関宿水閘門と横利根閘門の写真
「高瀬舟さかい丸」に乗って…4
(『「高瀬舟さかい丸」に乗って…3』のつづき)
●流速も加わってか行き足が増し、関宿水閘門がぐんぐんと近づいてきます。右側の岸にさえぎられて、まだ閘門は見えません。
昭和初期、衰えたりとはいえ結構な通船量があったころ、境や栗橋通いのフネブネは、今私が見ている風景とそう違わない川景色を眺めながら、閘門を通って行き来していたことでしょう。かつてとほとんど変わらない水閘門の姿を眺められる幸せ! これで江戸川を通しで航行ができたら、楽しいだろうなあ…。

●近づくにつれて右側の視界も開け、閘門や浚渫船が姿を現しました。緑深い堤防に挟まれて、満々と水を湛える老水閘門。もっと近づいて眺めてみたい…。
ここで、重大な事実(でもなんでもない)が判明。浚渫船のキャブ正面に、何か文字が書いてある……ピンと来ました。「関宿再訪…8」で、船名がわからないなどと書きましたが、アレ、船名じゃないでしょうか?
ズームをいっぱいにして撮り、後で拡大して確認すると、やはり。船名は「山王号」でした。
●この航路最大の見せ場だけに、もっと近づいてくれるのかしら、と期待したのですが、ここで残念ながら船は大きく転舵を始めてしまいました。思わず「あ~あ~」と手を伸ばしてしまうような、この微妙な距離感。
もっとも、浚渫船が常駐させられているだけあって、水門の近くは堆砂で浅くなっているのかもしれません。後ろ髪を引かれる思いで、水閘門と「山王号」にお別れし、早くも帰途へ。
【撮影地点のMapion地図】

(23年5月4日撮影)
(『「高瀬舟さかい丸」に乗って…5』につづく)

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昭和初期、衰えたりとはいえ結構な通船量があったころ、境や栗橋通いのフネブネは、今私が見ている風景とそう違わない川景色を眺めながら、閘門を通って行き来していたことでしょう。かつてとほとんど変わらない水閘門の姿を眺められる幸せ! これで江戸川を通しで航行ができたら、楽しいだろうなあ…。


ここで、重大な事実(でもなんでもない)が判明。浚渫船のキャブ正面に、何か文字が書いてある……ピンと来ました。「関宿再訪…8」で、船名がわからないなどと書きましたが、アレ、船名じゃないでしょうか?
ズームをいっぱいにして撮り、後で拡大して確認すると、やはり。船名は「山王号」でした。

もっとも、浚渫船が常駐させられているだけあって、水門の近くは堆砂で浅くなっているのかもしれません。後ろ髪を引かれる思いで、水閘門と「山王号」にお別れし、早くも帰途へ。
【撮影地点のMapion地図】

(23年5月4日撮影)
(『「高瀬舟さかい丸」に乗って…5』につづく)

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「高瀬舟さかい丸」に乗って…3
(『「高瀬舟さかい丸」に乗って…2』のつづき)

●進行方向右手、茨城県側に2径間の樋門があったのが、航程中の数少ない目立つ構造物で、ほとんどは右写真のような、ブロックがごろごろと見える草深い岸辺です。
とはいっても、澪筋をたどる興味深さから単調な感じはせず、前回ご覧にいれたような船首に立つ船頭さんの後ろ姿からも、ちょっとした緊張感が伝わってきます。右の写真でも、いかに岸に寄せて「歩かせ」ているかがわかりますね。
●千葉県側から広がる砂洲を脱したところで、船は大きく左へ舵を切りました。いよいよ江戸川の分流点が近づいてきたのです。
左側を見ると、たくさんのテトラポッドを無造作に沈めた「鼻」の先端部が、思ったより間近に迫ってきました。初めて見る江戸川流頭部の川景色に、動悸が高まる思い。かつてはここを回って、利根川を下ることを夢見ていたもので、やはり感慨深いものがありました。
【撮影地点のMapion地図】

●江戸川に入った時点でもう1枚。右手遠くにぽつんと、関宿城博物館の櫓が顔を出しています。
分流点というと、甲府は笛吹川の「将棋頭」や、広島で見た「滋仙寺鼻」(『広島の水上バス…6』参照)のように、護岸でがっちり固められた先端を思い出しますが、こちらは増水時に水没する高水敷のためでしょう、あまり大掛かりな工事は施されていません。むしろ関宿城博物館のあるスーパー堤防が、本来の「鼻」といえるのでしょうね。

●江戸川に入って、千葉県側に寄せつつしばらく下ると、モコモコとした水際の繁みの間からヌッ、といった感じで、関宿水閘門の扉体が見えてきました。
このあたりは利根川と打って変わり、充分に水深があるのか、船頭さんもワッチをやめて、客席でしばし休憩。やはり水門で堰上げられた効果は、相当なものがあるようです。ともあれ、ほんのわずかな距離でも、下流部に慣れ親しんだ江戸川の、最上流部を船行きできる嬉しさ、顔がだらしなくゆるむのを抑えられませなんだ。
(23年5月4日撮影)
(『「高瀬舟さかい丸」に乗って…4』につづく)

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とはいっても、澪筋をたどる興味深さから単調な感じはせず、前回ご覧にいれたような船首に立つ船頭さんの後ろ姿からも、ちょっとした緊張感が伝わってきます。右の写真でも、いかに岸に寄せて「歩かせ」ているかがわかりますね。

左側を見ると、たくさんのテトラポッドを無造作に沈めた「鼻」の先端部が、思ったより間近に迫ってきました。初めて見る江戸川流頭部の川景色に、動悸が高まる思い。かつてはここを回って、利根川を下ることを夢見ていたもので、やはり感慨深いものがありました。
【撮影地点のMapion地図】

●江戸川に入った時点でもう1枚。右手遠くにぽつんと、関宿城博物館の櫓が顔を出しています。
分流点というと、甲府は笛吹川の「将棋頭」や、広島で見た「滋仙寺鼻」(『広島の水上バス…6』参照)のように、護岸でがっちり固められた先端を思い出しますが、こちらは増水時に水没する高水敷のためでしょう、あまり大掛かりな工事は施されていません。むしろ関宿城博物館のあるスーパー堤防が、本来の「鼻」といえるのでしょうね。

●江戸川に入って、千葉県側に寄せつつしばらく下ると、モコモコとした水際の繁みの間からヌッ、といった感じで、関宿水閘門の扉体が見えてきました。
このあたりは利根川と打って変わり、充分に水深があるのか、船頭さんもワッチをやめて、客席でしばし休憩。やはり水門で堰上げられた効果は、相当なものがあるようです。ともあれ、ほんのわずかな距離でも、下流部に慣れ親しんだ江戸川の、最上流部を船行きできる嬉しさ、顔がだらしなくゆるむのを抑えられませなんだ。
(23年5月4日撮影)
(『「高瀬舟さかい丸」に乗って…4』につづく)

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関宿再訪…8
(『関宿再訪…7』のつづき)

●せっかく水際まで下りてきたので、浚渫船のアップを。スローガンを掲げていろいろと主張してはくれるのですが、肝心の船名がどこに書いてあるのかはわかりませんでした。
キャブ横には建設会社の名前と、「01-407」なるナンバープレートが掲げられていたので、建機扱いなのかもしれませんね。
●そして気になったのが、桟橋につないであった足舟です。17年6月に訪れたときは、木製のベカサッパっぽい、いかにもそそる端舟(右)がもやってあったのですが、今回見てみたら、FRP製(左)に替えられていました。
さすがに繋ぎっぱなしで、腐朽したのでしょうか。こちらも何だか舳先をタテイタ風にして、味のある形をしていますね。
●帰ろうと土手の上に登ったら、上流から一隻のPWCが走って来ました。ターンしたと思う間もなく、後ろに乗っていた一人がボチャンと落水。
心配になって見守っていたら、落ちた人が泳ぎつつ「ここ、意外と流れが速いなあ」とのご意見が。艇長曰く「当たり前だろ、そこに水門があるんだから!」。落水した人、水門を振り返ってギョッとした顔で絶句、慌てて艇の上に這い上がっていました。イヤ、いわれるまで目の前の水門に気づかなかったのかと(笑)。
ともあれ、吸い込まれたりしなくて何よりでした。

●さて、ふたたび閘門と水門の上を渡り、博物館に戻るとしましょう。実は、この後もうひとつ、お楽しみが待っているのです。
右の写真はオマケ。関宿城博物館の瓦の上で、ふくふくと羽をゆるめてくつろぐスズメさん。ちょうど巣作りの時期に当たり、博物館の瓦のそこここから、忙しそうに出入りするスズメの姿が見られました。
(23年5月4日撮影)
(『「高瀬舟さかい丸」に乗って…1』につづく)

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●せっかく水際まで下りてきたので、浚渫船のアップを。スローガンを掲げていろいろと主張してはくれるのですが、肝心の船名がどこに書いてあるのかはわかりませんでした。
キャブ横には建設会社の名前と、「01-407」なるナンバープレートが掲げられていたので、建機扱いなのかもしれませんね。

さすがに繋ぎっぱなしで、腐朽したのでしょうか。こちらも何だか舳先をタテイタ風にして、味のある形をしていますね。

心配になって見守っていたら、落ちた人が泳ぎつつ「ここ、意外と流れが速いなあ」とのご意見が。艇長曰く「当たり前だろ、そこに水門があるんだから!」。落水した人、水門を振り返ってギョッとした顔で絶句、慌てて艇の上に這い上がっていました。イヤ、いわれるまで目の前の水門に気づかなかったのかと(笑)。
ともあれ、吸い込まれたりしなくて何よりでした。


右の写真はオマケ。関宿城博物館の瓦の上で、ふくふくと羽をゆるめてくつろぐスズメさん。ちょうど巣作りの時期に当たり、博物館の瓦のそこここから、忙しそうに出入りするスズメの姿が見られました。
(23年5月4日撮影)
(『「高瀬舟さかい丸」に乗って…1』につづく)

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関宿再訪…7
(『関宿再訪…6』のつづき)
●閘室横を戻って、上流側から眺めてみることにしました。閘室近くの法面は、時々手入れをされているようですが、いったん水門のエリアから外れると、とたんに草深くなります。
下の写真は、背割堤の先端部。丸く成形された法面が、その形のとおりの波紋を上流に向かって広げているのが見えます。のどかな眺めですが、もし艇で近づいたら水流にスーッと吸い込まれると思うと、恐ろしい感じもしますね。

●前回訪問時同様、浚渫船のもやうあたりの法面に下りて、閘門正面から狙ってみることに。後ろに続くのは、浚渫船が水と一緒に吸い込んだ泥を送るパイプで、フロートで浮くように造られています。使用時は何組かを連結して用いるのでしょう。
船尾に二本あるスパッドを、おそらく下ろして河底に突き刺しているとはいえ、もやい1本ではどうも吸い込まれてしまいそうで、心もとない感じがしますね。増水時などは、どうしているのでしょうか?
●水閘門の全体がなんとか、ギリギリ収まりました。やはり水面からの見上げる目線で眺めると、印象がだいぶ違ってきます。
ちなみにプレ水門図鑑「鋼製ゲート百選」(技報堂出版)によると、水門は8径間、寸法は径間8.54m・扉高4.7m、閘門は径間4.915m・扉高8.54mとのこと。竣工時の水門の扉体型式は、三栖閘門(『三栖閘門…1』ほか参照)と同じストーニーゲートでした。

●閘門をズームでぐっと寄せて一枚。落差に立つさざ波から閘室、ゲートの向こう側までが一望できます。背割堤の下流側には、だいぶ大きな木が生えて、航路の半分くらいを覆ってしまっていますね。
【撮影地点のMapion地図】
(23年5月4日撮影)
(『関宿再訪…8』につづく)

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下の写真は、背割堤の先端部。丸く成形された法面が、その形のとおりの波紋を上流に向かって広げているのが見えます。のどかな眺めですが、もし艇で近づいたら水流にスーッと吸い込まれると思うと、恐ろしい感じもしますね。


船尾に二本あるスパッドを、おそらく下ろして河底に突き刺しているとはいえ、もやい1本ではどうも吸い込まれてしまいそうで、心もとない感じがしますね。増水時などは、どうしているのでしょうか?

ちなみにプレ水門図鑑「鋼製ゲート百選」(技報堂出版)によると、水門は8径間、寸法は径間8.54m・扉高4.7m、閘門は径間4.915m・扉高8.54mとのこと。竣工時の水門の扉体型式は、三栖閘門(『三栖閘門…1』ほか参照)と同じストーニーゲートでした。

●閘門をズームでぐっと寄せて一枚。落差に立つさざ波から閘室、ゲートの向こう側までが一望できます。背割堤の下流側には、だいぶ大きな木が生えて、航路の半分くらいを覆ってしまっていますね。
【撮影地点のMapion地図】
(23年5月4日撮影)
(『関宿再訪…8』につづく)

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