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令和元年度川走り納め…8

(『令和元年度川走り納め…7』のつづき)

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245037.jpgでは、防潮堤工事が完成した船溜の様子を見がてら、貴船水門の追悼通航とまいりましょう。左側、操作室棟がそのまま残されているのが妙ですね。今後の工事でいずれ撤去されるのでしょうか。

径間に入ると、扉体の戸溝の前後に角落しのそれが二た筋づつと、やたらと側壁に切られた溝が目立つ印象。他に視線を奪うディテールが失せたので、致し方ないことではあります。

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旧水門の径間を抜けると、貴船堀の船溜が視界に広がりました。「羽田周辺の船溜めぐり…5」で、平成21年12月13日にここへ入ってから、ちょうど10年ぶりです。

船の配列も以前と異なりますが、何より三方を囲む、天端に柵を連ねた防潮堤の白い肌がまぶしく、変化の大きさに目を見張りました。最奥部、インクライン式の船台を設けたスロープも含めて囲み、堤外地としたのですね。

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行き足が衰えたところで、転回せずそのままギヤを後進に入れ、最微速でゴースターン。星霜を経たコンクリートの肌に、戸溝のみが連なる上空にさえぎるもののない径間、なんとも寂寥感あふれる光景で、“廃水門風景”とでも名付けたくなるくらいです。

思えば、廃された水門をいくつか目にしてきましたが、堰柱のみスッパリと切り取られて、堤体周りはほぼそのまま、というパターンは水郷十六島の扇島閘門(『さようなら、扇島閘門…3』参照)以来でしょうか。

245040.jpg径間の側壁を間近で、改めて。扉体の戸溝に光るステンレスの質感が、なおさら寂しさを誘います。

人は死して名を残す、の伝でいけば、水門は死して戸溝を残す‥‥といったところでしょうか。ともあれ、長らくのお勤め、お疲れさまでした。
撮影地点のMapion地図

(元年12月31日撮影)

(『令和元年度川走り納め…9』につづく)

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タグ : 貴船堀 平和島運河 貴船水門

令和元年度川走り納め…7

(『令和元年度川走り納め…6』のつづき)

245031.jpg大森東避難橋が見えるところまで来ると、左手にはクレーン船がおり、奥の右手にはバージらしき2隻と、工事中の雰囲気濃厚。

なぜこちらに入ったかというと、以前、この周辺の水門たちを、廃止する方向で話が進んでいることを知り、もしかしたら‥‥と胸騒ぎを覚えておもむいたというわけ。クレーン船のいるあたりは、呑川水門があるところ。もう始まっているのか‥‥。

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ああ、やはり‥‥。
呑川水門、すでに巻上機と扉体が撤去され、堰柱にも足場がかかって、取り壊す準備が進んでいました。

もうちょっと近づいて眺めたくはあったのですが、見通しが悪く奥の状況がよく見えなかったので、ズームでたぐってスナップし、がまんすることに。ちなみにクレーン船の船名はわかりませんでしたが、甲板室に「湘南洋光建機」という社名が読めました。

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こうなると、昭和島の対面にあるいま一つの水門、貴船水門がどうなったか気になります。大森東避難橋をくぐって微速前進。

‥‥ええ、余計なことというか、個人的な好みではありますが‥‥。大森東避難橋の字の割り付け、いかに構造の制約があるとはいえ、PCのベタ出力そのままで、すごく違和感があるんですがいかがでしょう。

せめて写植でいう平1くらいをかけて目線の流れをよくし、コンマと7の間はツメたいものだと勝手に一人ごち。橋のような恒久構造物は、向こう何十年か人目にさらされるのですから、このあたりもお気遣いをいただけると、橋への愛着も違うものになると愚考するのですが(偉そうだ)。

245034.jpg土運船のかたわらをかすめながら一枚。結構な大きさですが、取り外した扉体や機器類、堰柱などの廃材を運ぶためにもやっているのでしょうか。

2隻とも、旧綾瀬川でおなじみ、伊澤造船の持ち船でした。今考えてみると、ドローンなどで高いところから見下ろせたら、呑川水門の扉体やらが積んであるのを見られたかもしれません。


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あああ、きれいさっぱり撤去済み。
というわけで、遅きに失した訪問となってしまいました。貴船水門さん、お疲れさまでした‥‥合掌。
船溜を囲繞する堤防も竣工しているようだし、ここは供養を兼ねて通航してみるとしましょう。
撮影地点のMapion地図

以下、頭の中の整理も兼ねておさらいのメモ書き。
防潮堤整備にともなう水門撤去の動きについては、3年前「8月13日の川景色…2」で紹介したPDF議事録「東京港の津波・高潮対策について 質疑」(鈴木晶雅前都議会議員HPより)で知りました。この議事録で、南前堀、北前堀、呑川、貴船の各水門を地元で「港南4水門」と呼んでいることがわかったのは収穫でしたねえ。

さておき、4水門とも廃止の方向ではあるものの、北前堀は橋があり陸閘が設けられているため、この時点では少し手間取りそうな書き方で、他は防潮堤の竣工を待って順次撤去、という手順であることが判明。検索の仕方が悪いのか、これ以上詳しい情報には当たったことがありません。

貴船・呑川両水門はご覧のとおりなのでおくとして、次点の南前堀水門の今後は、と検索してみたところ、「平成30年度南前堀水門取付堤撤去設計(その2)」なる入札結果情報が。タイトルからしてどうやら、水門本体の撤去ではなさそうですが、議事録に書かれていたとおり、南前堀水門にも順番が迫ってきたことを感じさせますね。

(元年12月31日撮影)

(『令和元年度川走り納め…8』につづく)

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タグ : 平和島運河 呑川水門 貴船水門 クレーン船

8月13日の川景色…2

(『8月13日の川景色…1』のつづき)

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道々の落ち穂拾い、つづき。おなじみ羽田可動橋の北側桁を一枚。色褪せた側面が、雲の多い空に埋もれがちでいま一つでしたが、長らく使われていない割には、表面に錆が流れているとか、塗装が剥離しているなどの痛々しさがあまりなく、不思議なところではあります。

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連結面(?)のアップ。見たところ、枠の上にある3つの装置から、油圧で棒が突き出してロックする機構のようですね。下に点検用らしいマンホールや、ランボードも見えます。

フェンスや防音壁など相応に古びてはいるものの、海に近く、潮風にさらされるご当地だけに、あまり傷みが見られないのはなぜでしょう。定期的に最低限の手入れはされているのでしょうか。

209088.jpg平和島運河に入り、呑川水門の見えるあたりまで来ると‥‥。あらら、しばらく訪ねなかったら、えらい変わりようですね。

左右に鋼矢板で防波堤(?)を作った中に、繋留杭が打たれて桟橋も備えられ、暫定繋留施設のようなものができていました。



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繋留施設は水門の正面を塞ぐように設けられ、出入りができないとはいわないまでも、近づきがたい印象に。

水門の右側、「防潮堤工事中につき‥‥」なる横断幕が掲げられ、水門の中もなるほど工事中の雰囲気。鋼矢板の防波堤が、いかにもとってつけたような、仮設らしい感じだったことから、工事中のみ中にいた繋留艇を外に出した、というように見受けましたが、どうなんでしょう。それともいよいよ、水路が埋め立てられて、水門も廃止されるのかしら?

209090.jpgお隣の貴船水門前にも、同様の繋留施設が設けられていました。ただ、水門内の工事は終わっているようで、白い肌のコンクリート堤防と、繋留艇の姿も見えましたから、埋め立てるというわけではなさそう‥‥。

先ほど訪ねた南前堀と同じ伝で、水門内の防潮堤を増高・強化し、万が一水門が閉鎖できないときも、内水の堤防が高潮を食い止めるようにする、というパターンのようですね。
撮影地点のMapion地図

‥‥と一人合点して、すっかり安心していたら、帰宅後に冷や水を浴びせかけるようなPDFを発見してしまいました!
東京港の津波・高潮対策について 質疑」(鈴木晶雅前都議会議員HPより)

いわゆる『港南4水門』は、背後の水域が行き止まりで、開閉操作を伴う水門を存続させる必要性が薄れており、新たな整備計画では、4水門を廃止し防潮堤を整備していくこととしている。

詳しくはリンク先をお読みいただきたいのですが、ええと、水門だけ廃止して、内水の防潮堤を高める‥‥という意味でいいんですよね? 水路を埋め立てて、完全消滅させるということではないですよね? 

いや、残念なことには変わりないですが、ヒヤリとしたいうか、ちょっと安心したというか。というわけで、羽田周辺で独特の魅力を醸し出していた、港湾局管轄下の小水門群、お別れのときが近づいてきたようです。

(29年8月13日撮影)

(『8月13日の川景色…3』につづく)

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タグ : 海老取運河 平和島運河 羽田可動橋 呑川水門 貴船水門

羽田周辺の船溜めぐり…5

(『羽田周辺の船溜めぐり…4』のつづき)

20066.jpg船溜の例に漏れず、各船のオーナーが、思い思いに桟橋をあつらえてもやっているのですが、ほとんどは価格・耐久性の点からでしょうか、工事の足場に使われるような鉄パイプ組みのもの。

この桟橋、主構造(?)は鉄パイプながら、手すりや歩み板は木製で、なかなかの雰囲気。一見、やっつけたような造作に見えますが、個人で桟橋を組み上げるのは、結構大変なのでしょうね。
私が桟橋を持てる身分になったら…。木製の簡易トラス構造に、チェーンブロックで上下するドルフィンが釣ってあるとか、マニアな桟橋にしてみたい…、などと、妄想してしまいました。

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縦列繋船のお陰か、はたまた貴船堀に歓迎されているのか、すんなりと奥まで来ることができました。堀の周りは、意外に人通りが多く、また北側には木立があって、悪くない雰囲気です。

もやうフネブネは、漁船とプレジャー型が、半々くらいでしょうか。

20068.jpg旧呑川船溜では、最奥部の写真がブレブレでお見せできなかったので、ここでようやくご覧に入れられます。砂地のままのスロープに、インクライン式船台の線路が一組設けてあるのは、北前堀、旧呑川と同様です。

手前の水面にフェンスが張られているのは、ゴミの漂着を防止するためでしょうか。船台の背後も金網で囲まれて、陸上からも、自由に出入りできる感じではなさそうですね。

20069.jpg貴船堀を出て、みたび平和島運河に戻り、最後の目的地へ。フェンスと澪標に囲まれた、「ふるさとの浜辺公園」の水面に沿って進みます。

前回触れた国土変遷アーカイブの航空写真、「USA-M376-44」を見ると、写真右に見えるコンクリート堤は、防波堤として造られたものだったことがわかります。現在の大森グラウンドに、かつて東京ガスの工場があった際、この防波堤の内側を、横付けする船舶の船溜としていたのですね。今は堤内側に砂洲ができて、トリさんの社交場になっているようです。

そうそう、京浜運河と、この平和島運河をつなぐ水路、「ガスミオ運河」なる変わった名前がついていますが、これも東京ガスの工場に出入りする船のために、浅瀬を浚渫して造った澪筋(ガス澪)が、その由来のようですね。
これも先の航空写真で、澪筋を確認することができます。いや~、昔の写真を見ていると、埋め立ての歴史が髣髴されて、興味が尽きないなあ…。

20070.jpg昭和島西岸では、クレーン船が出て、護岸工事中のようです。水辺を見ると、真新しい石積みの法面護岸を構築中。

浜辺公園の対岸と言うこともあり、公園からの視界に入るここを、体裁よく修景するための工事なのでしょう。風波から守られた広い水面であることも手伝って、プレジャーボートの皆さんにも、眺めのよい泊地として、いずれ人気が出るかもしれません。


(21年12月13日撮影)

(『羽田周辺の船溜めぐり…6』につづく)

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タグ : 貴船堀 平和島運河 貴船水門

羽田周辺の船溜めぐり…4

(『羽田周辺の船溜めぐり…3』のつづき)

20061.jpgふたたび平和島運河に出て、どんより曇った空の下を北上。前方には、「大森ふるさとの浜辺公園」の砂浜が、白く見えてきました。

次に目指す船溜は、あの砂浜の南端近くにあります。



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貴船水門前に到着。…同じような水門ばかり見せられて、そろそろウンザリしてきたころかもしれませんが、アンテナのあるなしとか、階段のつけどころとか、細かい部分の違いを、よろしくお楽しみいただきたく…。

ここ貴船堀も、大部分が埋め立てられたという点では、他の船溜と変わりありませんが、かつての形はなかなか個性的でした。
国土変遷アーカイブの航空写真に、かつての堀の形が写っています。昭和22年撮影の「USA-M376-44」(200dpiでご覧ください)の写真左上、弓なりに反った防波堤の右端近くが、貴船堀の入口です。
かぎの手に、東京ガスの敷地を囲むようにして奥に伸び、さらに丁字流で2本の支堀を分かつ、まるで迷路のような水路形…。ミニ水郷と言ってもよい情景が、展開されていたに違いありません。

もし、今も残っていたとしたら、支堀の奥まで走ってみたくなるような、魅力的な水路になっていたことでしょう。イヤ、ビッシリともやわれた海苔舟に恐れをなして、入口付近で逃げ出す公算が高いかな?

20063.jpgお邪魔してみると、こちらは縦列繋船ですか、これなら奥までいけるかな…。

ちなみに、この右(北西方)には、幕末に徳川家の大筒丁打場(大砲の試射場)が設けられ、岸に沿って南東方向を射界としていたとのこと。今でも遺跡は残っているのでしょうか。もしかしたら、昔、運河の底を浚渫したとき、当時の円弾(丸い大砲のタマ)が掘り出された、なんてこともあったかもしれませんね。
撮影地点のMapion地図

20064.jpg水門を入ってすぐのところにもやっていた、この漁船にハートわしづかまれた! 傾斜前面2枚窓の、やたらとスリムなキャブが格好良すぎます。アンカーも古風なストックアンカーと、ダンフォースにしないあたり、硬派の雰囲気濃厚。

惜しむらくは、だいぶくたびれているところですが、船体は健全のようですから、ガンネルを張り替えて、化粧直しをすれば見違えるでしょう。

20065.jpg護岸は、旧呑川のそれより、さらに星霜を経た風に見える、石組みの法面。

埋立が進む戦後しばらくまで、風向きによっては、直接外海の波が堀を洗うこともあったでしょうから、早い時期に堅固な護岸が組まれたと見てよいでしょう。



(21年12月13日撮影)

(『羽田周辺の船溜めぐり…5』につづく)

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