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三崎橋船着場の警備艇

300001.jpg昨日午後のことです。日本橋川畔、流頭部近くの新川橋~あいあい橋間の西岸を北上していたら、上流、新三崎橋のあたりに船影らしきものが! 三崎橋船着場に艇がもやっているのでしょうか?

さらにその左手、護岸上にはオレンジ色の何かも枝葉の間に見え隠れしています。用足しの途中でしたが、これは見逃せないと浮足立ちました。がぜん速足となり、現場に急いだのはいうまでもありません。
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タグ : 日本橋川警備艇

閘門様も10年

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先日、国交省・荒川下流河川事務所の記者発表資料、「荒川ロックゲートを船が通行できません」(PDF)を読んで、報じられている休止期間の長さよりも、竣工以来10年を経過したくだりに目が行き、「ああ、もうそんなに経つのか‥‥」と、おっさん一人でしみじみしてしまいました。

いまだに、閘門界の最若手、といったイメージから離れられないのですが、あの大騒ぎして一般供用初日に初通航した、平成17年10月から間もなく満10年、もはや中堅どころといってもよいだけの、よわいを重ねたわけですね。

発表資料にもあるように、竣工10年を経たことを機に、昨年度から今年度にかけて、大きな整備期間を設けることになりました。すでに、昨年11月25日から本年3月25日に、第一回の整備期間を終えており、今回発表された本年12月1日~来年3月25日は、第二回ということになります。

水路天国である江東内部河川の東の顔として、また都内最大の現役閘門として、メディアへの登場も数多く、東京の水路シーンに欠かせない存在となったことは、いち閘門ファンとしても喜ばしいことです。10年間お疲れさまでした、休養後も変わらぬ活躍を願っています!


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タグ : 荒川ロックゲート閘門

琵琶湖疏水の再舟航化成るか?


二つのインクラインと幾多の閘門によって水位差を克服し、琵琶湖から京都市街を貫流して、宇治川を経て淀川筋までを一つの舟航路とした、我が国を代表する内陸運河・琵琶湖疏水(『蹴上インクライン…1』~『南禅寺水路閣』参照)。

過去に何度か航路復活のお話はあったようですが、今回の取り組みは本気度が高いようで、近々試験航行があるとのこと。水路バカとしては動悸が高まるお話であります。以下、京都新聞サイトからの記事を引用させていただきましょう。



疏水船復活へ船出 京都、大津両市長が14日に試乗 2013年12月06日 09時20分

昭和20年代まで京都市-大津市間の琵琶湖疏水を行き交った船を観光活用で復活させる計画が、実現に向けて動きだす。過去に復活が検討されたが、安全上の問題で実現しなかった。両市は来年1月までに観光協会を交えた検討チームを設け、トンネルの耐震性などの課題を検討する。

 琵琶湖疏水は明治になって都が東京に移り、人口減少などで沈滞した京都の産業を振興するため、京都府の北垣国道知事が提案した。大津市と東山区の蹴上をつなぐ第1疏水約8キロが1890(明治23)年に完成した。明治期から戦後間もなくまで民間会社による船が往来して旅客や貨物輸送に使われた。しかし、鉄道開通に伴って運航が停止された。

 観光航路としての活用は、大津市の市民団体の要望を受け、1987年に京都府と滋賀県の両知事と京都、大津の両市長が一緒に船で下り、話し合った。ただ、琵琶湖の取水口から蹴上までの区間の約半分がトンネルで、管理する京都市が安全面の課題を挙げ、実現しなかった。

 昨年1月に「京都から観光客を呼び込むルートの創設」を公約に掲げて当選した大津市の越直美市長が京都市の門川大作市長に協議を呼び掛け、再検討が始まることになった。両市長が14日午後、第1疏水で大津市から蹴上まで船に同乗し、現地を確認する。

 検討チームは両市の観光担当課と観光協会、疏水が通る山科区役所、施設を管理する京都市上下水道局でつくる。課題の調整や疏水を生かした地域活性化策を議論する。

 京都市は「外国人技師の力を借りずに成し遂げられた偉業が今に伝える近代ロマンを多くの人々に体感してもらえるように幅広く可能性を探る」とする。



記事でもわかるように、試験航行は現存可航区間の最上流である、大津から蹴上船溜の間。

戦後舟運が途絶して後、市街地の区間は暗渠化や道路改良などにより通船が不可能になって、伏見インクラインも撤去されて久しいとなれば、三栖までの全線復活はもちろん、望むべくもありません。現状のまま船で通れるのは、疏水全体から見れば、ほんの一部に過ぎないともいえます。

しかし、疏水航路の白眉ともいえる、合計4㎞になんなんとする長大トンネルの続く水路を通れるだけでも、思うだに興奮してくるお話ではないでしょうか。

しかもそのトンネルが、明治に造られた装飾豊かなポータルを持つ、レンガの隧道とくれば、興味もいや増そうというもの。国内にも数少ない、「暗渠航路」がご当地の呼び物となる! 


ところで記事中には、試験航行に使う船について触れられていませんでしたが、水路幅も限られ、結構な流れがある疏水を走るとなれば、昔のように棹をついて、というわけにもいかないでしょう。

カディのない機付き和船があてられるものと思われますが、実際にお客さんを乗せて頻発させるとなると、トンネルの多い区間ということもあり、エンジン船では排気が問題になるかもしれません。

以下、例によって妄想ですが、電動船がよいのではないでしょうか。コスト高で馬力不足、かつ重量もあって航続力も限られと、船舶の動力としては魅力の薄い電動モーターですが、音が静かで排気ガスがない、という長所をこれほど生かせる航路は、まず他にないと思われます。

トンネル内に爆音を反響させることなく、また数隻で連なって航行する際にも、後続船に排気の匂いで迷惑をかけることもありません。

もし、この取り組みが成功を納め、さらに航路拡大という話になれば…。やはり妄想してしまうのが、大津閘門、蹴上インクラインも旧に復し、国内最大の水位差克服施設を動態保存するとともに、せめて南禅寺船溜まで、航路を伸ばしていただければ、ということ。

…まあ、妄想は広がるばかりで恐縮ですが、まずは試験航行がつつがなく終わり、お話が良い方向に向かうことを、願ってやみません。

久しぶりに琵琶湖疏水に思いをはせて、昔の絵葉書をいくつか眺めてみたくなりました。舟航華やかなりしころの大津、そして運転中の蹴上インクラインを写した、絵葉書4枚を以下に掲げます。航路として生き生きと躍動していたころの、琵琶湖疏水をイメージする助けになれば幸いです。

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タグ : 蹴上インクライン琵琶湖疏水絵葉書・古写真

秋田港で、ロータリーボートの生存が確認される!


先日、まも(@Kojimamo)氏のツイートを拝読していたら、10月27日にアップされたものの一つに、「秋田港の貯木場に置かれてた曳船。陸に上がったその小さな姿は殺人的可愛さであった。」とありました。

貯木場、可愛らしい曳船…もしや? 何かピンとくるものがあって、写真を拝見してみると、おお、まごうかたなきロータリーボート! 上部構造物はこの現場のオリジナルらしい、立派なエンクローズドキャブですが、タライのような寸詰まりの可愛らしさはスポイルされていません。

過去ログ「究極の曳船! 第十一あかつき」「ロータリーボートだった! 第十一あかつき」ほかで、すでに引退してしまったロータリーボート「第十一あかつき」に惹かれて、早や5年余。

その間、ちょぶさんに「心残りの名古屋港、会いたかったロータリーボート」(がーちゃんフォトアルバム Vol.2)で名古屋に現役艇がいることを教えていただいたり、のち幸いにして、新潟で現役のロータリーボートに出会う(『山の下閘門の筏…2』参照)ことができましたが、その後は全く情報が途絶えていました。

それだけに、今回のまも氏のご報告は嬉しく、もしかしたら他の地方の貯木場にも、現役艇が生き残っているかもしれない…と、ほのかな希望を抱いたものです。まも氏にこの場を借りて御礼申し上げます、ありがとうございました!

(写真は23年8月10日、新潟・通船川にて撮影)

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タグ : 通船川ロータリーボート

古川の護岸が崩落


夕方のニュースですでに報じられたので、ご存知の方も多いと思いますが、古川は一之橋橋詰近くの護岸が崩落、河道が半ば閉塞するという事故がありました。日本経済新聞サイトからの記事を転載させていただきます。


区道30メートル崩落、けが人なし 東京・麻布十番 2013/10/5 18:22

4日午後11時ごろ、東京都港区麻布十番の幅約5メートルの区道が約30メートルにわたって崩れた。区道は古川沿いの高さ約6メートルの護岸上にあり、のり面のコンクリート部分や区道の土台に当たる土砂が川に崩落した。けが人や家屋への被害は出ていない。

 都建設局によると、現場の区道は昭和初期に造られ、都は昨年から周辺の護岸の改修工事を進めていた。3日に工事関係者から道路が沈下しているとの通報があり、4日午後6時以降、通行禁止にしていた。



一之橋付近、首都高下を流れる古川の護岸が崩落」(NEVERまとめ)に掲載されている写真から判断すると、一之橋西詰の南側で間違いないと思われます。上に掲げた写真は、5月4日の古川遡上時(『光射す高架下水路・古川…1』ほか参照)に撮ったものですが、まさにこの左側、マンションらしい建物が迫っているあたりの護岸ですね。

NEVERまとめの写真を見ると、工事のフェンスとおぼしきものも一緒に崩落しているので、旧来の石垣護岸を改築する工事でもしていたのでしょうか。道路の陥没が始まっていたということは、水の侵入による土砂のゆるみや、水を含んだ土砂が膨張したことによる、石垣のはらみ出しなどが考えられますが、現時点の報道ではその点について触れられておらず、原因はわかりません。

ともあれ、人身事故にならなかったのは、本当に何よりでした。河道や道路がもとのように復旧され、また古川を遡上できる日が来ることを願っています。

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タグ : 古川高架下水路