8月15日の水路風景…7
(『8月15日の水路風景…6』のつづき)

●昨年大晦日の、撤去工事中の光景とくらべてみてください。貴船水門(跡)と異なるのは、管理橋が撤去されず、堰柱の基部も堤防天端とツライチまで切断されなくて、基部が突き出したように残されていること。左右の操作室棟か官舎らしい建物もそのままですが、これは後で取り壊されるのでしょうか。
2水門の撤去が完了したとなると、次は北前堀・南前堀の両水門かしら。ともあれ、お疲れさまでした‥‥合掌。
●こうなると、貴船水門(跡)も何らかの変化があったのでは、と気なります。道々だし当然見てゆくつもりで、ふるさとの浜辺公園にヨーソロで微速のまま直進。この距離から眺めても、浜辺公園は結構な人出であることがわかりますね。
針路上に漂泊中のプレジャーが見えてきたので、舵を少し左に当てて、大森川に寄せつつ進みます。

●水門跡自体は、もう変わりようがないものの、周囲には変化が見られました。径間左、堤防上にあった操作室棟が撤去されていますね。また、堤防手前には石組みの法面が築かれています。単なる水防のみではない、水辺整備の手厚さを見た思いがしたものです。
●2水門のその後を見届けられたこともあり、暑さには閉口しながらも上機嫌。浜辺公園沖の旧防波堤をかすめて北上していたら、その左手から続々とカヤックが現われて、こちらに南下してきました。
見たところ年配者中心のフリートのようでしたが、日焼け対策万全で元気よくパドルを操り、皆さん楽しそうです。再微速まで落とし行逢、手を振って別れました。

●突き当りを右に折れてガスミオ運河へ。視界を圧するのは、南海橋の架け替え工事現場。昨年大晦日の写真とくらべると、「ヒロセ プレガーダー」の様子は変化なし、奥に鋼材の杭列が増えて、足場がさらに拡幅されようとしているようでした。
【撮影地点のMapion地図】
(令和2年8月15日撮影)
(『8月15日の水路風景…8』につづく)

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●昨年大晦日の、撤去工事中の光景とくらべてみてください。貴船水門(跡)と異なるのは、管理橋が撤去されず、堰柱の基部も堤防天端とツライチまで切断されなくて、基部が突き出したように残されていること。左右の操作室棟か官舎らしい建物もそのままですが、これは後で取り壊されるのでしょうか。
2水門の撤去が完了したとなると、次は北前堀・南前堀の両水門かしら。ともあれ、お疲れさまでした‥‥合掌。

針路上に漂泊中のプレジャーが見えてきたので、舵を少し左に当てて、大森川に寄せつつ進みます。

●水門跡自体は、もう変わりようがないものの、周囲には変化が見られました。径間左、堤防上にあった操作室棟が撤去されていますね。また、堤防手前には石組みの法面が築かれています。単なる水防のみではない、水辺整備の手厚さを見た思いがしたものです。

見たところ年配者中心のフリートのようでしたが、日焼け対策万全で元気よくパドルを操り、皆さん楽しそうです。再微速まで落とし行逢、手を振って別れました。

●突き当りを右に折れてガスミオ運河へ。視界を圧するのは、南海橋の架け替え工事現場。昨年大晦日の写真とくらべると、「ヒロセ プレガーダー」の様子は変化なし、奥に鋼材の杭列が増えて、足場がさらに拡幅されようとしているようでした。
【撮影地点のMapion地図】
(令和2年8月15日撮影)
(『8月15日の水路風景…8』につづく)

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令和元年度川走り納め…8
(『令和元年度川走り納め…7』のつづき)

●では、防潮堤工事が完成した船溜の様子を見がてら、貴船水門の追悼通航とまいりましょう。左側、操作室棟がそのまま残されているのが妙ですね。今後の工事でいずれ撤去されるのでしょうか。
径間に入ると、扉体の戸溝の前後に角落しのそれが二た筋づつと、やたらと側壁に切られた溝が目立つ印象。他に視線を奪うディテールが失せたので、致し方ないことではあります。

●旧水門の径間を抜けると、貴船堀の船溜が視界に広がりました。「羽田周辺の船溜めぐり…5」で、平成21年12月13日にここへ入ってから、ちょうど10年ぶりです。
船の配列も以前と異なりますが、何より三方を囲む、天端に柵を連ねた防潮堤の白い肌がまぶしく、変化の大きさに目を見張りました。最奥部、インクライン式の船台を設けたスロープも含めて囲み、堤外地としたのですね。

●行き足が衰えたところで、転回せずそのままギヤを後進に入れ、最微速でゴースターン。星霜を経たコンクリートの肌に、戸溝のみが連なる上空にさえぎるもののない径間、なんとも寂寥感あふれる光景で、“廃水門風景”とでも名付けたくなるくらいです。
思えば、廃された水門をいくつか目にしてきましたが、堰柱のみスッパリと切り取られて、堤体周りはほぼそのまま、というパターンは水郷十六島の扇島閘門(『さようなら、扇島閘門…3』参照)以来でしょうか。
●径間の側壁を間近で、改めて。扉体の戸溝に光るステンレスの質感が、なおさら寂しさを誘います。
人は死して名を残す、の伝でいけば、水門は死して戸溝を残す‥‥といったところでしょうか。ともあれ、長らくのお勤め、お疲れさまでした。
【撮影地点のMapion地図】
(元年12月31日撮影)
(『令和元年度川走り納め…9』につづく)

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径間に入ると、扉体の戸溝の前後に角落しのそれが二た筋づつと、やたらと側壁に切られた溝が目立つ印象。他に視線を奪うディテールが失せたので、致し方ないことではあります。

●旧水門の径間を抜けると、貴船堀の船溜が視界に広がりました。「羽田周辺の船溜めぐり…5」で、平成21年12月13日にここへ入ってから、ちょうど10年ぶりです。
船の配列も以前と異なりますが、何より三方を囲む、天端に柵を連ねた防潮堤の白い肌がまぶしく、変化の大きさに目を見張りました。最奥部、インクライン式の船台を設けたスロープも含めて囲み、堤外地としたのですね。

●行き足が衰えたところで、転回せずそのままギヤを後進に入れ、最微速でゴースターン。星霜を経たコンクリートの肌に、戸溝のみが連なる上空にさえぎるもののない径間、なんとも寂寥感あふれる光景で、“廃水門風景”とでも名付けたくなるくらいです。
思えば、廃された水門をいくつか目にしてきましたが、堰柱のみスッパリと切り取られて、堤体周りはほぼそのまま、というパターンは水郷十六島の扇島閘門(『さようなら、扇島閘門…3』参照)以来でしょうか。

人は死して名を残す、の伝でいけば、水門は死して戸溝を残す‥‥といったところでしょうか。ともあれ、長らくのお勤め、お疲れさまでした。
【撮影地点のMapion地図】
(元年12月31日撮影)
(『令和元年度川走り納め…9』につづく)

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令和元年度川走り納め…7
(『令和元年度川走り納め…6』のつづき)
●大森東避難橋が見えるところまで来ると、左手にはクレーン船がおり、奥の右手にはバージらしき2隻と、工事中の雰囲気濃厚。
なぜこちらに入ったかというと、以前、この周辺の水門たちを、廃止する方向で話が進んでいることを知り、もしかしたら‥‥と胸騒ぎを覚えておもむいたというわけ。クレーン船のいるあたりは、呑川水門があるところ。もう始まっているのか‥‥。

●ああ、やはり‥‥。
呑川水門、すでに巻上機と扉体が撤去され、堰柱にも足場がかかって、取り壊す準備が進んでいました。
もうちょっと近づいて眺めたくはあったのですが、見通しが悪く奥の状況がよく見えなかったので、ズームでたぐってスナップし、がまんすることに。ちなみにクレーン船の船名はわかりませんでしたが、甲板室に「湘南洋光建機」という社名が読めました。

●こうなると、昭和島の対面にあるいま一つの水門、貴船水門がどうなったか気になります。大森東避難橋をくぐって微速前進。
●‥‥ええ、余計なことというか、個人的な好みではありますが‥‥。大森東避難橋の字の割り付け、いかに構造の制約があるとはいえ、PCのベタ出力そのままで、すごく違和感があるんですがいかがでしょう。
せめて写植でいう平1くらいをかけて目線の流れをよくし、コンマと7の間はツメたいものだと勝手に一人ごち。橋のような恒久構造物は、向こう何十年か人目にさらされるのですから、このあたりもお気遣いをいただけると、橋への愛着も違うものになると愚考するのですが(偉そうだ)。
●土運船のかたわらをかすめながら一枚。結構な大きさですが、取り外した扉体や機器類、堰柱などの廃材を運ぶためにもやっているのでしょうか。
2隻とも、旧綾瀬川でおなじみ、伊澤造船の持ち船でした。今考えてみると、ドローンなどで高いところから見下ろせたら、呑川水門の扉体やらが積んであるのを見られたかもしれません。

●あああ、きれいさっぱり撤去済み。
というわけで、遅きに失した訪問となってしまいました。貴船水門さん、お疲れさまでした‥‥合掌。
船溜を囲繞する堤防も竣工しているようだし、ここは供養を兼ねて通航してみるとしましょう。
【撮影地点のMapion地図】
●以下、頭の中の整理も兼ねておさらいのメモ書き。
防潮堤整備にともなう水門撤去の動きについては、3年前「8月13日の川景色…2」で紹介したPDF議事録「東京港の津波・高潮対策について 質疑」(鈴木晶雅前都議会議員HPより)で知りました。この議事録で、南前堀、北前堀、呑川、貴船の各水門を地元で「港南4水門」と呼んでいることがわかったのは収穫でしたねえ。
さておき、4水門とも廃止の方向ではあるものの、北前堀は橋があり陸閘が設けられているため、この時点では少し手間取りそうな書き方で、他は防潮堤の竣工を待って順次撤去、という手順であることが判明。検索の仕方が悪いのか、これ以上詳しい情報には当たったことがありません。
貴船・呑川両水門はご覧のとおりなのでおくとして、次点の南前堀水門の今後は、と検索してみたところ、「平成30年度南前堀水門取付堤撤去設計(その2)」なる入札結果情報が。タイトルからしてどうやら、水門本体の撤去ではなさそうですが、議事録に書かれていたとおり、南前堀水門にも順番が迫ってきたことを感じさせますね。
(元年12月31日撮影)
(『令和元年度川走り納め…8』につづく)

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なぜこちらに入ったかというと、以前、この周辺の水門たちを、廃止する方向で話が進んでいることを知り、もしかしたら‥‥と胸騒ぎを覚えておもむいたというわけ。クレーン船のいるあたりは、呑川水門があるところ。もう始まっているのか‥‥。

●ああ、やはり‥‥。
呑川水門、すでに巻上機と扉体が撤去され、堰柱にも足場がかかって、取り壊す準備が進んでいました。
もうちょっと近づいて眺めたくはあったのですが、見通しが悪く奥の状況がよく見えなかったので、ズームでたぐってスナップし、がまんすることに。ちなみにクレーン船の船名はわかりませんでしたが、甲板室に「湘南洋光建機」という社名が読めました。

●こうなると、昭和島の対面にあるいま一つの水門、貴船水門がどうなったか気になります。大森東避難橋をくぐって微速前進。
●‥‥ええ、余計なことというか、個人的な好みではありますが‥‥。大森東避難橋の字の割り付け、いかに構造の制約があるとはいえ、PCのベタ出力そのままで、すごく違和感があるんですがいかがでしょう。
せめて写植でいう平1くらいをかけて目線の流れをよくし、コンマと7の間はツメたいものだと勝手に一人ごち。橋のような恒久構造物は、向こう何十年か人目にさらされるのですから、このあたりもお気遣いをいただけると、橋への愛着も違うものになると愚考するのですが(偉そうだ)。

2隻とも、旧綾瀬川でおなじみ、伊澤造船の持ち船でした。今考えてみると、ドローンなどで高いところから見下ろせたら、呑川水門の扉体やらが積んであるのを見られたかもしれません。

●あああ、きれいさっぱり撤去済み。
というわけで、遅きに失した訪問となってしまいました。貴船水門さん、お疲れさまでした‥‥合掌。
船溜を囲繞する堤防も竣工しているようだし、ここは供養を兼ねて通航してみるとしましょう。
【撮影地点のMapion地図】
●以下、頭の中の整理も兼ねておさらいのメモ書き。
防潮堤整備にともなう水門撤去の動きについては、3年前「8月13日の川景色…2」で紹介したPDF議事録「東京港の津波・高潮対策について 質疑」(鈴木晶雅前都議会議員HPより)で知りました。この議事録で、南前堀、北前堀、呑川、貴船の各水門を地元で「港南4水門」と呼んでいることがわかったのは収穫でしたねえ。
さておき、4水門とも廃止の方向ではあるものの、北前堀は橋があり陸閘が設けられているため、この時点では少し手間取りそうな書き方で、他は防潮堤の竣工を待って順次撤去、という手順であることが判明。検索の仕方が悪いのか、これ以上詳しい情報には当たったことがありません。
貴船・呑川両水門はご覧のとおりなのでおくとして、次点の南前堀水門の今後は、と検索してみたところ、「平成30年度南前堀水門取付堤撤去設計(その2)」なる入札結果情報が。タイトルからしてどうやら、水門本体の撤去ではなさそうですが、議事録に書かれていたとおり、南前堀水門にも順番が迫ってきたことを感じさせますね。
(元年12月31日撮影)
(『令和元年度川走り納め…8』につづく)

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8月13日の川景色…2
(『8月13日の川景色…1』のつづき)

●道々の落ち穂拾い、つづき。おなじみ羽田可動橋の北側桁を一枚。色褪せた側面が、雲の多い空に埋もれがちでいま一つでしたが、長らく使われていない割には、表面に錆が流れているとか、塗装が剥離しているなどの痛々しさがあまりなく、不思議なところではあります。

●連結面(?)のアップ。見たところ、枠の上にある3つの装置から、油圧で棒が突き出してロックする機構のようですね。下に点検用らしいマンホールや、ランボードも見えます。
フェンスや防音壁など相応に古びてはいるものの、海に近く、潮風にさらされるご当地だけに、あまり傷みが見られないのはなぜでしょう。定期的に最低限の手入れはされているのでしょうか。
●平和島運河に入り、呑川水門の見えるあたりまで来ると‥‥。あらら、しばらく訪ねなかったら、えらい変わりようですね。
左右に鋼矢板で防波堤(?)を作った中に、繋留杭が打たれて桟橋も備えられ、暫定繋留施設のようなものができていました。

●繋留施設は水門の正面を塞ぐように設けられ、出入りができないとはいわないまでも、近づきがたい印象に。
水門の右側、「防潮堤工事中につき‥‥」なる横断幕が掲げられ、水門の中もなるほど工事中の雰囲気。鋼矢板の防波堤が、いかにもとってつけたような、仮設らしい感じだったことから、工事中のみ中にいた繋留艇を外に出した、というように見受けましたが、どうなんでしょう。それともいよいよ、水路が埋め立てられて、水門も廃止されるのかしら?
●お隣の貴船水門前にも、同様の繋留施設が設けられていました。ただ、水門内の工事は終わっているようで、白い肌のコンクリート堤防と、繋留艇の姿も見えましたから、埋め立てるというわけではなさそう‥‥。
先ほど訪ねた南前堀と同じ伝で、水門内の防潮堤を増高・強化し、万が一水門が閉鎖できないときも、内水の堤防が高潮を食い止めるようにする、というパターンのようですね。
【撮影地点のMapion地図】
●‥‥と一人合点して、すっかり安心していたら、帰宅後に冷や水を浴びせかけるようなPDFを発見してしまいました!
「東京港の津波・高潮対策について 質疑」(鈴木晶雅前都議会議員HPより)
「いわゆる『港南4水門』は、背後の水域が行き止まりで、開閉操作を伴う水門を存続させる必要性が薄れており、新たな整備計画では、4水門を廃止し防潮堤を整備していくこととしている。」
●詳しくはリンク先をお読みいただきたいのですが、ええと、水門だけ廃止して、内水の防潮堤を高める‥‥という意味でいいんですよね? 水路を埋め立てて、完全消滅させるということではないですよね?
いや、残念なことには変わりないですが、ヒヤリとしたいうか、ちょっと安心したというか。というわけで、羽田周辺で独特の魅力を醸し出していた、港湾局管轄下の小水門群、お別れのときが近づいてきたようです。
(29年8月13日撮影)
(『8月13日の川景色…3』につづく)

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●道々の落ち穂拾い、つづき。おなじみ羽田可動橋の北側桁を一枚。色褪せた側面が、雲の多い空に埋もれがちでいま一つでしたが、長らく使われていない割には、表面に錆が流れているとか、塗装が剥離しているなどの痛々しさがあまりなく、不思議なところではあります。

●連結面(?)のアップ。見たところ、枠の上にある3つの装置から、油圧で棒が突き出してロックする機構のようですね。下に点検用らしいマンホールや、ランボードも見えます。
フェンスや防音壁など相応に古びてはいるものの、海に近く、潮風にさらされるご当地だけに、あまり傷みが見られないのはなぜでしょう。定期的に最低限の手入れはされているのでしょうか。

左右に鋼矢板で防波堤(?)を作った中に、繋留杭が打たれて桟橋も備えられ、暫定繋留施設のようなものができていました。

●繋留施設は水門の正面を塞ぐように設けられ、出入りができないとはいわないまでも、近づきがたい印象に。
水門の右側、「防潮堤工事中につき‥‥」なる横断幕が掲げられ、水門の中もなるほど工事中の雰囲気。鋼矢板の防波堤が、いかにもとってつけたような、仮設らしい感じだったことから、工事中のみ中にいた繋留艇を外に出した、というように見受けましたが、どうなんでしょう。それともいよいよ、水路が埋め立てられて、水門も廃止されるのかしら?

先ほど訪ねた南前堀と同じ伝で、水門内の防潮堤を増高・強化し、万が一水門が閉鎖できないときも、内水の堤防が高潮を食い止めるようにする、というパターンのようですね。
【撮影地点のMapion地図】
●‥‥と一人合点して、すっかり安心していたら、帰宅後に冷や水を浴びせかけるようなPDFを発見してしまいました!
「東京港の津波・高潮対策について 質疑」(鈴木晶雅前都議会議員HPより)
「いわゆる『港南4水門』は、背後の水域が行き止まりで、開閉操作を伴う水門を存続させる必要性が薄れており、新たな整備計画では、4水門を廃止し防潮堤を整備していくこととしている。」
●詳しくはリンク先をお読みいただきたいのですが、ええと、水門だけ廃止して、内水の防潮堤を高める‥‥という意味でいいんですよね? 水路を埋め立てて、完全消滅させるということではないですよね?
いや、残念なことには変わりないですが、ヒヤリとしたいうか、ちょっと安心したというか。というわけで、羽田周辺で独特の魅力を醸し出していた、港湾局管轄下の小水門群、お別れのときが近づいてきたようです。
(29年8月13日撮影)
(『8月13日の川景色…3』につづく)

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羽田周辺の船溜めぐり…5
(『羽田周辺の船溜めぐり…4』のつづき)
●船溜の例に漏れず、各船のオーナーが、思い思いに桟橋をあつらえてもやっているのですが、ほとんどは価格・耐久性の点からでしょうか、工事の足場に使われるような鉄パイプ組みのもの。
この桟橋、主構造(?)は鉄パイプながら、手すりや歩み板は木製で、なかなかの雰囲気。一見、やっつけたような造作に見えますが、個人で桟橋を組み上げるのは、結構大変なのでしょうね。
私が桟橋を持てる身分になったら…。木製の簡易トラス構造に、チェーンブロックで上下するドルフィンが釣ってあるとか、マニアな桟橋にしてみたい…、などと、妄想してしまいました。

●縦列繋船のお陰か、はたまた貴船堀に歓迎されているのか、すんなりと奥まで来ることができました。堀の周りは、意外に人通りが多く、また北側には木立があって、悪くない雰囲気です。
もやうフネブネは、漁船とプレジャー型が、半々くらいでしょうか。
●旧呑川船溜では、最奥部の写真がブレブレでお見せできなかったので、ここでようやくご覧に入れられます。砂地のままのスロープに、インクライン式船台の線路が一組設けてあるのは、北前堀、旧呑川と同様です。
手前の水面にフェンスが張られているのは、ゴミの漂着を防止するためでしょうか。船台の背後も金網で囲まれて、陸上からも、自由に出入りできる感じではなさそうですね。
●貴船堀を出て、みたび平和島運河に戻り、最後の目的地へ。フェンスと澪標に囲まれた、「ふるさとの浜辺公園」の水面に沿って進みます。
前回触れた国土変遷アーカイブの航空写真、「USA-M376-44」を見ると、写真右に見えるコンクリート堤は、防波堤として造られたものだったことがわかります。現在の大森グラウンドに、かつて東京ガスの工場があった際、この防波堤の内側を、横付けする船舶の船溜としていたのですね。今は堤内側に砂洲ができて、トリさんの社交場になっているようです。
●そうそう、京浜運河と、この平和島運河をつなぐ水路、「ガスミオ運河」なる変わった名前がついていますが、これも東京ガスの工場に出入りする船のために、浅瀬を浚渫して造った澪筋(ガス澪)が、その由来のようですね。
これも先の航空写真で、澪筋を確認することができます。いや~、昔の写真を見ていると、埋め立ての歴史が髣髴されて、興味が尽きないなあ…。
●昭和島西岸では、クレーン船が出て、護岸工事中のようです。水辺を見ると、真新しい石積みの法面護岸を構築中。
浜辺公園の対岸と言うこともあり、公園からの視界に入るここを、体裁よく修景するための工事なのでしょう。風波から守られた広い水面であることも手伝って、プレジャーボートの皆さんにも、眺めのよい泊地として、いずれ人気が出るかもしれません。
(21年12月13日撮影)
(『羽田周辺の船溜めぐり…6』につづく)

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この桟橋、主構造(?)は鉄パイプながら、手すりや歩み板は木製で、なかなかの雰囲気。一見、やっつけたような造作に見えますが、個人で桟橋を組み上げるのは、結構大変なのでしょうね。
私が桟橋を持てる身分になったら…。木製の簡易トラス構造に、チェーンブロックで上下するドルフィンが釣ってあるとか、マニアな桟橋にしてみたい…、などと、妄想してしまいました。

●縦列繋船のお陰か、はたまた貴船堀に歓迎されているのか、すんなりと奥まで来ることができました。堀の周りは、意外に人通りが多く、また北側には木立があって、悪くない雰囲気です。
もやうフネブネは、漁船とプレジャー型が、半々くらいでしょうか。

手前の水面にフェンスが張られているのは、ゴミの漂着を防止するためでしょうか。船台の背後も金網で囲まれて、陸上からも、自由に出入りできる感じではなさそうですね。

前回触れた国土変遷アーカイブの航空写真、「USA-M376-44」を見ると、写真右に見えるコンクリート堤は、防波堤として造られたものだったことがわかります。現在の大森グラウンドに、かつて東京ガスの工場があった際、この防波堤の内側を、横付けする船舶の船溜としていたのですね。今は堤内側に砂洲ができて、トリさんの社交場になっているようです。
●そうそう、京浜運河と、この平和島運河をつなぐ水路、「ガスミオ運河」なる変わった名前がついていますが、これも東京ガスの工場に出入りする船のために、浅瀬を浚渫して造った澪筋(ガス澪)が、その由来のようですね。
これも先の航空写真で、澪筋を確認することができます。いや~、昔の写真を見ていると、埋め立ての歴史が髣髴されて、興味が尽きないなあ…。

浜辺公園の対岸と言うこともあり、公園からの視界に入るここを、体裁よく修景するための工事なのでしょう。風波から守られた広い水面であることも手伝って、プレジャーボートの皆さんにも、眺めのよい泊地として、いずれ人気が出るかもしれません。
(21年12月13日撮影)
(『羽田周辺の船溜めぐり…6』につづく)

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