阿賀の里遊覧船…5
(『阿賀の里遊覧船…4』のつづき)

●石の河原がある大屈曲を半ばまで遡上したところで、船はゆっくりと転回、下流に向かいます。視界の前と後ろを山稜に扼される、山間の可航水路の面白さ! 三川からの川下りコースを復活していただければ、こんな川景色の連続なんですがねえ‥‥。
先ほどくぐった二つの橋を、上流側から遠望した眺めもまた佳し。複雑な山容が重なり合う左舷側と、なだらかに開けた右舷側との地勢の違いがよくわかります。

●右手に、コンクリートの白い法面も真新しい、竣工成ったばかりの堤防が見えてきました。こちらも阿賀の里のあたり同様、洪水の被害をこうむって、堤防を改修した区間なのでしょう。
左手に見える2径間の樋門にあたり、まだ土嚢が積まれていて、表土が落ち着いていない場所もあることがわかります。水際にぽつぽつと生える木々の様子はいかにものどかですが、大規模な改修工事に、爪痕の深さを感じさせるものがありました。
●ふたたび転回して遡上に戻る地点から、下流側を望んだところ。下る一方の稜線が、山勢すでに衰えつつあり、川が間もなく開けた平野に出ることを物語っています。
キラキラと陽光を反射するさざ波の向こうに、堰が見えますね。帆かけの川舟時代を知っているという老船頭さん、「このダム(堰のこと)ができて、船の行き来はできなくなってしまいました‥‥」と寂しそうに語りました。
‥‥無粋ながら、ここでひとつものいいを。船は今でも通れます! 本件については、後ほどいきんで詳らかにさせていただきましょう、ええ。

●その少し上流、南側にあるのが咲花温泉。山裾の迫るささやかな河畔の平地に、数軒の旅館が箱庭のような温泉郷をかたちづくっていました。こちらも頑丈そうな堤防が築かれ、右端には小さいながらポンツン桟橋も見えますね。遊覧船が、こちらに立ち寄る計画もあるのでしょうか。
阿賀の里遊覧船の周回コースは、これにておしまい。山間から平野へ流れ下る、阿賀野川下流部の始まりといってよい、表情豊かな区間が堪能でき、楽しめました。
【撮影地点のMapion地図】
●そうそう、かつての阿賀野川舟運については、ウェブ上にもいくつか良い記事がありますが、「懐かしい写真で振り返る阿賀野川(新潟)」(4travel.jp)に、巡回パネル展示「懐かしい写真で振り返る『阿賀野川・光と影の近代ものがたり』~イザベラ・バードから近代産業まで~」の写真を収録しており、全盛期の舟運風景を見ることができますので、特にお勧めします。
一大河岸地であった津川を中心に、船道(せんとう)と呼ばれた舟運ネットワークが現役だったころの舟航風景、帆船時代の主役であった大型川舟・コーレンボウ、水面を埋め尽くす筏、果ては葛塚航路の川蒸気、満願寺閘門をひしめきあって通航する砂利舟まで! どれも涙モノといってもおおげさでない、細部のディテールまで看取できる素晴らしい写真ばかり。さすがかつての舟運王国・新潟、史料の豊かさ、質の高さは半端ではありません。
(新潟の河川舟運については、『新潟の川蒸気史覚え書き』、『満願寺閘門…1』ほかをご参照ください。)
(28年5月28日撮影)
(『頭首工の見える宿!』につづく)

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先ほどくぐった二つの橋を、上流側から遠望した眺めもまた佳し。複雑な山容が重なり合う左舷側と、なだらかに開けた右舷側との地勢の違いがよくわかります。

●右手に、コンクリートの白い法面も真新しい、竣工成ったばかりの堤防が見えてきました。こちらも阿賀の里のあたり同様、洪水の被害をこうむって、堤防を改修した区間なのでしょう。
左手に見える2径間の樋門にあたり、まだ土嚢が積まれていて、表土が落ち着いていない場所もあることがわかります。水際にぽつぽつと生える木々の様子はいかにものどかですが、大規模な改修工事に、爪痕の深さを感じさせるものがありました。

キラキラと陽光を反射するさざ波の向こうに、堰が見えますね。帆かけの川舟時代を知っているという老船頭さん、「このダム(堰のこと)ができて、船の行き来はできなくなってしまいました‥‥」と寂しそうに語りました。
‥‥無粋ながら、ここでひとつものいいを。船は今でも通れます! 本件については、後ほどいきんで詳らかにさせていただきましょう、ええ。

●その少し上流、南側にあるのが咲花温泉。山裾の迫るささやかな河畔の平地に、数軒の旅館が箱庭のような温泉郷をかたちづくっていました。こちらも頑丈そうな堤防が築かれ、右端には小さいながらポンツン桟橋も見えますね。遊覧船が、こちらに立ち寄る計画もあるのでしょうか。
阿賀の里遊覧船の周回コースは、これにておしまい。山間から平野へ流れ下る、阿賀野川下流部の始まりといってよい、表情豊かな区間が堪能でき、楽しめました。
【撮影地点のMapion地図】
●そうそう、かつての阿賀野川舟運については、ウェブ上にもいくつか良い記事がありますが、「懐かしい写真で振り返る阿賀野川(新潟)」(4travel.jp)に、巡回パネル展示「懐かしい写真で振り返る『阿賀野川・光と影の近代ものがたり』~イザベラ・バードから近代産業まで~」の写真を収録しており、全盛期の舟運風景を見ることができますので、特にお勧めします。
一大河岸地であった津川を中心に、船道(せんとう)と呼ばれた舟運ネットワークが現役だったころの舟航風景、帆船時代の主役であった大型川舟・コーレンボウ、水面を埋め尽くす筏、果ては葛塚航路の川蒸気、満願寺閘門をひしめきあって通航する砂利舟まで! どれも涙モノといってもおおげさでない、細部のディテールまで看取できる素晴らしい写真ばかり。さすがかつての舟運王国・新潟、史料の豊かさ、質の高さは半端ではありません。
(新潟の河川舟運については、『新潟の川蒸気史覚え書き』、『満願寺閘門…1』ほかをご参照ください。)
(28年5月28日撮影)
(『頭首工の見える宿!』につづく)

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阿賀の里遊覧船…4
(『阿賀の里遊覧船…3』のつづき)

●前後しますが、河道の真ん中あたりから上流側を見たところ。ゴロタ石の中洲が白く陽光を反射して、航路を狭めているのがよくわかります。二本の橋は手前から、磐越道・石間釣浜橋、国道49号若松街道・ 釣浜橋。
この角度から眺めると、山肌の緑に紅白二色の橋がよく映え、手前に広がる河水や中洲との配分もよろしく、さながら一幅の絵を見るようで、よいものでした。
●石間釣浜橋の桁裏を見上げたところ。こちらは屈曲の外側とあって、切り立った水際に木々が生い茂り、阿賀の里のある西岸とは対照的ですね。また、澪筋が東岸ギリギリにあるのも実感できるでしょう。
「石間釣浜橋」(藤木鉄工株式会社)によると、長さ181.1m、鋼材重量377.761t、平成16年9月竣工とのこと。

●二つの橋を過ぎると、河道は逆に東へ屈曲し、それまでとは反対に、進行方向左側に寄せての遡上となります。上の写真は、法面に並んで刻まれた階段と排水溝。しっかりした造りから、かつては渡し場があったのかもしれません。
左舷側に見える水辺は、進むにつれ岩場がちらほら見えるようになってきました。急流が洗い、山裾を削ってきた太古からの営みを思わせる、まさに寄る辺のなさそうな眺めが、手に取るような近くに続きます。

●もっとも、その対岸はご覧のとおり、なだらかな石の河原が広がっていました。森も水際からぐっと後退して見通しもよろしく、キャンプやバーベキューでもしたら楽しそう‥‥と思っていたら、四駆を乗り入れてテントを張っている人の姿が。
前方はるかには岩肌を見せる山々が続き、風光明媚かつ静かな山間の水辺とくれば、その筋の愛好者にはたまらないものがあるでしょう。クルマが乗り入れられるのなら、カヤックのエントリーにもよさそうですね。
【撮影地点のMapion地図】(←このへん?)
(28年5月28日撮影)
(『阿賀の里遊覧船…5』につづく)

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●前後しますが、河道の真ん中あたりから上流側を見たところ。ゴロタ石の中洲が白く陽光を反射して、航路を狭めているのがよくわかります。二本の橋は手前から、磐越道・石間釣浜橋、国道49号若松街道・ 釣浜橋。
この角度から眺めると、山肌の緑に紅白二色の橋がよく映え、手前に広がる河水や中洲との配分もよろしく、さながら一幅の絵を見るようで、よいものでした。

「石間釣浜橋」(藤木鉄工株式会社)によると、長さ181.1m、鋼材重量377.761t、平成16年9月竣工とのこと。


左舷側に見える水辺は、進むにつれ岩場がちらほら見えるようになってきました。急流が洗い、山裾を削ってきた太古からの営みを思わせる、まさに寄る辺のなさそうな眺めが、手に取るような近くに続きます。

●もっとも、その対岸はご覧のとおり、なだらかな石の河原が広がっていました。森も水際からぐっと後退して見通しもよろしく、キャンプやバーベキューでもしたら楽しそう‥‥と思っていたら、四駆を乗り入れてテントを張っている人の姿が。
前方はるかには岩肌を見せる山々が続き、風光明媚かつ静かな山間の水辺とくれば、その筋の愛好者にはたまらないものがあるでしょう。クルマが乗り入れられるのなら、カヤックのエントリーにもよさそうですね。
【撮影地点のMapion地図】(←このへん?)
(28年5月28日撮影)
(『阿賀の里遊覧船…5』につづく)

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阿賀の里遊覧船…3
(『阿賀の里遊覧船…2』のつづき)
●先客が降りるのを待って、スタッフにうながされ桟橋へ。写真には写っていませんが、最上川のそれ同様、法面の階段通路には、アクリルのフードが備えられていました。豪雪地帯には必須の設備といえるでしょう。
「第一阿賀の里丸」に入ると、こちらは他の2隻と異なり、テーブルつきの椅子席でした。個人的には、靴を脱いだりする手間がなく、余分な気遣いがいらない分、座席の方が気楽でよいと思うのですが、このあたりは好みが分かれるところでしょう。

●好天で気温も上がったとあって、窓は全部開放。気持のよい川風が入ってきます。お客さんに続いて、ガイド役の老船頭さんが乗り込むと、エンジンがかかり出発です。

●もやいを解いた船は、右へぐっと舵を切り、対岸へ針路を定めました。水際まで生い茂った森が、ぐんぐんと近づいてきます。
どうやら、澪筋は対岸近くにあるようですね。上の写真でも、上流側の河道中央にチラリと白い洲が見えましたし、阿賀の里は屈曲の内側にあることを考えると、屈曲の外である対岸に向かうのは理にかなっています。

●木々が指呼の間となり、湾入状になった淵に頭を突っ込んだ形で、船はようやく上流に舵を切りました。老船頭さんによると、ここのみ水深がぐっと深くなっているとのこと。
なるほど、水の色が濃い緑に変わって、水面もさざ波立って渦を巻いており、他とは違った、ちょっと恐ろしげな感じです。手漕ぎの舟がはまったら、渦から抜けられなくなりそう。急流河川ならではの川景色であります。
(28年5月28日撮影)
(『阿賀の里遊覧船…4』につづく)

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「第一阿賀の里丸」に入ると、こちらは他の2隻と異なり、テーブルつきの椅子席でした。個人的には、靴を脱いだりする手間がなく、余分な気遣いがいらない分、座席の方が気楽でよいと思うのですが、このあたりは好みが分かれるところでしょう。

●好天で気温も上がったとあって、窓は全部開放。気持のよい川風が入ってきます。お客さんに続いて、ガイド役の老船頭さんが乗り込むと、エンジンがかかり出発です。


どうやら、澪筋は対岸近くにあるようですね。上の写真でも、上流側の河道中央にチラリと白い洲が見えましたし、阿賀の里は屈曲の内側にあることを考えると、屈曲の外である対岸に向かうのは理にかなっています。

●木々が指呼の間となり、湾入状になった淵に頭を突っ込んだ形で、船はようやく上流に舵を切りました。老船頭さんによると、ここのみ水深がぐっと深くなっているとのこと。
なるほど、水の色が濃い緑に変わって、水面もさざ波立って渦を巻いており、他とは違った、ちょっと恐ろしげな感じです。手漕ぎの舟がはまったら、渦から抜けられなくなりそう。急流河川ならではの川景色であります。
(28年5月28日撮影)
(『阿賀の里遊覧船…4』につづく)

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阿賀の里遊覧船…2
(『阿賀の里遊覧船…1』のつづき)

●まずはもやっているフネブネにご挨拶。明るい茶系のツートンでまとめた塗装が、遠目にも目立つ「第三黄金丸」。
客室はお座敷で、オープンデッキがないのがちょっと残念ではありますが、冬季は雪見船の営業もされているとあっては、甲板室は必須でしょう。操舵室、客室とも直線でまとめられ、頑丈そうな雰囲気なのも、積雪に備えた寒地のスタイルであることを感じさせます。

●白い船体、ミヨシが和船風味の「第五阿賀の里丸」、こちらもお座敷です。ハンドレールに立てかけられた錨が、ストックアンカーなのに目を引かれますね。23年7月の洪水は、どのようにして乗り切ったのでしょう、ひたすら岸からのもやいを増やし、アンカーを何本も打ち込んだのでしょうか。
●現在稼働中の船は一隻で、もうすぐ戻ってくるとのこと。到着を待つ間、新しいコンクリートがまぶしく照り返す、改修成った堤防上をうろうろ。
桟橋のすぐ脇には、これも全面更新されたらしい、ピカピカの樋門がありました。床上浸水の大きな被害をこうむったご当地、流入小河川からの逆水防止の備えも、新しい電動式ゲートで怠りなく‥‥といったところでしょうか。
●堤防天端に回って、名前を確認しましょう。「上ノ沢川樋門」、堰柱にあった銘板によると、純径間×有効高・4.5m×2.6m、扉体重量・4.9t、平成28年3月竣工、遠藤鋼機株式会社製造。
完成したのは今年の3月、まさにできたてのほやほや。堤防の増高工事と合わせて、工事中は遊覧船スタッフも、さぞ気遣いが絶えなかったことでしょう。お疲れさまでした。

●樋門を眺め回して遊んでいたら、我々を乗せてくれる船、「第一阿賀の里丸」が下流からゆっくりと遡上してきました(タイトル参照)。
むう、「阿賀の里丸」が第一と第五、「黄金丸」が第三のみ‥‥。ちなみに、駐車場に置いてあった廃船(?)は「第一阿賀野丸」「第三阿賀野丸」「第六阿賀野丸」。ナンバリングの基準がよくわからず、妙に気になったことではありました。まあ、単に引退した船の番号が抜けている、ということなのでしょうけれど、かつては川下りコースもあったことから、結構な規模の船隊を抱えていた時期があったのかもしれません。
(28年5月28日撮影)
(『阿賀の里遊覧船…3』につづく)

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●まずはもやっているフネブネにご挨拶。明るい茶系のツートンでまとめた塗装が、遠目にも目立つ「第三黄金丸」。
客室はお座敷で、オープンデッキがないのがちょっと残念ではありますが、冬季は雪見船の営業もされているとあっては、甲板室は必須でしょう。操舵室、客室とも直線でまとめられ、頑丈そうな雰囲気なのも、積雪に備えた寒地のスタイルであることを感じさせます。

●白い船体、ミヨシが和船風味の「第五阿賀の里丸」、こちらもお座敷です。ハンドレールに立てかけられた錨が、ストックアンカーなのに目を引かれますね。23年7月の洪水は、どのようにして乗り切ったのでしょう、ひたすら岸からのもやいを増やし、アンカーを何本も打ち込んだのでしょうか。

桟橋のすぐ脇には、これも全面更新されたらしい、ピカピカの樋門がありました。床上浸水の大きな被害をこうむったご当地、流入小河川からの逆水防止の備えも、新しい電動式ゲートで怠りなく‥‥といったところでしょうか。

完成したのは今年の3月、まさにできたてのほやほや。堤防の増高工事と合わせて、工事中は遊覧船スタッフも、さぞ気遣いが絶えなかったことでしょう。お疲れさまでした。

●樋門を眺め回して遊んでいたら、我々を乗せてくれる船、「第一阿賀の里丸」が下流からゆっくりと遡上してきました(タイトル参照)。
むう、「阿賀の里丸」が第一と第五、「黄金丸」が第三のみ‥‥。ちなみに、駐車場に置いてあった廃船(?)は「第一阿賀野丸」「第三阿賀野丸」「第六阿賀野丸」。ナンバリングの基準がよくわからず、妙に気になったことではありました。まあ、単に引退した船の番号が抜けている、ということなのでしょうけれど、かつては川下りコースもあったことから、結構な規模の船隊を抱えていた時期があったのかもしれません。
(28年5月28日撮影)
(『阿賀の里遊覧船…3』につづく)

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阿賀の里遊覧船…1
(『道の駅「阿賀の里」に向かう』のつづき)
●看板代わりに置いてあるフネブネは、操舵席をのぞくと、救命浮環やデッキブラシといった、船具がそのまま残っていたり、果ては写真の船のように、船外機をつけたままのものも見られました。
いずれも古びてはいるものの、少し改修すれば十分使えそうな雰囲気。もっとも収容力の点では、後で見た現役船よりかなり小さく、使い道も限定されるように思えました。
●建物の中で真っ先に目を引かれたのが、この「阿賀野川文化資料館」。ご覧のように船の形をしているのですから、そりゃ意識も吸い寄せられようというものです。
もっとも右手にある入口に近づいてみると、残念ながら閉まっており、しかも人けがなくなって久しい様子。遊覧船のスタッフによれば、休館となってもうだいぶ経っており、再開の話も耳にしないとのことでした。

●物産館で食事を済ませてから、遊覧船の受付に向かうことに。堤防上のSPハウスに、「船受付所」と掲げられたあれですね。
しかし、堤防の法面や左に備えられた階段も、まだ真新しく竣工間もない様子です。階段の近くにあった説明板で、その理由がわかりました。

●ここも鹿瀬ダム上流のスノーシェッド同様、23年7月の洪水で被害を受け、復旧工事成ったばかりだったのです。看板の写真にもあるように、床上浸水の大きな被害があり、ために堤防も高さをまし、より強固なものとされたのだとか。
阿賀の里遊覧船は本来、上流の三川からここへ下ってくるコースと、冬季の「雪見舟」と称する周回コースがあり、好みとしては断然、川下りのコースに乗りたかったのです。ところが問い合わせてみると、現在は阿賀の里発着の、周回コースのみとのこと。
先ほど乗った奥阿賀遊覧船の船頭さんに、このことについて水を向けてみたところ、これも洪水のせいで、河床が上がって通航が難しい場所ができ、諸々の理由で浚渫もままならず、ために今なお「川下り」コースは再開に至っていないのだそうです。川がいったん暴れ出したときの影響の大きさ、地震のそれに勝るとも劣らないものがありますね。

●真新しいアスファルトを敷いた堤防道に立つと、涼しい川風とともに、阿賀野川の川面が開けました。眼下に並ぶ遊覧船群と桟橋、空もすっかり晴れて河水の匂いもよろしく、これから眺める川景色を思って、気分が盛り上がります。
【撮影地点のMapion地図】
(28年5月28日撮影)
(『阿賀の里遊覧船…2』につづく)

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いずれも古びてはいるものの、少し改修すれば十分使えそうな雰囲気。もっとも収容力の点では、後で見た現役船よりかなり小さく、使い道も限定されるように思えました。

もっとも右手にある入口に近づいてみると、残念ながら閉まっており、しかも人けがなくなって久しい様子。遊覧船のスタッフによれば、休館となってもうだいぶ経っており、再開の話も耳にしないとのことでした。

●物産館で食事を済ませてから、遊覧船の受付に向かうことに。堤防上のSPハウスに、「船受付所」と掲げられたあれですね。
しかし、堤防の法面や左に備えられた階段も、まだ真新しく竣工間もない様子です。階段の近くにあった説明板で、その理由がわかりました。

●ここも鹿瀬ダム上流のスノーシェッド同様、23年7月の洪水で被害を受け、復旧工事成ったばかりだったのです。看板の写真にもあるように、床上浸水の大きな被害があり、ために堤防も高さをまし、より強固なものとされたのだとか。
阿賀の里遊覧船は本来、上流の三川からここへ下ってくるコースと、冬季の「雪見舟」と称する周回コースがあり、好みとしては断然、川下りのコースに乗りたかったのです。ところが問い合わせてみると、現在は阿賀の里発着の、周回コースのみとのこと。
先ほど乗った奥阿賀遊覧船の船頭さんに、このことについて水を向けてみたところ、これも洪水のせいで、河床が上がって通航が難しい場所ができ、諸々の理由で浚渫もままならず、ために今なお「川下り」コースは再開に至っていないのだそうです。川がいったん暴れ出したときの影響の大きさ、地震のそれに勝るとも劣らないものがありますね。

●真新しいアスファルトを敷いた堤防道に立つと、涼しい川風とともに、阿賀野川の川面が開けました。眼下に並ぶ遊覧船群と桟橋、空もすっかり晴れて河水の匂いもよろしく、これから眺める川景色を思って、気分が盛り上がります。
【撮影地点のMapion地図】
(28年5月28日撮影)
(『阿賀の里遊覧船…2』につづく)

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