7月16日の川景色…5
(『7月16日の川景色…4』のつづき)
●日本橋川を下ってくれば、ほぼルーチン(でも何でもありませんが)となった、首都高高架の撤去工事の観察であります。
一石橋から、撤去中の呉服橋出入口を眺めて。足場で覆われ、両岸も建て込んでいるせいで、昼なお暗い高架下には台船も作業拠点として常駐。少し進んで、西河岸橋の手前から見上げてみると‥‥。

●今回、絵的に惹かれたのはここです。すでに撤去され寸断された桁の上に、何のためでしょう、一つづつ鉄骨組みの低い櫓状の構造がぽつりぽつりと載っていて、独特の香気を発散していました。
●高架の撤去はほぼ終わり、視界が開けたもののいまだに違和感がぬぐい去れない(笑)、江戸橋出入口跡を上流側から。7月9日の視点と、反対から見ていることになります。
"定点観測"してみたかったのは、この先右手にある切断された橋脚の一本。前回とは潮位が異なりますから、見せる表情もまた違うことでしょう。

●う~ん‥‥前回の天端が水面ギリギリより、インパクトには欠けてしまいますが、これが都心の河川にある珍物味は捨てがたいところ。近いうちにこれも取り去られる、今しか見られない光景であれば、なおさら。
手すりにみたいに鉄棒とロープで囲いがしてあるのも手伝って、あそこに立ってみたい誘惑にかられるものが‥‥。

●最後は河口近く、湊橋のアーチの下から。ちょうど"松本型"水上バス「ホタルナ」が遡上してきたので、豊海橋とのツーショットをとスナップ。震災復興世代の古豪橋と、レトロフューチャー風味のする現代河川航路の顔役、いい一瞬に居合わせたものと嬉しくなりました。
【撮影地点のMapion地図】
(令和5年7月16日撮影)
(この項おわり)

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一石橋から、撤去中の呉服橋出入口を眺めて。足場で覆われ、両岸も建て込んでいるせいで、昼なお暗い高架下には台船も作業拠点として常駐。少し進んで、西河岸橋の手前から見上げてみると‥‥。

●今回、絵的に惹かれたのはここです。すでに撤去され寸断された桁の上に、何のためでしょう、一つづつ鉄骨組みの低い櫓状の構造がぽつりぽつりと載っていて、独特の香気を発散していました。

"定点観測"してみたかったのは、この先右手にある切断された橋脚の一本。前回とは潮位が異なりますから、見せる表情もまた違うことでしょう。

●う~ん‥‥前回の天端が水面ギリギリより、インパクトには欠けてしまいますが、これが都心の河川にある珍物味は捨てがたいところ。近いうちにこれも取り去られる、今しか見られない光景であれば、なおさら。
手すりにみたいに鉄棒とロープで囲いがしてあるのも手伝って、あそこに立ってみたい誘惑にかられるものが‥‥。

●最後は河口近く、湊橋のアーチの下から。ちょうど"松本型"水上バス「ホタルナ」が遡上してきたので、豊海橋とのツーショットをとスナップ。震災復興世代の古豪橋と、レトロフューチャー風味のする現代河川航路の顔役、いい一瞬に居合わせたものと嬉しくなりました。
【撮影地点のMapion地図】
(令和5年7月16日撮影)
(この項おわり)

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7月16日の川景色…4
(『7月16日の川景色…3』のつづき)

●三崎町中継所にもやう、顔なじみの曳船「第30中島丸」にご挨拶。もはや不燃ゴミ輸送の唯一の航路となって、何とも寂しいかぎりですが、いつもながらキレイに整備されていますね。
船首下、水草が流速で溜まりつつあるのがわかるでしょう。遡上すればするほど増えてきて、ペラにからませたらと気を遣いました。

●日本橋川に入りました。千代田区役所近く、宝田橋上流にて。あれ? 水面の中央に車線みたいなラインが‥‥。
まあ、頭上の高架にあるすき間から陽が差していたのですが、ちゃんと途切れて、しかも河道に合わせカーブしているあたり、まさに上下線を分かつ車線のよう。タイミングが良くなければ見られない現象でしたから、ラッキーでした。

●4月1日に触れた、神田橋~鎌倉橋間の架橋工事の進捗を拝見。両岸とも堤防を掘り込み鋼矢板で囲んで、橋台の工事が盛んにおこなわれていますね。
「『(仮称)内神田一丁目計画』始動」(三菱地所・PDF)に、人道橋の完成イメージが出ていますので、ご参考まで。見たところ、中高に大きく反った、軽快な感じの橋になるようです。
●下流側には、基礎護岸に接して橋脚を立ち上げ、長大なスロープで川面へ下ってゆく桟道が。船着場ができるのでしょうか。
三菱地所のPDFを読むと「当敷地の南側(日本橋川)には防災船着場を整備し、平時には建物内の観光案内所と連携し舟運サービスの展開を予定しております」と。おお、定期航路ができたら面白そうですねえ。どこの船社が就航するのか、楽しみではあります。
【撮影地点のMapion地図】
(令和5年7月16日撮影)
(『7月16日の川景色…5』につづく)

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●三崎町中継所にもやう、顔なじみの曳船「第30中島丸」にご挨拶。もはや不燃ゴミ輸送の唯一の航路となって、何とも寂しいかぎりですが、いつもながらキレイに整備されていますね。
船首下、水草が流速で溜まりつつあるのがわかるでしょう。遡上すればするほど増えてきて、ペラにからませたらと気を遣いました。

●日本橋川に入りました。千代田区役所近く、宝田橋上流にて。あれ? 水面の中央に車線みたいなラインが‥‥。
まあ、頭上の高架にあるすき間から陽が差していたのですが、ちゃんと途切れて、しかも河道に合わせカーブしているあたり、まさに上下線を分かつ車線のよう。タイミングが良くなければ見られない現象でしたから、ラッキーでした。


「『(仮称)内神田一丁目計画』始動」(三菱地所・PDF)に、人道橋の完成イメージが出ていますので、ご参考まで。見たところ、中高に大きく反った、軽快な感じの橋になるようです。

三菱地所のPDFを読むと「当敷地の南側(日本橋川)には防災船着場を整備し、平時には建物内の観光案内所と連携し舟運サービスの展開を予定しております」と。おお、定期航路ができたら面白そうですねえ。どこの船社が就航するのか、楽しみではあります。
【撮影地点のMapion地図】
(令和5年7月16日撮影)
(『7月16日の川景色…5』につづく)

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「道の駅あきた港」にて…1
(『新屋水門…3』のつづき)
●新屋水門を離れて、「道の駅あきた港」へ。堤防道から改めて眺める雄物新橋、本当に美しいですね。高水敷や背後の防砂林に広がる夏ならではの緑が、橋の構造を一層引き立てています。
そうそう、雄物新橋について詳しく知りたい方は「橋梁レポート 雄物新橋 解説編」(山さ行がねが)がお勧め。木造先代橋時代から、たびたびの補修・改架があった現橋まで、興味深いお話が盛りだくさんです。

●「道の駅あきた港」に到着。高さ143mのガラス張り展望塔「ポートタワーセリオン」を中心に、物産館やイベント施設、屋内緑地公園などを併設、平成22年に竣工したもの。
何より港に隣接しているのが嬉しく、展望台は高さ100mだそうですから、秋田港が文字どおり一望のもとに眺められるでしょう。着いて早々、さっそくタワーへ上がってみることに。
●ポートタワーセリオン自体は、道の駅に先んじて平成6年の開設だそう。かつては入場料が設定されていたようですが、現在は無料で利用することができます。
外壁のほとんどを、6272枚に及ぶ強化ガラスとした塔屋は、いわば巨大な展望エレベーター。外の眺めとともに、構造をつぶさに観察できるのも嬉しく、到着を待つひとときも退屈させることがありません。

●展望台から南側の眺望。いや、これは素晴らしい眺めですね! 好天も手伝い視程も良好とあって、無料なのが申しわけなくなるような絶景であります! 巡視艇、クレーン船ほかフネブネ、対岸で盛業する日本製紙工場の頼もしい姿などなど、どこから見ようか目移りするような眺めですね。
かつて土崎港と呼ばれ、東北地方では酒田と並んで、北前船の通う内貿航路上の重要な河口港だった秋田港。眼下に広がる雄物川の旧河道は、放水路開鑿によって堆砂・洪水の憂いがなくなると港湾として開発が進み、現在では秋田運河と称しています。秋田運河! いい名前だなあ‥‥(涙)。

●こちらは北西側、港口方向を望んだところ。右手前はクルーズ客船もたびたび寄港するというフェリー埠頭。中央はるか沖合に伸びる防波堤は、戦後の一時期、廃海防艦や駆逐艦を沈置した"軍艦防波堤"だったとのこと。
冬の季節風で形成された海岸砂丘に沿って、ほぼ南北に伸びる雄物川旧河道を拡幅・浚渫して、本船運河を修築した様子がよくわかります。
かつて河口港だった港は、いわゆる"河海分離"をして本流と港を切り離すか、放水路を設けて洪水や堆砂をコントロールできるようにし、河口を活用し続けるかの二通りに分かれると思いますが、新潟や秋田は後者のパターンといってよいでしょう。
【撮影地点のMapion地図】
(令和5年7月25日撮影)
(『「道の駅あきた港」にて…2』につづく)

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そうそう、雄物新橋について詳しく知りたい方は「橋梁レポート 雄物新橋 解説編」(山さ行がねが)がお勧め。木造先代橋時代から、たびたびの補修・改架があった現橋まで、興味深いお話が盛りだくさんです。

●「道の駅あきた港」に到着。高さ143mのガラス張り展望塔「ポートタワーセリオン」を中心に、物産館やイベント施設、屋内緑地公園などを併設、平成22年に竣工したもの。
何より港に隣接しているのが嬉しく、展望台は高さ100mだそうですから、秋田港が文字どおり一望のもとに眺められるでしょう。着いて早々、さっそくタワーへ上がってみることに。

外壁のほとんどを、6272枚に及ぶ強化ガラスとした塔屋は、いわば巨大な展望エレベーター。外の眺めとともに、構造をつぶさに観察できるのも嬉しく、到着を待つひとときも退屈させることがありません。

●展望台から南側の眺望。いや、これは素晴らしい眺めですね! 好天も手伝い視程も良好とあって、無料なのが申しわけなくなるような絶景であります! 巡視艇、クレーン船ほかフネブネ、対岸で盛業する日本製紙工場の頼もしい姿などなど、どこから見ようか目移りするような眺めですね。
かつて土崎港と呼ばれ、東北地方では酒田と並んで、北前船の通う内貿航路上の重要な河口港だった秋田港。眼下に広がる雄物川の旧河道は、放水路開鑿によって堆砂・洪水の憂いがなくなると港湾として開発が進み、現在では秋田運河と称しています。秋田運河! いい名前だなあ‥‥(涙)。

●こちらは北西側、港口方向を望んだところ。右手前はクルーズ客船もたびたび寄港するというフェリー埠頭。中央はるか沖合に伸びる防波堤は、戦後の一時期、廃海防艦や駆逐艦を沈置した"軍艦防波堤"だったとのこと。
冬の季節風で形成された海岸砂丘に沿って、ほぼ南北に伸びる雄物川旧河道を拡幅・浚渫して、本船運河を修築した様子がよくわかります。
かつて河口港だった港は、いわゆる"河海分離"をして本流と港を切り離すか、放水路を設けて洪水や堆砂をコントロールできるようにし、河口を活用し続けるかの二通りに分かれると思いますが、新潟や秋田は後者のパターンといってよいでしょう。
【撮影地点のMapion地図】
(令和5年7月25日撮影)
(『「道の駅あきた港」にて…2』につづく)

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7月9日の水路風景…6
(『7月9日の水路風景…5』のつづき)

●最後に、高架撤去の様子をちょっと見ておきたくなり、日本橋の近くを徘徊。左手、野村ビルの解体がほぼ片付いてクレーンの姿もなくなったことも手伝い、まあ視界が広いこと。
首都高江戸橋ランプは桁のみならず、橋脚の撤去に移ってきました。右の写真は北岸、江戸橋出口の桁を支えていた橋脚です。

●今回注目したのは、ランプの末端である橋台(?)部分。首都高の出入口は、橋詰広場のすべてか、一部のスペースを転用した例がいくつか見られますが、ここ江戸橋もそうでした。
こうして桁が外されてみると、こんなに狭かったのかと改めて驚かされますが、限られた場所を巧みに活かし、現役時は2車線の料金所ゲートまで設けられていたのですから、時代を感じさせるものがありますよね。
●上の写真が南岸の入口、右写真は北岸の出口があった跡。護岸の石張り風装飾から、橋と連続した構造物であったことがわかります。
震災復興橋梁に併設された橋詰のスペースは、首都高ランプに限らず、小児童公園などに転用された例が見られましたが、ここ江戸橋はランプ撤去後、どうなるのでしょう。昭和初期の竣工時そのままに、橋詰広場が復元されたら面白いと思うのですが、いかがでしょう?

●今回の真打(?)はこれ。「4月1日のお花見…5」の一枚目に写っていた江戸橋入口の橋脚、水面近くで切断され、丸い舞台状の基礎を残して撤去されていたのです。
ブイと4本柱で囲われ、水面上にようやく顔を出しているその姿、哀れな中にもどこかユーモラスで、まじまじと眺めてしまったのでした。
(令和5年7月9日撮影)
(この項おわり)

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首都高江戸橋ランプは桁のみならず、橋脚の撤去に移ってきました。右の写真は北岸、江戸橋出口の桁を支えていた橋脚です。

●今回注目したのは、ランプの末端である橋台(?)部分。首都高の出入口は、橋詰広場のすべてか、一部のスペースを転用した例がいくつか見られますが、ここ江戸橋もそうでした。
こうして桁が外されてみると、こんなに狭かったのかと改めて驚かされますが、限られた場所を巧みに活かし、現役時は2車線の料金所ゲートまで設けられていたのですから、時代を感じさせるものがありますよね。

震災復興橋梁に併設された橋詰のスペースは、首都高ランプに限らず、小児童公園などに転用された例が見られましたが、ここ江戸橋はランプ撤去後、どうなるのでしょう。昭和初期の竣工時そのままに、橋詰広場が復元されたら面白いと思うのですが、いかがでしょう?

●今回の真打(?)はこれ。「4月1日のお花見…5」の一枚目に写っていた江戸橋入口の橋脚、水面近くで切断され、丸い舞台状の基礎を残して撤去されていたのです。
ブイと4本柱で囲われ、水面上にようやく顔を出しているその姿、哀れな中にもどこかユーモラスで、まじまじと眺めてしまったのでした。
(令和5年7月9日撮影)
(この項おわり)

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7月9日の水路風景…5
(『7月9日の水路風景…4』のつづき)

●亀島川水門をくぐって亀島川へ。長らく工事中の亀島川水門、更新から10数年しか経っていない第二径間の巻上機室が撤去されたことで、新小名木川水門同様の減径間かと思わせるものがあったのですが、耐震補強工事だとか。
前後ともがっちりと鋼管矢板の囲いで止水されたさま、まだまだ工事は終わらない雰囲気がリアルに伝わってきて、当分落ち着かなそうではあります。

●ゆるゆると最微速で歩かせていると、霊岸橋手前、カヤックツアーで知られる「Tokyo Great Tours」前の階段状護岸から、数艇が出発しようとしているところでした。
カヤックはもとより、パドルボード、お客さんがぎっしり乗ったインフレータブルのラフトと多彩な船団で賑やか。迂回して通り過ぎながら「行ってらっしゃい!」とご挨拶。

●日本橋水門も同様、第一径間が鋼管矢板で閉塞されて長期工事中。同じく耐震工事だとしたら、巻上機室の撤去まで至らない理由は、どのあたりにあるのでしょうか。
日本橋川の川面から見ると、第一径間の管理橋上に警備の方が椅子を出して座り、監視中でした。酷暑の中、本当にお疲れさまです‥‥。
【撮影地点のMapion地図】
(令和5年7月9日撮影)
(『7月9日の水路風景…6』につづく)

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前後ともがっちりと鋼管矢板の囲いで止水されたさま、まだまだ工事は終わらない雰囲気がリアルに伝わってきて、当分落ち着かなそうではあります。

●ゆるゆると最微速で歩かせていると、霊岸橋手前、カヤックツアーで知られる「Tokyo Great Tours」前の階段状護岸から、数艇が出発しようとしているところでした。
カヤックはもとより、パドルボード、お客さんがぎっしり乗ったインフレータブルのラフトと多彩な船団で賑やか。迂回して通り過ぎながら「行ってらっしゃい!」とご挨拶。


日本橋川の川面から見ると、第一径間の管理橋上に警備の方が椅子を出して座り、監視中でした。酷暑の中、本当にお疲れさまです‥‥。
【撮影地点のMapion地図】
(令和5年7月9日撮影)
(『7月9日の水路風景…6』につづく)

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