分水路打通作戦【お茶の水分水路編】…10
(『分水路打通作戦【お茶の水分水路編】…9』のつづき)
●常闇の中に沈みゆく発進縦坑を後に、上流開鑿区間を微速前進。延長1300mに及ぶお茶の水分水路の最終コース、長さ220mの矩形渠です。
高さは充分あり、下流開鑿区間やシールド区間のように、息苦しくなるような圧迫感はなく、気分もだいぶ楽なコース。そういう意味でも、下流から入ったのは正解でした。

●ゴールも間近のここで、ようやく、やっと銘板の撮影に成功。北側の壁にありました。
「1990年3月 神田川お茶の水分水路工事(その1) ←延長105m 東京都 清水ロイヤル建設共同企業体」
ステンシル数字や、建造物近接地点のプレートもそうですが、銘板も高級石材の磨き出しと、本当に何もかもが立派だなあ、お茶の水分水路は…。水道橋分水路なんて、銘板はアクリルか何かでしたしね。
●あまり取り上げる機会もないと思うので、ここでふたたび地上の物件を二つ紹介。一つ目は、開鑿区間の直上にあり、神田川を望むテラスに建立された、「神田上水懸樋跡」の碑。
ご存知のように、神田上水は都市水道の嚆矢とされており、関口水道町から山裾をたどり自然流下しながら、ここで木製の水道橋を架け神田川を渡って、日本橋方面にまで給水していました。
この近所で家業を営んでいる友人によると、ほんの30数年前、彼の子供のころまでは、懸樋の橋台地にあたる石垣が残っていたのことです。
●今ひとつの石碑は、神田上水のそれの少し上流にある、なんと「お茶の水分水路碑」! う~ん、この特別扱い、やはり、分水路界のエリートに違いない!
自然石の表面に刻まれた碑文は、「神田川分水路事業 お茶の水分水路 平成7年3月通水記念」
石碑を建てて顕彰するほど、この工事が難工事だったのか、それとも水道橋1・2号分水路を含むほかの分水路群の工事が、あまりにも簡単すぎたのか…。
●まあ、それは冗談としても、実際に艇で通航してみた身としては、その歴然とした格差を目の当たりにして、何か釈然としないものを感じるのであります。「水道橋分水路の碑」も、私が知らないだけで、どこかにあるのかなあ…。
ちなみに、石碑のかたわらに設けられた案内図には、高田馬場分水路・江戸川橋分水路を含めた分水路群が描かれており、少し救われた気分になりました。
(22年3月14日撮影)
(『分水路打通作戦【お茶の水分水路編】…11』につづく)

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高さは充分あり、下流開鑿区間やシールド区間のように、息苦しくなるような圧迫感はなく、気分もだいぶ楽なコース。そういう意味でも、下流から入ったのは正解でした。

●ゴールも間近のここで、ようやく、やっと銘板の撮影に成功。北側の壁にありました。
「1990年3月 神田川お茶の水分水路工事(その1) ←延長105m 東京都 清水ロイヤル建設共同企業体」
ステンシル数字や、建造物近接地点のプレートもそうですが、銘板も高級石材の磨き出しと、本当に何もかもが立派だなあ、お茶の水分水路は…。水道橋分水路なんて、銘板はアクリルか何かでしたしね。

ご存知のように、神田上水は都市水道の嚆矢とされており、関口水道町から山裾をたどり自然流下しながら、ここで木製の水道橋を架け神田川を渡って、日本橋方面にまで給水していました。
この近所で家業を営んでいる友人によると、ほんの30数年前、彼の子供のころまでは、懸樋の橋台地にあたる石垣が残っていたのことです。

自然石の表面に刻まれた碑文は、「神田川分水路事業 お茶の水分水路 平成7年3月通水記念」
石碑を建てて顕彰するほど、この工事が難工事だったのか、それとも水道橋1・2号分水路を含むほかの分水路群の工事が、あまりにも簡単すぎたのか…。

ちなみに、石碑のかたわらに設けられた案内図には、高田馬場分水路・江戸川橋分水路を含めた分水路群が描かれており、少し救われた気分になりました。
(22年3月14日撮影)
(『分水路打通作戦【お茶の水分水路編】…11』につづく)

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