東京通運時代の河川航路図二題

201027.jpg通運丸船隊を続々就航させ、関東の河川航路に覇を唱えた内国通運も、時代の流れには勝てず、大正8年12月に川汽船事業から撤退。東京通船株式会社がその後を引き継ぎました。

お題の東京通運株式会社は、東京通船が昭和4年に改称したものです。縮小相次ぐ最末期の河川航路を担った、いわば関東の川汽船時代に、自ら幕を引かざるをえなかった企業といえるでしょう。

そんな「悲劇の船社」のイメージがある、東京通運の銘が入った航路案内を二つ掲げてみました。長距離河川交通のたそがれに思いをはせつつ、妄想を交えあれこれと垂れ流させていただきます。
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インクラインが写ってる!

ささやかな一件ですが、心覚えとして。今年の5月、阿賀野川を訪ねたのがきっかけで、鹿瀬ダムに舟航用インクラインがかつてあったことに気づいた件は、「鹿瀬ダムにインクラインがあった!」「道の駅「阿賀の里」に向かう」ですでに触れました。

大きな落差を持つダムに、舟航施設が備えられていたことを知っただけでも大興奮で、その後も折に触れては目ぼしい史料を当っているのですが、なかなかよいものに当たらず、ため息をつく日々。何枚か絵葉書を手に入れたものの、そのものズバリというものが見つかりません。

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新潟縣阿賀野川 東信電氣鹿瀬發電所堰堤
宛名・通信欄比率1:1、大正7年4月以降の発行。切手欄に「OK Oriental Photo Paper's」の銘あり。

昨日、まとめて入手した数枚を、ルーペ片手に改めて眺めていました。上に掲げたのはその一枚、ゲート天端に万国旗らしいものが飾られ、右下の橋の上(スゴイところに造ったものです!)に人影がちらほら見えるところから、竣工直後の記念式典の光景でしょうか。

ゲートを全径間フレームに収めた、絵葉書にはもってこいの構図ですが、左下、黒くごちゃっとしているあたり、肝心なモノが写り込んでいたのにようやく気付いたのですから、何をかいわんやであります。トリミングしたのが下の写真!

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インクラインの線路が! 左の四角いのは、台車かしら?

上空から撮ったものを眺めたかぎりでは、ここは築堤っぽい土盛りをした区間のはず。やはりここから、放流しているゲートが見えたんだ!

あれこれと妄想していた、インクラインに乗った舟や筏からの視点と近い風景が眺められて、いやが上にも気持ちは盛り上がります。ゲートが吐き出す大瀑布と、放流の轟音を視界いっぱいに堪能しながら登る船頭や川並たち! 国内ではまれな、勇壮かつ豪快な舟航風景であったことを、ますます確信して一人感動するおっさんでありました。

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鹿瀬ダムにインクラインがあった!

(『鹿瀬ダム拝見』のつづき)

193031.jpg鹿瀬ダムに興味がわいてきて、昔の絵葉書を物色していたところ、幸いイイ感じのもの数枚に出会うことができました。用紙、印刷の雰囲気とも似ていることから、セットものだったのかもしれません。ちなみに、宛名・通信欄比率は全て1:1です。

まず目に入ったのは、放水中のゲートをアップでとらえた一枚。今とは異なる、竣工当初のディテールがわかりますね。
巻上機室の上屋がなく、露天だったこと、扉体も現行のものと違って、裏側にもスキンプレート様の板が張られているようです。扉体を上下するチェーンの一つ一つまで、明瞭に写っていますね。遊覧船から見たかぎりでは、今のはワイヤーだったように見えましたが、更新時に造り替えられたのでしょうか。

穏やかに眺められたのはここまで、次を眺めた瞬間、狼狽(?)することになりました。

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えっ。 「インクライン機械室」!?

インクラインの単語を見て脊髄反射的に想像してしまうのは、もちろん舟航施設としてのそれ。
イヤイヤイヤ、インクラインといっても船を通すそれとは限るまい、単なる貨物用ケーブルカーかもしれないし。これは船頭をぬか喜びさせる甘い罠に違いない!

最終段らしい巨大なスパーギヤ、並列するブレーキドラムと思しき何か、手前に頭をのぞかせる原動機といった、らしいディテールを味わいながらも、後でがっかりさせられたらたまらんわいと、独りかたくなになっておりました。
が‥‥‥‥。

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あばばばばばばばばば(←周章狼狽するさまをひょうげん)
こっここれ舟航用インクラインじゃないの?!

前回、「このくらいの堤体高さだと、『閘門があれば、通船ができそうだな!』と、あらぬ方に妄想が及」んだやつがれでありましたが、現実は妄想の斜め上を行っていたことが判明、イヤもうたまげるやら嬉しいやら。30m超の水位差を克服し、通船させるダムが国内にあったなんて! この絵葉書を見るまで、全く存じませんでした、はい。

興奮も少しさめてから写真を検分すると、周囲に資材が散らかっているところから見て、建造中の様子を写したものと思われます。台車は写真のようにフラットなままだと、水没したとき舟の目標になるものがなく、位置決めしづらいでしょうし、強度的にも不安な感じがしますから、蹴上のそれのように、両脇にトラス構造を設けた姿が完成形と考えたのですが、いかがでしょうか。

さて、この台車が上り下りする、線路が敷かれた位置は、どのあたりだったのでしょうね。今回対岸に見えた、鹿瀬発電所の向こうか、現在第二発電所のある、西岸のどこかだったのか‥‥。ここでもう一枚を眺めてみたら、左の隅にそれらしきものが!

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193035.jpg西岸のこれ(⇒)だよね?

30m超を乗り越すとあって、最高点付近で東へ大きく屈曲した、結構な線路延長です。見たかぎりでは、蹴上や伏見のような複線でなく、単線のようですね。切通し区間には、細い跨線橋らしきものが2か所あり、下流側の船溜には、斜めに浮いている舟らしき姿も見えます。

この写真を目にすればいやでも、思い描かざるを得ません。20門のゲートが織りなす、人工の大瀑布の轟音を耳にし、間近に望みながら、「舟、山に登る」を体現するひととき! 

想像するだに身震いするような、素晴らしい舟航風景が展開されていたことでしょう! そして、このような巨大ダムが建設されてなお、無視しえなかった通船量が当時はあった、というあたりにも、胸を熱くしてしまうのです!

残念ながら、鹿瀬ダムのインクラインについて述べた資料を未見のため、諸元についてはわかりません。今はただただ、ここに大規模な舟航施設がかつてあった、それを写真で知り得たということがたまらなく嬉しく、とり急ぎ、垂れ流させていただいた次第です。

(28年5月28日撮影)

(『道の駅「阿賀の里」に向かう』につづく)

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国府台に魅せられて

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あるときふと、「江戸川の国府台を、久しく見ていないなあ」と気づかされて、過去の写真をほじくり返してみました。

過去ログのころから、すでに何度か触れましたが、東京近郊では数少ない、緑したたる台地の崖線が流路に迫る、いわば水路の景勝地といってもよいところです。

青空の下、もくもくとした豊かな森を河水が洗うような、いかにも国府台といった写真があったはず‥‥と探してみると、見られそうなのは上に掲げた、21年6月7日撮影のもののほか、数枚くらい。足かけ7年前とは、ずいぶんご無沙汰してしまったものです。

写真を眺めていたら、水が温み、葉の色も鮮やかになる新緑の季節に、久しぶりに訪ねてみたくなりました。遠目には布団をかぶせたような、どこかふわりとした質感の緑のライン、大屈曲のアウトラインを走る堤防が、大地の裾に吸い込まれてゆく独特の風情に、変わりはないでしょうか。

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(市川名所)鴻之臺附近江戸川ノ清流(水月堂發行)
宛名・通信欄比率1:1、大正7年4月以降の発行

上の写真と近い角度から撮った絵葉書があったことを思い出して、アルバムをひっくり返してみました。すでに「利根川高瀬舟の写真四題」でも、国府台を題材にした昔の絵葉書を2点紹介しているので、併せてご覧ください。

端舟を曳いた高瀬舟が、順風を得て続々と遡上する光景! これがカラーだったら、満々と風をはらんだ白帆が、バックの緑に映えて、目に沁みるような美しさだったことと思います。当時の写真師にも、「絵になる風景」として認識されていたのでしょうね。また、仮に撮影が大正の半ばだったとして、江戸時代とさして変わらぬ舟航風景が展開されていたことにも、興味を大いにそそられるものがあります。

関東はともかく、目を全国に広げれば、平野で山を間近に見る、あるいはちょっとした高台が迫る可航河川というのは、多くないとはいえ、決して珍しいものではないでしょう。

それでも、国府台にどこか「別格」という感じがしてしまうのは、自艇の行動範囲内という身内びいきもありましょうが、ここが関東の大水運時代を支えた、メインライン中のメインラインであったことが大きいと思います。大型川船がひきもきらず上下し、白帆が絶えることのなかった大河だったからこそ、こういった絵葉書の題材として、たびたび取り上げられたのではないでしょうか。

船影濃かったかつてはもちろん、今なお水路の名勝であることは疑いのない国府台ですが、いにしえを思い起こさせるイメージがあると、興趣ますますそそられるものがあります。おりしも水ぬるむ季節、金町の取水塔とあわせて、河水洗う新緑の台地を久しぶりに訪ねてみたいものです。


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タグ : 江戸川 利根川高瀬舟 絵葉書・古写真 国府台

牛堀・権現山の絵葉書

1月2日に訪ねた、水郷は牛堀の権現山公園(『権現山公園と新横利根閘門』参照)から見た風景と、ほぼ同じ視点から撮った古い絵葉書があったのを、すっかり忘れていました。

まったくトシはとりたくないものですが、せっかく気づいたということもあり、自分の撮った写真と並べて悦に入ろうと、ここに掲げさせていただきます。

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【水郷景勝】双眸に冴えわたる美と平和の繪画的風景。牛堀附近の展望
宛名・通信欄比率1:1、大正7年4月以降の発行。

正面から左手に屈曲して消えてゆく、横利根川の穏やかな川面、あくまで平らかな、典型的水郷風景が一望のもと。

東京や上利根各河港とを結ぶような、長距離航路はすでに衰えていたとはいえ、霞ケ浦・北浦の各地や、佐原・銚子など下利根を往来する便はなお盛んだった時代で、水郷汽船自慢の大型客船も、目前の横利根川を通って観光客を運んでいたころです。

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権現山公園と新横利根閘門」より再掲。改めて比較してみると、河道は拡幅され、堤防や閘門が整備されて、対岸も家が建て込んでと、変化がはっきり見てとれるものの、水郷らしい雰囲気はまったく失われていないのに嬉しくなります。

特に手前の牛堀の家並み、どこか箱庭然とした、肩を寄せ合ったような風情は当時と変わらず、河港として栄えていた時代を髣髴させるものがありますね。

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【鹿島・香取名勝】空に水に爽涼の色溢れる、牛堀橋附近の佳景。
宛名・通信欄比率1:1、大正7年4月以降の発行。

もう一枚、牛堀の河畔から対岸を写したものもあったので、ついでといっては何ですがご参考まで。主題になっている牛堀橋は、現在の北利根橋の先代橋で、上路式鈑桁橋ながら、下端に曲線を用いたり、中央径間を下路式にして船舶に配慮したりと、水郷らしさが感じられる外観ですね。
残念ながら資料がなく、橋の竣工年がわからなかったのですが、「北利根橋」(『目的地までが目的地』より)によると、昭和7年竣工とのこと。

なるほどサイト主さんのおっしゃる通りで、水郷大橋(『横利根閘門遊覧…4』参照)、神宮橋の先代橋と同世代で、陸路鹿島まで行けるルート‥‥現国道51号が成立した時期の完成とみれば、しっくりきます。河川航路が欠くことのできない交通手段だった水郷地域にも、近代陸上交通の第一波が押し寄せてきた、そんな時代だったのですね。

最後によい機会なので、明治43年発行の河川航路ガイド、「利根川汽船航路案内」から、「牛堀汽船寄港場」の項を抜粋してみましょう。
‥‥霞ヶ浦及北浦、利根川等へ通ずる汽船航路の分岐點たり戸数二百戸、人口七百餘人有り」
「此地汽船の發着は左の如し/鉾田行 往復 二回/鹿島行 同 四回/佐原行 同 五回/土浦行 同 三回/高濱行 往復 一回/銚子行 同 二回


町としてはささやかな規模ながら、四通八達していた川汽船航路の、まさに要であったことがわかります。「水駅」という言葉がしっくりくるような、川蒸気の煙絶えない河岸場風景を想像して、しばし陶然となったことではありました。
撮影地点のMapion地図

(28年1月2日撮影)

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