インクラインが写ってる!
●ささやかな一件ですが、心覚えとして。今年の5月、阿賀野川を訪ねたのがきっかけで、鹿瀬ダムに舟航用インクラインがかつてあったことに気づいた件は、「鹿瀬ダムにインクラインがあった!」「道の駅「阿賀の里」に向かう」ですでに触れました。
大きな落差を持つダムに、舟航施設が備えられていたことを知っただけでも大興奮で、その後も折に触れては目ぼしい史料を当っているのですが、なかなかよいものに当たらず、ため息をつく日々。何枚か絵葉書を手に入れたものの、そのものズバリというものが見つかりません。

●新潟縣阿賀野川 東信電氣鹿瀬發電所堰堤
宛名・通信欄比率1:1、大正7年4月以降の発行。切手欄に「OK Oriental Photo Paper's」の銘あり。
●昨日、まとめて入手した数枚を、ルーペ片手に改めて眺めていました。上に掲げたのはその一枚、ゲート天端に万国旗らしいものが飾られ、右下の橋の上(スゴイところに造ったものです!)に人影がちらほら見えるところから、竣工直後の記念式典の光景でしょうか。
ゲートを全径間フレームに収めた、絵葉書にはもってこいの構図ですが、左下、黒くごちゃっとしているあたり、肝心なモノが写り込んでいたのにようやく気付いたのですから、何をかいわんやであります。トリミングしたのが下の写真!

●インクラインの線路が! 左の四角いのは、台車かしら?
●上空から撮ったものを眺めたかぎりでは、ここは築堤っぽい土盛りをした区間のはず。やはりここから、放流しているゲートが見えたんだ!
あれこれと妄想していた、インクラインに乗った舟や筏からの視点と近い風景が眺められて、いやが上にも気持ちは盛り上がります。ゲートが吐き出す大瀑布と、放流の轟音を視界いっぱいに堪能しながら登る船頭や川並たち! 国内ではまれな、勇壮かつ豪快な舟航風景であったことを、ますます確信して一人感動するおっさんでありました。

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大きな落差を持つダムに、舟航施設が備えられていたことを知っただけでも大興奮で、その後も折に触れては目ぼしい史料を当っているのですが、なかなかよいものに当たらず、ため息をつく日々。何枚か絵葉書を手に入れたものの、そのものズバリというものが見つかりません。

●新潟縣阿賀野川 東信電氣鹿瀬發電所堰堤
宛名・通信欄比率1:1、大正7年4月以降の発行。切手欄に「OK Oriental Photo Paper's」の銘あり。
●昨日、まとめて入手した数枚を、ルーペ片手に改めて眺めていました。上に掲げたのはその一枚、ゲート天端に万国旗らしいものが飾られ、右下の橋の上(スゴイところに造ったものです!)に人影がちらほら見えるところから、竣工直後の記念式典の光景でしょうか。
ゲートを全径間フレームに収めた、絵葉書にはもってこいの構図ですが、左下、黒くごちゃっとしているあたり、肝心なモノが写り込んでいたのにようやく気付いたのですから、何をかいわんやであります。トリミングしたのが下の写真!

●インクラインの線路が! 左の四角いのは、台車かしら?
●上空から撮ったものを眺めたかぎりでは、ここは築堤っぽい土盛りをした区間のはず。やはりここから、放流しているゲートが見えたんだ!
あれこれと妄想していた、インクラインに乗った舟や筏からの視点と近い風景が眺められて、いやが上にも気持ちは盛り上がります。ゲートが吐き出す大瀑布と、放流の轟音を視界いっぱいに堪能しながら登る船頭や川並たち! 国内ではまれな、勇壮かつ豪快な舟航風景であったことを、ますます確信して一人感動するおっさんでありました。

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道の駅「阿賀の里」に向かう
(『鹿瀬ダムにインクラインがあった!』のつづき)

USA-R670-467(昭和31年5月5日撮影・国土地理院・空中写真閲覧サービス)
●前回のお話の続きを一つだけ。鹿瀬ダムのインクラインのその後が気になり、国土地理院の空中写真をひもといてみました。アップされている中で、インクラインの存在が確認できた最新の写真は、上に掲げた昭和31年5月撮影のものでした。
上流側には、台車らしい黒い長方形が見られますが、線路上に木が覆いかぶさっているようなところもあり、もしかしたら、このころすでに使われておらず、荒廃が始まっていたのかもしれません。ウェブ上に詳しい資料はないようなので、いずれ機会があったら、ダム建設を記録した文献を探してみようと思います。
国内の他のダムにも、こういった舟航施設を併設したもの、あったのかなあ‥‥。さておき、自分の中に新しい舟航イメージが一つ増えて、とても嬉しいことではありました。
●さて、鹿瀬ダムにお別れして河畔の国道を下り、次の目的地へ向かうことにしました。途中、道がぐっと水面に近づき、川幅も広がったところで、数隻のボートが浮いているのを発見。
よく見ると、対岸には艇庫や合宿所らしきものがあり、各艇スタートラインについて、明らかにレースの練習中です。
ここは戸田のそれのような、漕艇場なんだ! こんな山深い、しかも河道を利用した漕艇場があるなんて、全く知らなかったので、足を止めて興味深く眺めました。検索したところ、新潟県立津川漕艇場というのだそう。水面が広く穏やかなのは、この下流にある揚川ダムの、いわばダム湖だからですね。
●雲の多かった空も次第に晴れて、暑くなってきました。ガードレールにもたれて、練習風景を眺めていたら、遠くから蒸気機関車の汽笛の音が!
実にいいタイミングで、「ばんえつ物語号」のC57が通過! トクをした気分でカメラを構えましたが、線路際は雑草が生い茂って車輌がよく見えず、ようやく撮った一枚も、ご覧のていたらく。

●道々、面白そうなものを見つけては、物見高く立ち止まるので、なかなか前に進みません。中でも感動したのがこれ、廃吊橋の主塔ですね。
緑の中に、ぽつりと取り残されながら、水鏡に姿を映すそのしっとりとした風情。場所は‥‥このあたりだったかしら。

●道の駅「阿賀の里」に到着。国道49号線沿い、阿賀野川の屈曲内側の平地を利用した、河畔の道の駅です。週末とあって、すでに多くのクルマで賑わっていました。
まず目を引かれたのは、駐車場に並べられた船たち。廃船を看板代わりにしたのでしょうか、お目当てはもちろん、ここを発着地とする遊覧船です!
【撮影地点のMapion地図】
(28年5月28日撮影)
(『阿賀の里遊覧船…1』につづく)

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USA-R670-467(昭和31年5月5日撮影・国土地理院・空中写真閲覧サービス)
●前回のお話の続きを一つだけ。鹿瀬ダムのインクラインのその後が気になり、国土地理院の空中写真をひもといてみました。アップされている中で、インクラインの存在が確認できた最新の写真は、上に掲げた昭和31年5月撮影のものでした。
上流側には、台車らしい黒い長方形が見られますが、線路上に木が覆いかぶさっているようなところもあり、もしかしたら、このころすでに使われておらず、荒廃が始まっていたのかもしれません。ウェブ上に詳しい資料はないようなので、いずれ機会があったら、ダム建設を記録した文献を探してみようと思います。
国内の他のダムにも、こういった舟航施設を併設したもの、あったのかなあ‥‥。さておき、自分の中に新しい舟航イメージが一つ増えて、とても嬉しいことではありました。

よく見ると、対岸には艇庫や合宿所らしきものがあり、各艇スタートラインについて、明らかにレースの練習中です。
ここは戸田のそれのような、漕艇場なんだ! こんな山深い、しかも河道を利用した漕艇場があるなんて、全く知らなかったので、足を止めて興味深く眺めました。検索したところ、新潟県立津川漕艇場というのだそう。水面が広く穏やかなのは、この下流にある揚川ダムの、いわばダム湖だからですね。

実にいいタイミングで、「ばんえつ物語号」のC57が通過! トクをした気分でカメラを構えましたが、線路際は雑草が生い茂って車輌がよく見えず、ようやく撮った一枚も、ご覧のていたらく。

●道々、面白そうなものを見つけては、物見高く立ち止まるので、なかなか前に進みません。中でも感動したのがこれ、廃吊橋の主塔ですね。
緑の中に、ぽつりと取り残されながら、水鏡に姿を映すそのしっとりとした風情。場所は‥‥このあたりだったかしら。

●道の駅「阿賀の里」に到着。国道49号線沿い、阿賀野川の屈曲内側の平地を利用した、河畔の道の駅です。週末とあって、すでに多くのクルマで賑わっていました。
まず目を引かれたのは、駐車場に並べられた船たち。廃船を看板代わりにしたのでしょうか、お目当てはもちろん、ここを発着地とする遊覧船です!
【撮影地点のMapion地図】
(28年5月28日撮影)
(『阿賀の里遊覧船…1』につづく)

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鹿瀬ダムにインクラインがあった!
(『鹿瀬ダム拝見』のつづき)
●鹿瀬ダムに興味がわいてきて、昔の絵葉書を物色していたところ、幸いイイ感じのもの数枚に出会うことができました。用紙、印刷の雰囲気とも似ていることから、セットものだったのかもしれません。ちなみに、宛名・通信欄比率は全て1:1です。
●まず目に入ったのは、放水中のゲートをアップでとらえた一枚。今とは異なる、竣工当初のディテールがわかりますね。
巻上機室の上屋がなく、露天だったこと、扉体も現行のものと違って、裏側にもスキンプレート様の板が張られているようです。扉体を上下するチェーンの一つ一つまで、明瞭に写っていますね。遊覧船から見たかぎりでは、今のはワイヤーだったように見えましたが、更新時に造り替えられたのでしょうか。
穏やかに眺められたのはここまで、次を眺めた瞬間、狼狽(?)することになりました。

●えっ。 「インクライン機械室」!?
インクラインの単語を見て脊髄反射的に想像してしまうのは、もちろん舟航施設としてのそれ。
「イヤイヤイヤ、インクラインといっても船を通すそれとは限るまい、単なる貨物用ケーブルカーかもしれないし。これは船頭をぬか喜びさせる甘い罠に違いない!」
最終段らしい巨大なスパーギヤ、並列するブレーキドラムと思しき何か、手前に頭をのぞかせる原動機といった、らしいディテールを味わいながらも、後でがっかりさせられたらたまらんわいと、独りかたくなになっておりました。
が‥‥‥‥。

●あばばばばばばばばば(←周章狼狽するさまをひょうげん)
こっここれ舟航用インクラインじゃないの?!
前回、「このくらいの堤体高さだと、『閘門があれば、通船ができそうだな!』と、あらぬ方に妄想が及」んだやつがれでありましたが、現実は妄想の斜め上を行っていたことが判明、イヤもうたまげるやら嬉しいやら。30m超の水位差を克服し、通船させるダムが国内にあったなんて! この絵葉書を見るまで、全く存じませんでした、はい。
●興奮も少しさめてから写真を検分すると、周囲に資材が散らかっているところから見て、建造中の様子を写したものと思われます。台車は写真のようにフラットなままだと、水没したとき舟の目標になるものがなく、位置決めしづらいでしょうし、強度的にも不安な感じがしますから、蹴上のそれのように、両脇にトラス構造を設けた姿が完成形と考えたのですが、いかがでしょうか。
さて、この台車が上り下りする、線路が敷かれた位置は、どのあたりだったのでしょうね。今回対岸に見えた、鹿瀬発電所の向こうか、現在第二発電所のある、西岸のどこかだったのか‥‥。ここでもう一枚を眺めてみたら、左の隅にそれらしきものが!

●西岸のこれ(⇒)だよね?
30m超を乗り越すとあって、最高点付近で東へ大きく屈曲した、結構な線路延長です。見たかぎりでは、蹴上や伏見のような複線でなく、単線のようですね。切通し区間には、細い跨線橋らしきものが2か所あり、下流側の船溜には、斜めに浮いている舟らしき姿も見えます。
●この写真を目にすればいやでも、思い描かざるを得ません。20門のゲートが織りなす、人工の大瀑布の轟音を耳にし、間近に望みながら、「舟、山に登る」を体現するひととき!
想像するだに身震いするような、素晴らしい舟航風景が展開されていたことでしょう! そして、このような巨大ダムが建設されてなお、無視しえなかった通船量が当時はあった、というあたりにも、胸を熱くしてしまうのです!
●残念ながら、鹿瀬ダムのインクラインについて述べた資料を未見のため、諸元についてはわかりません。今はただただ、ここに大規模な舟航施設がかつてあった、それを写真で知り得たということがたまらなく嬉しく、とり急ぎ、垂れ流させていただいた次第です。
(28年5月28日撮影)
(『道の駅「阿賀の里」に向かう』につづく)

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●まず目に入ったのは、放水中のゲートをアップでとらえた一枚。今とは異なる、竣工当初のディテールがわかりますね。
巻上機室の上屋がなく、露天だったこと、扉体も現行のものと違って、裏側にもスキンプレート様の板が張られているようです。扉体を上下するチェーンの一つ一つまで、明瞭に写っていますね。遊覧船から見たかぎりでは、今のはワイヤーだったように見えましたが、更新時に造り替えられたのでしょうか。
穏やかに眺められたのはここまで、次を眺めた瞬間、狼狽(?)することになりました。

●えっ。 「インクライン機械室」!?
インクラインの単語を見て脊髄反射的に想像してしまうのは、もちろん舟航施設としてのそれ。
「イヤイヤイヤ、インクラインといっても船を通すそれとは限るまい、単なる貨物用ケーブルカーかもしれないし。これは船頭をぬか喜びさせる甘い罠に違いない!」
最終段らしい巨大なスパーギヤ、並列するブレーキドラムと思しき何か、手前に頭をのぞかせる原動機といった、らしいディテールを味わいながらも、後でがっかりさせられたらたまらんわいと、独りかたくなになっておりました。
が‥‥‥‥。

●あばばばばばばばばば(←周章狼狽するさまをひょうげん)
こっここれ舟航用インクラインじゃないの?!
前回、「このくらいの堤体高さだと、『閘門があれば、通船ができそうだな!』と、あらぬ方に妄想が及」んだやつがれでありましたが、現実は妄想の斜め上を行っていたことが判明、イヤもうたまげるやら嬉しいやら。30m超の水位差を克服し、通船させるダムが国内にあったなんて! この絵葉書を見るまで、全く存じませんでした、はい。
●興奮も少しさめてから写真を検分すると、周囲に資材が散らかっているところから見て、建造中の様子を写したものと思われます。台車は写真のようにフラットなままだと、水没したとき舟の目標になるものがなく、位置決めしづらいでしょうし、強度的にも不安な感じがしますから、蹴上のそれのように、両脇にトラス構造を設けた姿が完成形と考えたのですが、いかがでしょうか。
さて、この台車が上り下りする、線路が敷かれた位置は、どのあたりだったのでしょうね。今回対岸に見えた、鹿瀬発電所の向こうか、現在第二発電所のある、西岸のどこかだったのか‥‥。ここでもう一枚を眺めてみたら、左の隅にそれらしきものが!


30m超を乗り越すとあって、最高点付近で東へ大きく屈曲した、結構な線路延長です。見たかぎりでは、蹴上や伏見のような複線でなく、単線のようですね。切通し区間には、細い跨線橋らしきものが2か所あり、下流側の船溜には、斜めに浮いている舟らしき姿も見えます。
●この写真を目にすればいやでも、思い描かざるを得ません。20門のゲートが織りなす、人工の大瀑布の轟音を耳にし、間近に望みながら、「舟、山に登る」を体現するひととき!
想像するだに身震いするような、素晴らしい舟航風景が展開されていたことでしょう! そして、このような巨大ダムが建設されてなお、無視しえなかった通船量が当時はあった、というあたりにも、胸を熱くしてしまうのです!
●残念ながら、鹿瀬ダムのインクラインについて述べた資料を未見のため、諸元についてはわかりません。今はただただ、ここに大規模な舟航施設がかつてあった、それを写真で知り得たということがたまらなく嬉しく、とり急ぎ、垂れ流させていただいた次第です。
(28年5月28日撮影)
(『道の駅「阿賀の里」に向かう』につづく)

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鹿瀬ダム拝見
(『奥阿賀遊覧船…5』のつづき)

●遊覧船のスタッフにお礼をいって発着所を離れ、鹿瀬ダムが一望できる河畔の道に降りてみました。堤体高さ32.6m、堤頂長304.2m、ゲート20門の威容! (水力ドットコム『東北電力 鹿瀬発電所 第二鹿瀬発電所』より)
やはり表側から眺めると、迫力が違いますね。手前、コンクリートでがっちり固められた、頑丈そうな法面の広大さと、岩勢の荒々しさにも目を引かれました。

●いや~、この巨大ラジアルゲート(テンターゲート)ズラリがたまりません。戦後竣功ダムとはまた違った、堤体よりゲートの存在感が強く感じられるところが、すごく魅力的ですね。
●対岸、足場が組まれてクレーンの立っているあたりは、ダムとともに建設された鹿瀬発電所。今は改修工事中のようですね。
手前に見える赤茶けた岩が、節理を見せて崩れゆくさま、荒涼たる雰囲気を醸しだして、こちらも迫力があります。巨大な堤体の重量を支えるに足る、堅固な地質であることが見てとれ、ダムの適地として選ばれたのも、うなずける気がしました。

●ダム左手の建屋は、後に建設された第二鹿瀬発電所。3門あるゲートに、銘板が掲げられているのに気づき、ズームでたぐり寄せてみると‥‥。
●おお、石川島造船化工機! つい最近まで、砂町北運河畔に工場のあったメーカーですね。
さて、このくらいの堤体高さだと、「閘門があれば、通船ができそうだな!」と、あらぬ方に妄想が及ぶのは、水運バカとして致し方のないところ。‥‥ところがですよ、つい最近知ったので自慢にはなりませんが、嬉しいことに、妄想にとどまらないことが判明したのです!
ぐふふふ、近々垂れ流しに及びます!
【撮影地点のMapion地図】
(28年5月28日撮影)
(『鹿瀬ダムにインクラインがあった!』につづく)

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●遊覧船のスタッフにお礼をいって発着所を離れ、鹿瀬ダムが一望できる河畔の道に降りてみました。堤体高さ32.6m、堤頂長304.2m、ゲート20門の威容! (水力ドットコム『東北電力 鹿瀬発電所 第二鹿瀬発電所』より)
やはり表側から眺めると、迫力が違いますね。手前、コンクリートでがっちり固められた、頑丈そうな法面の広大さと、岩勢の荒々しさにも目を引かれました。

●いや~、この巨大ラジアルゲート(テンターゲート)ズラリがたまりません。戦後竣功ダムとはまた違った、堤体よりゲートの存在感が強く感じられるところが、すごく魅力的ですね。

手前に見える赤茶けた岩が、節理を見せて崩れゆくさま、荒涼たる雰囲気を醸しだして、こちらも迫力があります。巨大な堤体の重量を支えるに足る、堅固な地質であることが見てとれ、ダムの適地として選ばれたのも、うなずける気がしました。

●ダム左手の建屋は、後に建設された第二鹿瀬発電所。3門あるゲートに、銘板が掲げられているのに気づき、ズームでたぐり寄せてみると‥‥。

さて、このくらいの堤体高さだと、「閘門があれば、通船ができそうだな!」と、あらぬ方に妄想が及ぶのは、水運バカとして致し方のないところ。‥‥ところがですよ、つい最近知ったので自慢にはなりませんが、嬉しいことに、妄想にとどまらないことが判明したのです!
ぐふふふ、近々垂れ流しに及びます!
【撮影地点のMapion地図】
(28年5月28日撮影)
(『鹿瀬ダムにインクラインがあった!』につづく)

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奥阿賀遊覧船…5
(『奥阿賀遊覧船…4』のつづき)

●船は次第にスロットルをしぼって、大きく舵を切りました。まだ奥へ遡上したい気もするので、ちょっと残念ではありますが、ここが折り返し地点です。幸い雲も次第に薄くなり、明るくなってきました。
下流側に目を向けてみると、あれほど広がっていた引き波が、ほぼ消え失せていたのに驚かされました。スゥーッと吸収されたように、もとの水鏡に戻ってゆくさま‥‥。無風と川幅、そして両岸の環境がなせるわざだとはわかったものの、どこか表面張力の強い、油か何かの上を走っているような気すらしたものです。
●帰路、倒木の上で憩う鷺(?)にカメラを向けたものの、残念、白飛びしてしまいました。水鳥の姿は、平野部の河川よりかえって少ないようです。
帰りの道々、船頭さんと雑談の中で、平成24年7月の大増水が、流域へいかに被害をもたらしたかを教えていただいたのですが、このあたり後のお話しとも関連してくるので、回を改めて触れるとしましょう。
●山間の清浄な空気と緑濃い川景色、そして水鏡を堪能したおよそ40分の船旅も、これにておしまい。桟橋にはすでに法被を着たスタッフが出て、もやいを取る準備をしていました。
船頭さん、桟橋左側で待っている「第二奥阿賀丸」に乗り換え、間髪入れずに出港しなければならないとのこと。お疲れさまです、そしてありがとうございました!

●桟橋に達着する直前、鹿瀬ダムの表情をものしておこうと、ズームでたぐって一枚。
アップでゲートを眺めてみると、昭和3年竣工の歳相応というか、堰柱の肌や巻上機室の雰囲気が、いかにも星霜を経た風格がありますね。表のディテールも見てみたいので、後でダムサイトに寄り道してみよう。

●桟橋から階段を上がると、団体さんを乗せた「第二奥阿賀丸」が、後進で離岸するところでした。
水面に枝をひたす、濃厚な対岸の森をバックに、静穏な水面を分ける屋形船‥‥街場とは違った、船のある山間の川景色。以前訪ねた最上川のように、急流を下る豪快さとはまた違った魅力が味わえて、よいものでした。
(28年5月28日撮影)
(『鹿瀬ダム拝見』につづく)

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●船は次第にスロットルをしぼって、大きく舵を切りました。まだ奥へ遡上したい気もするので、ちょっと残念ではありますが、ここが折り返し地点です。幸い雲も次第に薄くなり、明るくなってきました。
下流側に目を向けてみると、あれほど広がっていた引き波が、ほぼ消え失せていたのに驚かされました。スゥーッと吸収されたように、もとの水鏡に戻ってゆくさま‥‥。無風と川幅、そして両岸の環境がなせるわざだとはわかったものの、どこか表面張力の強い、油か何かの上を走っているような気すらしたものです。

帰りの道々、船頭さんと雑談の中で、平成24年7月の大増水が、流域へいかに被害をもたらしたかを教えていただいたのですが、このあたり後のお話しとも関連してくるので、回を改めて触れるとしましょう。

船頭さん、桟橋左側で待っている「第二奥阿賀丸」に乗り換え、間髪入れずに出港しなければならないとのこと。お疲れさまです、そしてありがとうございました!

●桟橋に達着する直前、鹿瀬ダムの表情をものしておこうと、ズームでたぐって一枚。
アップでゲートを眺めてみると、昭和3年竣工の歳相応というか、堰柱の肌や巻上機室の雰囲気が、いかにも星霜を経た風格がありますね。表のディテールも見てみたいので、後でダムサイトに寄り道してみよう。

●桟橋から階段を上がると、団体さんを乗せた「第二奥阿賀丸」が、後進で離岸するところでした。
水面に枝をひたす、濃厚な対岸の森をバックに、静穏な水面を分ける屋形船‥‥街場とは違った、船のある山間の川景色。以前訪ねた最上川のように、急流を下る豪快さとはまた違った魅力が味わえて、よいものでした。
(28年5月28日撮影)
(『鹿瀬ダム拝見』につづく)

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