栗ノ木排水機場舟通しを訪ねて…1
(『雨の大河津にて…6』のつづき)

●大河津を離れた後は、弥彦山周辺を訪ねたりと、降ったり止んだりは変わらずながら楽しめたのですが、こちらは後ほど改めて、先に水路関連の物件を紹介させていただきますね。
新潟市街の宿に荷を下ろしてから、信濃川畔をお散歩。萬代橋の夜景は、橋脚毎に洒落た橋側灯が備えられていることもあり、素晴らしいものでした。もっとも散歩している間にも雨脚が強くなってきて、もうちょっとゆっくり眺めさせてくれないものかと、大いに嘆息したものです。
●風と雨音を聞きながら床について、翌朝目覚めてみると、意外にも快晴! しかし、雨雲の動きをウェブで見たところ、すでに新潟西部は大きな雨雲に覆われ、強い降雨になっているそう。
この機を逃すことはできまいと、バタバタと朝食前に出かけることにしました。目指すは市内の東区にある閘門遺構、前回の新潟訪問時に見逃していた物件です。

●新潟バイパス紫竹山ICの南東、県道5号新潟新津線に沿った、南紫竹1丁目に到着。県道から見ると、草ぼうぼうの荒れ地と、資材置き場らしい壁に挟まれた間に、砕石を敷いた未舗装路が伸びています。
目指す物件はこの奥。本当に勝手に入ってよいのか、ちょっとためらわれるような雰囲気ですが、道路の軸線上に見える説明板にはげまされて、ずんずんと奥へ。
【撮影地点のMapion地図】

●これが入口から見えていた説明板。各所で紹介されている有名物件ですので、ご存じの方も多いでしょう。旧栗ノ木排水機場の遺構を、史跡として残してあるのです。
そうそう、先日アップしたトップ画像では、「旧栗の木排水機場舟通し」と書きましたが、以降はこの説明板に従い、「栗ノ木」と表記しましょう。
低湿地帯であった亀田郷地区を排水し、乾田化を含む地域開発を目的として、戦中の昭和18年起工、同24年に竣工した排水機場でした。排水を担った栗ノ木川は、排水機場の廃止後埋め立てられ、現在は栗ノ木バイパスとなっています。このあたり、Wikipedia「栗ノ木バイパス」が非常によくまとめられていますので、ご一読をお勧めします。
●奥へ進むと、昨夜の雨であちこちに水たまりができていたものの、雑草はおおむね乾いていて、歩き回るのに差支えはなさそう。晴れていて何よりで、雨降りだったらとても足を踏み入れられなかったでしょう。
保存された遺構とはいえ、周囲はほぼ荒れ地で、草や雑木で足元はよろしくなく、十分な注意が必要です。廃墟探検のおもむき濃厚な探訪となりました。
(令和2年10月24・25日撮影)
(『栗ノ木排水機場舟通しを訪ねて…2』につづく)

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●大河津を離れた後は、弥彦山周辺を訪ねたりと、降ったり止んだりは変わらずながら楽しめたのですが、こちらは後ほど改めて、先に水路関連の物件を紹介させていただきますね。
新潟市街の宿に荷を下ろしてから、信濃川畔をお散歩。萬代橋の夜景は、橋脚毎に洒落た橋側灯が備えられていることもあり、素晴らしいものでした。もっとも散歩している間にも雨脚が強くなってきて、もうちょっとゆっくり眺めさせてくれないものかと、大いに嘆息したものです。

この機を逃すことはできまいと、バタバタと朝食前に出かけることにしました。目指すは市内の東区にある閘門遺構、前回の新潟訪問時に見逃していた物件です。

●新潟バイパス紫竹山ICの南東、県道5号新潟新津線に沿った、南紫竹1丁目に到着。県道から見ると、草ぼうぼうの荒れ地と、資材置き場らしい壁に挟まれた間に、砕石を敷いた未舗装路が伸びています。
目指す物件はこの奥。本当に勝手に入ってよいのか、ちょっとためらわれるような雰囲気ですが、道路の軸線上に見える説明板にはげまされて、ずんずんと奥へ。
【撮影地点のMapion地図】

●これが入口から見えていた説明板。各所で紹介されている有名物件ですので、ご存じの方も多いでしょう。旧栗ノ木排水機場の遺構を、史跡として残してあるのです。
そうそう、先日アップしたトップ画像では、「旧栗の木排水機場舟通し」と書きましたが、以降はこの説明板に従い、「栗ノ木」と表記しましょう。
低湿地帯であった亀田郷地区を排水し、乾田化を含む地域開発を目的として、戦中の昭和18年起工、同24年に竣工した排水機場でした。排水を担った栗ノ木川は、排水機場の廃止後埋め立てられ、現在は栗ノ木バイパスとなっています。このあたり、Wikipedia「栗ノ木バイパス」が非常によくまとめられていますので、ご一読をお勧めします。

保存された遺構とはいえ、周囲はほぼ荒れ地で、草や雑木で足元はよろしくなく、十分な注意が必要です。廃墟探検のおもむき濃厚な探訪となりました。
(令和2年10月24・25日撮影)
(『栗ノ木排水機場舟通しを訪ねて…2』につづく)

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ご当地銘菓、その名も「河川蒸気」!
(『朱鷺メッセから眺める新潟…3』のつづき)
●いやもう、今回新潟を訪ねるまでまったく知らなかったあたり、川蒸気バカとしてお恥ずかしい限りであります。ご当地の、それも全国区で名の知れたお菓子に、「河川蒸気」なる、そのものズバリの商品名のものがあったなんて!
新潟から帰宅した直後にも、テレビ番組で人気ぶりが紹介されており、ますます自分の無知を恥じ入った次第。全国から注文が殺到し、生産量に限りがあるため発送に数日かかることも少なくないのだとか。
ちなみに製造元は、新潟菓子工房・菜菓亭です。

●この、泣かせるイラストをご覧ください!
川蒸気バカの目から見ても、十分鑑賞に堪えるディテールを備えているあたりも嬉しく、それでいて誰が見てもいやみのない、ほっこりとした味がありますね。
●外輪カバーの前後に、大振りな階段が造りつけられたように描かれていますが、これは間違いではなく、実際にこのような造りの船がいたのです。その他、煙突の横にエントコック(キセル型通風器)がないこと、屋根上に荷物や人が載っているところなども、当時の写真と合致しています。
イラストとしてモディファイしながらも、きちんと資料を見て描かれたことがわかり、製造元やイラストレーターの方の真摯さが感じられて、なおさら感動が深いものになりました。
ちなみに上の写真は、下から時計回りに箱を包んでいた包装紙、手提げ袋、お菓子の個別包装、同梱の商品カタログで、背景やコピーのパターンがそれぞれ異なり、眺めていても楽しいものでした。
●さっそく開封してみると、ふわりとした半円形の生地に、小豆のクリームがはさまれたもの。ちょっとこってり目ですが、甘いものが好きな向きにはたまらないでしょう。
お菓子本体に、蒸気船の絵柄が刷ってあるわけではないものの、見方によっては、この半円形が外輪カバーを模したように見えないこともありません。
●製造元サイトの説明によると、製造当初の商品名は「蒸しどらやき」だったそうで、後に素材や製法を改めてから、名前も「新潟の経済・文化に一大革命をもたらせた」(製造元サイトのコピーより)蒸気船にあやかって、「河川蒸気」としたのだとか。
蒸気船の持つ、「明治のハイカラ」っぽい雰囲気と、洋風を加味した和菓子(?)というあたりに、どこか通じるものを感じての命名のように思えます。それにしても、よい題材を選んでくれたものですね。

先代の萬代橋近くにもやう川蒸気と、川舟・コウレンボウ。大正末~昭和初期の絵葉書より
●ちなみに、こちらで「ご当地の呼び名は『河川蒸気』」などと書いたのは、このお菓子の存在に引っかけてのことだったのですが、新潟市歴史博物館で購入した史料をいくつか読んでみたところ、当時の通称として「大川蒸気」「外車(ソトグルマ)」「川蒸汽」などが挙げられており、本文での呼称は「川蒸汽船」「川汽船」とされ、「河川蒸気」なる呼び方は、ついぞ出てきませんでした。
川蒸気の現役当時、本当に「河川蒸気」と通称されたのかは、そんなわけで今のところ謎なのですが、少なくともこれからは、ご当地ではこの呼び名が広く一般化してゆくことは疑いなく、また川蒸気を商標とする、というアイデアがさらりと出てくるあたり、この地がかつて水運王国で、川をゆくフネブネがいかに人々の記憶につよく焼きついていたかを示す、何よりの証拠のように思えます。
恐らく全国で唯一の、川蒸気の名を戴き、またその姿をパッケージ上に留めた、まさに水運趣味横溢のお菓子! 末永く盛業されんことを、心より願っています。
【8月9日~10日の項の参考文献】
新潟の舟運 ~川がつなぐ越後平野の町・村~ 新潟市歴史博物館
船と船大工 湊町新潟を支えた木造和船 新潟市歴史博物館
絵図が語るみなと新潟 新潟市歴史博物館
白根市史 巻七 通史 新潟県白根市
豊栄市史 民俗編 新潟県豊栄市
運河と閘門(久保田 稔 ほか著)日刊建設工業新聞社
(この項おわり)

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●いやもう、今回新潟を訪ねるまでまったく知らなかったあたり、川蒸気バカとしてお恥ずかしい限りであります。ご当地の、それも全国区で名の知れたお菓子に、「河川蒸気」なる、そのものズバリの商品名のものがあったなんて!
新潟から帰宅した直後にも、テレビ番組で人気ぶりが紹介されており、ますます自分の無知を恥じ入った次第。全国から注文が殺到し、生産量に限りがあるため発送に数日かかることも少なくないのだとか。
ちなみに製造元は、新潟菓子工房・菜菓亭です。

●この、泣かせるイラストをご覧ください!
川蒸気バカの目から見ても、十分鑑賞に堪えるディテールを備えているあたりも嬉しく、それでいて誰が見てもいやみのない、ほっこりとした味がありますね。
●外輪カバーの前後に、大振りな階段が造りつけられたように描かれていますが、これは間違いではなく、実際にこのような造りの船がいたのです。その他、煙突の横にエントコック(キセル型通風器)がないこと、屋根上に荷物や人が載っているところなども、当時の写真と合致しています。
イラストとしてモディファイしながらも、きちんと資料を見て描かれたことがわかり、製造元やイラストレーターの方の真摯さが感じられて、なおさら感動が深いものになりました。
ちなみに上の写真は、下から時計回りに箱を包んでいた包装紙、手提げ袋、お菓子の個別包装、同梱の商品カタログで、背景やコピーのパターンがそれぞれ異なり、眺めていても楽しいものでした。

お菓子本体に、蒸気船の絵柄が刷ってあるわけではないものの、見方によっては、この半円形が外輪カバーを模したように見えないこともありません。
●製造元サイトの説明によると、製造当初の商品名は「蒸しどらやき」だったそうで、後に素材や製法を改めてから、名前も「新潟の経済・文化に一大革命をもたらせた」(製造元サイトのコピーより)蒸気船にあやかって、「河川蒸気」としたのだとか。
蒸気船の持つ、「明治のハイカラ」っぽい雰囲気と、洋風を加味した和菓子(?)というあたりに、どこか通じるものを感じての命名のように思えます。それにしても、よい題材を選んでくれたものですね。

先代の萬代橋近くにもやう川蒸気と、川舟・コウレンボウ。大正末~昭和初期の絵葉書より
●ちなみに、こちらで「ご当地の呼び名は『河川蒸気』」などと書いたのは、このお菓子の存在に引っかけてのことだったのですが、新潟市歴史博物館で購入した史料をいくつか読んでみたところ、当時の通称として「大川蒸気」「外車(ソトグルマ)」「川蒸汽」などが挙げられており、本文での呼称は「川蒸汽船」「川汽船」とされ、「河川蒸気」なる呼び方は、ついぞ出てきませんでした。
川蒸気の現役当時、本当に「河川蒸気」と通称されたのかは、そんなわけで今のところ謎なのですが、少なくともこれからは、ご当地ではこの呼び名が広く一般化してゆくことは疑いなく、また川蒸気を商標とする、というアイデアがさらりと出てくるあたり、この地がかつて水運王国で、川をゆくフネブネがいかに人々の記憶につよく焼きついていたかを示す、何よりの証拠のように思えます。
恐らく全国で唯一の、川蒸気の名を戴き、またその姿をパッケージ上に留めた、まさに水運趣味横溢のお菓子! 末永く盛業されんことを、心より願っています。
【8月9日~10日の項の参考文献】






(この項おわり)

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新潟の水上バス…5
(『新潟の水上バス…4』のつづき)

●萬代橋西詰船着場には、屋根つきの待合所がありました。
特に陽射しの厳しいこの時季、屋根があるとなしとではだいぶ違うでしょう…と、よく見たら、奥のベンチまできっちり陽が差し込んでいる(笑)。時間帯によっては、逆にツラそうではあります。
●着岸と同時に、若い男性の甲板員が飛び出してきて、二本のビットに素早くもやいを取り、ドアを開けてからキャビンアテンダントと二人でタラップを渡して、お客さんの送り迎え。終わるとタラップを納め、ドアを閉めてもやいを解き、船首に飛び乗って出発…。
子供たちと、見事なロープさばきにほれぼれと見入る船頭。下流の4つの船着場では、これを数分おきに繰り返すわけで、しかもこの酷暑、まったく頭が下がります。
●船着場を出て迫りくるのは、新潟を代表する橋としてあまりにも有名な、萬代橋。この角度から見ると、バックのホテルオークラが白く輝き、石張り装飾でしっとりとした落ち着きを見せる萬代橋と好対照で、なかなかの雰囲気。
西詰には、かつて川蒸気の船着場もあり、沿岸は荷揚場として賑わっていたことが、当時の写真からも髣髴できます(『続・川蒸気のイメージを求めて』参照)。東京でいえば、両国橋あたりといったところでしょうか。

●石張りの装飾、昭和初期らしいデザインの高欄、橋脚直上に取り付けられた橋側灯と、ディテールを堪能しながらの橋くぐり。竣工当時の外観をほとんど損なっていないあたりが素晴らしい。日本橋に次いで、重要文化財に指定されたのもうなずけます。
●上流側から眺めて。明治から昭和初期に至るまでの木造橋時代は、信濃川下流部に架かる、まさに唯一の橋であった萬代橋。
現在は全長306.9mとのことですが、木造橋時代の対岸が霞むような写真を眺め慣れていた目には、昔よりずいぶん短い感じがしました。
●目の錯覚かしらと思っていたら、昔は今よりはるかに川幅が広く、初代橋は何と、780mあまりもあったとのこと(新潟市ガイド『萬代橋』参照)。
当時としては、全国有数の長大橋だったのではないでしょうか。これを木造桁橋で架けたのですから、名所として絵葉書などに盛んに取り上げられたのも、うなずけますね。
【撮影地点のMapion地図】
(23年8月9日撮影)
(『新潟の水上バス…6』につづく)

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●萬代橋西詰船着場には、屋根つきの待合所がありました。
特に陽射しの厳しいこの時季、屋根があるとなしとではだいぶ違うでしょう…と、よく見たら、奥のベンチまできっちり陽が差し込んでいる(笑)。時間帯によっては、逆にツラそうではあります。

子供たちと、見事なロープさばきにほれぼれと見入る船頭。下流の4つの船着場では、これを数分おきに繰り返すわけで、しかもこの酷暑、まったく頭が下がります。

西詰には、かつて川蒸気の船着場もあり、沿岸は荷揚場として賑わっていたことが、当時の写真からも髣髴できます(『続・川蒸気のイメージを求めて』参照)。東京でいえば、両国橋あたりといったところでしょうか。

●石張りの装飾、昭和初期らしいデザインの高欄、橋脚直上に取り付けられた橋側灯と、ディテールを堪能しながらの橋くぐり。竣工当時の外観をほとんど損なっていないあたりが素晴らしい。日本橋に次いで、重要文化財に指定されたのもうなずけます。

現在は全長306.9mとのことですが、木造橋時代の対岸が霞むような写真を眺め慣れていた目には、昔よりずいぶん短い感じがしました。
●目の錯覚かしらと思っていたら、昔は今よりはるかに川幅が広く、初代橋は何と、780mあまりもあったとのこと(新潟市ガイド『萬代橋』参照)。
当時としては、全国有数の長大橋だったのではないでしょうか。これを木造桁橋で架けたのですから、名所として絵葉書などに盛んに取り上げられたのも、うなずけますね。
【撮影地点のMapion地図】
(23年8月9日撮影)
(『新潟の水上バス…6』につづく)

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