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蹴上インクラインふたたび…2

(『蹴上インクラインふたたび…1』のつづき)

159011.jpg床下のぞきの続きで、車輪と台車の一部をアップで一枚。「蹴上インクライン…1」でも触れたように、車輪は両側面にフランジのある溝付き車輪で、軸で結ばれておらず左右は独立しています。バネなど緩衝装置のたぐいは、台車、軸承とも一切備えていません。

お碗状の輪芯に、4つの軽目穴を開けた形状で、見たところ一体鋳造のようですね。よく見ると、輪芯には銘らしい文字が浮き出ているのがわかりますが、残念ながら、何と書いてあるかはわかりませんでした。

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せっかく再訪したのだからと、過去に集めた現役時代の絵葉書と、同じようなアングルで写真をものしてみたくなりました。まず一枚目、南禅寺橋の上から、南禅寺船溜を望んで。

レールが沈みゆく水際には、葦らしい湿地の茂みと桟道が整備されており、かつてをしのぶ気満々の船頭からすると、少々具合の悪い環境です。

正面奥、噴水と重なって見えるカマボコ屋根の建物は、京都市動物園の休憩所である東屋。この建物の敷地には、現役時代は何が建っていたかというと‥‥。

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琵琶湖疏水の再舟航化成るか?」より再掲、「京都疏水【インクライン】」。少し上端が切れてしまっていますが、現在の東屋と同位置、水際の低いところには、こじんまりとした家のような建物が見えますね。

この建物、インクラインの動力室と運転室を兼ねた、いわば心臓部でした。一見したところ、東屋は、敷地はほぼそのまま、かさ上げしたような形で建っているようです。もしかすると、基礎などはそのまま流用したのかも、何か遺跡も残っているかしら‥‥と、期待させてしまうものがあります。

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詳しくは後ほど改めますが、運転室の位置から撮られた絵葉書があったことを思い出し、真正面からインクラインを望んでみたくなって、動物園に入園。目線は昔のそれより、だいぶ高くなってしまいますが、東屋からほぼ満足のいく眺めを得ることができました。

う~ん、申しわけないですけれど、水際が草ぼうぼう(?)なのは、やはり残念な気がしますねえ。インクライン跡を愛でるという意味では、水面に沈みゆく軌道のパートは、いわば肝心かなめの大切な部分。この位置から見ると、まるで放置されて、繁茂する草に呑みこまれつつあるように見えてしまいます。
撮影地点のMapion地図

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こちらが、かつての運転室近くから撮った絵葉書、「(京都名所)京都疏水インクライン」。南禅寺橋、左手の護岸が描く曲面や背割堤と、位置関係はほとんど変わっていません。二枚を見くらべながら目線でなぞってゆくのは、楽しいものですね。

今まさに、左側の軌道を舟を載せた台車が下ってきて、それを見た手前のもう一隻が、入れ替わろうと棹を突いているという、実にいい瞬間をとらえたものですね。右手下、木柵の間から手前に伸びるヒモ状のものは、滑車を経て運転室に至る、エンドレスワイヤーの一部でしょう。背割堤の先端に立つ、着流しカンカン帽の人物がうらやましい‥‥。今はもちろん、立ち入ることはできません。


(26年9月21日撮影)

(『琵琶湖疏水記念館にて…1』に続く)

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タグ : 蹴上インクライン琵琶湖疏水絵葉書・古写真

蹴上インクラインふたたび…1

(『京都・堀川にて』のつづき)

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地下鉄蹴上駅で電車を降り、蹴上インクライン跡へ。「蹴上インクライン…1」以来、5年ぶりの再訪です。

159007.jpg坂の途中に展示されている台車に近づいてみると‥‥、おお、以前とはだいぶ様子が変わりましたね。

台車の周りは、頑丈そうな擬木の柵で囲まれて、ディテールの観察には具合が悪くなっていたものの、台車の上には新たに舟が載せられていたのです! かぶせられた網を透かして、積荷をのぞいてみると、どうやら酒樽‥‥こも被りのようですね。伏見産の酒を想定したのでしょうか。

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線路上によじ登って、上流側正面から見てみると、舟は蹴上船溜のそれ(『蹴上インクライン…3』参照)同様マルコブネ系で、木の肌から見てもまだ新しい感じです。

159009.jpg琵琶湖疏水の再舟航化成るか?」で紹介した昔の絵葉書のように、これが2隻背中合わせに台車に載って、上り下りしたこともあったのでしょう。

台車の反対側に出てみると、説明の看板が立っていました。京都滋賀県人会50周年を記念して、22年3月に寄贈されたものだそう。国内最大の水位差克服施設が、長く顕彰されることを願ってやみません。暗渠区間の舟航計画も、ぜひ実現させていただきたいですね!

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蹴上インクライン…1」の補足になりますが、台車の裏側に備えられた、ラチェット付きドラムをのぞき込んで一枚。台車を牽引するエンドレスワイヤーを、このドラムのプーリーにからめて、ギリギリと締め上げる形でたるみを取ったわけです。

しかし、台枠がこの形だと、ワイヤーの取り回しが難しいというか、不可能なような‥‥。用途廃止後、原形にない補強が入れられたり、本来あったプーリーや金具が、一部取り外されたりしたのかもしれません。
撮影地点のMapion地図

(26年9月21日撮影)

(『蹴上インクラインふたたび…2』に続く)

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タグ : 蹴上インクライン琵琶湖疏水

琵琶湖疏水の再舟航化成るか?


二つのインクラインと幾多の閘門によって水位差を克服し、琵琶湖から京都市街を貫流して、宇治川を経て淀川筋までを一つの舟航路とした、我が国を代表する内陸運河・琵琶湖疏水(『蹴上インクライン…1』~『南禅寺水路閣』参照)。

過去に何度か航路復活のお話はあったようですが、今回の取り組みは本気度が高いようで、近々試験航行があるとのこと。水路バカとしては動悸が高まるお話であります。以下、京都新聞サイトからの記事を引用させていただきましょう。



疏水船復活へ船出 京都、大津両市長が14日に試乗 2013年12月06日 09時20分

昭和20年代まで京都市-大津市間の琵琶湖疏水を行き交った船を観光活用で復活させる計画が、実現に向けて動きだす。過去に復活が検討されたが、安全上の問題で実現しなかった。両市は来年1月までに観光協会を交えた検討チームを設け、トンネルの耐震性などの課題を検討する。

 琵琶湖疏水は明治になって都が東京に移り、人口減少などで沈滞した京都の産業を振興するため、京都府の北垣国道知事が提案した。大津市と東山区の蹴上をつなぐ第1疏水約8キロが1890(明治23)年に完成した。明治期から戦後間もなくまで民間会社による船が往来して旅客や貨物輸送に使われた。しかし、鉄道開通に伴って運航が停止された。

 観光航路としての活用は、大津市の市民団体の要望を受け、1987年に京都府と滋賀県の両知事と京都、大津の両市長が一緒に船で下り、話し合った。ただ、琵琶湖の取水口から蹴上までの区間の約半分がトンネルで、管理する京都市が安全面の課題を挙げ、実現しなかった。

 昨年1月に「京都から観光客を呼び込むルートの創設」を公約に掲げて当選した大津市の越直美市長が京都市の門川大作市長に協議を呼び掛け、再検討が始まることになった。両市長が14日午後、第1疏水で大津市から蹴上まで船に同乗し、現地を確認する。

 検討チームは両市の観光担当課と観光協会、疏水が通る山科区役所、施設を管理する京都市上下水道局でつくる。課題の調整や疏水を生かした地域活性化策を議論する。

 京都市は「外国人技師の力を借りずに成し遂げられた偉業が今に伝える近代ロマンを多くの人々に体感してもらえるように幅広く可能性を探る」とする。



記事でもわかるように、試験航行は現存可航区間の最上流である、大津から蹴上船溜の間。

戦後舟運が途絶して後、市街地の区間は暗渠化や道路改良などにより通船が不可能になって、伏見インクラインも撤去されて久しいとなれば、三栖までの全線復活はもちろん、望むべくもありません。現状のまま船で通れるのは、疏水全体から見れば、ほんの一部に過ぎないともいえます。

しかし、疏水航路の白眉ともいえる、合計4㎞になんなんとする長大トンネルの続く水路を通れるだけでも、思うだに興奮してくるお話ではないでしょうか。

しかもそのトンネルが、明治に造られた装飾豊かなポータルを持つ、レンガの隧道とくれば、興味もいや増そうというもの。国内にも数少ない、「暗渠航路」がご当地の呼び物となる! 


ところで記事中には、試験航行に使う船について触れられていませんでしたが、水路幅も限られ、結構な流れがある疏水を走るとなれば、昔のように棹をついて、というわけにもいかないでしょう。

カディのない機付き和船があてられるものと思われますが、実際にお客さんを乗せて頻発させるとなると、トンネルの多い区間ということもあり、エンジン船では排気が問題になるかもしれません。

以下、例によって妄想ですが、電動船がよいのではないでしょうか。コスト高で馬力不足、かつ重量もあって航続力も限られと、船舶の動力としては魅力の薄い電動モーターですが、音が静かで排気ガスがない、という長所をこれほど生かせる航路は、まず他にないと思われます。

トンネル内に爆音を反響させることなく、また数隻で連なって航行する際にも、後続船に排気の匂いで迷惑をかけることもありません。

もし、この取り組みが成功を納め、さらに航路拡大という話になれば…。やはり妄想してしまうのが、大津閘門、蹴上インクラインも旧に復し、国内最大の水位差克服施設を動態保存するとともに、せめて南禅寺船溜まで、航路を伸ばしていただければ、ということ。

…まあ、妄想は広がるばかりで恐縮ですが、まずは試験航行がつつがなく終わり、お話が良い方向に向かうことを、願ってやみません。

久しぶりに琵琶湖疏水に思いをはせて、昔の絵葉書をいくつか眺めてみたくなりました。舟航華やかなりしころの大津、そして運転中の蹴上インクラインを写した、絵葉書4枚を以下に掲げます。航路として生き生きと躍動していたころの、琵琶湖疏水をイメージする助けになれば幸いです。

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南禅寺水路閣

(『蹴上インクライン…3』のつづき)

15136.jpg蹴上船溜の周囲は、ご覧のとおり疏水第三隧道が口を開け、レンガ造りの重厚な建屋もあるなど見どころが多いのですが、周囲は厳重に高い柵で囲まれており、残念ながら、とてもゆっくり観賞できるような環境ではありません。

もちろん、疏水に人が落ちたりしたらことですから、安全面に気を配るのはわかるのですが、せっかくの素晴らしい建造物が柵越しにしか見られないのは、ちょっと寂しいですね。

15137.jpgさんざんウロウロしたあげく、橋詰のちょっとしたすき間に体を滑り込ませ、視界をさえぎる濡れた枝越しに、なんとか洞門を正面から撮ることができました。

以前読んだ本に、大津から舟で疏水下りをする一文があり、最長2500m近くの隧道がある水路を舟行きできるなんて、なんてうらやましい…と、ため息をついたものです。

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インクラインの魅力に肩まで浸かりすぎて、すっかり時間を喰ってしまいました。これも言わずと知れた疏水の名所、南禅寺境内の水路閣も、一目でいいから見てゆこうと、小走りに坂を下り、息せき切って南禅寺へ。

おおお…! 木立の中に埋もれたような風情の、赤レンガの水路橋。遺跡のような雰囲気ながら、まぎれもなく現役の利水施設であるところが、また素晴らしく感じられます。
撮影地点のMapion地図

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滲み出す石灰分で白くなった、アーチリングの裏や橋脚が、この橋が過ごしてきた星霜と、頭上に流してきた水量を感じさせます。う~ん、走って来てよかった!
四周を圧するレンガの大構造物が、寺社の境内を横切った衝撃は、河上に高速道路が出現したときの比ではなかったでことでしょうね。

そうそう、私、緑に覆われたレンガのアーチ橋というと、思い出さずにはおれない橋があるのです、それはですね…。

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まあ、これも有名すぎる橋なので、あえて名前は出さずにおきますが、子供のころ、この橋を目にしてからですね、土木構造物というのに惹かれはじめたのは…。
初体験がこれだったので、特にレンガというだけで、ピクッと反応してしまう性癖は、いまだに消えることがありません。

そういえば、しばらく行っていないなあ、今でも変わりなく、草深い中にたたずんでいるのかしら。



(21年9月12日撮影)

(『浪花濃厚水路…1』につづく)

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タグ : 蹴上インクライン琵琶湖疏水水路閣

蹴上インクライン…3

(『蹴上インクライン…2』のつづき)

15131.jpg小公園と取水施設の周りをうろついてから、インクラインの軌道敷に戻りました。坂の頂上のあたりには、ご覧のとおり踏切があって、ちょっと驚き。

エンドレスワイヤーを避ける溝がないことから、もちろん、現役当時のものではないのでしょうが、レールはきちんと露出させてあるため、あたかも、昔からあったかのような感じがします。

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サミットを少し過ぎて、蹴上船溜に至る短い下り坂に、今ひとつの台車がありました。背後に見える鉄輪は、かつて蹴上船溜りの水中にあり、エンドレスワイヤーを反転させるために用いられていた、プーリーを展示したもの。

台車に載せられた舟は、先ほど伏見で見た十石舟同様、琵琶湖で用いられた、マルコブネ系の舟でした。江戸時代以来、高瀬川で活躍していた、四角い船首を持った備前系の高瀬舟は、明治になってマルコブネに押され、衰退してしまったのでしょうか。このあたり資料がないので、詳しい方のご教示を給わりたいものです。

15133.jpg台車のかたわらにあった説明板。近代化産業遺産の指定を受けているのですね。

本やサイトなどの、インクラインについての説明を見るにつけ、少々残念に思うのは、挿絵が簡単な縦断面図で済まされている例が少なくなく、インクラインを知らない人に構造を理解してもらうのは、難しいのではないかということでした。
いや、かく言う私も、細部を理解するには、かなり時間がかかりましたので…。ある一枚の絵に出会うまでは…。

15134.jpgええ…以前、旧ブログで、ドイツのヴッパータールにある河上モノレールの表紙画の件で、引っ張り出した月刊「子供の科学」、昭和7年6月号なんですが。

本誌の記事で、「インクラインとは何か」と題した、見開きの彩色図解に出会ったのですが、簡にして要を得た、もう涙が出そうな美しい解説図で、頭の鈍い私にも、一発で細部の構造が飲み込めたほど。
もちろん差し障りがあるのでできませんが、かなうならご覧に入れて、インクラインファンの数を、急上昇させてみたいと思うくらいです。

図解の作者は、大正末から戦後すぐにかけて、少年向け科学図解を多数著された、本間清人氏。氏の図版に魅せられて、古書を蒐集していた部分もあっただけに、水運趣味の横溢する図解の出現は、特に印象深かったのだと思います。

15135.jpg船溜を渡る人道橋、大神宮橋の上から、赤レンガの護岸が美しい、蹴上船溜を眺めて。水面を透かして、底に敷かれたレールを見ることができます。

ここで台車は水中に没し、ふたたび水に浮かんだ…いや、ここは昔風に、泛水(はんすい)した、と言いたいですね…舟は、棹差して隧道をくぐり、琵琶湖に向かったわけですね。

私、艇でインクラインに載ったことがあります…と書くと、妙に思われるかもしれませんが、以前、夏の間だけ世話になっていた三浦半島のマリーナに、上架設備として、短いインクラインがあったのです。

ほんの短距離ながら、サスペンションのない車輪がレールを噛む、ゴロン、ゴロンという硬い振動はかなりのものでしたから、蹴上インクラインのように長距離ともなれば、その乗り心地はスパルタン極まりないものだったでしょう。運ばれているだけとはいえ、船頭さんたちの苦労も、並大抵ではなかっただろう…などと、想像してしまうのです。
撮影地点のMapion地図

(21年9月12日撮影)

(『南禅寺水路閣』につづく)

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タグ : 蹴上インクライン琵琶湖疏水