松江堀川めぐり…14
(『松江堀川めぐり…13』のつづき)
●米子川を半ばまで進むと、左に見えてきたのは、堀に面した喫茶スペースを持つスーパー、ラパン。平成8年に建て替えた際、水面への眺望を確保した造りとしたところ、折りよく2年目から堀川遊覧がスタート。ここで行きかうフネブネを眺めながら、のんびりお茶をするのも楽しいでしょう。
松江市は観光を重視しているだけあって、景観条例があり、堀川沿いも、派手な広告は厳しく規制されているとのこと。なるほど、どの堀からの眺めも、すっきりと落ち着いて見えるのは、広告の看板が少ないせいもあるのですね。

●この先米子川の流頭部まで橋はなく、静かな住宅地が続きます。前回も触れたように、堀に面した庭を持つ家も見られるのですが、あまりお他人様の庭先を、ジロジロ眺め回すのも考えもの…。
と思っていたら、ある家の庭から、ものすごい生え方をしている松を発見。脚立が立てられているところを見ると、いよいよ堀から棒でつっかえなければ、倒れてしまうようです。これは思わず目線が吸い寄せられました。

●くだんのお宅に近づいてみると、護岸の上や縁側には、お人形やぬいぐるみが並べられて、明らかに遊覧船のお客を意識している雰囲気…。
しかも、ガラス戸には「手を振れば 一期一会の旅人も 手を振り返す 堀川の舟」と一句が掲げられています。私、こういうおもてなしには非常に弱いんです! 胸が熱くなりました。
船頭さんのお話では、「このお宅のご主人はとても堀川遊覧船に協力的で、休日には縁側に出て、お客さんに手を振ってくださるんです」とのこと。次回はぜひ、お会いしてみたいものです。

●米子川の岸には、ほとんどの区間に渡って、丸木を打ち込んだ土留めが施され、花などが植えられていますが、写真のようにところどころ、いわくありげな石積みの凸部が見られ、興味をそそられます。
船頭さんは気持ちを見透かしたように、「左の母衣町は、昔武士の住んでいた地域で、石垣は船着場の跡です」と、説明してくれました。一見、平凡な都市河川の中に、さりげなく遺跡が顔を出しているのが素敵です。

●大きな栴檀が、覆いかぶさるように枝を伸ばす一角を過ぎると、米子川の終点です。
北堀川との丁字流を左へ曲がり、堀川めぐりはいよいよ、最終コースへ…。
【撮影地点のMapion地図】

(21年2月6日撮影)
(『松江堀川めぐり…15』につづく)

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●米子川を半ばまで進むと、左に見えてきたのは、堀に面した喫茶スペースを持つスーパー、ラパン。平成8年に建て替えた際、水面への眺望を確保した造りとしたところ、折りよく2年目から堀川遊覧がスタート。ここで行きかうフネブネを眺めながら、のんびりお茶をするのも楽しいでしょう。
松江市は観光を重視しているだけあって、景観条例があり、堀川沿いも、派手な広告は厳しく規制されているとのこと。なるほど、どの堀からの眺めも、すっきりと落ち着いて見えるのは、広告の看板が少ないせいもあるのですね。

●この先米子川の流頭部まで橋はなく、静かな住宅地が続きます。前回も触れたように、堀に面した庭を持つ家も見られるのですが、あまりお他人様の庭先を、ジロジロ眺め回すのも考えもの…。
と思っていたら、ある家の庭から、ものすごい生え方をしている松を発見。脚立が立てられているところを見ると、いよいよ堀から棒でつっかえなければ、倒れてしまうようです。これは思わず目線が吸い寄せられました。

●くだんのお宅に近づいてみると、護岸の上や縁側には、お人形やぬいぐるみが並べられて、明らかに遊覧船のお客を意識している雰囲気…。
しかも、ガラス戸には「手を振れば 一期一会の旅人も 手を振り返す 堀川の舟」と一句が掲げられています。私、こういうおもてなしには非常に弱いんです! 胸が熱くなりました。
船頭さんのお話では、「このお宅のご主人はとても堀川遊覧船に協力的で、休日には縁側に出て、お客さんに手を振ってくださるんです」とのこと。次回はぜひ、お会いしてみたいものです。

●米子川の岸には、ほとんどの区間に渡って、丸木を打ち込んだ土留めが施され、花などが植えられていますが、写真のようにところどころ、いわくありげな石積みの凸部が見られ、興味をそそられます。
船頭さんは気持ちを見透かしたように、「左の母衣町は、昔武士の住んでいた地域で、石垣は船着場の跡です」と、説明してくれました。一見、平凡な都市河川の中に、さりげなく遺跡が顔を出しているのが素敵です。

●大きな栴檀が、覆いかぶさるように枝を伸ばす一角を過ぎると、米子川の終点です。
北堀川との丁字流を左へ曲がり、堀川めぐりはいよいよ、最終コースへ…。
【撮影地点のMapion地図】

(21年2月6日撮影)
(『松江堀川めぐり…15』につづく)

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松江堀川めぐり…13
(『松江堀川めぐり…12』のつづき)
●船着場のように見えたここは、城東地区緑地公園というそうで、堀沿いの細長い土地を利用して造られた、親水テラスつきの公園です。遊覧船就航からしばらくして、堀川めぐりにふさわしい景観をとの声があり、従来からあった児童公園を改修したものだとか。
古風な家並みの見えるテラスの階段には、鉢植えが並べられて、清掃も行き届いているようです。船頭さんのお話では、花壇や鉢植えの手入れ、公園の清掃は、ご近所の有志の方によるとのこと。地元を挙げて、堀川観光に取り組んでいるさまがうかがえました。

●前方に、木造風にあつらえた反り橋が迫ってきました。新米子橋です。
イヤ、しかし、この桁下の低さ! まさに、すり抜けるという言葉がピッタリの小橋ですね。
ちなみに、橋の名前にもなった米子町は右手にあり、その名のとおり、松江城築城時に、米子から呼び寄せた職人が住み着いた町だそうです。

●緊迫のすり抜けシーン(笑)。平成3年の竣工だそうですが、反り具合といい、こじんまりとしたサイズといい、バランスの取れた格好の良い橋です。
ふと、「何らかの理由で、水位が少しでも上がったら、くぐれない橋が出てくるのでは?」…という疑問を抱いたのですが、帰宅してから本を読んでみると、なるほどと思わせる記事がありました。
夜来の雨で水位が高すぎたり、逆に低すぎて航行に支障がありそうな場合は、宍道湖からの浄化用水をポンプアップしている末次ポンプ場に、堀川めぐりの乗船場から、電話で要請があるのだそうです。
ポンプ場では、テレメーター水位や、気圧の変化まで勘案して、水門やポンプを操作して導排水し、水位を調整しているのだとか。水郷十六島同様、裏方さんの働きによって、水位が保たれているのですね。

●米子町のこのあたりは、アパートやマンションが並んでいます。どれもベランダを堀に向けており、なかなか日当たりはよさそう。この対岸には、サンルームや庭を堀に向けて設けた、素敵な家もありました。米子川は、沿岸の人々に愛されているようですね。
この幅の狭さが、水路バカとしてはまことにイイ感じなのですが、かつての米子川は、幅が現在の倍以上あり、左右の岸は、それぞれ明治維新後と終戦直後に、埋め立てられたのだそうです。

●こ、この装飾過剰というか…お気遣いはありがたいのですが、結果的に微妙な雰囲気(失礼)になってしまった橋は、米子橋。桁を羽目板で覆い、銅板葺きの屋根や格子まで作り付け、橋脚も板でケーシングと、涙ぐましいお化粧ぶりで、そのいじましさに涙しました(笑)。
もっとも船頭さんによれば、現在架け替え工事が進んでおり、この一生懸命な姿も、間もなく見られなくなるとのこと。う~ん、実は古くて、貴重な桁橋だったのかなあ…。裸になった姿も、見てみたかったです。
【撮影地点のMapion地図】

(21年2月6日撮影)
(『松江堀川めぐり…14』につづく)

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●船着場のように見えたここは、城東地区緑地公園というそうで、堀沿いの細長い土地を利用して造られた、親水テラスつきの公園です。遊覧船就航からしばらくして、堀川めぐりにふさわしい景観をとの声があり、従来からあった児童公園を改修したものだとか。
古風な家並みの見えるテラスの階段には、鉢植えが並べられて、清掃も行き届いているようです。船頭さんのお話では、花壇や鉢植えの手入れ、公園の清掃は、ご近所の有志の方によるとのこと。地元を挙げて、堀川観光に取り組んでいるさまがうかがえました。

●前方に、木造風にあつらえた反り橋が迫ってきました。新米子橋です。
イヤ、しかし、この桁下の低さ! まさに、すり抜けるという言葉がピッタリの小橋ですね。
ちなみに、橋の名前にもなった米子町は右手にあり、その名のとおり、松江城築城時に、米子から呼び寄せた職人が住み着いた町だそうです。

●緊迫のすり抜けシーン(笑)。平成3年の竣工だそうですが、反り具合といい、こじんまりとしたサイズといい、バランスの取れた格好の良い橋です。
ふと、「何らかの理由で、水位が少しでも上がったら、くぐれない橋が出てくるのでは?」…という疑問を抱いたのですが、帰宅してから本を読んでみると、なるほどと思わせる記事がありました。
夜来の雨で水位が高すぎたり、逆に低すぎて航行に支障がありそうな場合は、宍道湖からの浄化用水をポンプアップしている末次ポンプ場に、堀川めぐりの乗船場から、電話で要請があるのだそうです。
ポンプ場では、テレメーター水位や、気圧の変化まで勘案して、水門やポンプを操作して導排水し、水位を調整しているのだとか。水郷十六島同様、裏方さんの働きによって、水位が保たれているのですね。

●米子町のこのあたりは、アパートやマンションが並んでいます。どれもベランダを堀に向けており、なかなか日当たりはよさそう。この対岸には、サンルームや庭を堀に向けて設けた、素敵な家もありました。米子川は、沿岸の人々に愛されているようですね。
この幅の狭さが、水路バカとしてはまことにイイ感じなのですが、かつての米子川は、幅が現在の倍以上あり、左右の岸は、それぞれ明治維新後と終戦直後に、埋め立てられたのだそうです。

●こ、この装飾過剰というか…お気遣いはありがたいのですが、結果的に微妙な雰囲気(失礼)になってしまった橋は、米子橋。桁を羽目板で覆い、銅板葺きの屋根や格子まで作り付け、橋脚も板でケーシングと、涙ぐましいお化粧ぶりで、そのいじましさに涙しました(笑)。
もっとも船頭さんによれば、現在架け替え工事が進んでおり、この一生懸命な姿も、間もなく見られなくなるとのこと。う~ん、実は古くて、貴重な桁橋だったのかなあ…。裸になった姿も、見てみたかったです。
【撮影地点のMapion地図】

(21年2月6日撮影)
(『松江堀川めぐり…14』につづく)

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松江堀川めぐり…12
(『松江堀川めぐり…11』のつづき)
●まるで東京の水路のように、建物が水面に背を向けている東本町の水辺ですが、家並みのすき間から堀に張り出している、古そうな石段を見ることができました。
さすが松江、一見、水辺との縁が薄そうな地区でも、昔ながらのインフラがそこここに残されていて、小さな発見をしたような面白さが味わえます。

●同じく東本町の岸に、初めて堀川めぐり観光舟以外の船を発見。料理屋さんらしい店の桟橋にもやわれているところをみると、堀川をめぐりながら、宴会ができるのでしょうか。
あとで調べてみたところ、この船は隠岐料理の店、「鶴丸」の持ち船でした。昭和初期に廃れてしまった、堀川での舟遊びを復活させようと、隠岐出身の社長の発案で、平成9年に就航させたものだそうです。

●これも都市河川らしい、シンプルな外観の桁橋、栄橋。ここから京橋川の川幅が、少し狭まります。
写真左端、松の植わった石垣の張り出しが気になる…。旧橋台地か、常夜灯でも建てられていた跡かしら?

●栄橋を過ぎたあたりで、舟は左に舵を取りました。京橋川とはここでお別れ、米子川に入るのです。
米子川で最初にくぐる橋は、左に見える甲部橋。鋼桁橋ですが、コンクリート製の高欄が古そうで、いい感じです。ここでまたまた、オーニング降下…。

●米子川に入りました。
うほほ、これまた狭い、そそる水路ですね。左には、松江赤十字病院の建物が、水面上まで張り出しています。建築基準が、あまり厳しくないのでしょうか、これもよその水路ではあまり見られない、珍しい光景に思えました。
右側には、船着場のようなものも見えます。親水公園かな?
【撮影地点のMapion地図】

(21年2月6日撮影)
(『松江堀川めぐり…13』につづく)

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●まるで東京の水路のように、建物が水面に背を向けている東本町の水辺ですが、家並みのすき間から堀に張り出している、古そうな石段を見ることができました。
さすが松江、一見、水辺との縁が薄そうな地区でも、昔ながらのインフラがそこここに残されていて、小さな発見をしたような面白さが味わえます。

●同じく東本町の岸に、初めて堀川めぐり観光舟以外の船を発見。料理屋さんらしい店の桟橋にもやわれているところをみると、堀川をめぐりながら、宴会ができるのでしょうか。
あとで調べてみたところ、この船は隠岐料理の店、「鶴丸」の持ち船でした。昭和初期に廃れてしまった、堀川での舟遊びを復活させようと、隠岐出身の社長の発案で、平成9年に就航させたものだそうです。

●これも都市河川らしい、シンプルな外観の桁橋、栄橋。ここから京橋川の川幅が、少し狭まります。
写真左端、松の植わった石垣の張り出しが気になる…。旧橋台地か、常夜灯でも建てられていた跡かしら?

●栄橋を過ぎたあたりで、舟は左に舵を取りました。京橋川とはここでお別れ、米子川に入るのです。
米子川で最初にくぐる橋は、左に見える甲部橋。鋼桁橋ですが、コンクリート製の高欄が古そうで、いい感じです。ここでまたまた、オーニング降下…。

●米子川に入りました。
うほほ、これまた狭い、そそる水路ですね。左には、松江赤十字病院の建物が、水面上まで張り出しています。建築基準が、あまり厳しくないのでしょうか、これもよその水路ではあまり見られない、珍しい光景に思えました。
右側には、船着場のようなものも見えます。親水公園かな?
【撮影地点のMapion地図】

(21年2月6日撮影)
(『松江堀川めぐり…13』につづく)

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