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またひとつ、震災復興橋が消えてゆく


今月初めくらいだったと思うのですが、仕事で出た帰り、飯田橋~水道橋駅の間、神田川南岸の道をクルマで走っていたら、小石川橋(上写真・Mapion地図)の南詰に「小石川橋架け替えのため、何月何日より通行止め」云々、という看板が立っていました。

先週月曜に通ったら、すでに通行止めとなって工事が始まっており、もう渡ることはできなくなっていたのですが、これを見て思ったのは「ああ、また震災復興橋がひとつ、減ってゆくのだなあ…」ということでした。

ご覧のとおり、地味な鋼鈑桁橋で、同じ神田川の橋とはいえ、後楽橋や浅草橋など上路式鋼アーチの優美さや、まして聖橋の壮麗な姿とはくらべるべくもないのですが、昭和2年竣工のこれも、間違いなく震災復興橋梁の仲間であり、貴重な土木遺産であることは間違いありません。

ご存じのように、ここは日本橋川と神田川の丁字流にあたり、またご覧のように西側には、水道橋2号分水路の吐口も見られ、さらに東側角には三崎町中継所があって、曳船がゴミ運搬のバージを入れ替える姿が眺められるなど、水運趣味スポットとしても濃厚な場所で、たまに歩いて橋を渡る際も、つい立ち止まって時間を過ごしてしまう、楽しいところでした。

土木構造物として見ても、後年追加されたアルミ製の高欄が若干目障りなものの、橋としてはよく原形が保たれ、また南詰東側には、古風な石垣護岸で守られた植え込みが残されているのも、竣工時に造られた橋詰広場の名残りとして、貴重に思えたものです。

残念ながら、工事は橋だけでなく橋詰にも及び、この植え込みも取り壊され、繁っていた大きな木も抜かれて、様相を一変してしまいましたが…。

震災復興橋は、周辺地域の用途に合わせてデザインが決定されていたそうで、商業・官庁街には、眺望を妨げず、デザイン的にも優れた上路式の鋼やコンクリートアーチ、ラーメン橋台橋が多く架けられ、工業地域には下路式トラスや、中・下路式の鋼鈑桁橋が多く架けられる傾向があったとのこと。

逆の見方をすれば、橋を見れば、そのあたりがどんな土地柄か、一目でわかる便利さもあったわけです。このことを知っていれば、時代が変わって周辺の土地利用が一変したとしても、「今はこうだけれど、昔は工業地帯だったんだなあ」とか、かつてに思いをはせることもできたわけですね。

ちなみにこのあたり、三崎町周辺は、南側にかつて飯田町貨物駅があり、周辺も印刷・製本などの小工場が多くあった、まさに町工場地帯とも言うべき土地柄でした。今はご存じのように、貨物駅跡地は大規模な再開発があり、ホテルやオフィスビルが立ち並ぶようになり、町工場ももはや残り少なく、昔日の面影は薄れつつあります。

小石川橋は、そんな昔をしのぶことのできる、数少ないよすがとなりつつあったのですが…仕方のないこととはいえ、やはり、残念でなりません。


(21年10月18日撮影)

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タグ : 小石川橋鋼鈑桁橋水道橋分水路神田川