英艦「アルビオン」拝見!…4
(『英艦「アルビオン」拝見!…3』のつづき)

●後半部、ヘリコプター甲板はテントが張られていましたが、露天の部分に展示されていたのがこの、2輌連結の装甲車。BvS10バイキングというそうで、初のお目見えだとか、大いに注目を集めたようです。
艦尾近くはウェルドックとて、舷側の上部にはベンチレーターが並んで生えているのが目立ちます。水線下の形状を示す記号を見ると、艦尾側に突出している部材があるのですね。

●艦尾トランサム、重厚なウェルドックの扉を眺めて。全幅28.9mだそうですが、艦尾から見ると幅の広さが実感されます。
その上の英軍艦旗、きれいに広がる瞬間を待っていたのですが、風向きが変わったのか、しばらく待ってもはためくばかり‥‥残念。国旗そのままでない専用の軍艦旗って、あまり見られませんものね。

●右にゆるく舵を切りながら距離を取って、「アルビオン」14,600tの威容を改めて眺めながら、お別れすることに。猛暑にもかかわらず、多くの見学者を迎えて注目度も大きく、船舶関連の夏の話題としても、群を抜いたものがあったように感じられました。
この日はもう一隻、見てみたい船があったのです。これからその船を“捜索”におもむいてみるとしましょう。
(30年8月5日撮影)
(『「エメラルダス」を探して…1』につづく)

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艦尾近くはウェルドックとて、舷側の上部にはベンチレーターが並んで生えているのが目立ちます。水線下の形状を示す記号を見ると、艦尾側に突出している部材があるのですね。


その上の英軍艦旗、きれいに広がる瞬間を待っていたのですが、風向きが変わったのか、しばらく待ってもはためくばかり‥‥残念。国旗そのままでない専用の軍艦旗って、あまり見られませんものね。

●右にゆるく舵を切りながら距離を取って、「アルビオン」14,600tの威容を改めて眺めながら、お別れすることに。猛暑にもかかわらず、多くの見学者を迎えて注目度も大きく、船舶関連の夏の話題としても、群を抜いたものがあったように感じられました。
この日はもう一隻、見てみたい船があったのです。これからその船を“捜索”におもむいてみるとしましょう。
(30年8月5日撮影)
(『「エメラルダス」を探して…1』につづく)

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英艦「アルビオン」拝見!…3
(『英艦「アルビオン」拝見!…2』のつづき)
●英軍艦のハルナンバーにはめったにお目にかかれないので、あだやおろそかにせずしっかり撮っておきたいもの。
均一な太さの線で書かれた細身の文字に、白フチをつけたシンプルですが独特のデザイン。海自のそれに慣れた目には、ずいぶん小さめなサイズに思えました。単に船体が大きかっただけかもしれませんが。

●中央のマスト――煙突を兼ねていたらマックでしょうか――と、空いていたダビット。間口は20m以上はありそうで、いかにも大きな力量を感じさせるものが。フラットの広さから見て、これも下に掲げたように、揚陸艇を搭載する場所なのでしょう。

●一点吊下されていた複合艇。船首から前方へ、長いロープが渡されているところを見ても、何かことがあった際、真っ先に出動できる態勢にあるようです。

●一番興味津々だったのが、この大発‥‥いや違った、英海軍だからLCAでしょうか。まあ、揚陸艇ですね。船首道板近くに備えられた機銃が、実戦的な雰囲気。ホールドにはスライド式のハッチカバーというか、ちゃんと窓のついたハードトップがかぶさって、輸送人員や車輌を、波や雨から保護するようになっているのがいいですね。
何より目を皿のようにして眺めたのが、船底形状です。スケグ様の突出が3つありますね。船首のそれ、喫水からして波をさばくのにはあまり役立っていなそう(ごめんね)なので、ランディング時に浜に突き刺さって姿勢を保持するとか、あと直進性を持たせるためとか。
船尾寄りの2つは、ちょっとビルジキールぽいから、やはり保針と、浅瀬に座り込んだときの“足”の役、つまりハイドロジェットのインテーク(吸込み口)が塞がれないよう、浮かしておく‥‥といったところかしら?
まあ、何ら裏付けはありませんけれど、あれこれと妄想が広がって、実に興味深いカタチじゃないですか! この手のフネで、小さなプレジャー型があったら、欲しくてたまらなくなるでしょうなあ‥‥。
●ちょっと鮮明さを欠いて恐縮ですが、船尾周り、ジェットのディテールがわかるので掲げます。
二つのインテークの間にはもう一つ、平べったいスケグが出っ張っていて、やはりランディング時の閉塞防止を考えたつくりのように思えます。いやー、英海軍版大発(ちがう)は興奮させられますねえ!
(30年8月5日撮影)
(『英艦「アルビオン」拝見!…4』につづく)

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均一な太さの線で書かれた細身の文字に、白フチをつけたシンプルですが独特のデザイン。海自のそれに慣れた目には、ずいぶん小さめなサイズに思えました。単に船体が大きかっただけかもしれませんが。

●中央のマスト――煙突を兼ねていたらマックでしょうか――と、空いていたダビット。間口は20m以上はありそうで、いかにも大きな力量を感じさせるものが。フラットの広さから見て、これも下に掲げたように、揚陸艇を搭載する場所なのでしょう。

●一点吊下されていた複合艇。船首から前方へ、長いロープが渡されているところを見ても、何かことがあった際、真っ先に出動できる態勢にあるようです。

●一番興味津々だったのが、この大発‥‥いや違った、英海軍だからLCAでしょうか。まあ、揚陸艇ですね。船首道板近くに備えられた機銃が、実戦的な雰囲気。ホールドにはスライド式のハッチカバーというか、ちゃんと窓のついたハードトップがかぶさって、輸送人員や車輌を、波や雨から保護するようになっているのがいいですね。
何より目を皿のようにして眺めたのが、船底形状です。スケグ様の突出が3つありますね。船首のそれ、喫水からして波をさばくのにはあまり役立っていなそう(ごめんね)なので、ランディング時に浜に突き刺さって姿勢を保持するとか、あと直進性を持たせるためとか。
船尾寄りの2つは、ちょっとビルジキールぽいから、やはり保針と、浅瀬に座り込んだときの“足”の役、つまりハイドロジェットのインテーク(吸込み口)が塞がれないよう、浮かしておく‥‥といったところかしら?
まあ、何ら裏付けはありませんけれど、あれこれと妄想が広がって、実に興味深いカタチじゃないですか! この手のフネで、小さなプレジャー型があったら、欲しくてたまらなくなるでしょうなあ‥‥。

二つのインテークの間にはもう一つ、平べったいスケグが出っ張っていて、やはりランディング時の閉塞防止を考えたつくりのように思えます。いやー、英海軍版大発(ちがう)は興奮させられますねえ!
(30年8月5日撮影)
(『英艦「アルビオン」拝見!…4』につづく)

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英艦「アルビオン」拝見!…2
(『英艦「アルビオン」拝見!…1』のつづき)
●なかなか出会えない艦ということもあって、やはり記録しておきたいハルナンバー。460番台は、海自初の掃海母艦「はやとも」以来のもので、本艦が3隻目ということになります。
周囲の舷側をよく見てみると、ナンバーを囲むようにして点々とアイが設けられているのがわかりますね。艦首部分はオーバーハングしているため、このアイにロープを通して足場を固定し、舷側やナンバーの塗装作業
をするためです。

●上は左舷後方から全体を見たところ。船体規模にくらべて、広大なヘリコプター甲板が強調され、ドック型揚陸艦によく似た印象を受けます。
スパッと斜めに切り落としたようなトランサムをのぞくと、この艦種の役割が思われて興味を惹かれますね。舷側よりの4つの扉が機雷敷設用、中央の大型のはヘリコプターが曳航する掃海具の搬出入口だそう。

●さて、ご本尊「アルビオン」へ。「うらが」があっさり目に感じられるほど、空中線などの装備が賑やかで、上部構造物も幅いっぱいに広がり、てんこ盛りな第一印象。装載艇が舷外に振り出されているのも見えますね、後で観察してみましょう。
写真の左端、岸壁上には、見学の順番を待つ皆さんで長蛇の列が! 暑いのにご苦労様です。並んでいる最中に退屈しないようにでしょうか、装甲車が展示されているのも見えました。

●ご迷惑をおかけしたらことなので、様子をうかがいながらそろそろと接近。以前、トルコ艦「ゲディズ」寄港時には、フェンスで周囲の水面を大きく囲っていましたが、今回は水線に沿ってフェンスを巡らす程度で、乗り組みの皆さんも慨してフレンドリーでした。
まず目を引かれたのは、艦橋ウィング直下にあった、大小2基の機銃。口径が大きい方は、排莢のためのホースを舷外に長く垂らし、象の鼻のようで遠目にも目立ちました。
(30年8月5日撮影)
(『英艦「アルビオン」拝見!…3』につづく)

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周囲の舷側をよく見てみると、ナンバーを囲むようにして点々とアイが設けられているのがわかりますね。艦首部分はオーバーハングしているため、このアイにロープを通して足場を固定し、舷側やナンバーの塗装作業
をするためです。


スパッと斜めに切り落としたようなトランサムをのぞくと、この艦種の役割が思われて興味を惹かれますね。舷側よりの4つの扉が機雷敷設用、中央の大型のはヘリコプターが曳航する掃海具の搬出入口だそう。

●さて、ご本尊「アルビオン」へ。「うらが」があっさり目に感じられるほど、空中線などの装備が賑やかで、上部構造物も幅いっぱいに広がり、てんこ盛りな第一印象。装載艇が舷外に振り出されているのも見えますね、後で観察してみましょう。
写真の左端、岸壁上には、見学の順番を待つ皆さんで長蛇の列が! 暑いのにご苦労様です。並んでいる最中に退屈しないようにでしょうか、装甲車が展示されているのも見えました。

●ご迷惑をおかけしたらことなので、様子をうかがいながらそろそろと接近。以前、トルコ艦「ゲディズ」寄港時には、フェンスで周囲の水面を大きく囲っていましたが、今回は水線に沿ってフェンスを巡らす程度で、乗り組みの皆さんも慨してフレンドリーでした。
まず目を引かれたのは、艦橋ウィング直下にあった、大小2基の機銃。口径が大きい方は、排莢のためのホースを舷外に長く垂らし、象の鼻のようで遠目にも目立ちました。
(30年8月5日撮影)
(『英艦「アルビオン」拝見!…3』につづく)

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英艦「アルビオン」拝見!…1

以前も触れたように、いつもは低速で流しがちの水路者、ときどきはエンジンの健康を考えて、高回転数で“運動”させてやらねばなりません。おかげさまでまことに快調、23kt超で爽快に飛ばすことができました。

何分この酷暑下のこととて、空気中の高い湿度で薄靄がかかり、何を撮っても締まらないことおびただしいのですが、これは致し方ありません。

●まずは「うらが」から。戦闘艦艇でない、この種の艦にお目にかかれるだけで嬉しいものが。
母艦として掃海用資材をかかえ、さらに機雷敷設艦を兼ねて広大な機雷庫をも有する本艦は、乾舷は高く幅も広い、いわば肥えた船型。同じく収容力重視の「アルビオン」と外見的には釣り合っていて、ホストシップとしてはまことに好適な感じがしたものです。

●お約束の真正面から一枚。風はおおむね真南で、艦首の国旗がきれいに横へなびきました。背後の豊洲にあるビル群の霞み方から、暑さと湿度の高さがわかろうというもの。

●微速で舷側へ出、艦橋とマスト周りを見上げて。海自が遅ればせながら、ステルス効果を意識して造ったマストの、初期のものと記憶しています。
今日の目で見ればずいぶん無骨な感じですが、ヤードもよく見ると角柱断面で、当時なりに気を配った設計だったことがうかがえました。
【撮影地点のMapion地図】
(30年8月5日撮影)
(『英艦「アルビオン」拝見!…2』につづく)

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水雷艇の写真を眺めていたら…
●絵葉書のアルバムを整理していたら、ずいぶん昔に入手した古写真が出てきました。もっともこれは絵葉書ではなく、銘入りの化粧台紙に貼った写真です。写真がまだ貴重だったころ、土産物店や写真館の販売用などとして、かつてはよく見られたやり方ではあります。
●私は昔の海軍艦艇の中でも、特に水雷艇が大好きで、この写真も中央に5隻ずらりと並んだ、水雷艇の姿に惹かれて購入したものです。旧海軍でも明治期に多くの水雷艇が輸入または国内建造され、日清・日露の戦役で大いに活躍したことはご存知のとおり。
前甲板の顕著なタートルバックが特に魅力で、細身の船型とあいまって独特の雰囲気を醸し出し、旧海軍の一部では「鰹節艇」のあだ名で呼ばれたという話も、うなずけるものがあります。

●Torpedohafen. Arthur Renard, Kiel 1893 108×167㎜
●さて、入手した当初は1893という年代と、「キール」の表記から、明治時代にドイツはキール軍港で撮影されたものであろう、というくらいの認識しかなかったのですが、今回改めて眺めてみて、いくつか気になったところが出てきたので、目の前の箱でわかる範囲で調べてみようと思ったのでした。何分ドイツ語やドイツ艦艇には縁遠いもので、間違っていたらごめんなさい。
●まず、台紙枠右端のタイトル「Torpedohafen」。直訳すると「水雷港」になってしまいますが、これは「水雷艇基地」くらいの解釈でよいのでしょうか(今気づいたけれど、右下にツブれた小蠅が‥‥)。
写真左下に焼きこまれたキャプションは1892年、台紙のそれは1893年で1年の違いがありますが、これは撮影年と発行年と考えていいでしょう。どちらにもある銘、「Arthur Renard(アーサー・ルナール?)」が、撮影者の名前だろうと見当をつけて検索したら、幸いにしてすぐにらしいサイトがヒットしました。ありがたやインターネッツ。
●「Cay Jacob Arthur Renard Photograf Kiel Klinke 355」
上記の人物紹介によると、フルネームはCay Jacob Arthur Renardで、生没年は1858~1934、写真と同じくキール出身。艦船を専門に撮っていた写真家だったようですね。詳しいところはその道の専門家にお任せしたいのですが、年代と出身地、被写体から、この写真はルナールさん撮影だ、と脳内で一人決めしたのでした。
とまあ、自分なりに納得がいったところで、改めて仔細に味わってみることに。

●メザシにもやう水雷艇群のアップ。こうした十羽一絡げな繋留法も、いかにも小艦艇といった雰囲気が横溢して、実によいものじゃないですか。
「鰹節」の名のもとになったタートルバックとともに、後の潜水艇みたいな密閉式の司令塔は、つねに波をかぶる水雷艇ならではの外観で、個人的に惹かれるポイント。左から2番目の艇は、後甲板の発射管を旋回させているのがわかります。4隻のマスト、それぞれヤードの形が違うのが気になりました。無電の導入前であれば、セマフォア(腕木信号器)とも思えたのですが、いかがでしょうか。

●水雷艇だけでなく、左奥にもやう大型艦も、これまた魅力的なディテールですね。何しろ並列4本煙突ときていて、兵装はうかがえませんが、パッと見旧清国海軍の「定遠」型甲鉄砲塔艦を、思い起こさせる外観です。そういえば「定遠」も、ドイツで建造されたのでしたね。
これも検索したら、ありがたいことに「ザクセン級装甲艦」(wikipediaより)がヒット。ファイティングトップ(?)とデリックを備えたマスト1本、4本並列煙突とくれば、まず間違いないでしょう。旧海軍の初代「扶桑」みたいな、甲鉄砲郭の角々に主砲を収めた艦だったんだ。いや~いいですねえ、この時代の鉄でよろったフネは。
‥‥さて、今回改めて眺めてみて、目線をひゅっと吸い寄せられたのが、右手前で絵柄が切れてしまっていたコレ!

●何だろうこの艇は。
●外観から、小型の水雷艇のようですが、上部構造物が明るい色で塗装されているのが妙ですね。司令塔‥‥らしいぬめっとした突出部の手前、低いブルワークで囲った凹みがあるのは、砲座でしょうか。何よりキセル形ベンチレーターはあるのに、煙突が見えないのも違和感があります。たまたま撮影時に、外してあっただけかもしれませんが。
いずれにせよ、潜水艇一歩手前のような、極限まで上部構造物のかさを抑えたそのフォルムに、軍艦らしくなさ(!)を感じて目を引かれたのでした。魚雷導入より前、棒の先に爆薬を仕込んだ、いわゆる外装水雷を備えていたころの水雷艇は、敵艦に肉薄するため、極端に低いスタイルを要求されたと聞いていますから、そのたぐいの生き残りかもしれません。
●ともあれ、水雷艇をはじめとした、この時代の軍艦艇には大いに惹かれるものがあり、あれこれ想像するのは楽しいものです。
また明治期の川蒸気船たちも、かようなフネブネと時を同じゅうして生まれ、彼らが引退した後も長きにわたり走り続けたことを考えると、軍艦艇と民間船の置かれた環境の違いもかいま見えて、改めて興味をそそられたことではありました。

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●私は昔の海軍艦艇の中でも、特に水雷艇が大好きで、この写真も中央に5隻ずらりと並んだ、水雷艇の姿に惹かれて購入したものです。旧海軍でも明治期に多くの水雷艇が輸入または国内建造され、日清・日露の戦役で大いに活躍したことはご存知のとおり。
前甲板の顕著なタートルバックが特に魅力で、細身の船型とあいまって独特の雰囲気を醸し出し、旧海軍の一部では「鰹節艇」のあだ名で呼ばれたという話も、うなずけるものがあります。

●Torpedohafen. Arthur Renard, Kiel 1893 108×167㎜
●さて、入手した当初は1893という年代と、「キール」の表記から、明治時代にドイツはキール軍港で撮影されたものであろう、というくらいの認識しかなかったのですが、今回改めて眺めてみて、いくつか気になったところが出てきたので、目の前の箱でわかる範囲で調べてみようと思ったのでした。何分ドイツ語やドイツ艦艇には縁遠いもので、間違っていたらごめんなさい。
●まず、台紙枠右端のタイトル「Torpedohafen」。直訳すると「水雷港」になってしまいますが、これは「水雷艇基地」くらいの解釈でよいのでしょうか(今気づいたけれど、右下にツブれた小蠅が‥‥)。
写真左下に焼きこまれたキャプションは1892年、台紙のそれは1893年で1年の違いがありますが、これは撮影年と発行年と考えていいでしょう。どちらにもある銘、「Arthur Renard(アーサー・ルナール?)」が、撮影者の名前だろうと見当をつけて検索したら、幸いにしてすぐにらしいサイトがヒットしました。ありがたやインターネッツ。
●「Cay Jacob Arthur Renard Photograf Kiel Klinke 355」
上記の人物紹介によると、フルネームはCay Jacob Arthur Renardで、生没年は1858~1934、写真と同じくキール出身。艦船を専門に撮っていた写真家だったようですね。詳しいところはその道の専門家にお任せしたいのですが、年代と出身地、被写体から、この写真はルナールさん撮影だ、と脳内で一人決めしたのでした。
とまあ、自分なりに納得がいったところで、改めて仔細に味わってみることに。

●メザシにもやう水雷艇群のアップ。こうした十羽一絡げな繋留法も、いかにも小艦艇といった雰囲気が横溢して、実によいものじゃないですか。
「鰹節」の名のもとになったタートルバックとともに、後の潜水艇みたいな密閉式の司令塔は、つねに波をかぶる水雷艇ならではの外観で、個人的に惹かれるポイント。左から2番目の艇は、後甲板の発射管を旋回させているのがわかります。4隻のマスト、それぞれヤードの形が違うのが気になりました。無電の導入前であれば、セマフォア(腕木信号器)とも思えたのですが、いかがでしょうか。

●水雷艇だけでなく、左奥にもやう大型艦も、これまた魅力的なディテールですね。何しろ並列4本煙突ときていて、兵装はうかがえませんが、パッと見旧清国海軍の「定遠」型甲鉄砲塔艦を、思い起こさせる外観です。そういえば「定遠」も、ドイツで建造されたのでしたね。
これも検索したら、ありがたいことに「ザクセン級装甲艦」(wikipediaより)がヒット。ファイティングトップ(?)とデリックを備えたマスト1本、4本並列煙突とくれば、まず間違いないでしょう。旧海軍の初代「扶桑」みたいな、甲鉄砲郭の角々に主砲を収めた艦だったんだ。いや~いいですねえ、この時代の鉄でよろったフネは。
‥‥さて、今回改めて眺めてみて、目線をひゅっと吸い寄せられたのが、右手前で絵柄が切れてしまっていたコレ!

●何だろうこの艇は。
●外観から、小型の水雷艇のようですが、上部構造物が明るい色で塗装されているのが妙ですね。司令塔‥‥らしいぬめっとした突出部の手前、低いブルワークで囲った凹みがあるのは、砲座でしょうか。何よりキセル形ベンチレーターはあるのに、煙突が見えないのも違和感があります。たまたま撮影時に、外してあっただけかもしれませんが。
いずれにせよ、潜水艇一歩手前のような、極限まで上部構造物のかさを抑えたそのフォルムに、軍艦らしくなさ(!)を感じて目を引かれたのでした。魚雷導入より前、棒の先に爆薬を仕込んだ、いわゆる外装水雷を備えていたころの水雷艇は、敵艦に肉薄するため、極端に低いスタイルを要求されたと聞いていますから、そのたぐいの生き残りかもしれません。
●ともあれ、水雷艇をはじめとした、この時代の軍艦艇には大いに惹かれるものがあり、あれこれ想像するのは楽しいものです。
また明治期の川蒸気船たちも、かようなフネブネと時を同じゅうして生まれ、彼らが引退した後も長きにわたり走り続けたことを考えると、軍艦艇と民間船の置かれた環境の違いもかいま見えて、改めて興味をそそられたことではありました。

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