中丸川水門…3
(『中丸川水門…2』のつづき)

●中丸川から見て右の堰柱に、各施工会社の銘板がありました。01年12月の竣工。扉体は西田鉄工、寸法13×7.094m…と思いきや、右に掲げた不動建設の銘板では、幅13.5m。はて、この違いは? 堰柱から戸溝が、出っ張った造りになっているという意味なのでしょうか。
しかし、天地寸法の項目に、「呑口高」という言葉が出てきたのは新鮮でした。今まで見た水門の銘板では、この表現はなかったような…。

●堤防を下りて、那珂川の高水敷からいいお顔を一枚。…う~ん、実際眺めてみると、思ったより「カッパっぽさ」が薄いなあ…。佐藤氏が撮られたときより、巻上機室の塗装が色あせてしまっているのが、大きいかもしれません。
カッパの飄々とした風情よりは、どちらかといえばがっしりとした、頼もしさを感じました。巻上機室はお互いを管理橋(?)で結ばれており、扉体の前にも太い梁状の構造が走っていて、天地方向に抜きん出た部分が少ないのが、そう思わせるのでしょうか。

●下流側に出て、少し離れたところから。ちなみに巻上機室の壁面、遠目にはコルゲート鋼板か何かで造ったように見えますが、近くで観察してみると、溝を彫ったコンクリートパネルのようでした。
佐藤氏の写真では、水門のすぐ脇に船溜が見られたのですが、ご覧のとおり跡形もありませんでした。津波の被害に遭われたのでしょうか…。
●那珂川の下流側を望むと、那珂湊入りするたびに、中丸川水門をチラ見しつつ渡っていた、湊大橋の姿が遠望できました。
もっとも、前回渡った、あの強烈なランガートラス(『萬右衛門川の面影…4』、過去ログ『那珂湊には…』参照)はすでに使用が止められていて、今回渡ってきたのは、手前に架かった新しい湊大橋。あの独特の構造を眺めながら、渡る楽しみがなくなったと思うと、寂しいかぎりではあります。
(25年4月14日撮影)
(『大洗磯前神社にて』につづく)

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●中丸川から見て右の堰柱に、各施工会社の銘板がありました。01年12月の竣工。扉体は西田鉄工、寸法13×7.094m…と思いきや、右に掲げた不動建設の銘板では、幅13.5m。はて、この違いは? 堰柱から戸溝が、出っ張った造りになっているという意味なのでしょうか。
しかし、天地寸法の項目に、「呑口高」という言葉が出てきたのは新鮮でした。今まで見た水門の銘板では、この表現はなかったような…。

●堤防を下りて、那珂川の高水敷からいいお顔を一枚。…う~ん、実際眺めてみると、思ったより「カッパっぽさ」が薄いなあ…。佐藤氏が撮られたときより、巻上機室の塗装が色あせてしまっているのが、大きいかもしれません。
カッパの飄々とした風情よりは、どちらかといえばがっしりとした、頼もしさを感じました。巻上機室はお互いを管理橋(?)で結ばれており、扉体の前にも太い梁状の構造が走っていて、天地方向に抜きん出た部分が少ないのが、そう思わせるのでしょうか。

●下流側に出て、少し離れたところから。ちなみに巻上機室の壁面、遠目にはコルゲート鋼板か何かで造ったように見えますが、近くで観察してみると、溝を彫ったコンクリートパネルのようでした。
佐藤氏の写真では、水門のすぐ脇に船溜が見られたのですが、ご覧のとおり跡形もありませんでした。津波の被害に遭われたのでしょうか…。

もっとも、前回渡った、あの強烈なランガートラス(『萬右衛門川の面影…4』、過去ログ『那珂湊には…』参照)はすでに使用が止められていて、今回渡ってきたのは、手前に架かった新しい湊大橋。あの独特の構造を眺めながら、渡る楽しみがなくなったと思うと、寂しいかぎりではあります。
(25年4月14日撮影)
(『大洗磯前神社にて』につづく)

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那珂川河口再訪
(『萬右衛門川の面影…6』のつづき)

●前後しますが、旭橋周辺に向かう前に、前回も訪ねた河口近くの公園(過去ログ『那珂湊には…』参照)に寄り道してみました。駐車場やお手洗いも完備した、テラスのある気持ちのよい公園でしたが、やはり地震と津波の爪痕は今なお生々しく、至るところが陥没し、砕石やコンクリート片が散乱していました。
それでも駐車場は一杯で、散策や釣りを楽しむ人々で賑わっていたのに救われる思い。冷たくも爽やかな風を浴びて、河口風景をしばし堪能。

●隣接する変わり型水門、那珂湊漁港水門(過去ログ『那珂湊漁港水門』参照)ものぞいてみると、こちらも傷跡未だ癒えず…。
水門や左右の建屋、信号器もしっかりと健在だったのは頼もしく感じましたが、左側のシャッターがべっこりと凹んださま、津波の水勢の凄まじさが迫ってくるようで、言葉がありません。
●北側、港内に目を転じてみると、旗を掲げた松飾りも勇ましい漁船がもやい、お正月らしい雰囲気です。
昼食時に入った魚市場の食堂で、ご主人にうかがったところによると、津波は漁港一帯を0.8mほど冠水させ、復旧はほぼ成っても客足の衰えは著しく、震災後は例年の約6割減とのことでした。
●漁船たちの左側には、保安庁船艇らしいシルエットの「とうかい」が。漁業監視艇か何かでしょうか。
検索してみたら、bambooさんのブログ「向こう側に」がヒット。記事「買い物に行って。」によると、茨城県の漁業取締船で、37.9ktも出るのだとか。他にも港内にもやうフネブネを詳しく解説されているので、ぜひご覧ください。
【撮影地点のMapion地図】
(24年1月2日撮影)
(この項おわり)

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それでも駐車場は一杯で、散策や釣りを楽しむ人々で賑わっていたのに救われる思い。冷たくも爽やかな風を浴びて、河口風景をしばし堪能。

●隣接する変わり型水門、那珂湊漁港水門(過去ログ『那珂湊漁港水門』参照)ものぞいてみると、こちらも傷跡未だ癒えず…。
水門や左右の建屋、信号器もしっかりと健在だったのは頼もしく感じましたが、左側のシャッターがべっこりと凹んださま、津波の水勢の凄まじさが迫ってくるようで、言葉がありません。

昼食時に入った魚市場の食堂で、ご主人にうかがったところによると、津波は漁港一帯を0.8mほど冠水させ、復旧はほぼ成っても客足の衰えは著しく、震災後は例年の約6割減とのことでした。

検索してみたら、bambooさんのブログ「向こう側に」がヒット。記事「買い物に行って。」によると、茨城県の漁業取締船で、37.9ktも出るのだとか。他にも港内にもやうフネブネを詳しく解説されているので、ぜひご覧ください。
【撮影地点のMapion地図】
(24年1月2日撮影)
(この項おわり)

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萬右衛門川の面影…4
(『萬右衛門川の面影…3』のつづき)
●裏面に足場があったのを幸い、新川排水樋管の上に登ってみました。ご覧のとおり動力のたぐいは一切見られない簡素な構造で、恐らくギヤボックスにテコなどを差し入れて、ギッコ、ギッコとラチェットでラックを巻き上げる仕組みと思われます。
動力なし、しかも機側操作とくれば、昨年の地震による津波が襲った際には、駆けつけてゲートを閉めるなど、とてもできなかったことでしょう。
東京でも、津波の来襲を防ぐことができたのは、ほとんどの水門が遠隔操作化されていたからで、一部残っていた機側操作の水門では、交通麻痺などで現地にたどりつけず、津波の侵入を許してしまったことが思い出されます。
●河畔に降りて、ゲートの正面をと思ったのですが、やはり目を奪われてしまうのが、震災と津波の爪痕です。
護岸はひび割れて波打ち、内側の地表も大きく陥没して、道路沿いには高々と土嚢が積み上げられ、被害の大きさを物語っていました。4年前、この少し上流から撮った写真が、過去ログ「那珂湊には…」に載せてありますが、その変貌ぶりに言葉もありません。

●新川排水樋管のゲートを眺めて。扉体はほぼ閉じられているようでしたが、先ほどうねりが入ってきたのを見たとおり、水の出入りはあるので、細めには開いているのでしょう。
しかし、ゲート背後のそれは波返しの曲面が見られることからも、樋門の一部というより、やはり堤防としか思えません。なぜ樋門の部分だけ堤防を高めたのか、謎ではあります。
●ゲート左手には、排水機場の排水管がまるで竹やりのように中空へ突き出しており、少々剣呑な雰囲気。
樋門周りは、さすがに基礎がしっかり造られているのか、傾きやクラックはまったく見られませんでしたが、隣接する堤防は肩を落としたように陥没し、排水管の立ち上がりも床が浮いて、一歩踏み出すのも難渋するような状況です。
●ズームでぐっとたぐり寄せ、国道245号線・湊大橋を遠望。今回もこの橋を渡って那珂湊入りしたのですが、すぐ上流では新しい橋の工事をしているのが見られ、架け替えも近いことが感じられました。
「湊大橋」(茨城県土木部 水戸土木事務所)によると、湊大橋は昭和27年竣工で、渋滞の原因となっていることや、歩道がないなどの理由から架け替えを進めているとのこと。この美しい下路ランガートラスの姿が拝めるのも、もうあとわずかのようですね。
【撮影地点のMapion地図】
(24年1月2日撮影)
(『萬右衛門川の面影…5』につづく)

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動力なし、しかも機側操作とくれば、昨年の地震による津波が襲った際には、駆けつけてゲートを閉めるなど、とてもできなかったことでしょう。
東京でも、津波の来襲を防ぐことができたのは、ほとんどの水門が遠隔操作化されていたからで、一部残っていた機側操作の水門では、交通麻痺などで現地にたどりつけず、津波の侵入を許してしまったことが思い出されます。

護岸はひび割れて波打ち、内側の地表も大きく陥没して、道路沿いには高々と土嚢が積み上げられ、被害の大きさを物語っていました。4年前、この少し上流から撮った写真が、過去ログ「那珂湊には…」に載せてありますが、その変貌ぶりに言葉もありません。

●新川排水樋管のゲートを眺めて。扉体はほぼ閉じられているようでしたが、先ほどうねりが入ってきたのを見たとおり、水の出入りはあるので、細めには開いているのでしょう。
しかし、ゲート背後のそれは波返しの曲面が見られることからも、樋門の一部というより、やはり堤防としか思えません。なぜ樋門の部分だけ堤防を高めたのか、謎ではあります。

樋門周りは、さすがに基礎がしっかり造られているのか、傾きやクラックはまったく見られませんでしたが、隣接する堤防は肩を落としたように陥没し、排水管の立ち上がりも床が浮いて、一歩踏み出すのも難渋するような状況です。

「湊大橋」(茨城県土木部 水戸土木事務所)によると、湊大橋は昭和27年竣工で、渋滞の原因となっていることや、歩道がないなどの理由から架け替えを進めているとのこと。この美しい下路ランガートラスの姿が拝めるのも、もうあとわずかのようですね。
【撮影地点のMapion地図】
(24年1月2日撮影)
(『萬右衛門川の面影…5』につづく)

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