前川二閘門の変化…3
(『前川二閘門の変化…2』のつづき)

●管理橋からふたたび眺めた前扉室と、後扉室の扉体をのぞいたところ。もしかすると、次に訪ねたときは変わり果てた姿になっているかもしれないと思うと、さまざまな角度から記録しておきたいと、あちこちのぞき込んだものでした。
前回訪問時も、閘門の周囲は数台のクルマが停まり、釣り人さんで賑わっていましたが、この日も同様でした。扉体が開放されて鰐川と通水している分、釣果はよくなったのでしょうか。

●機能を止めた閘門に少々気落ちしながらも、堤防上から望む鰐川畔の水辺風景は雄大そのもので、快晴も手伝ってまあ、気持ちのよいこと。しばし景色を堪能してから、さて、大洲閘門に向かうとしましょう。
●前川に沿った道を西へ走りながら、川面の様子を観察。見たかぎり、水位低下をやめた分、ヒタヒタになっているような‥‥のは当然としても、どのくらい水位差があったのか。0.5mくらいでしょうか。
右手に見える田んぼの標高より、水面の方がわずかに高いか、同じくらいに見えますがいかがでしょう。排水はポンプで行われているのかな?

●道半ばを過ぎたあたりで、いきなり建造中の橋がヌッと現れ、平坦な風景の中だけに意表を突かれました。前後の形からして、これから築堤が伸びてくるようですね。
右手、重機の見えるあたりに、看板があったので読んでみると、東関東自動車道・水戸線の橋を造っているとのこと。長らく潮来が終点だった東関道もいよいよ延伸され、鉾田まで来ている片割れといずれつながるのですね。
【撮影地点のMapion地図】←場所は推定です。
(令和5年1月2日撮影)
(『前川二閘門の変化…4』につづく)

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前回訪問時も、閘門の周囲は数台のクルマが停まり、釣り人さんで賑わっていましたが、この日も同様でした。扉体が開放されて鰐川と通水している分、釣果はよくなったのでしょうか。

●機能を止めた閘門に少々気落ちしながらも、堤防上から望む鰐川畔の水辺風景は雄大そのもので、快晴も手伝ってまあ、気持ちのよいこと。しばし景色を堪能してから、さて、大洲閘門に向かうとしましょう。

右手に見える田んぼの標高より、水面の方がわずかに高いか、同じくらいに見えますがいかがでしょう。排水はポンプで行われているのかな?

●道半ばを過ぎたあたりで、いきなり建造中の橋がヌッと現れ、平坦な風景の中だけに意表を突かれました。前後の形からして、これから築堤が伸びてくるようですね。
右手、重機の見えるあたりに、看板があったので読んでみると、東関東自動車道・水戸線の橋を造っているとのこと。長らく潮来が終点だった東関道もいよいよ延伸され、鉾田まで来ている片割れといずれつながるのですね。
【撮影地点のMapion地図】←場所は推定です。
(令和5年1月2日撮影)
(『前川二閘門の変化…4』につづく)

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前川二閘門の変化…2
(『前川二閘門の変化…1』のつづき)

●堤防上に戻って、閘室を改めてのぞいてみると‥‥あっ、前扉室だけでなく、後扉室もゲートが開放されている!
ということは、前川が鰐川と同じ水位になったこと、つまり水位低下化河川でなくなったことを意味しています。これには驚かされました。どういったいきさつでこうなったのかはわかりませんが、水位差がなくなったということは、閘門が不要になったと考えて間違いないでしょう。

●南側に出て、後扉室ゲートを一枚。こちらも信号は消灯しており、生気が感じられません。
もう一つ気になったのは、どちらも扉体が全開でなく、通水だけを目的としたような、中途半端な開き方であったこと。つまり、水は通しても、船底の進入は拒みたい、という意思を感じたのでした。前扉室にも、「通船禁止」などと表記した看板はなかったものの、これではカヤック程度でも通れなさそうです。
●管理橋を渡ると、閘室の水面へ降りる階段の扉が開放されていたので、失礼して降りてみました。
前川の堤防がかさ上げ・強化されたとか、水田などの排水を他に取るようにしたとか、水位低下が不要になった理由は何でしょう。前川の西を守るもう一つの閘門、大洲閘門も同様なのでしょうか。

●閘室の水面近くから鰐川方、前扉室を見上げて。この様子だと、次に訪ねたら後扉室が撤去され、前扉室だけ‥‥つまり、単なる樋門になっているかもしれないと、マイナス思考になりながら眺めたものです。
何しろ同じ水郷の小閘門では、扇島閘門の前例がありますから、そう考えてしまうのも無理からぬところ。ああ、また水郷から魅力的な閘門風景が消えるのか‥‥(脳内ですっかり既定の事実に)。
【撮影地点のMapion地図】
(令和5年1月2日撮影)
(『前川二閘門の変化…3』につづく)

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●堤防上に戻って、閘室を改めてのぞいてみると‥‥あっ、前扉室だけでなく、後扉室もゲートが開放されている!
ということは、前川が鰐川と同じ水位になったこと、つまり水位低下化河川でなくなったことを意味しています。これには驚かされました。どういったいきさつでこうなったのかはわかりませんが、水位差がなくなったということは、閘門が不要になったと考えて間違いないでしょう。


もう一つ気になったのは、どちらも扉体が全開でなく、通水だけを目的としたような、中途半端な開き方であったこと。つまり、水は通しても、船底の進入は拒みたい、という意思を感じたのでした。前扉室にも、「通船禁止」などと表記した看板はなかったものの、これではカヤック程度でも通れなさそうです。

前川の堤防がかさ上げ・強化されたとか、水田などの排水を他に取るようにしたとか、水位低下が不要になった理由は何でしょう。前川の西を守るもう一つの閘門、大洲閘門も同様なのでしょうか。

●閘室の水面近くから鰐川方、前扉室を見上げて。この様子だと、次に訪ねたら後扉室が撤去され、前扉室だけ‥‥つまり、単なる樋門になっているかもしれないと、マイナス思考になりながら眺めたものです。
何しろ同じ水郷の小閘門では、扇島閘門の前例がありますから、そう考えてしまうのも無理からぬところ。ああ、また水郷から魅力的な閘門風景が消えるのか‥‥(脳内ですっかり既定の事実に)。
【撮影地点のMapion地図】
(令和5年1月2日撮影)
(『前川二閘門の変化…3』につづく)

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前川二閘門の変化…1

いつもは朝一番で着くところ、寝坊して昼近くとなったこともあり、駐車場は徒歩10分の山の麓、本殿の前は長蛇の列。かえってお正月らしい賑わいが体感できて、よかったかもしれません。

●お札をいただいた後は、これも恒例の水郷ドライブへ。冬の陽射しを浴びながら、新利根川に沿って東へ進みます。雲一つない澄んだ青空、開けた水辺風景‥‥ああ、水郷って何度来てもいいものですねえ。
今回は、潮来の前川にある二つの小閘門を訪ねてみようと思いました。特に鰐川と接するところにある米島閘門は、過去ログ「米島閘門…1」以来の再訪で、15年ぶりです。

●米島閘門に到着。堤防上に上がれば、広大な鰐川を渡ってくる川風が身に沁みるところですが、好天で暖かな日和であったのは何よりでした。
華奢に感じる堰柱の上に、少々大ぶりとも思える箱型の巻上機室が載った、頭でっかちでユーモラスな感じのする、小さなセルフ操作閘門。こうして並列するゲートを眺めたかぎりでは、15年前とあまり変わりがないように見えました。

●久闊を叙しつつスキンシップをはかろうと、鰐川の高水敷へ。閘門ゲートの右に併設された樋門ゲート、その規模ゆえにやけに目立つ螺旋階段‥‥特異な構造を持つ極小閘門らしい表情、いいですねえ。こちらから見ても、巻上機室壁面の塗装が少しはげ、年齢並みにくたびれた以外は、さしてお変わりないような。
あれ? と気づかされたのは、眺めて一息ついてから。閘門ゲートが中途半端に開いているのと、信号が点灯していないこと。点検か何かで、運転を止めているのかな?

盤上の銘、劣化しはがれて読みにくくなっていましたが、「西田鉄工株式会社 熊本県宇土市松山町」でしょうか。
【撮影地点のMapion地図】
(令和5年1月2日撮影)
(『前川二閘門の変化…2』につづく)

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極小閘門づくし

閘門が大好きです。
近場にある江戸川・扇橋・荒川の3閘門を、自艇でたびたび訪ねては通航するのも、もちろん大好きですが、陸路おもむいて他地方の閘門を見に行ったり、観光船を借りて通航したりするのも、自艇で通るのとは、また違った楽しさがあるものです。
●中でもどういわけだか、自分の艇ではちょっと通ることの難しそうな、小さな小さな閘門たちに、以前より特に惹かれるものがありました。小粒ながら、一人前に扉体で水を受け止めるミニ閘門たちを前にすると、何か模型を見るような楽しさがあり、つい時間を過ごしてしまうこともしばしばでした。
例によって、写真を並べて一人悦に入ってみたくなったこともあり、今回は、今までに出会った極小閘門のスナップを集めてみましょう。
以下に並べたものは、あくまで私の感覚で選んだものですが、改めて選んだものを見てみると、大体径間4~5m以下のものに、グッとくるところがあるようです。なお、陸路訪ねて銘板が確認できたものには、極力寸法などを明記することにしました。
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