「道の駅あきた港」にて…4
(『「道の駅あきた港」にて…3』のつづき)
●道の駅のエリアと岸壁が、いかに近いかを記録しておきたくて一枚。右手は駐車場の周回道路で、一般車だけでなく、路線バスも入ってきます。
歩道をはさんで、岸壁のスペースとを隔てるのはご覧のとおり、チェーンを渡した低いポールの柵だけ。おフネ見の眺望をさえぎるものは、何もないに等しいのです! いや、この開放感、素晴らしいじゃないですか。

●先ほどから気になっていた巡視艇‥‥おっと巡視船に近づいて。PS20「しんざん」、秋田海上保安部、「びざん」型巡視船の一隻で、平成31年竣工。こちらもまた、なんとも間近で眺め放題といったところ。ありがたいことです。
●同じ岸壁の左手に横付けしているのは‥‥入港船に燃料を供給する、油船ですね。まるでお祭りの提灯のように、玉状のフェンダーをいくつもぶら下げているため、船名が隠れているのが残念。
Rのついた操舵室の妻に掲げられた社章、両舷に大書きされた「火気厳禁」の書体と、ディテール一つ一つに味わいのある、ベテランの香りがする油船、いいものでした。

●さらに左手、少し離れた岸壁にもやっていた「ちょうかい」なる艇は‥‥。検索してみたら、秋田船川税関支署の監視艇とのこと。小型のステップバウが、任務柄の引き締まった感じがしますね。

●タワー上から廃線跡が見えたので、そちらにも少し寄ってみようと歩いていくと、特に柵もなかったので線路敷に入り(ごめんなさい)、一枚ものしてきました。
秋田臨海鉄道南線の跡で、秋田運河を渡り日本製紙工場まで線路が伸びていましたが、一昨年廃止になったそうです。ご覧のようにレールがはがされ、枕木と道床だけになった寂寥感あふれる風景でしたが、まだ撤去から間がないせいか草に埋もれてはおらず、足元から鉄の匂いが立ち昇ってくるようでした。
【撮影地点のMapion地図】
(令和5年7月25日撮影)
(『八郎潟の閘門を訪ねて…1』につづく)

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歩道をはさんで、岸壁のスペースとを隔てるのはご覧のとおり、チェーンを渡した低いポールの柵だけ。おフネ見の眺望をさえぎるものは、何もないに等しいのです! いや、この開放感、素晴らしいじゃないですか。

●先ほどから気になっていた巡視艇‥‥おっと巡視船に近づいて。PS20「しんざん」、秋田海上保安部、「びざん」型巡視船の一隻で、平成31年竣工。こちらもまた、なんとも間近で眺め放題といったところ。ありがたいことです。

Rのついた操舵室の妻に掲げられた社章、両舷に大書きされた「火気厳禁」の書体と、ディテール一つ一つに味わいのある、ベテランの香りがする油船、いいものでした。

●さらに左手、少し離れた岸壁にもやっていた「ちょうかい」なる艇は‥‥。検索してみたら、秋田船川税関支署の監視艇とのこと。小型のステップバウが、任務柄の引き締まった感じがしますね。

●タワー上から廃線跡が見えたので、そちらにも少し寄ってみようと歩いていくと、特に柵もなかったので線路敷に入り(ごめんなさい)、一枚ものしてきました。
秋田臨海鉄道南線の跡で、秋田運河を渡り日本製紙工場まで線路が伸びていましたが、一昨年廃止になったそうです。ご覧のようにレールがはがされ、枕木と道床だけになった寂寥感あふれる風景でしたが、まだ撤去から間がないせいか草に埋もれてはおらず、足元から鉄の匂いが立ち昇ってくるようでした。
【撮影地点のMapion地図】
(令和5年7月25日撮影)
(『八郎潟の閘門を訪ねて…1』につづく)

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「道の駅あきた港」にて…2
(『「道の駅あきた港」にて…1』のつづき)

●北東方向には、扇状に広がる広大なヤードが。貨物駅・秋田港駅ですね。何分貨物列車が入らなくなっているので、車輌も見られずがらんとして寂しいものですが、コロナ禍前まではクルーズ客船が入港するたび、短い区間列車ながら、いわゆる"ポート・トレイン"が運行されていたとのこと。
かつては八橋油田ほか、国内でも有力な油田を後背地に控えていたこと、周辺工業地帯への枝線も各所に通じていたことから、さぞ賑わったことでしょう。

●港の眺めを賑わいあるものにしているのが、この南西側に見える日本製紙の工場と、その手前に接岸していた撒積船。
工場の煙突は盛んに白煙をたなびかせ、撒積船は3本ある自らのクレーンをニョキニョキ動かして、忙しそうに荷役していました。動きのある港湾風景! 生き生きと躍動するさまを目の当たりにできたのは、嬉しいことでした。
●展望台南側の説明板。「秋田運河(旧雄物川)」! キチンと書いてくれていて、泣けてきますわ(涙)。
江戸時代、北国七港の一つにまで数えられた土崎港も、河口港の宿命である土砂の堆積が災いし衰微。近代港湾への脱皮は明治18年、古市公威の名を冠した古市波止場築造からですが、飛躍を決定的にしたのはやはり、大正6年の雄物川放水路竣工でしょう。歴史ある土崎港の名が秋田港になったのは昭和16年、土崎港町が秋田市に合併されてからです。

●フネブネの姿を拾ってみましょう。対岸、貯木場のある向浜埠頭に接岸していたクレーン船。船橋前にちょこんと載せた豆曳船がいいですね。船名はわかりませんでしたが、(株)肥前建設の看板を掲げていました。
こちらも同じく対岸、少し沖合の岸壁にいた、テトラポッドを荷役中のプッシャーバージタイプのクレーン船。本体のなりにくらべて、押船がずいぶん小さいように見えるんですが、どうでしょう。ジブの社名は、(株)加藤建設とありました。
(令和5年7月25日撮影)
(『「道の駅あきた港」にて…3』につづく)

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●北東方向には、扇状に広がる広大なヤードが。貨物駅・秋田港駅ですね。何分貨物列車が入らなくなっているので、車輌も見られずがらんとして寂しいものですが、コロナ禍前まではクルーズ客船が入港するたび、短い区間列車ながら、いわゆる"ポート・トレイン"が運行されていたとのこと。
かつては八橋油田ほか、国内でも有力な油田を後背地に控えていたこと、周辺工業地帯への枝線も各所に通じていたことから、さぞ賑わったことでしょう。

●港の眺めを賑わいあるものにしているのが、この南西側に見える日本製紙の工場と、その手前に接岸していた撒積船。
工場の煙突は盛んに白煙をたなびかせ、撒積船は3本ある自らのクレーンをニョキニョキ動かして、忙しそうに荷役していました。動きのある港湾風景! 生き生きと躍動するさまを目の当たりにできたのは、嬉しいことでした。

江戸時代、北国七港の一つにまで数えられた土崎港も、河口港の宿命である土砂の堆積が災いし衰微。近代港湾への脱皮は明治18年、古市公威の名を冠した古市波止場築造からですが、飛躍を決定的にしたのはやはり、大正6年の雄物川放水路竣工でしょう。歴史ある土崎港の名が秋田港になったのは昭和16年、土崎港町が秋田市に合併されてからです。


こちらも同じく対岸、少し沖合の岸壁にいた、テトラポッドを荷役中のプッシャーバージタイプのクレーン船。本体のなりにくらべて、押船がずいぶん小さいように見えるんですが、どうでしょう。ジブの社名は、(株)加藤建設とありました。
(令和5年7月25日撮影)
(『「道の駅あきた港」にて…3』につづく)

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「道の駅あきた港」にて…1
(『新屋水門…3』のつづき)
●新屋水門を離れて、「道の駅あきた港」へ。堤防道から改めて眺める雄物新橋、本当に美しいですね。高水敷や背後の防砂林に広がる夏ならではの緑が、橋の構造を一層引き立てています。
そうそう、雄物新橋について詳しく知りたい方は「橋梁レポート 雄物新橋 解説編」(山さ行がねが)がお勧め。木造先代橋時代から、たびたびの補修・改架があった現橋まで、興味深いお話が盛りだくさんです。

●「道の駅あきた港」に到着。高さ143mのガラス張り展望塔「ポートタワーセリオン」を中心に、物産館やイベント施設、屋内緑地公園などを併設、平成22年に竣工したもの。
何より港に隣接しているのが嬉しく、展望台は高さ100mだそうですから、秋田港が文字どおり一望のもとに眺められるでしょう。着いて早々、さっそくタワーへ上がってみることに。
●ポートタワーセリオン自体は、道の駅に先んじて平成6年の開設だそう。かつては入場料が設定されていたようですが、現在は無料で利用することができます。
外壁のほとんどを、6272枚に及ぶ強化ガラスとした塔屋は、いわば巨大な展望エレベーター。外の眺めとともに、構造をつぶさに観察できるのも嬉しく、到着を待つひとときも退屈させることがありません。

●展望台から南側の眺望。いや、これは素晴らしい眺めですね! 好天も手伝い視程も良好とあって、無料なのが申しわけなくなるような絶景であります! 巡視艇、クレーン船ほかフネブネ、対岸で盛業する日本製紙工場の頼もしい姿などなど、どこから見ようか目移りするような眺めですね。
かつて土崎港と呼ばれ、東北地方では酒田と並んで、北前船の通う内貿航路上の重要な河口港だった秋田港。眼下に広がる雄物川の旧河道は、放水路開鑿によって堆砂・洪水の憂いがなくなると港湾として開発が進み、現在では秋田運河と称しています。秋田運河! いい名前だなあ‥‥(涙)。

●こちらは北西側、港口方向を望んだところ。右手前はクルーズ客船もたびたび寄港するというフェリー埠頭。中央はるか沖合に伸びる防波堤は、戦後の一時期、廃海防艦や駆逐艦を沈置した"軍艦防波堤"だったとのこと。
冬の季節風で形成された海岸砂丘に沿って、ほぼ南北に伸びる雄物川旧河道を拡幅・浚渫して、本船運河を修築した様子がよくわかります。
かつて河口港だった港は、いわゆる"河海分離"をして本流と港を切り離すか、放水路を設けて洪水や堆砂をコントロールできるようにし、河口を活用し続けるかの二通りに分かれると思いますが、新潟や秋田は後者のパターンといってよいでしょう。
【撮影地点のMapion地図】
(令和5年7月25日撮影)
(『「道の駅あきた港」にて…2』につづく)

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そうそう、雄物新橋について詳しく知りたい方は「橋梁レポート 雄物新橋 解説編」(山さ行がねが)がお勧め。木造先代橋時代から、たびたびの補修・改架があった現橋まで、興味深いお話が盛りだくさんです。

●「道の駅あきた港」に到着。高さ143mのガラス張り展望塔「ポートタワーセリオン」を中心に、物産館やイベント施設、屋内緑地公園などを併設、平成22年に竣工したもの。
何より港に隣接しているのが嬉しく、展望台は高さ100mだそうですから、秋田港が文字どおり一望のもとに眺められるでしょう。着いて早々、さっそくタワーへ上がってみることに。

外壁のほとんどを、6272枚に及ぶ強化ガラスとした塔屋は、いわば巨大な展望エレベーター。外の眺めとともに、構造をつぶさに観察できるのも嬉しく、到着を待つひとときも退屈させることがありません。

●展望台から南側の眺望。いや、これは素晴らしい眺めですね! 好天も手伝い視程も良好とあって、無料なのが申しわけなくなるような絶景であります! 巡視艇、クレーン船ほかフネブネ、対岸で盛業する日本製紙工場の頼もしい姿などなど、どこから見ようか目移りするような眺めですね。
かつて土崎港と呼ばれ、東北地方では酒田と並んで、北前船の通う内貿航路上の重要な河口港だった秋田港。眼下に広がる雄物川の旧河道は、放水路開鑿によって堆砂・洪水の憂いがなくなると港湾として開発が進み、現在では秋田運河と称しています。秋田運河! いい名前だなあ‥‥(涙)。

●こちらは北西側、港口方向を望んだところ。右手前はクルーズ客船もたびたび寄港するというフェリー埠頭。中央はるか沖合に伸びる防波堤は、戦後の一時期、廃海防艦や駆逐艦を沈置した"軍艦防波堤"だったとのこと。
冬の季節風で形成された海岸砂丘に沿って、ほぼ南北に伸びる雄物川旧河道を拡幅・浚渫して、本船運河を修築した様子がよくわかります。
かつて河口港だった港は、いわゆる"河海分離"をして本流と港を切り離すか、放水路を設けて洪水や堆砂をコントロールできるようにし、河口を活用し続けるかの二通りに分かれると思いますが、新潟や秋田は後者のパターンといってよいでしょう。
【撮影地点のMapion地図】
(令和5年7月25日撮影)
(『「道の駅あきた港」にて…2』につづく)

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