関宿再訪…6
(『関宿再訪…5』のつづき)
●上流側の扉体をのぞき込んで。橋の上からでは、水管橋らしいもの2本が邪魔をして、まさにのぞき込む感じがします。右の写真が東側、下の写真が西側の扉体。
梁に泥が積もったりしていますが、比較的最近に塗り替えられたのか、状態は悪くありません。閘門としての機能は果たしていないとはいえ、最低でも上流側ゲートが健全でいてくれないと、流量の調整はできないからでしょう。

●次は下流側のゲートを眺めようと、西岸に出て閘室横をほてほてお散歩。ここから見ても、上流側にくらべて、扉体がずいぶん錆びているのがわかりますね。
ゲートの上にある水管橋らしいパイプ、よく見てみると、水管橋としては基部の立ち上がりがちょっと怪しいことに気づかされました。上下流とも同じ形で、しかも基部がどちらも扉体に隣接し過ぎています。もしかしたら、扉体の動力に関係しているものかもしれません。2枚の扉体を連動させるシャフトとか、油圧装置を通したものなのでしょうか。

●近寄って眺めてみると、思ったよりひどい状態です。タスキにかけられた帯金は錆びて落ち、梁に堆積した泥には草が生えています。しかも、水面近くのスキンプレートには穴があいているっぽい…う~ん。
上にある機側操作盤の状態から、動力は来ているものと思われますが、穴があいていてはゲートが仮に動いても、意味はないでしょう。以前来たときは、イベント時に開閉して、カヤックを通航させていたようですが、これではもう運転は難しいかもしれません。
●閘室側面の桟橋部分のアップ。1本だけフェンダー(?)の角材が、落ちずに残っていました。
桟橋の柱状部には、点々とボルト穴が見られるので、かつては一面に角材が取り付けられていたに違いありません。角材がほとんど残っていないのは、腐朽したこともあるのでしょうが、常時扉体が全開で、増水時などは激しい水流にさらされるのですから、押し流されてしまったということなのでしょう。
(23年5月4日撮影)
(『関宿再訪…7』につづく)

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梁に泥が積もったりしていますが、比較的最近に塗り替えられたのか、状態は悪くありません。閘門としての機能は果たしていないとはいえ、最低でも上流側ゲートが健全でいてくれないと、流量の調整はできないからでしょう。


ゲートの上にある水管橋らしいパイプ、よく見てみると、水管橋としては基部の立ち上がりがちょっと怪しいことに気づかされました。上下流とも同じ形で、しかも基部がどちらも扉体に隣接し過ぎています。もしかしたら、扉体の動力に関係しているものかもしれません。2枚の扉体を連動させるシャフトとか、油圧装置を通したものなのでしょうか。

●近寄って眺めてみると、思ったよりひどい状態です。タスキにかけられた帯金は錆びて落ち、梁に堆積した泥には草が生えています。しかも、水面近くのスキンプレートには穴があいているっぽい…う~ん。
上にある機側操作盤の状態から、動力は来ているものと思われますが、穴があいていてはゲートが仮に動いても、意味はないでしょう。以前来たときは、イベント時に開閉して、カヤックを通航させていたようですが、これではもう運転は難しいかもしれません。

桟橋の柱状部には、点々とボルト穴が見られるので、かつては一面に角材が取り付けられていたに違いありません。角材がほとんど残っていないのは、腐朽したこともあるのでしょうが、常時扉体が全開で、増水時などは激しい水流にさらされるのですから、押し流されてしまったということなのでしょう。
(23年5月4日撮影)
(『関宿再訪…7』につづく)

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関宿再訪…5
(『関宿再訪…4』のつづき)

●背割堤の上から、閘門の上流側ゲートを見たところ。遊歩道の橋は簡素な鋼桁橋ですが、下端を浅いアーチ状に造って、硬い雰囲気を和らげています。ゲート側壁の角には、石材が使われているのが見えますね。
写真中央、水面近くにある縦長の凹みは、閘室に水を入れるバイパス管の注水口です。形からすると、スライドゲートが備えられていたように思えますが、撤去されたのでしょうか。
●遊歩道から背割堤の上流側を見ると、バイパス管のスライドゲート操作用のものと思しき、ラックとハンドルが見えました。錆びついてはいるものの、まだ動かせそうな雰囲気です。
上の写真で見た注水口からは、かなり離れた位置にあったので、この装置がゲート操作のためのものとすれば、スライドゲートはバイパス管の途中にあるのでしょう。まだ機能は失っていないのでしょうか。
●橋の上から下流側、閘室を眺めたところ。
法面に桟橋状の張り出しが造りつけられていることから考えても、現役時代の満水時水位は、今より1mかそれ以上は高かったに違いありません。現在は仮に下流側ゲートを閉めたとしても、そんなに水位は上がらないように感じられました。平常時の流量自体が、かつてより減ったということなのかも知れません。

●下流側ゲートに、ズームでぐっと寄って。こちらも水管橋(?)と、その向こうには鋼製の管理橋が渡されています。もちろん竣工時には、ゲートの上には何もありませんでした。通航船の高さを制限しない、マイタゲートの長所を捨て去ってしまうようなものだからです。
●同じく橋の上から、振り返って上流側ゲートの間の水面を。激しく泡を噛んで水が流れ下り、その水面を透かして、緑色の藻が生えた底が見えています。
格子状のパターンらしきものが見られるところから考えて、この時代の他の閘門同様、竿が底によくかかるように、わざと凹凸をつけたのかもしれません。
●以前来たときも同じことを考えたのですが、この、底が見えてしまう水深の浅さを目の当たりにすると、やはり「あ~あ」とタメ息が出てしまいます。まあ、昔と違って、自艇で関宿を越え、利根川を下ることへの執着は薄れたので、そんなにイヤな気持ちというほどでもないのですが…。
もう、その機能を止めているとはいえ、閘門と名のつくものが、水を湛えつつも、もはや船を通せない状態にあるのを目の当たりにすると、やはり、やはり残念でたまらなくなるのです。
(23年5月4日撮影)
(『関宿再訪…6』につづく)

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●背割堤の上から、閘門の上流側ゲートを見たところ。遊歩道の橋は簡素な鋼桁橋ですが、下端を浅いアーチ状に造って、硬い雰囲気を和らげています。ゲート側壁の角には、石材が使われているのが見えますね。
写真中央、水面近くにある縦長の凹みは、閘室に水を入れるバイパス管の注水口です。形からすると、スライドゲートが備えられていたように思えますが、撤去されたのでしょうか。

上の写真で見た注水口からは、かなり離れた位置にあったので、この装置がゲート操作のためのものとすれば、スライドゲートはバイパス管の途中にあるのでしょう。まだ機能は失っていないのでしょうか。

法面に桟橋状の張り出しが造りつけられていることから考えても、現役時代の満水時水位は、今より1mかそれ以上は高かったに違いありません。現在は仮に下流側ゲートを閉めたとしても、そんなに水位は上がらないように感じられました。平常時の流量自体が、かつてより減ったということなのかも知れません。

●下流側ゲートに、ズームでぐっと寄って。こちらも水管橋(?)と、その向こうには鋼製の管理橋が渡されています。もちろん竣工時には、ゲートの上には何もありませんでした。通航船の高さを制限しない、マイタゲートの長所を捨て去ってしまうようなものだからです。

格子状のパターンらしきものが見られるところから考えて、この時代の他の閘門同様、竿が底によくかかるように、わざと凹凸をつけたのかもしれません。
●以前来たときも同じことを考えたのですが、この、底が見えてしまう水深の浅さを目の当たりにすると、やはり「あ~あ」とタメ息が出てしまいます。まあ、昔と違って、自艇で関宿を越え、利根川を下ることへの執着は薄れたので、そんなにイヤな気持ちというほどでもないのですが…。
もう、その機能を止めているとはいえ、閘門と名のつくものが、水を湛えつつも、もはや船を通せない状態にあるのを目の当たりにすると、やはり、やはり残念でたまらなくなるのです。
(23年5月4日撮影)
(『関宿再訪…6』につづく)

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関宿再訪…4
(『関宿再訪…3』のつづき)

●天端にズラリと並ぶ巻上機を眺めながら、水門上の歩道を対岸の閘門に向かってお散歩。竣工時はディーゼルエンジンを動力としていたそうですが、今はもちろん更新され、電動化されています。
●閘室に近づいてきました。上流側を眺めると、以前来たときにも見た小型浚渫船が、同じ位置にぽつりと浮かんでいるのが見えます。
左側に伸びている草の生えた土手は、閘門と水門を隔てる背割堤ですが、芝の生えた丸い先端のあたり、いかにも居心地がよさそう。景色を眺めながら、座ってお茶でも飲みたい気分にさせられますが、残念ながら柵があって、入ることはできません。

●歩道を外れて背割堤の上から、ふたたび水門を眺めて。
右の写真は、水門上の高欄(?)をアップで見たところ。ずんぐりと寸足らずながら、親柱っぽい処理に目をひかれます。こうしてディテールを一つ一つ眺めてみると、いかにも昭和初期の土木構造物らしい表情が垣間見えて、面白いですね。
●背割堤の上にあった説明板。ううん、せっかく立派な説明板を設けたのですから、閘室長や径間、扉体寸法、それにゲート形式なども、できれば入れてほしいものですね。あと、最盛期は一日どれくらいの通船量があったとか蒸気船の通航シーンの写(略)。
閘門としての稼働を止め、開放が常態となってからは、よほどの増水時でもないかぎり動力船の通航は難しくなり、説明板の写真にもあるように、カヤックが通れる程度の(流れに抗して遡上するのは大変でしょうが)環境となってしまいましたが、閘門が原形を保ち、往時をしのぶことができるのはやはり、ありがたいことといわねばなりますまい。
【撮影地点のMapion地図】
(23年5月4日撮影)
(『関宿再訪…5』につづく)

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●天端にズラリと並ぶ巻上機を眺めながら、水門上の歩道を対岸の閘門に向かってお散歩。竣工時はディーゼルエンジンを動力としていたそうですが、今はもちろん更新され、電動化されています。

左側に伸びている草の生えた土手は、閘門と水門を隔てる背割堤ですが、芝の生えた丸い先端のあたり、いかにも居心地がよさそう。景色を眺めながら、座ってお茶でも飲みたい気分にさせられますが、残念ながら柵があって、入ることはできません。


右の写真は、水門上の高欄(?)をアップで見たところ。ずんぐりと寸足らずながら、親柱っぽい処理に目をひかれます。こうしてディテールを一つ一つ眺めてみると、いかにも昭和初期の土木構造物らしい表情が垣間見えて、面白いですね。

閘門としての稼働を止め、開放が常態となってからは、よほどの増水時でもないかぎり動力船の通航は難しくなり、説明板の写真にもあるように、カヤックが通れる程度の(流れに抗して遡上するのは大変でしょうが)環境となってしまいましたが、閘門が原形を保ち、往時をしのぶことができるのはやはり、ありがたいことといわねばなりますまい。
【撮影地点のMapion地図】
(23年5月4日撮影)
(『関宿再訪…5』につづく)

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関宿再訪…3
(『関宿再訪…2』のつづき)

●中之島公園の小径をたどって、水門に向かいます。陽射しがかなり強いので、木陰がありがたく、水門の落差から流れてくる水の冷気もかすかに感じられて、気持ちの良い散歩道です。
●道の脇のところどころに、ベンチ代わりにするにはちょっと小さい石材が置かれていますが、これはかつての江戸川流頭部にあった、関宿棒出しの一部を構成していたものだそうです。
何でも、栃木県岩舟山から切り出された岩舟石なる石材で、渡良瀬川を下って遠路はるばる関宿までやってきたのだとか。
棒出しは、水閘門完成後、昭和4年に撤去されたとのことですが、人工の狭窄部は当然ながら急流となり、舟航上の大変な難所で、高瀬舟の時代は、船を引き上げるための神楽算(ウィンチ)まで備えてあったそう。水位差を克服する設備としてはかなり特異で、閘門とはまた違った面白さがありますね。

●東詰から水門を眺めて。見下ろすと、底が透けて見える水たたきから、水音とともに冷気が吹き上がってきて、爽快この上なし。80年余の星霜を経たコンクリートの肌は相応に古びていますが、まだまだ働けそうで頼もしい雰囲気ですね。
●東詰には「土木学会選奨土木遺産 関宿水閘門」と記されたレリーフと、認定書のコピーが掲げられていました。平成15年に認定されたのですね。
関宿水閘門は、関宿水堰とも呼ばれ、昭和2年の竣工。かつては結構な通船量を誇った可航河川だっただけあり、後ほど触れる閘門を併設した水防施設です。
閘門なら何でも好きなのですが、私の脳内でより興味をそそられる点は、河口からどのくらい遡上した位置にある閘門か、ということ。この点関宿は、河口から遠く60kmを隔てた内陸にあるので、興奮も倍加しようというもの。
以前紹介した三栖閘門や、それに続く琵琶湖疏水の閘門群(ほとんど撤去されていますが)と並んで、国内でも有数の内陸に設けられた閘門なのではないかと、一人で胸を熱くしているのです。まあ、すでに稼動できる状態にないのが、残念ではありますが。
●水門の上は、対岸に渡れる遊歩道が設けられているので、川景色を楽しみながら閘門に向かいましょう。
このあたり、サイクリングの名所でもあるので、結構な量の自転車が渡ってきます。
【撮影地点のMapion地図】
(23年5月4日撮影)
(『関宿再訪…4』につづく)

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●中之島公園の小径をたどって、水門に向かいます。陽射しがかなり強いので、木陰がありがたく、水門の落差から流れてくる水の冷気もかすかに感じられて、気持ちの良い散歩道です。

何でも、栃木県岩舟山から切り出された岩舟石なる石材で、渡良瀬川を下って遠路はるばる関宿までやってきたのだとか。
棒出しは、水閘門完成後、昭和4年に撤去されたとのことですが、人工の狭窄部は当然ながら急流となり、舟航上の大変な難所で、高瀬舟の時代は、船を引き上げるための神楽算(ウィンチ)まで備えてあったそう。水位差を克服する設備としてはかなり特異で、閘門とはまた違った面白さがありますね。

●東詰から水門を眺めて。見下ろすと、底が透けて見える水たたきから、水音とともに冷気が吹き上がってきて、爽快この上なし。80年余の星霜を経たコンクリートの肌は相応に古びていますが、まだまだ働けそうで頼もしい雰囲気ですね。

関宿水閘門は、関宿水堰とも呼ばれ、昭和2年の竣工。かつては結構な通船量を誇った可航河川だっただけあり、後ほど触れる閘門を併設した水防施設です。
閘門なら何でも好きなのですが、私の脳内でより興味をそそられる点は、河口からどのくらい遡上した位置にある閘門か、ということ。この点関宿は、河口から遠く60kmを隔てた内陸にあるので、興奮も倍加しようというもの。
以前紹介した三栖閘門や、それに続く琵琶湖疏水の閘門群(ほとんど撤去されていますが)と並んで、国内でも有数の内陸に設けられた閘門なのではないかと、一人で胸を熱くしているのです。まあ、すでに稼動できる状態にないのが、残念ではありますが。

このあたり、サイクリングの名所でもあるので、結構な量の自転車が渡ってきます。
【撮影地点のMapion地図】
(23年5月4日撮影)
(『関宿再訪…4』につづく)

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関宿再訪…2
(『関宿再訪…1』のつづき)
●ううむ、ブレてしまった…。管理橋の橋詰近くにあった、中之島公園の案内板。「江戸川流頭部」を冠しているところが素晴らしい。「流頭部」という言葉に弱いんですよ。
関宿棒出しの現役時や、改修工事の軽軌道など、貴重な写真もちりばめられて楽しい案内版です。管理橋や中之島公園と、高水敷の位置関係もわかりますね。
先ほど、国土変遷アーカイブで、このあたりの終戦直後の航空写真を見ていたら、高水敷に水が流れていました。上流にダムが建設される以前は、もっと流量自体が多かったのか、または水門が常時閉だったのか…。
●管理橋の橋詰近くには、もう一つ気になるものがありました。フェンスに立てかけられた看板を見ると、工事車輌専用の橋を造っているとのこと。
以前来たときは、もちろん無かったと思います。橋を架けるほどの規模になる、工事の内容も気になりましたが、まずは橋を見てみましょう。
●おお…。橋脚は高く、橋台もがっちり造られて、重い工事用の車輌の通行にも耐えられそうな、思った以上に立派な橋です。
もちろん仮設のものとて、橋脚は生地のままの鋼管、桁は以前「東品川橋の工事」で見た「ランドクロス」のような既製の桁で、実用一点張りの無骨さですが、これほど大規模なものは見たことがなかったので、興味深いですね。どこか、工兵隊が戦場に架けた、準恒久橋のような雰囲気です。
【撮影地点のMapion地図】

●ご本尊、関宿水閘門が見えてきました。古びたコンクリートの肌や、落差に立つ白波に誘われて、自然と足が速まります。
●仮設橋を上流側から見てみました。桁下高を堤防の高さに合わせているだけあって、ここから見るとさらに橋脚のひょろ長さが強調され、華奢な感じがしますね。
このあたり、橋の乏しい区間でもあるので、地味な仮設橋でも存在感があります。艇からくぐりざま見上げることができたら、高さも手伝ってさぞ雄大な眺めが楽しめるでしょう。
(23年5月4日撮影)
(『関宿再訪…3』につづく)

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関宿棒出しの現役時や、改修工事の軽軌道など、貴重な写真もちりばめられて楽しい案内版です。管理橋や中之島公園と、高水敷の位置関係もわかりますね。
先ほど、国土変遷アーカイブで、このあたりの終戦直後の航空写真を見ていたら、高水敷に水が流れていました。上流にダムが建設される以前は、もっと流量自体が多かったのか、または水門が常時閉だったのか…。

以前来たときは、もちろん無かったと思います。橋を架けるほどの規模になる、工事の内容も気になりましたが、まずは橋を見てみましょう。

もちろん仮設のものとて、橋脚は生地のままの鋼管、桁は以前「東品川橋の工事」で見た「ランドクロス」のような既製の桁で、実用一点張りの無骨さですが、これほど大規模なものは見たことがなかったので、興味深いですね。どこか、工兵隊が戦場に架けた、準恒久橋のような雰囲気です。
【撮影地点のMapion地図】

●ご本尊、関宿水閘門が見えてきました。古びたコンクリートの肌や、落差に立つ白波に誘われて、自然と足が速まります。

このあたり、橋の乏しい区間でもあるので、地味な仮設橋でも存在感があります。艇からくぐりざま見上げることができたら、高さも手伝ってさぞ雄大な眺めが楽しめるでしょう。
(23年5月4日撮影)
(『関宿再訪…3』につづく)

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