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福地運河の水門…4

(『福地運河の水門…3』のつづき)

19061.jpg水門を間近で見ようと、草をかき分けて堤体に入ってみると、先ほど釜閘門で見たものと同様の、管理符号らしきプレートが貼られているのを発見。「河追―水1」とありますね。

方々探し回ってはみたものの、これ以外に銘板らしいものは見つかりませんでした。まだプレートが新しいことから、水門として機能はしなくとも、員数のうちには入っているのかもしれません。

19062.jpgまたも失礼させていただいて、赤錆びた管理橋の上へ…。

命を預ける(笑)には、ちょっとどころか、だいぶ心許ないものがありましたが、欲望には勝てずに、恐る恐る足を踏み出しました。片足で踏みしだいて、鉄板の朽ち具合と相談しながら、じりじり前進。
いくら福地運河に惹かれてここまで来たとは言え、「落水し水路の露と消えり」なんて最後は、ぞっとしませんからね。

19063.jpg何分、いつ橋が落ちるかと、ビクビクしながらカメラをかまえているので、ろくな写真になりませんでしたが、なんとか扉体のディテールがわかるものを一枚。

右奥にプーリーが見えるように、扉体下端に結ばれたワイヤーで開閉する、単純明快なメカニズム。雑草に隠れてよく見えませんが、写真左に手動ウインチがありました。
面白かったのは、閘門の注排水設備のように、扉体に二つのスルースバルブ―小型スライドゲートと言ったほうがいいでしょうか―が設けられていたこと。
妄想するに、ゲートの構造上、半開きにするのが難しいため、このスライドゲートを開けて運河内外の水位を均衡させてから、扉体を開放したのではないかと…。

19064.jpg
管理橋の上から眺めた、福地運河の東側。雨脚も弱まり、雲もわずかながら薄くなって、静かな水面に光りが宿ってきました。
北上川の堤防に沿って開かれた、紅葉を望む清々しい水路。国内でも数少ない、山並みを間近に感じられる内陸運河…。水門ももちろん楽しめましたが、この水路風景を見たくて来たのですから、まったく感無量でありました。

ちなみに、土木図書館のデジタルアーカイブスには、福地運河竣工時の写真が収蔵されています。「162.北上川改修工事 :新堤上より二俣水路を上流に向かって望む」北上川堤防上から、西を望んで撮ったもののようですね。
先に触れた大内健二氏の記事によると、福地運河が完成したのは、北上川新河道の竣工と時を同じくした昭和9年、水路幅7m、水深1.5mの基本断面で建設されたとのことです。

19065.jpg水門を裏側から見て。水平に倒された扉体上端に、スライドゲート操作のハンドルが二つ見えています。

雨の中の閘門・水門めぐりも、このフラップゲートにたどり着いたところで時間切れ。福地運河と北上川の接点にある、有名な福地水門も見たかったのですが、またの機会とすることにして、残念ながら撤退です。
この他、塩竃から松島に至るまでのお話もあるのですが、こちらもまたの機会とさせていただきます。


(21年12月3日撮影)

【12月3日の項の参考文献】
鋼製ゲート百選(水門の風土工学研究委員会・『鋼製ゲート百選』選定委員会)技報堂出版
水門工学(水工環境防災技術研究会・『水門工学』編纂委員会) 技報堂出版
月刊「世界の艦船」第690集(2008年5月号)海人社

(この項おわり)

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タグ : 福地運河追波川上端ヒンジフラップゲート

福地運河の水門…3

(『福地運河の水門…2』のつづき)

19056.jpg雨がやや小降りになり、空も少し明るくなってきたのに勢いを得て、福地運河をさらに奥へ。いまひとつの水門を目指します。

お目当ての水門の近くには、追波川排水機場がありました。このあたりが、かつての追波川の河道を堤防で締め切った地点。排水機場の向こうは北上川。先にも触れたように、追波川の旧河道を拡幅利用した、いわば放水路です。
ここから東が、追波川分断後に開鑿された水路となるのですね。楽しみです。

19057.jpg排水機場のかたわらには、ご覧のようにいかにも仮設橋然とした雰囲気の、赤錆びた鋼桁橋がありました。

橋脚や桁はI形鋼、高欄もガードレールと、既製品を組み立てた橋だけにあまり興味が湧かず、銘板も探さずに帰ってきてしまいましたが、この橋が今回目指した水門の、絶好のビューポイントだっただけに、意識は全部そちらに持って行かれてしまっていたのでしょう。
撮影地点のMapion地図

19058.jpg
橋の上から東を望むと…うほほ!
雲に煙る紅葉した山々と、はるかに続く運河をバックに、素晴らしい水門風景が広がっていました。

しかも、初めて生で見る上端ヒンジフラップゲート(で、いんですよね?)です。堤体には潅木が生い茂り、廃水門の空気が濃厚な印象ながら、悪天候をついて来てよかったと、心洗われる思いのした眺めでした。

19059.jpg上端ヒンジフラップゲートとは、あおり戸のように、上端に備えられた軸を中心として扉体を開閉させる方式で、招き扉とも呼ばれるそうです。巻上機室など上部構造を持たず、外観がすっきりしている点はマイタゲートと同様ですね。

地図でおわかりのように、ここは排水機場の西に合流地点があるので、運河東側への逆流防止のために、この水門が造られたのでしょう。

19060.jpgこの水門、残念ながら名前はわかりません。梨ノ木水門と同じく、佐藤淳一氏のFloodgates List 11にも収録されているのですが、やはり「名称不明水門」として扱われています。

ここで気になったのが、堤体の向かって右側にある、銘板がはがれて落っこちたのでは、と思わせる四角い凹み。水面をのぞいてみても、それらしきものは見られなかったので、人の手ではがされた跡なのかもしれません。すでに用途廃止され、放置されて久しいのでしょうね。


(21年12月3日撮影)

(『福地運河の水門…4』につづく)

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タグ : 福地運河追波川上端ヒンジフラップゲート

福地運河の水門…2

(『福地運河の水門…1』のつづき)

19051.jpg巻上機室の脚部に掲げられていたプレート。

今回、この表示に従い「梨ノ木水門」としたのですが、前回触れた北上川下流河川事務所のサイトには「梨木水門」とあり、どちらが正式名称なのかはわかりません。まあ、読み方は同じだと思うのですが…。
そうそう、呼び名については、もうひとつ気になる発見があったのです。

19052.jpg堤防道から水門に入る道の角に、ご覧のような壊れかけのバス停があったのですが、停留所名をよく見ると…「梨ノ木閘門」!

イヤ、閘門じゃないでしょう!とツッコミたくなりながらも、はて、これは本当に間違いなのだろうか、と、ある疑いを抱くに足るモノを、実は出発前に見てきたのです。
そのモノとは、梨ノ木水門周辺を写した、このGoogle航空写真…。水門の右手に、分流している短い水路が写っていますね。

19053.jpg右の写真が、その水路を管理橋の上から見たところ。旧流路の跡にしては、形がはっきりし過ぎています。Google航空写真には、取り付け道路の土手を隔てて、旧北上川の側にも、水路の痕跡のような澪筋が写っている…。

バス停の名前、怪しげな水路の痕跡…。まあ、もうおわかりとは思いますが、この「水路跡」に昔、閘門があったのではと妄想させるには、充分過ぎる材料があったわけです。

19054.jpg補強だらけの管理橋の上から、改めて、初めての福地運河にご挨拶。

ここはまだ、かつての追波川の河道をそのまま利用した区間ですから、河川敷もいにしえの大河相応に広いのですが、狭められた流れは運河らしい雰囲気。晴れた日に、山並みを眺めながらの航行は、さぞ楽しいことでしょうね。

19055.jpg
幸いにして、雨脚も少し弱まってきました。

管理橋が渡す道は、格好の抜け道になっているようで、交通量が多く、クルマがひっきりなしに通るので、ちょっと気圧される場所ではありましたが、雨雲をバックにしたトタン小屋水門・梨ノ木水門との逢瀬は、予想以上に楽しいひとときでした。


(21年12月3日撮影)

【追記】妄想しているだけでは収まらず、国土変遷アーカイブの航空写真で、昭和23年と36年の梨ノ木水門付近を閲覧してみたのですが…。23年は水門の姿は全くなく、36年も梨ノ木水門のみで、この場所に閘門はなかったことがわかり、ちょっとがっかり。昔から、水門を閘門と呼んでしまう例は各地にあったので、まあ、ここもその伝であったということです。

(『福地運河の水門…3』につづく)

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タグ : 福地運河追波川梨ノ木水門

福地運河の水門…1

(『北上運河閘門めぐり…8』のつづき)

石井閘門を最後に北上運河を離れ、国道45号線を急ぎ北上、県道30号線を挟んで、北上川の現河道に沿った形で流れる、福地運河を目指しました。

「福地運河」の名をご存じない方でも、「追波川」といえば、ピンと来る方が多いのではないでしょうか。地図やお役所の公式サイト上でも、この水路の名は追波川とされていますから、本当はそちらが正式名称なのでしょう。

北上川下流部は、古来より幾多の河川改修を受けて流路を変えてきましたが、よく知られているのは、明治44年から着手された大規模な流路変更でしょう。この工事によって、仙台湾に注いでいた北上川は、柳津から開鑿された新河道を経て、かつての追波川を拡幅した新流路へと瀬替えされ、追波湾に注ぐようになりました。

ところが、この改修によってかつての追波川本流が分断され、追波湾~追波川~北上川~石巻の水運ルートが利用できなくなってしまいました。そこで、現北上川の堤防に沿って、現在の福地水門から、以下に紹介する梨ノ木水門まで、新たに掘られた運河が、お題の福地運河です。
(流路の変遷や河川改良については、北上川下流河川事務所の「舟運と改修①」にわかりやすくまとめられています。)

私が、初めて福地運河のことを知ったのは、昨年、月刊誌「世界の艦船」20年5月号掲載の、「福地運河(二俣水路) 知られざるもう一つの宮城県の運河」(大内健二氏)という記事を読んで。
旧ブログでも昨年8月に紹介したので、詳細は省きますが、記事中で大内氏は「(前略)この運河の存在は現在では地元の人々以外にはほとんど知られておらず、まさに幻の運河と呼ぶにふさわしい存在であることに興味が注がれるのである」と思い入れたっぷりの筆致で、一読して大いに興奮させられました。

貞山運河をはじめとする、有名な一連の沿海運河の陰に隠れ、こんな素晴らしい内陸運河が、しかも可航状態を保って(ここ重要。船が走れなければ、こんなに萌えはしなかったでしょう)現存していたなんて! 機会があったら一目でもよいから、見ておきたいと思っていたのです。
そんなわけで、ここは大内氏に敬意を払い、追波川ではなく、通称である福地運河で統一したいと思います。

19046.jpg…前置きが長くなりましたが、そんな暑苦しい思い入れを胸に、激しい雨をついて降り立ったのが、かつての追波川の河道が、旧北上川から分流していた地点にある水門、梨ノ木水門

おなじみ水門写真家・佐藤淳一氏のFloodgates List 11にも収録されているので、そのトタン小屋っぽいスタイルの巻上機室には惹かれていましたが、やはり実物を前にした印象は大違い。壁はサビサビで、橋は補強の足場だらけと、くたびれかたが強烈です

この先梨の木水門老朽化のため大型車通り抜けできません
大型車通行禁止
看板のたたみかけ方を見ると、水門や併設された管理橋が、もはや末期症状と言ってよいほど老朽化して、崩壊寸前なのではと、心配になってしまいます。
撮影地点のMapion地図

19047.jpg
雲は低く垂れ込めて遠方の山並みを見え隠れさせ、雨脚はますます激しく、まさに風雲急を告げるといった言葉、そのままの景色をバックにすると、このただでさえ物々しい鉄骨上のトタン小屋が、何か鬼気迫る迫力をかもし出しているように見え、これまでにない鮮烈な印象。

悪天候でなければ、この表情は拝むことができなかったでしょう。妙なところで、雨降りに感謝する気持ちすら湧いてきました。

19048.jpg雨で濡れて、つるつる滑る法面をへっぴり腰で降りて、水面に近い位置から狙いますが、橋台部分の厚みが結構あり、扉体を眺めることができません。何より暗くて、ディテールがよくわからないのが残念。

一見した限りでは、肉厚でしっかりした感じですが、橋のコンクリート桁に問題があるということなのでしょうか。


19049.jpg反対側から。12月4日からのタイトルでもお見せした側(福地運河側)ですが、扉体のスキンプレートの向きからわかるように、旧北上川からの背水に備えた施設であることが見て取れます。

ここから扉下高を見た限りでは、25ftクラスの艇も通航できそうですね。年間何隻くらいの艇が通るのでしょうか。
扉体が赤く塗られているのも、ちょっと嬉しい点。上に戻って、扉体を観賞してみましょう。

19050.jpg扉体の継ぎ手はリベット組み、裏に走る構造は、最近の水門にくらべると華奢な感じで、さらにローラーは、貨車かキャスターを思わせる突出した軸受けに取り付けられているなど、時代を感じさせる部分が多く、なかなか楽しめました。

北上川下流河川事務所の現場見学案内・河川管理施設によると、昭和30年の竣工、高さ8m・幅8m・長さ13.5mとのこと。見学を申し込めば、係の方が説明してくれるようですね。もしかしたら、巻上機室の中も、見せてくれるのかしら…。


(21年12月3日撮影)

【21年12月15日追記】4段目、「かつての追波川の河道と、新開鑿水路である福地運河の境目にある水門」の下りは間違いでしたので、訂正しました。

(『福地運河の水門…2』につづく)

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タグ : 福地運河追波川梨ノ木水門