雨の猊鼻渓…3
(『雨の猊鼻渓…2』のつづき)
●間なしに左手に見えてきたのが、2番、藤岩(ふじいわ)。雨が強いので舷側から身を乗り出すこともできず、全貌が眺められないのは残念ですが、結構な高さがあり岬状に突出しているようです。
このあたりは屈曲の内側だからか、左の岸は岩が水面から立ち上がらず、砂礫の堆積があって、柔和な表情の水辺でした。

●左手は砂礫の水辺ということもあってか、舟の繋留地になっており、船尾や舷側のディテールを眺めることができました。
舷側‥‥棚板は先に触れたように一階造りで、こうして見たかぎり、本当に一枚の板から切り出されているようなのには驚かされました。上端には舷縁補強材であるコベリが張られ、それが船尾に至り下へ幅を増した部材はモキといって、船尾材である戸立のホゾが貫通しているように見えます。

●砂礫の水辺が途切れると、いよいよ両岸に岩肌が迫り、深山幽谷のおもむき濃厚な川景色になってきました! ビニール屋根をたたく雨音は相変わらず激しいものの、やはり来てよかったと思えたものです。
●右手には3番、凌雲岩(りょううんがん)が。その名のとおり、雲がかすめてゆくような高さがあるのでしょうが、近づいてしまうとこの雨で、見上げることもできないのは残念。
まだたった3つながら、進むにつれて、だんだん岩の形が複雑になってゆくような気が。せめて間近で、天然の造形美を味わうとしましょう。

●ズームでたぐって、高度を増し、迫りくる巌崖の荒々しい表情をスナップ。雨にけぶっていることも手伝い、大陸の水墨画を思わせる風情でした。右手奥、ちょっと凹んで庇状になったところ、看板が掲げられていますね。あれが4番でしょうか?
(令和3年4月17日撮影)
(『雨の猊鼻渓…4』につづく)

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このあたりは屈曲の内側だからか、左の岸は岩が水面から立ち上がらず、砂礫の堆積があって、柔和な表情の水辺でした。

●左手は砂礫の水辺ということもあってか、舟の繋留地になっており、船尾や舷側のディテールを眺めることができました。
舷側‥‥棚板は先に触れたように一階造りで、こうして見たかぎり、本当に一枚の板から切り出されているようなのには驚かされました。上端には舷縁補強材であるコベリが張られ、それが船尾に至り下へ幅を増した部材はモキといって、船尾材である戸立のホゾが貫通しているように見えます。

●砂礫の水辺が途切れると、いよいよ両岸に岩肌が迫り、深山幽谷のおもむき濃厚な川景色になってきました! ビニール屋根をたたく雨音は相変わらず激しいものの、やはり来てよかったと思えたものです。

まだたった3つながら、進むにつれて、だんだん岩の形が複雑になってゆくような気が。せめて間近で、天然の造形美を味わうとしましょう。

●ズームでたぐって、高度を増し、迫りくる巌崖の荒々しい表情をスナップ。雨にけぶっていることも手伝い、大陸の水墨画を思わせる風情でした。右手奥、ちょっと凹んで庇状になったところ、看板が掲げられていますね。あれが4番でしょうか?
(令和3年4月17日撮影)
(『雨の猊鼻渓…4』につづく)

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雨の猊鼻渓…2
(『雨の猊鼻渓…1』のつづき)

●検温・消毒を済ませて待合室から乗り場に出てみると、すでに先客が乗っていて、船頭さんも艫にスタンバイしていました。雨天の朝に我々以外にもお客さんがあるとは、さすが日本百景に選ばれた景勝地、あなどれません。
●ビニールの屋根をたたく雨音を聞きつつ、船頭さんの竿さばきで桟橋を解纜。舟はいったん下流側を向いてから、堰と大船渡線の鉄橋を眺めつつ、ぐるりと船首をめぐらして上流へ。
写真左手、法面に樋門の開口部と扉体の巻上機が見えますね。あそこが用水の取水口なのでしょう。

●遡上を始めて間もなく、さっそく右手に「鏡明岩 kyomei-Gan」と看板を掲げた岩が出現。なるほど名のとおり、鏡を思わせる平らかさ。ローマ字の横に番号がふってあるのも、水郷の十二橋などを思わせて微笑ましい感じです。
猊鼻渓に見られる岩たちは、「古生代の堆積岩類の一部である石炭紀~二畳紀の石灰岩」(『地質ニュース 606号 みちのく石便り(その4)岩手の石と岩』63頁より)だそう。なるほど、このあたりは石灰石が産物の一つで、鉱山があちこちにあり、大船渡線も石灰石の積み出しで賑わった時代があったのですよね。
●舟は進むにつれ、左手の岸にぐっと寄せてきました。水面を見ると、河床が透けて見えるほどの浅場。竿を突いているので、深いところを避けて舟行きするということでしょう。
船頭さんは、竿を突きながら枯れたいい声で説明をしてくれているのですが、ビニール屋根と水面をたたく雨音で、よく聞こえないのが何とも‥‥ううう。自分の日ごろの行いをうらむこと、しきりであります。

●気を取り直して、自分の座っている足元を観察。ちなみに、救命具を兼ねた座布団を、簀の子の上に置いて座っています。
左右に走る角材は和船の部材名称でいうトネギで、船底材であるシキの左右方向の結合と補強を担っているもの。これに両舷側のアバラが立ち上がって、棚板との角度を保っているわけですね。アバラは覆うようにあつらえた鋼材で、しっかりとボルト止めされているのがわかります。
●左奥、アカ汲み(排水具)がさりげなく置いてあるのに目を引かれました。塩ビや金属製の市販品もありますが、これは木とアクリル板か何かであつらえた手製のようです。
右側、傘立てで隠れてしまい見づらいですが、ネームプレートが貼られているのも気になります。「新雪」でしょうか、板に文字を彫ったうえで塗料を入れた丁寧なつくりで、舟へのほのぼのとした愛情が感じられたものでした。
(令和3年4月17日撮影)
(『雨の猊鼻渓…3』につづく)

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●検温・消毒を済ませて待合室から乗り場に出てみると、すでに先客が乗っていて、船頭さんも艫にスタンバイしていました。雨天の朝に我々以外にもお客さんがあるとは、さすが日本百景に選ばれた景勝地、あなどれません。

写真左手、法面に樋門の開口部と扉体の巻上機が見えますね。あそこが用水の取水口なのでしょう。

●遡上を始めて間もなく、さっそく右手に「鏡明岩 kyomei-Gan」と看板を掲げた岩が出現。なるほど名のとおり、鏡を思わせる平らかさ。ローマ字の横に番号がふってあるのも、水郷の十二橋などを思わせて微笑ましい感じです。
猊鼻渓に見られる岩たちは、「古生代の堆積岩類の一部である石炭紀~二畳紀の石灰岩」(『地質ニュース 606号 みちのく石便り(その4)岩手の石と岩』63頁より)だそう。なるほど、このあたりは石灰石が産物の一つで、鉱山があちこちにあり、大船渡線も石灰石の積み出しで賑わった時代があったのですよね。

船頭さんは、竿を突きながら枯れたいい声で説明をしてくれているのですが、ビニール屋根と水面をたたく雨音で、よく聞こえないのが何とも‥‥ううう。自分の日ごろの行いをうらむこと、しきりであります。

●気を取り直して、自分の座っている足元を観察。ちなみに、救命具を兼ねた座布団を、簀の子の上に置いて座っています。
左右に走る角材は和船の部材名称でいうトネギで、船底材であるシキの左右方向の結合と補強を担っているもの。これに両舷側のアバラが立ち上がって、棚板との角度を保っているわけですね。アバラは覆うようにあつらえた鋼材で、しっかりとボルト止めされているのがわかります。
●左奥、アカ汲み(排水具)がさりげなく置いてあるのに目を引かれました。塩ビや金属製の市販品もありますが、これは木とアクリル板か何かであつらえた手製のようです。
右側、傘立てで隠れてしまい見づらいですが、ネームプレートが貼られているのも気になります。「新雪」でしょうか、板に文字を彫ったうえで塗料を入れた丁寧なつくりで、舟へのほのぼのとした愛情が感じられたものでした。
(令和3年4月17日撮影)
(『雨の猊鼻渓…3』につづく)

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雨の猊鼻渓…1
(『雨の猊鼻渓…0』のつづき)

●乗り場に向かって河畔を進むとまず目を奪われるのが、小瀑布をなすコンクリート製の堰。手前に長く伸びる魚道と、土砂吐でしょうか、複数のスリットを設けた簡潔な外観です。
テラスに設けられた説明板によると、この堰は松川堰といって、農業水利のため江戸時代に創設されたものだそう。堰の設置以前より、もともとここには落差があって、鮎や鮭が滝を乗り越えて遡上するさまから故事「登龍門」が連想され、「龍門ノ滝」と名付けられ、堰ができた後もその呼び名を継承しているようです。
「疏水名鑑 松川堰」によれば、用水路の受益面積50.5ha、安永年間(1770年ごろ)には古文書の記載で堰の存在が確認でき、コンクリート堰になったのは昭和11年からだとか。
●対岸近く、堰の天端に鴨さんカップルが! 越流する水に足を浸して立ち、よく流されないものだと感心したものでした。
流水が快いのか、食べ物が流れてくるのか、わざわざそこに立っているのは、何か理由があるのでしょうか。この後舟に乗ってからも、たびたび鴨さんとは顔を合わせることになります。

●堰を正横に見るあたり、一本の桜がまだ花を咲かせていて、かたわらには石碑や標柱がひと固まりに設けられた、どこか聖域(?)ぽい一角が。銅像は猊鼻渓の生みの親ともいわれる、佐藤猊厳翁(文久2~昭和16)のもの。
猊厳は号で本名は佐藤衡といい、父の佐藤洞潭(本名:謙治)とともに、猊鼻渓の保護と宣伝に努めた地元長坂出身の人物。猊鼻渓を開発から守るため、帝大の植物学者に調査を依頼したり、一方で景勝案内などを著し、広く内外に紹介したそう。
そうそう、意外なことに猊鼻渓駅の開設は割と最近で、昭和61年11月。それまでは大正14年の大船渡線開通以来、約2㎞離れた陸中松川が最寄駅でした。
●げいび観光センターの乗り場の出札口で乗船券を購入、軒先に掲げられた案内図をスナップ。
航程は約1㎞とささやかなものですが、奇岩が織りなす川景色はどんなものか、楽しみです。かつては筏による赤松などの流下が行われていたとのこと、河相が険しいので舟航は恐らく無理だったでしょうが、ここ砂鉄川も立派な物流路だったことがしのばれます。

●雨脚ますます強く川面に水しぶきを上げ、少々気が滅入りますが、せっかく訪ねたのですから楽しみましょう。この雨とて、客扱いをする舟にはビニール張りの屋根がかかっていますが、たまたま目の前に露天の舟があったので、オッ、と身を乗り出し和船好きタイムに。
船首尾のしぼりがごく少ない幅広、扁平な船型で、船首は四角いオモテタテイタ風、船尾は垂直に近い戸立でしょうか。舷側は、一枚の棚板から構成された一階造りのようです。舷側内側には、アバラと通称される肋材が入っています。以前紹介した江戸時代の川船図鑑「船鑑」掲載のものだと、「馬渡船」と呼ばれた、馬匹などの大物でも載せられるよう工夫した船型に近いかたちですね。
水郷十六島のサッパ、近江八幡水郷のマルコブネなど、各地の河川や内水で乗った遊覧航路でも経験しましたが、これも地域の伝統船型が残る事例なのでしょうか? この点史料が手元になくわかりませんが、ご存じの方のご教示を願いたいところです。
(令和3年4月17日撮影)
(『雨の猊鼻渓…2』につづく)

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●乗り場に向かって河畔を進むとまず目を奪われるのが、小瀑布をなすコンクリート製の堰。手前に長く伸びる魚道と、土砂吐でしょうか、複数のスリットを設けた簡潔な外観です。
テラスに設けられた説明板によると、この堰は松川堰といって、農業水利のため江戸時代に創設されたものだそう。堰の設置以前より、もともとここには落差があって、鮎や鮭が滝を乗り越えて遡上するさまから故事「登龍門」が連想され、「龍門ノ滝」と名付けられ、堰ができた後もその呼び名を継承しているようです。
「疏水名鑑 松川堰」によれば、用水路の受益面積50.5ha、安永年間(1770年ごろ)には古文書の記載で堰の存在が確認でき、コンクリート堰になったのは昭和11年からだとか。

流水が快いのか、食べ物が流れてくるのか、わざわざそこに立っているのは、何か理由があるのでしょうか。この後舟に乗ってからも、たびたび鴨さんとは顔を合わせることになります。

●堰を正横に見るあたり、一本の桜がまだ花を咲かせていて、かたわらには石碑や標柱がひと固まりに設けられた、どこか聖域(?)ぽい一角が。銅像は猊鼻渓の生みの親ともいわれる、佐藤猊厳翁(文久2~昭和16)のもの。
猊厳は号で本名は佐藤衡といい、父の佐藤洞潭(本名:謙治)とともに、猊鼻渓の保護と宣伝に努めた地元長坂出身の人物。猊鼻渓を開発から守るため、帝大の植物学者に調査を依頼したり、一方で景勝案内などを著し、広く内外に紹介したそう。
そうそう、意外なことに猊鼻渓駅の開設は割と最近で、昭和61年11月。それまでは大正14年の大船渡線開通以来、約2㎞離れた陸中松川が最寄駅でした。

航程は約1㎞とささやかなものですが、奇岩が織りなす川景色はどんなものか、楽しみです。かつては筏による赤松などの流下が行われていたとのこと、河相が険しいので舟航は恐らく無理だったでしょうが、ここ砂鉄川も立派な物流路だったことがしのばれます。

●雨脚ますます強く川面に水しぶきを上げ、少々気が滅入りますが、せっかく訪ねたのですから楽しみましょう。この雨とて、客扱いをする舟にはビニール張りの屋根がかかっていますが、たまたま目の前に露天の舟があったので、オッ、と身を乗り出し和船好きタイムに。
船首尾のしぼりがごく少ない幅広、扁平な船型で、船首は四角いオモテタテイタ風、船尾は垂直に近い戸立でしょうか。舷側は、一枚の棚板から構成された一階造りのようです。舷側内側には、アバラと通称される肋材が入っています。以前紹介した江戸時代の川船図鑑「船鑑」掲載のものだと、「馬渡船」と呼ばれた、馬匹などの大物でも載せられるよう工夫した船型に近いかたちですね。
水郷十六島のサッパ、近江八幡水郷のマルコブネなど、各地の河川や内水で乗った遊覧航路でも経験しましたが、これも地域の伝統船型が残る事例なのでしょうか? この点史料が手元になくわかりませんが、ご存じの方のご教示を願いたいところです。
(令和3年4月17日撮影)
(『雨の猊鼻渓…2』につづく)

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雨の猊鼻渓…0
●4月17日は、岩手県一関市の河川遊覧航路がある、猊鼻渓(げいびけい)を訪ねてきました。
北上川支流の一つである、砂鉄川にある竿舟の遊覧航路で、一関の市街地から北東へ直線距離でおよそ12㎞という、山深いところで川舟に乗れるというのが以前から気になっていて、前回の緊急事態宣言が明けたところで、家族旅行を兼ねて訪ねようと思い立ったのです。

●ホンモノのGoogleマップで猊鼻渓を表示
●砂鉄川は、一関市川崎町で北上川と合流する、延長およそ44.6㎞の流路を持つ一級河川。猊鼻渓は、山肌を削り渓谷を作りつつ駆け下ってきた砂鉄川が、小さな平野に躍り出て河相を穏やかなものに変える、ちょうどその境目に位置する景勝地で、日本百景にも選ばれているそう。
山深い渓流で川舟に乗れる、という面白さもさることながら、猊鼻渓のある小さな町、東山町長坂字町にも惹かれるものがありました。渓谷を出て曲流する砂鉄川にほぼぐるりが囲まれており、その釣鐘型をした平地が、北東~南西を軸にした碁盤の目に整然と区画されている‥‥。
いい方は適当でないかもしれませんが、自分的にはどこか箱庭的な、愛らしい魅力があるようにも感じられ、訪問欲をそそるものがあったのです。

●緊急事態宣言が明けて移動の制限はなかったとはいえ、感染者が増加していましたから、お世話になる現地の皆さんに不安を与えないよう、連れの発案で訪問前1週間、家族全員で連日検温をし、表にまとめてから出かけることにしました。
出発数日前からチェックしていた天気予報が、次第に悪天候に傾くのを憂鬱な気持ちで眺めていたところ、果たして当日17日は雨。新幹線から大船渡線に乗り換えようと一ノ関駅に降り立ったときは、すでに結構な雨脚でした。
●入線待ちの気動車を眺めながらホームをうろついているうちにも、雨は弱まる気配を見せず、どうにも気分がそがれることは否めません。
ホームの端からスズメの鳴き声がしたので行ってみると、屋根の梁に数羽のスズメが留まり、しきりとさえずっていました。こう雨がひどくては、スズメさんも雨宿りがしたくなるでしょう。

●大船渡線には初めて乗ったのですが、山間に入ってからの線路の様子にそそられるものがあって、最後尾に立ちっぱなし。
アップダウンと右へ左へうねるカーブの連続、急勾配の途上に穿たれたトンネルと、昔の蒸気機関車や非力な気動車では、さぞご苦労も多かっただろうと思わせる線形で、飽かず眺めてしまいました。その険しい山道を、今のディーゼルカーは実に力強く、軽々と飛ばしてゆくのも実に爽快だったものです。
●ホーム1本の小さな無人駅、猊鼻渓駅から舟の乗り場までは数百m。雨の中歩いて鉄橋の下をくぐると、水音の聞こえる河畔に、お土産屋さんや旅館の立ち並んだ、観光地らしい雰囲気の一角が見えてきました。
雨は止む気配もないし、正直乗っていいものかどうか迷ったのですが、予約した旅館の方が「増水すると休航するから、雨降りでも乗っておいた方がいいですよ!」との勧めに従い、落ち込む気分を何とか奮い立たせて、乗り場に向かうことに。
【撮影地点のMapion地図】
(令和3年4月17日撮影)
(『雨の猊鼻渓…1』につづく)

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北上川支流の一つである、砂鉄川にある竿舟の遊覧航路で、一関の市街地から北東へ直線距離でおよそ12㎞という、山深いところで川舟に乗れるというのが以前から気になっていて、前回の緊急事態宣言が明けたところで、家族旅行を兼ねて訪ねようと思い立ったのです。

●ホンモノのGoogleマップで猊鼻渓を表示
●砂鉄川は、一関市川崎町で北上川と合流する、延長およそ44.6㎞の流路を持つ一級河川。猊鼻渓は、山肌を削り渓谷を作りつつ駆け下ってきた砂鉄川が、小さな平野に躍り出て河相を穏やかなものに変える、ちょうどその境目に位置する景勝地で、日本百景にも選ばれているそう。
山深い渓流で川舟に乗れる、という面白さもさることながら、猊鼻渓のある小さな町、東山町長坂字町にも惹かれるものがありました。渓谷を出て曲流する砂鉄川にほぼぐるりが囲まれており、その釣鐘型をした平地が、北東~南西を軸にした碁盤の目に整然と区画されている‥‥。
いい方は適当でないかもしれませんが、自分的にはどこか箱庭的な、愛らしい魅力があるようにも感じられ、訪問欲をそそるものがあったのです。

●緊急事態宣言が明けて移動の制限はなかったとはいえ、感染者が増加していましたから、お世話になる現地の皆さんに不安を与えないよう、連れの発案で訪問前1週間、家族全員で連日検温をし、表にまとめてから出かけることにしました。
出発数日前からチェックしていた天気予報が、次第に悪天候に傾くのを憂鬱な気持ちで眺めていたところ、果たして当日17日は雨。新幹線から大船渡線に乗り換えようと一ノ関駅に降り立ったときは、すでに結構な雨脚でした。

ホームの端からスズメの鳴き声がしたので行ってみると、屋根の梁に数羽のスズメが留まり、しきりとさえずっていました。こう雨がひどくては、スズメさんも雨宿りがしたくなるでしょう。

●大船渡線には初めて乗ったのですが、山間に入ってからの線路の様子にそそられるものがあって、最後尾に立ちっぱなし。
アップダウンと右へ左へうねるカーブの連続、急勾配の途上に穿たれたトンネルと、昔の蒸気機関車や非力な気動車では、さぞご苦労も多かっただろうと思わせる線形で、飽かず眺めてしまいました。その険しい山道を、今のディーゼルカーは実に力強く、軽々と飛ばしてゆくのも実に爽快だったものです。

雨は止む気配もないし、正直乗っていいものかどうか迷ったのですが、予約した旅館の方が「増水すると休航するから、雨降りでも乗っておいた方がいいですよ!」との勧めに従い、落ち込む気分を何とか奮い立たせて、乗り場に向かうことに。
【撮影地点のMapion地図】
(令和3年4月17日撮影)
(『雨の猊鼻渓…1』につづく)

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