萩之浦閘門跡を訪ねて…2
(『萩之浦閘門跡を訪ねて…1』のつづき)
●高水敷に打って出られない悔しさは、かなりのものでした。冨岩運河側は私有地なので勝手に入ることはできず、こう草深いとあっては、仮に境界標があっても目視できないでしょう。
仕方なく、というと語弊がありますが、神通川の里程標が目についたので一枚。河口から0.8km、ポールに看板をつけた標識でなく、ステンレスの1本ものに表記を印字して巻いたあたり、雪国らしい堅牢さを目指したタイプというべきでしょうか。

●北側には、実にイイ雰囲気の日通倉庫が。色褪せてはいるものの、腰から上に塗り分けられた日通カラーが判別でき、妻、側それぞれのマル通マークも健在。模型のストラクチャーにはもってこいのタイプですよね。
外観から、閘門と同時代の建築に見えますが、この倉庫が建ったのは萩之浦閘門が埋められつつあったころか、埋められた後。昭和30年代末から40年代初めごろ(『富山港・知られざる閘門?!』の空中写真を参照)です。この倉庫が現役時を知らないのは確実ですが、もしかしたら、埋められながらも原形を留めていたころを、横目で見ていたかもしれません。

●日通倉庫とその南側にある、白いスレート波板の建屋の境界を見て。「『富山港・知られざる閘門』の図面が!」に掲載した図面によれば、法面の天端どうしを測った幅は19.2m。右手は波板建屋の本屋、少なくとも4分の1くらいまで達していたでしょう。
二軒の間のみ、草がこんもり盛り上がっているさますら、「閘室の埋め土の部分だから、草がよく育つのかなあ‥‥」などと、根拠薄弱な妄想のオカズになってしまうほど、悲しいくらいの手掛かりのなさ。ハイ、単に境界で草刈りがされていないからですね、ええ。
●波板の建屋がある前の法面は、草刈りがされて間もないようでした。ここにポツリと1本だけ、気になるポールが!
ここが閘室の南側の境界線のように思えて、何の根拠がないにもかかわらず、一枚撮っていました。ブツブツつぶやいておりまするが、ここに掲載の5枚、Googleストリートビューの方がよほど写りの良い写真を見ることができます、はい(微妙に悔しい)。

●まあ、発掘すれば遺構は出てくるのでしょうが、いち道楽者としてはかなわぬ夢。今はこの地を自らの足で踏めたこと、道の曲がりと日通倉庫で、位置は特定しやすかったことをせめてもの幸いとすべきでしょう。
竣工時の記録写真くらい、あってもおかしくない施設ですから、写真が出てきたらぜひ、下瀬閘門ばりに説明板でも設けて、顕彰してあげていただきたいものですね。
(29年9月23日撮影)
(『中島閘門に寄り道…1』につづく)

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仕方なく、というと語弊がありますが、神通川の里程標が目についたので一枚。河口から0.8km、ポールに看板をつけた標識でなく、ステンレスの1本ものに表記を印字して巻いたあたり、雪国らしい堅牢さを目指したタイプというべきでしょうか。

●北側には、実にイイ雰囲気の日通倉庫が。色褪せてはいるものの、腰から上に塗り分けられた日通カラーが判別でき、妻、側それぞれのマル通マークも健在。模型のストラクチャーにはもってこいのタイプですよね。
外観から、閘門と同時代の建築に見えますが、この倉庫が建ったのは萩之浦閘門が埋められつつあったころか、埋められた後。昭和30年代末から40年代初めごろ(『富山港・知られざる閘門?!』の空中写真を参照)です。この倉庫が現役時を知らないのは確実ですが、もしかしたら、埋められながらも原形を留めていたころを、横目で見ていたかもしれません。

●日通倉庫とその南側にある、白いスレート波板の建屋の境界を見て。「『富山港・知られざる閘門』の図面が!」に掲載した図面によれば、法面の天端どうしを測った幅は19.2m。右手は波板建屋の本屋、少なくとも4分の1くらいまで達していたでしょう。
二軒の間のみ、草がこんもり盛り上がっているさますら、「閘室の埋め土の部分だから、草がよく育つのかなあ‥‥」などと、根拠薄弱な妄想のオカズになってしまうほど、悲しいくらいの手掛かりのなさ。ハイ、単に境界で草刈りがされていないからですね、ええ。

ここが閘室の南側の境界線のように思えて、何の根拠がないにもかかわらず、一枚撮っていました。ブツブツつぶやいておりまするが、ここに掲載の5枚、Googleストリートビューの方がよほど写りの良い写真を見ることができます、はい(微妙に悔しい)。

●まあ、発掘すれば遺構は出てくるのでしょうが、いち道楽者としてはかなわぬ夢。今はこの地を自らの足で踏めたこと、道の曲がりと日通倉庫で、位置は特定しやすかったことをせめてもの幸いとすべきでしょう。
竣工時の記録写真くらい、あってもおかしくない施設ですから、写真が出てきたらぜひ、下瀬閘門ばりに説明板でも設けて、顕彰してあげていただきたいものですね。
(29年9月23日撮影)
(『中島閘門に寄り道…1』につづく)

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萩之浦閘門跡を訪ねて…1

その足で富山城址の松川遊覧船を訪ね、中村珠太専務に諸々お世話になった御礼を兼ねてご挨拶。第一便出航前のお忙しい時間にもかかわらず、応対していただきありがとうございました!

●お話を伺っていると、上流から艫を前にして、棹を突きつつササブネが下ってきました。中村氏が「乗っているのは漁師さんで、月一回の河川清掃をしているんですよ」と説明してくださったのを聞き、にわかに色めき立ちました。
おお、「松川の舟通しと和船のことなど」でも触れた、貴重なササブネの実稼働に出くわしたんだ! 月一便に偶然出会えるとは、早起きはしてみるものです。
●「目の色が変わりましたねえ」と中村氏が笑う横で、カメラを構えてシャッターを切る、切る! 艫を先に進んでくるあたり、ベカの海苔摘み作業を思い出させるものが。スペースに余裕があって、安定もよい船尾を作業の立ち位置にするのは、小舟艇では理にかなっています。
我々や遊覧船の船長に声をかけながら、棹を突き、タモ網でゴミを丁寧にすくい取る漁師さんたち。静かな朝の松川ならではの、清々しい舟航風景を目にできて、嬉しくなりました。

別れ際、中村氏に「これからどちらに行かれます?」と尋ねられ、「萩之浦閘門の跡を見にゆこうと思います」と答えました。そう、中村氏のご教示がなければ、その存在に気づくこともなかったであろう、あの萩之浦閘門です!
●そのいきさつはすでに「富山港・知られざる閘門?!」、その後の解明編として「『富山港・知られざる閘門』の図面が!」で詳述しているので、ぜひご覧いただきたいと思います。
河道整理と同時に河口港を分離築港した、「河海分離」後の舟航維持策として建造された閘門の例としては、酒田港~最上川の下瀬閘門(『下瀬閘門跡を訪ねて』参照)がありますが、撤去後も痕跡が残り、説明板で顕彰されもしている下瀬閘門にくらべ、萩之浦閘門はほぼ跡形もないのが大きな違いではあります。それがわかっていても、いやそれだからこそ、現地をこの足で踏んでみたい思いは強くあったのです。

●富山駅前から数えて6㎞あまり。堤防上の道をひたすら走り、萩之浦閘門のあった富山市草島102付近に到着。この道の曲がり具合! あの曲がったあたりが、閘室の北側護岸の位置だったんだよなあ‥‥。「知られざる閘門」の地を踏んだ感慨に、しばししみじみと立ち尽くすおっさん。
とはいっても、ここまでならGoogleストリートビューで、自室にいながらにして見られる光景。現地を訪ねられただけでもよしとは申せ、せめて、何か痕跡めいたものを見つけたい気持ちがあるのは、いうまでもありません。

く~っ、残念! 川向こうにそびえる富山火力発電所を眺めながら、唇を噛んだことではありました。
【撮影地点のMapion地図】
(29年9月23日撮影)
(『萩之浦閘門跡を訪ねて…2』につづく)

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