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12月30日のフネブネ…1

(『平成最後の川走り納め…15』のつづき)

229076.jpg以下例によって、平成最後の年末晦日となった12月30日、帰路の道々に出会ったフネブネのスナップをまとめます。

旧綾瀬川河口、おなじみ伊澤造船前にて。青空にそびえる高層マンションをバックに、時が止まったかのような鉄の匂い濃厚な川景色。こちらもおなじみ「伊沢丸55号」、船体がだいぶくたびれてきたような。元気で働き続けてほしいものです。

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229078.jpg上は白鬚橋下流で、テラス沿いの杭にもやっていた曳船。船名はタイヤフェンダーに隠れており、多分「しまだ」かな? 年末も晦日なのに、以上2隻は松飾りが見えないのが気になりますね。

右はプッシャー+バージ型式のゴミ運搬船、「すみだ1号」「すみだ2号」。こちらはちゃんと押船の操舵室後部と、バージのユンボ上に松飾りをされていました。

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力強く上航する、観光汽船の水上バス「道灌」を見送って。冬季、しかも今日は風が少し強めとあって、後部の解放デッキが閉塞状態なのもむべなるかな。

航過後に撮ったせいで、首都高向島線の隅田川道路橋――両国ジャンクションと呼んだ方が通りがよいですね――がすっぽり養生されて、銀色に輝いているさまが背景になり、印象的なシーンとなりました。

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隅田川派川から春海運河へ抜けた時点で、スロットルを一杯に倒しデッドフルで爽快にプレーニング。臨海部で見られる年末の風物詩目指して、エンジンの健康管理もあり、しばし全速航行を楽しむことにしました。
撮影地点のMapion地図

(30年12月30日撮影)

(『12月30日のフネブネ…2』につづく)

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タグ : 旧綾瀬川 隅田川 春海運河 曳船 水上バス 清掃船

12月9日のフネブネ…4

(『12月9日の川景色…3』のつづき)

228116.jpgフネブネの積み残しがまだありました、すみません。
千鳥運河の南岸、日本乳化剤川崎事業所の前あたりで、往路に写真のような船を見かけてオッ、と惹かれるものがあったわけです。

小型船舶の範疇に入るくらいのサイズなのに、業務船然とした無骨なそのスタイルと塗色、これは吸い寄せられない方がおかしいというもの(真顔)。一見して水船か何かかな、と思ったのですが‥‥。

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帰りに改めて眺めてみると、前甲板にあるのは単なるホールドで、蓋もなく開口しているようです。う~ん、どんな用途なんだろう? わかったのは「かわさき」という船名と、トランサムにある船籍港が川崎(そのまんまですね!)ということのみ。

水線の上がり方から、結構な積載量であることはうかがえるのですが‥‥。素性が気になってしょうがない船ではありました。

228118.jpg同じく千鳥運河、前にも紹介した川崎海上保安署の所属船艇で、も少しましな写真もあったので2枚追加。

巡視艇「たまかぜ」、「すずかぜ」型の一隻で、平成22年の就役。小なりとはいえ電光掲示板を掲げ、白煙たなびくプラント群をバックに憩う姿、工業地帯警備の艇らしい引き締まった表情です。

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その向こうは「しおかぜ」。「たまかぜ」と同型ですが、こちらは平成6年の就役で、塗色も旧来のグレーとあって、ずいぶん印象が違って見えますね。個人的には、小型の巡視艇は白よりグレーの方が好みで、より精悍な感じがすると思うのですが、いかがでしょうか。

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口惜しいことにすっかり晴れたお昼過ぎ、隅田川大橋あたりを下航していたら、おなじみ「エスエスSerenade」に出会いました。減速して追い越しながら、ZEN船長に手を振ってご挨拶の後、短声一発で離脱。

光の加減もあるのでしょうが、この角度から見ると、船首のフレアなどエッジが目立って、シャープな感じが強調され、いつもとは違った魅力を発見した気が。お客さんたちもニコニコと楽しそうでした。

(30年12月9日撮影)

(この項おわり)

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タグ : 千鳥運河 隅田川 巡視艇

12月9日の川景色…3

(『12月9日の川景色…2』のつづき)

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228112.jpg「リアルドット絵」状態の橋2題。清洲橋は昨年10月14日の項でも触れましたが、角度を変えてご紹介。

こうして少し距離をおいた方が、よりピクセル化した雰囲気が出やすい(?)ようですね。背景となる空の色が、薄曇りでブルー、グレーともに境界が溶け込みやすい、というのも手伝っているかもしれません。SNS上でも、同様の感想を持たれた方がおられ、写真をアップしていました。

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亀島川の河口にも、ちょっとだけ寄り道。以前から気になっていた、亀島川水門排水機場の敷地内にある、クレーンの現状を見ておきたくなったからです。

ご覧のとおり、ジブは曲がったままの固定タイプで、よく見かけるラチスでなく、箱型構造というのがいかにも古風な感じがして、惹かれていたのでした。

228114.jpgもっともリベット組みではなく溶接で、スタイルの割に竣功年次が古くないことを示しています。久しぶりにまじまじ見たけれど、だいぶ錆が進んだなあ。使われなくなってもう長いのでしょうね。

フックのあたりをアップにしてみると、日立のロゴマークと、「2.8TON」という荷重が書かれているのがわかりました。排水機場や水門の機材搬入に使われていたのでしょうね。


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基部もアップで撮ってみました。左の旋回用モーター、右に張り出した巻上機のモーターと、機側操作の座席もなく至ってシンプル。

放置された感が強かった河畔の施設も、最近は積極的に手が入るようになり、気がついたら撤去されていた、なんてことも珍しくなくなりましたから、できるだけ記録しておきたいものです。
撮影地点のMapion地図

(30年12月9日撮影)

(『12月9日のフネブネ…4』につづく)

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タグ : 隅田川 亀島川

通運丸就航当初の料金表から

内国通運が明治10年に発行した汽船航路の料金表、「郵便御用 川蒸氣通運丸賃金改正表」をご覧に入れましょう。明治10年といえば、川蒸気船・通運丸が大川筋に初お目見えした年、関東における川蒸気の勃興が始まった、記念すべき年! そんな時代の息吹が感じられる史料を、手にできたときの喜びは例えようがないものでした。

公式の開業日は5月1日で、当初は小名木川の深川扇橋から、思川の生井に至る航路でしたが、早くも8月21日には、表にも記載されている生良・乙女まで延長されています。

タイトルに「改正表」とあるのは、この表が航路延長にともなって、従来の内容を改定したものであることを示しているのでしょう。「明治十年 月」と、発行月が空欄になっているのも、開業がまだ決まっていない延長に先立って、作成・配布されたものと考えれば納得がいきますね。

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郵便御用 川蒸氣通運丸賃金改正表
寸法275㎜×404㎜、明治10年発行。


川汽船航路の料金の特徴は、鉄道と違い上りと下りが同額でなく、結構な差がついていることがまず挙げられます。東京~古川間でくらべてみると、下りが50銭なのに、上りが35銭と3割引きの額になっています。区間によって割引額は異なりますが、東京へ向かう便は総じて安く設定されているのがわかりますね。

何とはなしに「上り、下り」と書いてしまいましたが、川の流れからすれば全く逆で、東京を離れる便は江戸川・利根川の流れに抗して遡上し、東京に向かう便は流れに乗って下航するわけで、当然消費される燃料にも、大きく差がつくための料金設定と思って間違いありません。なお「乗船人御心得」にも載っているように、子供は4歳まで無料、12歳以下は半額で、上等船室は料金表にある額の5割増しでした。

ちなみに5月1日、開業当初の通運丸は第1号・第2号の2隻で、6月1日よりさらに1隻が追加されたとのこと。明治10年中には第6号までの通運丸が就航していますから、生良・乙女延長時点で、少なくとも3隻以上の通運丸が活躍していたことになります。

開業当初は隔日1往復だった便数も、生良・乙女延長時には隻数の増加により、起終点を同時出港する毎日1往復に増便され、この表にはありませんが、明治10年中には荒川の戸田、利根川の木下と、他の河川にも次々に航路を伸ばしてゆきます。浚渫による航路整備など、入念な準備を経たこともあるでしょうが、まさに満を持した登場といっても、いい過ぎではない勢いが感じられたものです。

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古河渡舩塲(油治商店發行)
宛名・通信欄比率2:1、明治40年4月~大正7年3月の発行。


「賃金改正表」が発行された、時代や寄港地がしのべるような絵葉書を、手持ちの中から2点選んでみました。1枚目は最初期からの寄港地である、渡良瀬川は古河を写したもの。以前講演させていただいた折にスライド上映したり、他所のプレゼン資料にお貸ししたこともあるので、ご覧になった方もおられるかと思います。

外輪カバーの号数が判読できないのが惜しいですが、文字数が4文字――例えば「第三十二」のような――に見えるので、とすれば第二十一号通運丸の就航後、明治16年以降の撮影と思われます。岸は近いものの桟橋は見当たらず、艀を横付けしての荷役中。汽船が横付けできる規模の桟橋を備えた寄港地は少なく、艀を用いて荷客を扱うのが普通でした。

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キャプションなし(裏面に『宮戸川通船之景』の書き込みあり)
寸法58×90㎜。密着焼写真を台紙に貼ったもの。明治時代、撮影年不詳。


これは絵葉書でなく写真ですが、体裁から見ても手持ちの中では最古級と思われます。何より嬉しかったのが、ブレていはいても号数が判読できたこと! 第七号通運丸! 初代が明治11年7月、2代目が明治13年8月に就航。2代目の諸元は全長74尺(22.4m)、幅10尺(3.03m)、公称16馬力、速力約3kt。写真からどちらかは判別しかねますが、もし短命に終わった初代だったら、極めて貴重な写真になるでしょう。

宮戸川(みやどがわ)は落語のお題でも知られるように、浅草・駒形附近の隅田川を指す名前。背景に写り込んだ家並を見ても、なるほど街場らしい商家がぎっしりと甍を連ね、水際に詰まれた石垣も密で、いかにも浅草といった雰囲気です。通運丸に目を移せば、船首の旗竿にはためく内国通運の旗、白く砕ける船首波や、水しぶきを盛大に散らせる外輪と、勇壮な航走ぶりを見事にとらえているのが魅力的ですね。撮影地が浅草あたりとすれば、戸田通いの荒川航路でしょうか。

珍しく思ったのは、甲板レベルに下端を揃えた窓の配置です。窓がこの高さにあるということは、船室の床面は入口よりだいぶ低く取ってあるとみてよいでしょう。外輪の通運丸でこのタイプを見たのは初めてです。この点と、外輪カバーの書体やレイアウトから、絵葉書でよく見てきた他の川蒸気にはない古様(?)を感じたのでした。初代だといいなあ。

明治一桁から利根川丸ほか、小船社による川蒸気船はすでに登場していたものの、舟航隻数と航路規模から見れば、関東の川蒸気時代を現出したのは通運丸船隊に他なりません。その黎明ともいえる時期の「賃金表」を前に、和紙の感触や木版らしい刷りの雰囲気を愛でながら、ひととき想いを馳せたことではありました。

参考文献
図説・川の上の近代 ―通運丸と関東の川蒸気船交通史― 川蒸気合同展実行委員会 編
【図説】江戸・東京の川と水辺の事典 鈴木理生 編著 柏書房

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タグ : 川蒸気船 通運丸 隅田川 渡良瀬川 絵葉書・古写真

10月14日のフネブネ…4

(『10月14日のフネブネ…3』のつづき)

226041.jpg少し距離をおいて「コスタ・ネオロマンチカ」を眺めていたとき、右から「エスエスSerenade」がゆっくりと近づいてきました。汽笛を鳴らし、手を振って交歓。

巨大客船を間近にして、お客さんも喜ばれたことでしょう。壁のようにそそり立つ舷側、数えきれないほどの舷窓は圧倒的で、きっと驚かれたに違いありません。


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勝鬨橋をくぐると、簡易船着場に「TOKYO WATER TAXI」の一隻を発見。もやいを解いた後、上流に船首を向けたまま、なぜかしばらく進まず、流れのままに流されていました。

デザインが同船社の他の艇と揃えられていたので、気づくのに時間がかかりましたが、船首を見てアッと声をあげました。カタマランの新型艇だったんですね。例の大船隊構想はシングルハルでなく、このカタマラン・タイプで進められるのでしょうか。

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日本橋川河口近くでは、堤防の補強工事が続いており台船や曳船がもやっていますが、その中のクレーン船に掲げられた標語を読み下して、思わず笑いがこみ上げました。

クレーンの後ろに立ってもいい事ないよ by難波
イヤ、難波さん素晴らしい! 工事に携わる皆さん、どうかご安全に。

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同じく日本橋川の工事現場で、クレーン船の対岸にもやっていたこの曳船も味がありました。

船体は明らかに溶接組みなのに、ぐるりと帯金が巻かれたガンネルのみ、大時代なリベット留めなのです。これが無骨かつ古風なオーラを発散しており、舷側の高さの割に低く抑えたコンソールとあいまって、実に好ましい雰囲気。近場を巡っていても個性的なフネブネに出会えるとは、まことに曳船趣味は奥深いものであります。

226045.jpg曳船をもう一隻。汐見運河の船溜で見かけたこれ、色褪せに加えずいぶん錆垂れがひどくて、痛ましくすらあるのが気になってスナップしたもの。船名は「あらた2号」、船籍は神奈川とありました。

曳船の場合、信じられないほどボロボロでも現役だったりするので、一見しただけでは何ともいえませんが、哀愁漂う外観に、何か心惹かれてしまったのでした。

(30年10月14日撮影)

(この項おわり)

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タグ : 春海運河 隅田川 日本橋川 汐見運河 曳船 台船