令和4年度川走り納め・荒川…2
(『令和4年度川走り納め・荒川…1』のつづき)

●前回載せた写真の一瞬後のスナップ。電車を追っていたら、ちょうど陽光が射していたところに、「光家具」「光」の看板が背景に入って、空が灰色の雲に覆われていたことも手伝い、どこかおかしみのある一枚に。
●大屈曲を曲がり切ったところにそびえるのが、ご存じダブルデッキを渡すニールセンローゼ、五色桜大橋。
くぐる直前まで迫ってぐっと仰げば、桁下高に構造の天地も加わって大迫力‥‥なのですが、何分陽射しも途切れ、厚い雲がふたたびかぶさった薄暗い川面とくれば、残念ながら表情もさえません。
●オープン艇とて、そこそこの速度で移動しているとなれば、ただでさえ体温が奪われるもの。ですから冬の航行は日照が生命線みたいなもので、いやむしろ、冬なればこそ晴れが多いはずなのに、頼りにならないとなればツラいことこの上ありません。
20㎞の里程にある工場からたつ濛々とした湯気に、寒気の厳しさが感じられますね。寒さで思ったより体力を消耗したようで、どうも気分が盛り上がりません‥‥。

●西から北西方向は晴れているようで、新荒川大橋越しに、遠方の山々の稜線が割とはっきり見渡せました。方角からして、秩父のあたりでしょうか? 好天であれば素晴らしい眺めになったでしょうが、こちらの空は重苦しいのが残念ですね。

●新旧の岩淵水門の間にある水路を抜け、取舵を切って向き直ったところで現水門を一枚。むう、雲が重くのしかかっているだけに、どこか鬼気迫る表情。
せっかく扉体が塗り直され、中央の堰柱2本も補強されてきれいなのに、惜しいことであります。向こうは少し明るいので、くぐってから眺めてみるといい表情かも、ですね。
【撮影地点のMapion地図】
(令和4年12月28日撮影)
(『令和4年度川走り納め・新河岸川…1』につづく)

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●前回載せた写真の一瞬後のスナップ。電車を追っていたら、ちょうど陽光が射していたところに、「光家具」「光」の看板が背景に入って、空が灰色の雲に覆われていたことも手伝い、どこかおかしみのある一枚に。

くぐる直前まで迫ってぐっと仰げば、桁下高に構造の天地も加わって大迫力‥‥なのですが、何分陽射しも途切れ、厚い雲がふたたびかぶさった薄暗い川面とくれば、残念ながら表情もさえません。

20㎞の里程にある工場からたつ濛々とした湯気に、寒気の厳しさが感じられますね。寒さで思ったより体力を消耗したようで、どうも気分が盛り上がりません‥‥。

●西から北西方向は晴れているようで、新荒川大橋越しに、遠方の山々の稜線が割とはっきり見渡せました。方角からして、秩父のあたりでしょうか? 好天であれば素晴らしい眺めになったでしょうが、こちらの空は重苦しいのが残念ですね。

●新旧の岩淵水門の間にある水路を抜け、取舵を切って向き直ったところで現水門を一枚。むう、雲が重くのしかかっているだけに、どこか鬼気迫る表情。
せっかく扉体が塗り直され、中央の堰柱2本も補強されてきれいなのに、惜しいことであります。向こうは少し明るいので、くぐってから眺めてみるといい表情かも、ですね。
【撮影地点のMapion地図】
(令和4年12月28日撮影)
(『令和4年度川走り納め・新河岸川…1』につづく)

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令和4年度川走り納め・荒川…1

快晴との予報でしたが、朝出てみるとさにあらず、雲がそこそこあり曇りとどき晴れ、といった空模様。日照が少ないせいでしょう、思ったより体感温度が低い印象です。写真は新砂水門を出て振り返ったところ。ご覧のようなちぎれ雲を目にすると、アニメ「母を訪ねて三千里」のオープニングテーマが思い出されてしまう‥‥。

●この日は新河岸川を訪ねようと思っていました。芝宮橋(『師走の新河岸川…7』参照)が架け替えられたと聞いていたので見てみたかったのと、あわよくば少し上流まで攻められたら、と考えていたのです。
しかし、冬で空気も澄んできたし、富士山が拝めるかもと色気を出したのでした。いったん河口橋梁群をくぐって、若洲沖まで出ればイケるだろう、と南下。振り返るとちょうど陽が差して、トラスのディテールがくっきり。

これでは富士山を拝むのも難しかろうと、プレーニングのまま大回りして回頭。当初の予定どおり荒川を遡上して、新河岸川を目指すことにしました。

●5kmの里程標が立つ新小松川橋上流では、クレーン船が高水敷に接岸していました。曳船など他の作業船が見られないところから、長い間ここに腰を据えているのでしょうか。
高水敷では高々と黒い土が盛られ、ユンボが盛んに動いていましたから、浚渫土か何かの処理でしょうか。

●扇大橋と日暮里・舎人ライナーの橋をくぐろうとしたら、いいタイミングで電車が通過したので一枚。
写真は陽が差したときを狙っているので、一見晴れているように見えますが、航行中はほとんど陽光の恩恵は受けられず、比較的高速で走っていることもあって、まあ寒いのなんの。手袋をしていても指がかじかんでしまうほどで、少々やる気をそがれたのは否定できません。
【撮影地点のMapion地図】
(令和4年12月28日撮影)
(『令和4年度川走り納め・荒川…2』につづく)

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初めての初日の出…1

昨日元旦朝は、初日の出を水上から拝もうと艇を出しました。長年木っ端ブネ道楽をしてきたにもかかわらず、自艇で初日の出を見に行くのは、実はこれが初めて。花火も撮影のお手伝いで1回出たきりだし、つくづく一般的な舟遊びには縁遠い性分ではあります。
早寝した甲斐あって目覚まし時計が鳴る前に目が覚め、5:00過ぎには母港の桟橋へ到着。光りながらぐるんぐるんするスカイツリーを見ながらの出港準備も、また新鮮でありました。

もっとも気温の下がる夜明け前とて、つま先から背中までカイロを何個も貼り、厚着もしてと普段にも倍する防寒装備をしたのはいうまでもなく。あとは沖へ出てから、風が強まらないことを祈るばかり。

●5:50、新砂水門を通過。交互通航なのは日中と変わりませんが、警戒船や係の人は常駐しておらず、一定の時間が来ると自動で通航表示が変わる仕掛けのようです。
通い慣れた水路とはいえ、夜走りは久方ぶりで、やはり緊張します。目視の効かない分浮流物にぶつかったりしたらことですから、速度を抑えて慎重にまいりましょう。

●5:56、荒川河口の橋梁群を通過。ボケボケブレブレのガサガサ写真で申しわけない。揺れる艇上から夜に片手撮りしているので、まあご容赦ください。後で気づいたのですが、「夜景モード」にしておけば、ちょっとはマシになったかしら。気が回らないほどアガっていたのかもしれません。
で、ひどい写真で何をいいたいかといいますと、中央径間の向こう、すでに東の水平線近くが白み始めているのに、このとき気づかされたから。ちなみに初日の出の時刻は6:51。もう残り1時間を切っています。

●6:04、荒川河口を南下中。普段より四周に気を配り、目についた移動する両舷灯をプロットしながら、原速で針路維持。この時点ですでに2隻、荒川を出てきたプレジャーが追い越してゆきました。
眼下に見える、自艇の両舷灯が放つ色に気分を盛り上げつつも、夜走りの緊張感はいつもと違うレベル。ご同輩らしいプレジャーたちに追い越されながらも、行き足は抑えたまま沖を目指しました。
(令和5年1月1日撮影)
(『初めての初日の出…2』につづく)

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5月4日の水路風景…1
(『5月4日のフネブネ』のつづき)
●落穂ひろい的に道々の光景をいくつか。
荒川と中川を分かつ背割堤の先端に設けられた船着場、臨海リバーステーション。干満に合わせ高さを変えた三段の岸壁を、スロープでつないだ結構な規模の船着場です。
何分地先中の地先とて、道路との連絡が少々不便なのは致し方のないところ。およそ550m上流にある清砂大橋は、背割堤に降りる道がなく、取り付け道路のある最寄りの橋は葛西橋で、その距離実に約1200m!

●綾瀬川下流部、東岸の堤防沿いにテラス状の基礎を引き続き造成中ですが、これは堀切避難橋の下流で見た台船。複数の発電機と詰所を載せ、作業拠点として使われているようです。
おっ、と注目したのは、矢車や吹き流し、真鯉、緋鯉と一揃い整った鯉幟が、二組掲げられていたこと。残念ながら風が抜けておらず、だらりと垂れ下がったままでしたが、こうした遊び心というか気遣いは嬉しいですね。

●堀切ジャンクションの前後は、反対に西岸、背割堤の護岸工事が盛んに施工されていて、台船や土運船、曳船が多数もやっていました。法面の水際にある護岸を改良する工事で、左手前の部分はすでに形をなしていますね。

●こちらの区間はまだ工程半ばの様子。打ち込まれた鋼管矢板が見え、右手には盛り土を締めるための土嚢が積み上げられていました。水鏡に姿を映す「130東庄丸」もいい味出しています。
●隅田川でも、鯉幟をいくつか目にすることができました。最初のものは、旧綾瀬川を出て間もない、白髭橋上流の東岸にあるテラスに展開された一群。
幅方向にワイヤーを張り渡し、大小さまざまな鯉幟がひるがえるさま、結構なボリュームです。お散歩の皆さんも大いに楽しまれているようで、しきりに写真を撮っていました。
【撮影地点のMapion地図】
(令和4年5月4日撮影)
(『5月4日の水路風景…2』につづく)

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荒川と中川を分かつ背割堤の先端に設けられた船着場、臨海リバーステーション。干満に合わせ高さを変えた三段の岸壁を、スロープでつないだ結構な規模の船着場です。
何分地先中の地先とて、道路との連絡が少々不便なのは致し方のないところ。およそ550m上流にある清砂大橋は、背割堤に降りる道がなく、取り付け道路のある最寄りの橋は葛西橋で、その距離実に約1200m!

●綾瀬川下流部、東岸の堤防沿いにテラス状の基礎を引き続き造成中ですが、これは堀切避難橋の下流で見た台船。複数の発電機と詰所を載せ、作業拠点として使われているようです。
おっ、と注目したのは、矢車や吹き流し、真鯉、緋鯉と一揃い整った鯉幟が、二組掲げられていたこと。残念ながら風が抜けておらず、だらりと垂れ下がったままでしたが、こうした遊び心というか気遣いは嬉しいですね。

●堀切ジャンクションの前後は、反対に西岸、背割堤の護岸工事が盛んに施工されていて、台船や土運船、曳船が多数もやっていました。法面の水際にある護岸を改良する工事で、左手前の部分はすでに形をなしていますね。

●こちらの区間はまだ工程半ばの様子。打ち込まれた鋼管矢板が見え、右手には盛り土を締めるための土嚢が積み上げられていました。水鏡に姿を映す「130東庄丸」もいい味出しています。

幅方向にワイヤーを張り渡し、大小さまざまな鯉幟がひるがえるさま、結構なボリュームです。お散歩の皆さんも大いに楽しまれているようで、しきりに写真を撮っていました。
【撮影地点のMapion地図】
(令和4年5月4日撮影)
(『5月4日の水路風景…2』につづく)

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