旧毛馬第一閘門を訪ねて…9
(『旧毛馬第一閘門を訪ねて…8』のつづき)

●旧毛馬第一閘門の北側に保存されている、旧毛馬洗堰も訪ねてみました。新旧淀川の分流という意味では、むしろこちらが主役といってよい施設なのですが、新設された排水機場に支障したため大半が撤去され、10径間のうち3径間のみの保存となっています(現役時の姿は『毛馬閘門…3』参照)。
前に立つと、堤防上から階段を降りて見学できるのは旧閘門と同様ながら、左手が撤去され小さくなってしまったせいか、どこかうら寂しい雰囲気です。

●巻上機器の一部らしいものが残っていました。フランジ付きの車輪が水平に一対ついたものと、その右はクランクが見えることから、人力操作の車地ですね。どういう用途で使われたものか、ちょっと想像しにくい遺物ではあります。
後ろの高欄や、石材で組まれた橋脚の水切りなど、眺めてみたかったディテールもご覧のとおり蔦に覆われて、鑑賞には具合のよくない現状です。
●階段の入口に設けられた説明板。こちらもだいぶ褪色が進んでいるものの、かろうじて読めるレベル。
ゲートは戦後だいぶ経った、昭和36年まで角落しだったことに触れていますが、大都市近傍の大型制水施設としては、近代化が遅かった部類だったのではないでしょうか。

●階段を降りて、径間をのぞき込んだところ。柵で塞がれているので、ゲートのあったスリットを仰いだり、アーチの質感を愛でられないのが寂しいですね。
旧閘門はあらゆる視点から観察できるよう、配慮が行き届いていたので、この扱いの落差は目立ちます。もちろん構造物の剥落など、安全に配慮した結果であれば、仕方のないことではありますが。

●径間の右手、レンガ製の擁壁部分を眺めて。この面だけでもレンガが露出していれば、石材とのコントラストが楽しめるのですが‥‥ううん、蔦がうらめしいですね。
植物が絡みつくのは、はた目に風情があるかもしれないけれど、レンガや石材の保存を考えると、決していいことではないでしょう。見学エリアの拡大も含め、ご一考いただきたいところではあります。
(令和5年9月30日撮影)
(『淀川畔を歩いて…1』につづく)

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●旧毛馬第一閘門の北側に保存されている、旧毛馬洗堰も訪ねてみました。新旧淀川の分流という意味では、むしろこちらが主役といってよい施設なのですが、新設された排水機場に支障したため大半が撤去され、10径間のうち3径間のみの保存となっています(現役時の姿は『毛馬閘門…3』参照)。
前に立つと、堤防上から階段を降りて見学できるのは旧閘門と同様ながら、左手が撤去され小さくなってしまったせいか、どこかうら寂しい雰囲気です。

●巻上機器の一部らしいものが残っていました。フランジ付きの車輪が水平に一対ついたものと、その右はクランクが見えることから、人力操作の車地ですね。どういう用途で使われたものか、ちょっと想像しにくい遺物ではあります。
後ろの高欄や、石材で組まれた橋脚の水切りなど、眺めてみたかったディテールもご覧のとおり蔦に覆われて、鑑賞には具合のよくない現状です。

ゲートは戦後だいぶ経った、昭和36年まで角落しだったことに触れていますが、大都市近傍の大型制水施設としては、近代化が遅かった部類だったのではないでしょうか。

●階段を降りて、径間をのぞき込んだところ。柵で塞がれているので、ゲートのあったスリットを仰いだり、アーチの質感を愛でられないのが寂しいですね。
旧閘門はあらゆる視点から観察できるよう、配慮が行き届いていたので、この扱いの落差は目立ちます。もちろん構造物の剥落など、安全に配慮した結果であれば、仕方のないことではありますが。

●径間の右手、レンガ製の擁壁部分を眺めて。この面だけでもレンガが露出していれば、石材とのコントラストが楽しめるのですが‥‥ううん、蔦がうらめしいですね。
植物が絡みつくのは、はた目に風情があるかもしれないけれど、レンガや石材の保存を考えると、決していいことではないでしょう。見学エリアの拡大も含め、ご一考いただきたいところではあります。
(令和5年9月30日撮影)
(『淀川畔を歩いて…1』につづく)

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旧毛馬第一閘門を訪ねて…8
(『旧毛馬第一閘門を訪ねて…7』のつづき)

●旧毛馬第一閘門の周辺にある、記念物についてまとめてみました。世紀の大工事であった淀川改修事業、その目玉となる毛馬洗堰・閘門が設けられた新淀川との分流点だけあって、さまざまな記念物が閘門とともに時を過ごしています。写真の淀川改修紀功碑から見てゆきましょう。
【▼「続きを読む」をクリックしてご覧ください】

●旧毛馬第一閘門の周辺にある、記念物についてまとめてみました。世紀の大工事であった淀川改修事業、その目玉となる毛馬洗堰・閘門が設けられた新淀川との分流点だけあって、さまざまな記念物が閘門とともに時を過ごしています。写真の淀川改修紀功碑から見てゆきましょう。
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旧毛馬第一閘門を訪ねて…7
(『旧毛馬第一閘門を訪ねて…6』のつづき)

●閘室底の遊歩道を歩いて、後扉室まで戻ってきました。やはりマイタゲート、半開きの状態をこうして中心線から眺めると、護岸上から見下ろすより充実感が桁違い。こちらは前扉室と異なり囲われていないため、扉体に触れたりできるのもいいですね。
護岸上は散策の人影がちらほら見られましたが、閘室底は滞在中私一人。公園の動線から外れているせいでしょうか。まあ、おかげさまで心ゆくまで楽しめましたが。

●扉体を撫で回したり、周りをうろついて眺めたりとやりたい放題(?)。かつては船上からしか得られなかった視点が、こうして気軽にお散歩しながら思うさまできる嬉しさよ。ネットが張ってあるのは、トリさんの営巣や、ゴミの放置を防ぐ手立てでしょう。
しかし斜接部の復元された木製水密材、こちらもホンモノ臭が薄くていま一つですね。天端に腐朽を防ぐ帽子をかむせてしまったこともあるでしょうが、こう何か、扉体とガッチリ一体化している雰囲気に欠けているように感じるのです。

●ネット越しに扉体の中をのぞいてみると、こんなマンホールと思しきものが。ボルトでがっちりと封をされた蓋は、ぽこりと球状に盛り上がり、圧力に耐える造りのよう。
やはり表裏に鋼板を張られたところは、いわばシェル式ゲートで、気室をつくることで扉体が浮力を持ち、開閉を容易にしていたのでは‥‥と思えたのですが、いかがでしょう。
●スキンプレートに、塗装時の表記がありました。平成16年7月、もう19年前ですが、現役設備同様の丁寧な塗装が幸いしたのか、褪色はあっても傷んだ感じはしません。
ふと、竣工時の塗色は何色だったのだろう、と「毛馬閘門の絵葉書」を見返してみたら、そんなに濃い色ではなく、グレーか明るい茶色あたりのように感じられました。そのあたりの史料は残っているのかな?

●後扉室を大川側から。絵葉書の視点にできるだけ近い角度で眺めたかったのですが、まず柵があって距離が取れず、もちろん埋め立てられた分は高さもあるため、これが限界です。それでも、二つの扉体を通しで見通せるこのポイントは閘門好きにとって至福のアングルで、いわくいいがたい幸福感に包まれたものでした。
(令和5年9月30日撮影)
(『旧毛馬第一閘門を訪ねて…8』につづく)

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●閘室底の遊歩道を歩いて、後扉室まで戻ってきました。やはりマイタゲート、半開きの状態をこうして中心線から眺めると、護岸上から見下ろすより充実感が桁違い。こちらは前扉室と異なり囲われていないため、扉体に触れたりできるのもいいですね。
護岸上は散策の人影がちらほら見られましたが、閘室底は滞在中私一人。公園の動線から外れているせいでしょうか。まあ、おかげさまで心ゆくまで楽しめましたが。

●扉体を撫で回したり、周りをうろついて眺めたりとやりたい放題(?)。かつては船上からしか得られなかった視点が、こうして気軽にお散歩しながら思うさまできる嬉しさよ。ネットが張ってあるのは、トリさんの営巣や、ゴミの放置を防ぐ手立てでしょう。
しかし斜接部の復元された木製水密材、こちらもホンモノ臭が薄くていま一つですね。天端に腐朽を防ぐ帽子をかむせてしまったこともあるでしょうが、こう何か、扉体とガッチリ一体化している雰囲気に欠けているように感じるのです。

●ネット越しに扉体の中をのぞいてみると、こんなマンホールと思しきものが。ボルトでがっちりと封をされた蓋は、ぽこりと球状に盛り上がり、圧力に耐える造りのよう。
やはり表裏に鋼板を張られたところは、いわばシェル式ゲートで、気室をつくることで扉体が浮力を持ち、開閉を容易にしていたのでは‥‥と思えたのですが、いかがでしょう。

ふと、竣工時の塗色は何色だったのだろう、と「毛馬閘門の絵葉書」を見返してみたら、そんなに濃い色ではなく、グレーか明るい茶色あたりのように感じられました。そのあたりの史料は残っているのかな?

●後扉室を大川側から。絵葉書の視点にできるだけ近い角度で眺めたかったのですが、まず柵があって距離が取れず、もちろん埋め立てられた分は高さもあるため、これが限界です。それでも、二つの扉体を通しで見通せるこのポイントは閘門好きにとって至福のアングルで、いわくいいがたい幸福感に包まれたものでした。
(令和5年9月30日撮影)
(『旧毛馬第一閘門を訪ねて…8』につづく)

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旧毛馬第一閘門を訪ねて…6
(『旧毛馬第一閘門を訪ねて…5』のつづき)

●前扉室を振り返って、「いや~‥‥いいわ‥‥」と、その素晴らしさに一人つぶやいてしまうほど。半ば開いたマイタゲートの向こうに、青空と緑の法面が広がり、どこか爽やかな光景になっていたのもよかったのでしょう。
扉体は上部3段がスキンプレートのみ、下部9段が閘室側も鋼板が張られ、ボックス状になった構造。水密になっているのなら、扉体自体に浮力を持たせていたのでしょうか。

●制水門周りも、反対側からもう一度。これまた佳いではないですか。運用に謎は残ったものの、この構造物が本閘門の魅力をいや増していることは、異論がないことと思います。

●勾配のついた底を登って、後扉室に向かいます。芝生を敷いた両側を盛り上げて、歩道を低めてあるのは、排水のためでしょうか。お天気がよくて何よりでした。
後扉室に近づいたところで、左手に「係船環」と題した説明板が出現。こちらもだいぶ褪色・劣化が進んでいますが、まだ無事でお役目を果たしているようで、ちょっとホッとしました。

●こういった側壁にツライチで埋め込まれたタイプのアイ、鉄製だと北上運河の石井閘門、石造なら大岡川の石垣護岸など、いくつか見てきましたが、地方色が濃く出そうで、バリエーションを拾ってまとめたら、面白いものができそうですね。
(令和5年9月30日撮影)
(『旧毛馬第一閘門を訪ねて…7』につづく)

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●前扉室を振り返って、「いや~‥‥いいわ‥‥」と、その素晴らしさに一人つぶやいてしまうほど。半ば開いたマイタゲートの向こうに、青空と緑の法面が広がり、どこか爽やかな光景になっていたのもよかったのでしょう。
扉体は上部3段がスキンプレートのみ、下部9段が閘室側も鋼板が張られ、ボックス状になった構造。水密になっているのなら、扉体自体に浮力を持たせていたのでしょうか。

●制水門周りも、反対側からもう一度。これまた佳いではないですか。運用に謎は残ったものの、この構造物が本閘門の魅力をいや増していることは、異論がないことと思います。


後扉室に近づいたところで、左手に「係船環」と題した説明板が出現。こちらもだいぶ褪色・劣化が進んでいますが、まだ無事でお役目を果たしているようで、ちょっとホッとしました。

●こういった側壁にツライチで埋め込まれたタイプのアイ、鉄製だと北上運河の石井閘門、石造なら大岡川の石垣護岸など、いくつか見てきましたが、地方色が濃く出そうで、バリエーションを拾ってまとめたら、面白いものができそうですね。
(令和5年9月30日撮影)
(『旧毛馬第一閘門を訪ねて…7』につづく)

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旧毛馬第一閘門を訪ねて…5
(『旧毛馬第一閘門を訪ねて…4』のつづき)

●では、閘室内に降りてみましょう。頑丈そうなステンレスの柵が設けられた階段と通路を踏みしめて、かなりの深さがある閘室底へ。扉体周りは凹部が造ってあって、閘室内の排水をここで処理できるようになっています。
「鋼製ゲート百選」には、マイタゲートの扉体高4.3947mとありますが、前扉室のそれは少なくとも10m超はあるように思えます。何かの間違いか、竣工時の寸法か何かを記載したのでしょうか。ウェブ上の記事を拾ってみても、例えば「毛馬閘門・洗堰群の解説シート」(土木学会 選奨土木遺産)では、全長105.80m、閘室長75.38m、閘室幅11.35mとのみあり、どれも扉体高には言及されていませんでした。なぜでしょう?
●階段を降りてまず目に入るのが、この説明板「閘門のしくみ」ですが‥‥う~ん、残念ながらベロベロのボロボロで、判読に堪えない状態でした。
屋外展示物の説明板は、雨や紫外線に常時曝されるだけに、材質を選びますよね。特にここは湿気もたまり風通しも悪そうですから、傷みやすかったのかもしれません。

●前扉室上流側に設けられた、角落しの戸溝を見上げて。精密加工された石材の美しさ、質量が醸す重厚さ、そしてこの高さを底部から仰いだとき、一直線に切られた戸溝の乱れのない見事さ‥‥。これも、閘室の底という視点を得られた賜物でありました。

●扉体の間から、制水門周りの構造物を見上げて‥‥いや~、いいですねえ。左右に見えるマイタゲート斜接部の木製水密材、補修時に復元されたものらしく、角度が直角でホンモノ臭が薄いのはちょっと残念ですが、全体に傷んだ様子は見られず、よく整備されています。
しかし、現地で静態保存された閘門は数あれど、こうして閘室底を整備して、つぶさに鑑賞できる閘門って、実に貴重かつありがたい存在ですよね。構造物が残されていても、閘室は埋め立てられているのがほとんどですから。

●制水門周りをほぼ直下から仰いで。並列した鋼アーチの間に、ゲートが上下するスペースを設けた構造で、橋台部分はご覧のとおり石造です。
戸溝の中にストーニーゲートの特徴である、梯子状ローラーが見えますが、この天地寸法からしても、複数枚の扉体を積み重ねるやり方だったように感じられるのですが、いかがでしょう。
あと、左手に見られる石造の枠の開口部、用途がわからず気になりました。後扉室にも前後に同様のものが認められ、「毛馬閘門の絵葉書」で紹介した、竣工間もないころと思われる写真にも後扉室には確認できるので、後年の追加ではないと考えられるのですが。
(令和5年9月30日撮影)
(『旧毛馬第一閘門を訪ねて…6』につづく)

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●では、閘室内に降りてみましょう。頑丈そうなステンレスの柵が設けられた階段と通路を踏みしめて、かなりの深さがある閘室底へ。扉体周りは凹部が造ってあって、閘室内の排水をここで処理できるようになっています。
「鋼製ゲート百選」には、マイタゲートの扉体高4.3947mとありますが、前扉室のそれは少なくとも10m超はあるように思えます。何かの間違いか、竣工時の寸法か何かを記載したのでしょうか。ウェブ上の記事を拾ってみても、例えば「毛馬閘門・洗堰群の解説シート」(土木学会 選奨土木遺産)では、全長105.80m、閘室長75.38m、閘室幅11.35mとのみあり、どれも扉体高には言及されていませんでした。なぜでしょう?

屋外展示物の説明板は、雨や紫外線に常時曝されるだけに、材質を選びますよね。特にここは湿気もたまり風通しも悪そうですから、傷みやすかったのかもしれません。

●前扉室上流側に設けられた、角落しの戸溝を見上げて。精密加工された石材の美しさ、質量が醸す重厚さ、そしてこの高さを底部から仰いだとき、一直線に切られた戸溝の乱れのない見事さ‥‥。これも、閘室の底という視点を得られた賜物でありました。

●扉体の間から、制水門周りの構造物を見上げて‥‥いや~、いいですねえ。左右に見えるマイタゲート斜接部の木製水密材、補修時に復元されたものらしく、角度が直角でホンモノ臭が薄いのはちょっと残念ですが、全体に傷んだ様子は見られず、よく整備されています。
しかし、現地で静態保存された閘門は数あれど、こうして閘室底を整備して、つぶさに鑑賞できる閘門って、実に貴重かつありがたい存在ですよね。構造物が残されていても、閘室は埋め立てられているのがほとんどですから。

●制水門周りをほぼ直下から仰いで。並列した鋼アーチの間に、ゲートが上下するスペースを設けた構造で、橋台部分はご覧のとおり石造です。
戸溝の中にストーニーゲートの特徴である、梯子状ローラーが見えますが、この天地寸法からしても、複数枚の扉体を積み重ねるやり方だったように感じられるのですが、いかがでしょう。
あと、左手に見られる石造の枠の開口部、用途がわからず気になりました。後扉室にも前後に同様のものが認められ、「毛馬閘門の絵葉書」で紹介した、竣工間もないころと思われる写真にも後扉室には確認できるので、後年の追加ではないと考えられるのですが。
(令和5年9月30日撮影)
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