を遡上開始。佐藤氏のお話によると、旧ブログに書いた記事、「平成7年8月・江戸川…1」、「平成7年8月・江戸川…2」(『水路をゆく 過去ログ』収録)を読まれて以来、ぜひ江戸川を遡上してみたい、と思われていたとのこと。
まことに船頭冥利に尽きるお話、ありがたい限りですが、佐藤氏に水路病(?)を発症させてしまった責任もあり、今回のお誘いに至ったわけであります。
●国府台を過ぎ、満員の渡し舟を見ながら矢切付近の浅瀬をクリアして、金町の取水塔横を通過。
このあたりは、江戸川有数の風光明媚な区間でもあります(『江戸川散歩…3』ほか参照)から、曇天下とはいえ、お2人にも楽しんでいただけたようです。
●数隻のPWCやボートと行き交いながら、松戸付近のS字屈曲区間に突入。先ほどとは打って変わって、水深はぐっと深くなり、しばらくは安心して走ることができます。
グレーのトラス、外環葛飾大橋・葛飾橋をくぐった向こうは、松戸の中心市街もほど近いところ。ここには…。
●固定岸壁の、松戸船着場があります。ここが江戸川の船着場では最上流で、つまり小型水上バスクラスの、遡上限界点でもあるということです。
この先は、何度か行ったことはあるとは言え、安全航行の保証のない区間…。一人でやんちゃをしていたころならともかく、お客様を乗せての船行きとなれば、緊張しないと言ったら、やはりウソになります。
●堤防越しに見えていた、背の高いビル群が消えうせ、妙に橋脚がひょろ長く見える、上葛飾橋をくぐると、いよいよ江戸川らしい、広漠たる川景色が広がりました。
ここまで上がってくるのは、本当に久しぶりです。魚探の感は次第に上がり、アウトコースを取っていても、1m台を示すようになりました。佐藤氏もしきりにモニターをのぞき込んでは「う~ん、浅いですねえ」と、心配しておられる様子。
澪筋も、昔とはだいぶ変わっているようだし、果たして当初の目標遡上地点である、三郷放水路まで到達できるのかどうか…。
【撮影地点のMapion地図】
(21年7月18日撮影)
(『水門先生と水路行…3』につづく)

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フネに乗ったまま…しかも動力船で、扉体ギリギリまで近づいて、水面の高さを実感することができる行徳可動堰って、実は貴重な場所かもしれません。
ふと周りを見ると、ここ数日の雨のせいか、若干水位が高いように思えました。これなら、少しは遡上も楽かも…。
●行徳可動堰を後に、本流を遡上開始。佐藤氏のお話によると、旧ブログに書いた記事、「平成7年8月・江戸川…1」、「平成7年8月・江戸川…2」(『水路をゆく 過去ログ』収録)を読まれて以来、ぜひ江戸川を遡上してみたい、と思われていたとのこと。
まことに船頭冥利に尽きるお話、ありがたい限りですが、佐藤氏に水路病(?)を発症させてしまった責任もあり、今回のお誘いに至ったわけであります。

このあたりは、江戸川有数の風光明媚な区間でもあります(『江戸川散歩…3』ほか参照)から、曇天下とはいえ、お2人にも楽しんでいただけたようです。

グレーのトラス、外環葛飾大橋・葛飾橋をくぐった向こうは、松戸の中心市街もほど近いところ。ここには…。

この先は、何度か行ったことはあるとは言え、安全航行の保証のない区間…。一人でやんちゃをしていたころならともかく、お客様を乗せての船行きとなれば、緊張しないと言ったら、やはりウソになります。

ここまで上がってくるのは、本当に久しぶりです。魚探の感は次第に上がり、アウトコースを取っていても、1m台を示すようになりました。佐藤氏もしきりにモニターをのぞき込んでは「う~ん、浅いですねえ」と、心配しておられる様子。
澪筋も、昔とはだいぶ変わっているようだし、果たして当初の目標遡上地点である、三郷放水路まで到達できるのかどうか…。
【撮影地点のMapion地図】
(21年7月18日撮影)
(『水門先生と水路行…3』につづく)

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水門先生と水路行…1
●すでに「Das Otterhaus」の「江戸川限界遡上」で紹介されているので、ご存知の方も多いと思うのですが、7月18日は水門写真家の佐藤淳一氏をお誘いして、江戸川に遊んできました。ううむ、今年は江戸川づいているなあ。
こう書くと、すごく唐突な印象があるのですが、実は面識こそないものの、20年ほど前からお互いを知っていた(ということに、5年前、旧ブログを始めてしばらくしてから気づいた)というご縁があり、以来何度かやり取りはあったものの、お会いする機会に恵まれずにいたのです。
●当日はときおり小雨がぱらつくような、あいにくのお天気。
しかし佐藤氏は、「晴れていると、写真がうまく撮れないので、撮影に出かけるときはいつも、曇るようにと願っているんですよ。今日は曇りで本当に良かった!」と上機嫌。
なるほど、アングルが限られる晴天より、光がまんべんなく当たって、ディテールが細部まで撮れる曇りの方が良いということでしょうか。やはりプロの考えることは違います。
●佐藤氏とご友人F氏、私と連れの総勢4名で、灰色の空の下を、まずは砂町運河、新砂水門を通過して荒川河口へ。
ボート乗りにとってはなじみ深い新砂水門も、佐藤氏によれば、陸上から狙える場所がほとんどなく、貴重な存在なのだとか。幸い続航艇もないので、ゆっくり通過して楽しんでもらいましょう。
通りながら、「新砂水門の謎の穴」でも触れた、「旧・新砂水門」のことに話題が及ぶと、佐藤氏は左側、排水機場の護岸を見て「あそこに遺構らしきものがありますね」と興味深げ。さっそく水門好き同士の会話ができるのは、なんとも嬉しいものです。

●荒川河口の大橋梁群をくぐり、三枚洲の水路を通って旧江戸川へ。
「荒川のゲルバー」では、「とんでもなくかっこいい。鳥肌が出るほど」と、ずいぶんお気に召していた様子だったので、「どの径間を通ります?」と指示を請うと、「中央径間で!」とのご希望。
ヨーソロ、真ん中を堂々とまいりましょう。臨海大橋ができるまでは、都内一の大トラス構造物、くぐるたびにその質量には圧倒される思いです。
●約一時間をかけて旧江戸川を遡上、おなじみ江戸川閘門に到着。「ゲートを吊り下げている滑車が、なぜスイブルになっているのか」という一件で、さっそく盛り上がる二人(笑)。
浦安から上、ほとんどの区間が最徐航を要する、船溜の多い川とあって、荒川のようにすっ飛ばすと言うわけには行きません。「何でこんなに時間がかかるのかなあ、と思っていたんですが、なるほどこういうわけだったんだ…」と佐藤氏も納得された様子。そうなんです、充分スロットルをしぼらないと、どやされることもあるんですよ。
●下航船が先着しており、10分ほどの待ち時間でPWCが出てきました。佐藤氏は、江東の2閘門は通ったことがあるのですが、江戸川は初めてで、通航を楽しみにしていたとのこと。
扇橋・荒川と異なり、管理事務所からの放送もなければ信号の明滅もなく、短いサイレンのみでただ黙々と開閉する、築66年の閘門の地道な働きぶりに、佐藤氏も感じ入っておられたようです。
本流にマリーナがあり、また地元の舟もいるので、頻繁に通航船があるということでも、都内の3閘門の中では一番でしょう。
●閘門通過を楽しんだ後は、そのまま遡上してもよいのですが、「水門先生」をお連れしながら、ここを逃したとあってはウソでしょう、というわけで行徳可動堰にも寄り道。
せっかくなので、扉体ギリギリまで近づいてみると、ひとつ発見がありました。戸溝の下部、出入口のような開口部がチラリと見えますが、これはちょうどトンネルのように、向こう側まで抜けていたことが判明。
きっと、扉体が下がっている際に、扉体の上を歩いて点検できるように、通路として設けたのでしょうね。
【撮影地点のMapion地図】
(21年7月18日撮影)
(『水門先生と水路行…2』につづく)

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こう書くと、すごく唐突な印象があるのですが、実は面識こそないものの、20年ほど前からお互いを知っていた(ということに、5年前、旧ブログを始めてしばらくしてから気づいた)というご縁があり、以来何度かやり取りはあったものの、お会いする機会に恵まれずにいたのです。
●当日はときおり小雨がぱらつくような、あいにくのお天気。
しかし佐藤氏は、「晴れていると、写真がうまく撮れないので、撮影に出かけるときはいつも、曇るようにと願っているんですよ。今日は曇りで本当に良かった!」と上機嫌。
なるほど、アングルが限られる晴天より、光がまんべんなく当たって、ディテールが細部まで撮れる曇りの方が良いということでしょうか。やはりプロの考えることは違います。

ボート乗りにとってはなじみ深い新砂水門も、佐藤氏によれば、陸上から狙える場所がほとんどなく、貴重な存在なのだとか。幸い続航艇もないので、ゆっくり通過して楽しんでもらいましょう。
通りながら、「新砂水門の謎の穴」でも触れた、「旧・新砂水門」のことに話題が及ぶと、佐藤氏は左側、排水機場の護岸を見て「あそこに遺構らしきものがありますね」と興味深げ。さっそく水門好き同士の会話ができるのは、なんとも嬉しいものです。

●荒川河口の大橋梁群をくぐり、三枚洲の水路を通って旧江戸川へ。
「荒川のゲルバー」では、「とんでもなくかっこいい。鳥肌が出るほど」と、ずいぶんお気に召していた様子だったので、「どの径間を通ります?」と指示を請うと、「中央径間で!」とのご希望。
ヨーソロ、真ん中を堂々とまいりましょう。臨海大橋ができるまでは、都内一の大トラス構造物、くぐるたびにその質量には圧倒される思いです。

浦安から上、ほとんどの区間が最徐航を要する、船溜の多い川とあって、荒川のようにすっ飛ばすと言うわけには行きません。「何でこんなに時間がかかるのかなあ、と思っていたんですが、なるほどこういうわけだったんだ…」と佐藤氏も納得された様子。そうなんです、充分スロットルをしぼらないと、どやされることもあるんですよ。

扇橋・荒川と異なり、管理事務所からの放送もなければ信号の明滅もなく、短いサイレンのみでただ黙々と開閉する、築66年の閘門の地道な働きぶりに、佐藤氏も感じ入っておられたようです。
本流にマリーナがあり、また地元の舟もいるので、頻繁に通航船があるということでも、都内の3閘門の中では一番でしょう。

せっかくなので、扉体ギリギリまで近づいてみると、ひとつ発見がありました。戸溝の下部、出入口のような開口部がチラリと見えますが、これはちょうどトンネルのように、向こう側まで抜けていたことが判明。
きっと、扉体が下がっている際に、扉体の上を歩いて点検できるように、通路として設けたのでしょうね。
【撮影地点のMapion地図】
(21年7月18日撮影)
(『水門先生と水路行…2』につづく)

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