草林樋門を訪ねて…4
(『草林樋門を訪ねて…3』のつづき)

●高水敷を沖へ歩き、少し離れたところから。他の樋門のように、寄る辺のない孤立感が感じられないのは、堤防の向こうに立木や屋根がのぞけて、人の気配が感じられるからでしょうか。
ちなみに二本の木は、下で触れる三峯神社の祠に併設された、小公園に植えられたものです。
●高水敷を割る水路には、繋船用の杭や桟橋が見られ、最近まで船溜として、盛んに利用されていたことがうかがえます。
昭和29年から、利根川とこのエンマを見つめ続けてきた樋門‥‥。逆光の中、たたずむ後ろ姿を眺めていたら、今は昔となった賑やかな時代を、思い出しているようにも見えました。

●そして堤防上から、エンマと集落を眺めて。抜けるような冬晴れの下、広大な十六島の田圃と、一直線に伸びるエンマ、盆景のように水辺を彩る集落‥‥。大好きな水郷風景の一つが、そこにありました。
●上の写真で左手、三角形の小さな地所には、秩父の三峯神社を祀った石の祠と、ブランコや鉄棒を備えた小公園が設けられていました。三峯講は、関東の各地で今なお見られますが、石鳥居の立派さからして、この地にも有力な講社がある(あるいは、あった)ようですね。
堤防を控えてエンマをはさんでいるというだけでも、失礼ながらジオラマ的な魅力で一杯なのに、ささやかながら、集落の中心たる公の場所まで有しているとは! 家並みの美しさに加えて、道具立ての揃ったこの集落が、ますます魅力的に見えてしまうのでした。

●最後に、エンマにもやわれていた舟2隻を間近で。右はタテイタ造りなので、サッパといってよいようですが、左はとがった一本ミヨシらしい船首。こうしてたった2隻でも、可航水路の香りが段違いに濃くなるのですから、やはりおろそかにはできません。
一見したところ、だいぶくたびれているようでしたが、今でも竿さしてエンマに繰り出すときは、あるのでしょうか。もしかしたら、樋門の管理を委託されたお宅で使っている、樋門の点検用といったところかもしれませんね。
(26年1月2日撮影)
(『阿玉川閘門…1』につづく)

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●高水敷を沖へ歩き、少し離れたところから。他の樋門のように、寄る辺のない孤立感が感じられないのは、堤防の向こうに立木や屋根がのぞけて、人の気配が感じられるからでしょうか。
ちなみに二本の木は、下で触れる三峯神社の祠に併設された、小公園に植えられたものです。

昭和29年から、利根川とこのエンマを見つめ続けてきた樋門‥‥。逆光の中、たたずむ後ろ姿を眺めていたら、今は昔となった賑やかな時代を、思い出しているようにも見えました。

●そして堤防上から、エンマと集落を眺めて。抜けるような冬晴れの下、広大な十六島の田圃と、一直線に伸びるエンマ、盆景のように水辺を彩る集落‥‥。大好きな水郷風景の一つが、そこにありました。

堤防を控えてエンマをはさんでいるというだけでも、失礼ながらジオラマ的な魅力で一杯なのに、ささやかながら、集落の中心たる公の場所まで有しているとは! 家並みの美しさに加えて、道具立ての揃ったこの集落が、ますます魅力的に見えてしまうのでした。

●最後に、エンマにもやわれていた舟2隻を間近で。右はタテイタ造りなので、サッパといってよいようですが、左はとがった一本ミヨシらしい船首。こうしてたった2隻でも、可航水路の香りが段違いに濃くなるのですから、やはりおろそかにはできません。
一見したところ、だいぶくたびれているようでしたが、今でも竿さしてエンマに繰り出すときは、あるのでしょうか。もしかしたら、樋門の管理を委託されたお宅で使っている、樋門の点検用といったところかもしれませんね。
(26年1月2日撮影)
(『阿玉川閘門…1』につづく)

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草林樋門を訪ねて…3
(『草林樋門を訪ねて…2』のつづき)

●クルマの途切れるのを見計らって、道路を横断し土手を駆け上ると、樋門の上部構造とともに、利根川の雄大な川景色が広がりました。
柵には占有許可の看板があって、「草林樋管」と、後で見た銘板と違う名称になっていましたが、占有目的の項、「内水排除及び舟運」に目線が吸い寄せられます。繋船用チェーンのみならず、舟航施設であるのを裏付けてくれるものがあるのは、やはり嬉しいものです。

●高水敷に降りて、ゲート本体とご対面。一見したかぎりでは、内水側との水位差は、思ったより少ないように感じました。利根川の河床勾配の関係でしょうか、閘門を設けなくとも、何とかいけるほどなのかもしれませんね(間違っていたらごめんなさい)。
●柵やゲートが新しいこともあり、遠目にはごくオーソドックスな樋門、という感想しかありませんでした。しかし、近づいて検分すると、コンクリートの質感や、北側と同じ山形に造られたポータルのあたりに、年齢相応の香りが‥‥。
お歳からして、竣工当初は、「水郷の閘門について・二題」の加藤洲閘門のように、木製ゲートだった可能性が高そうですね。ちなみに、ここでようやく正式名称が、タイトルに掲げた「草林樋門」であることが判明。

●柵やゲートの新しさから、巻上機構は電動化されているだろう‥‥と思っていたところ、よく見てみたら人力操作。ギヤで大減速されているとはいえ、スピンドルで扉体を終いまで巻き上げるのは、大変な仕事でしょうね(一度、やってみたくはあるのですが)。それだけ、使用頻度が低いということなのでしょう。
【撮影地点のMapion地図】
(26年1月2日撮影)
(『草林樋門を訪ねて…4』につづく)

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柵には占有許可の看板があって、「草林樋管」と、後で見た銘板と違う名称になっていましたが、占有目的の項、「内水排除及び舟運」に目線が吸い寄せられます。繋船用チェーンのみならず、舟航施設であるのを裏付けてくれるものがあるのは、やはり嬉しいものです。

●高水敷に降りて、ゲート本体とご対面。一見したかぎりでは、内水側との水位差は、思ったより少ないように感じました。利根川の河床勾配の関係でしょうか、閘門を設けなくとも、何とかいけるほどなのかもしれませんね(間違っていたらごめんなさい)。

お歳からして、竣工当初は、「水郷の閘門について・二題」の加藤洲閘門のように、木製ゲートだった可能性が高そうですね。ちなみに、ここでようやく正式名称が、タイトルに掲げた「草林樋門」であることが判明。

●柵やゲートの新しさから、巻上機構は電動化されているだろう‥‥と思っていたところ、よく見てみたら人力操作。ギヤで大減速されているとはいえ、スピンドルで扉体を終いまで巻き上げるのは、大変な仕事でしょうね(一度、やってみたくはあるのですが)。それだけ、使用頻度が低いということなのでしょう。
【撮影地点のMapion地図】
(26年1月2日撮影)
(『草林樋門を訪ねて…4』につづく)

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草林樋門を訪ねて…2
(『草林樋門を訪ねて…1』のつづき)

●集落に入り、堤防と樋門が近づいてきました。対岸のお家は、手入れの行きとどいた高い生垣で囲まれ、その前の護岸には農舟らしい舟も二隻もやわれて、なかなかいい雰囲気。
樋門の裏(北)側を、側道の管理橋から見てみましょう。写真右手の道路は、利根川に沿って伸びる堤防道で、信号が少ないこともあり、クルマがひっきりなしに飛ばしてきます。

●樋門をのぞき込んでみると、コンクリート製ながら、ポータル上部がわざわざ山型に造られているあたり、思ったより古そうな感じ。銘板には、「竣功 昭和二十九年三月三十一日」。やはり!
両側壁には、繋留のためのチェーンが渡されていることから、通船の役割もあることがわかって、嬉しくなりました。角落しの戸溝は切ってありますが、閘門の機能をかつて有していたのかは、残念ながらわかりません。
●管理橋の上から北側、与田浦方を眺めたところ。空あくまで青く、エンマの水は折からの風に、縮緬じわのようなさざ波を立てて、水郷風景に彩りを添えてくれます。
エンマをはさむ微高地の集落! かつて、交通の要衝であったことが想像される、のどかで美しい川景色! しみじみ、来てよかったと思ったものでした。
【撮影地点のMapion地図】
(26年1月2日撮影)
(『草林樋門を訪ねて…3』につづく)

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樋門の裏(北)側を、側道の管理橋から見てみましょう。写真右手の道路は、利根川に沿って伸びる堤防道で、信号が少ないこともあり、クルマがひっきりなしに飛ばしてきます。


両側壁には、繋留のためのチェーンが渡されていることから、通船の役割もあることがわかって、嬉しくなりました。角落しの戸溝は切ってありますが、閘門の機能をかつて有していたのかは、残念ながらわかりません。

エンマをはさむ微高地の集落! かつて、交通の要衝であったことが想像される、のどかで美しい川景色! しみじみ、来てよかったと思ったものでした。
【撮影地点のMapion地図】
(26年1月2日撮影)
(『草林樋門を訪ねて…3』につづく)

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