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北楯頭首工と北楯堰…2

(『北楯頭首工と北楯堰…1』のつづき)

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水路に沿って県道45号線を東へ進むと、やがて水路は90度近く流路を曲げ、県道の下をくぐって北上するかたちになりました。ここが先ほど、樋門を目にした地点です。

道から降りてみると、水路の屈曲に沈砂池らしい水面があって、それを囲むように3つの水門があり、そのうち一つは県道の下に至る本流を管制している造り。写真の水門がそれですが、目はすでに左の、古そうな樋門に吸い寄せられていました。往きの道路上からはわからなかったので、これは嬉しい伏兵です!

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5径間、コンクリート製ながら、竣工6~70年は下らない雰囲気。水路の改良とともに、上写真の新しい水門が完成したことで、すでに役目は終えたのでしょう、扉体や巻上装置はきれいに取り外されていました。

樋門の左右に伸びる護岸も石垣製で、この灌漑水路が古くから利用されてきたことを感じさせました。さて、せっかく出会ったのだから、せめて名前が知りたいところ。銘板や竣工記念碑のたぐいがあればと、周囲を嗅ぎ回ってみることに。

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裏側は管理橋というか、扉体を操作するための足場があつらえられていて、可愛らしい親柱もあったのですが、銘板のたぐいはなし。しかし、星霜を経たコンクリートの肌といい、鳥居を思わせる梁の張り出しといい、実に味がありますね。梁の天には、径間と同じ数だけセメントで塞いだ穴の跡が見られ、扉体を上下するスピンドルか何かが、梁を貫いていたことがわかりました。

県道を渡った東岸には、水神大権現を祀った小さな祠があり、お賽銭を奉納してご挨拶したものの、他に水路に関連した碑などは見当たらず、ちょっと拍子抜けした思い。

ちなみに県道の橋(下写真)は、4枚の銘板があり、写真のものから反時計回りに「北楯堰橋」、「北楯大堰」、「きただてせきはし」、「昭和51年3月拡巾」とありました。

う~ん、「大堰」はいくらなんでも盛り過ぎだなあ、今の北楯頭首工に当たる、旧取水堰を指しているのかしら? それにしても、堰から遠く隔たった灌漑水路の樋門を渡る橋に、「大堰」の名を掲げるのはいかにも違和感があります。ハテ? この謎は、ずいぶん後に解明されることになりました。

183094.jpg帰宅後、しばらくたってから検索してみると、「北楯大堰 周辺マップ」なる、カラー2ページのPDFがヒット。

それによると、どうも「北楯大堰」は、この灌漑水路そのものを指す呼び名のようだと知って、驚きました。さらに、慶長17(1612)年に開鑿された、実に竣功398年を数える歴史ある用水であり、しかも「日本の疏水百選」にも選ばれているとのこと。まあ何というか、三度ビックリとしかいいようがありませなんだ。

取水施設の名がそのまま水路名になっているとは、意外を通り越して斜め上の感がありましたが、一番知りたかったこの古い樋門の名は、PDFの地図でもなぜか触れられておらず、わからずじまい。何やら、モヤモヤ感のみ残ったという結末ではありました。

183095.jpgというわけで、水路に関する遺物は見つからなかったものの、むしろ最初に引き寄せられたのがこちら。橋の西詰北側、山裾を小高く削平してあり、石碑らしいものもいくつかあって、非常に目立ちます。

左端にある石碑の碑文をざっと読み下してみると、この地は戊辰戦役の古戦場で、碑の右にいくつかある墓石は、この地で斃れた官軍兵士のお墓なのだそう。思わず手を合わせましたが、驚かされたのは賛助者の芳名に、首相時代の岸信介以下、当時の閣僚や山形県知事などが名を連ね、右端の大きな石碑も、岸首相の揮毫によるものだったことです。

そういえば、この北にある集落・清川も、幕末の活躍で知られる、清河八郎の生誕地なのだそうですね。頭首工や樋門に惹かれて、知らないうちに、濃厚な歴史スポットに迷い込んでいたというお粗末でした。
撮影地点のMapion地図

(27年11月22日撮影)

(『酒田港の官船二隻』につづく)

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タグ : 北楯堰立谷沢川

北楯頭首工と北楯堰…1

(『山間のノッポ閘門! さみだれ大堰舟通し…7』のつづき)

183086.jpg往路、さみだれ大堰より500mほど下流で、最上川に合流する立合沢川を渡ったのですが、そのとき、橋の上から西側に堰のようなものが見えたので、軽く寄り道してみることにしました。

門柱に掲げられた銘板には「北楯頭首工」とあり、やはり灌漑のための堰のようです。残念ながら扉が閉まっていて、敷地内には入れなかったので、まずは上流側に回ることに。

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河畔に出てみると、北岸側に3本の堰柱を擁する、2径間の可動堰を設けた頭首工の全貌が望めました。頭首工全体では、ここから見えるかぎり7径間あるようですね。写真手前に少し見えるように、すぐ上流側にも固定堰があります。隣接し過ぎているので、もしかしたら、この固定堰は旧頭首工の名残りなのかもしれません。

落差を白波を立てて流れる水音、背景には広大な丸石の河原が陽光に輝いて、山肌が見せる浅い谷の陰翳とあわせ、これまた爽やかな水門風景。かつてはこういった河相厳しい支派川にも、フネブネの姿が引きも切らなかった時代があったのでしょう。

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高水敷と、人の頭ほどもある大きなゴロタ石の河原をえっちらおっちら迂回して、下流側のほぼ正面に出ました。

可動堰部分の堰柱は、緑色の三角屋根をかむった、ちょっとユーモラスな感じのする外観。扉体はシェル式ローラーゲートでしょうか。構造からして、北岸側にのみ取水しているのでしょう。

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河原から下流、最上川との合流点を眺めると、陸羽西線の鈑桁橋が青い一本線になって、枯葉色の山肌にくっきり浮かび上がって、実にきれい。

蒸気機関車の走っていた時代は、きっと見事な情景が展開されていたことでしょう。

183090.jpgさて、頭首工となれば、堰上げた水を流す、灌漑水路がつきもの。三本の導流板を立てた吐口から、まだ新しそうなコンクリート製の水路に、澄んだ水がさらさらと流れていました。

実は北楯頭首工に着く前、灌漑水路の少し下流に、樋門らしきものを見かけていたのです。分水施設か何かに違いない、ついでにそちらも楽しんでおこうと、水路沿いに歩いてみることにしました。
撮影地点のMapion地図

(27年11月22日撮影)

(『北楯頭首工と北楯堰…2』につづく)

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