伏見十石舟…3
(『伏見十石舟…2』のつづき)
●三つ又の人道橋が見えてきました。であい橋です。水路もご覧のとおり三叉流になっていて、我々の船はさらに左に折れ、三栖閘門に向かいます。
今まで遡ってきた水路は、正式には宇治川派流といい、かつては現在とは逆に、宇治川から西へ流れていたのが、宇治川の河床低下により、濠川からの水を宇治川に落とすようになったとのことです。(参考:日本の川と災害『宇治川派流』)
なるほど…、「逆流河川」とも言うべき川なのですね。成り立ちは異なりますが、江戸川東岸にある真間川を思い出しました。真間川も、かつて江戸川に注いでいたのを、新流路の開鑿で、上流と下流が逆転した区間がある川です。旧ブログでも、真間川の最下流区間を航行し、ご紹介したことがありましたね。
●であい橋の下から北、濠川の上流を眺めて。
ここは、琵琶湖疏水の実質的な最下流部…早瀬のように流れ下るこの水は、はるか琵琶湖からもたらされたもの。
戦後しばらくまで、墨染・蹴上のインクラインと、幾多の閘門を介して、淀川から琵琶湖まで舟運路が打通していたことを考えると、陸上交通の発達した今となっては、気の遠くなる思いがします。
そこまで手間をかけても、のどから手が出るほど水運の便がほしい、そんな時代が、確かにあったのです。

●であい橋を左折して南下してゆくと、弁天橋に向かう帰りの便とすれ違いました。こうして見てみると、30馬力だけあって、和船らしからぬパワフルな走り。丸い船首でぐいぐいと流れに抗してゆくさまが見て取れます。
船頭さんが、おどけたようにビシッと敬礼をしたあと、乗客の皆さんが、いっせいに手を振ってくれました。先ほどの淀川といい、こちらは船に乗るもの同士、手を振りあう習慣があるのかしら?
●流れを下り、肥後橋、京阪線鉄橋と過ぎて、和風の装飾を施した、港大橋まで来ました。
橋の向こう、京都外環状線の高架に隠れて、左に三栖洗堰、右に三栖閘門が見えてきました。終点はもう間もなくです。
●港大橋の橋詰付近、親水テラスのあるあたりに、上半身裸の子供たちが、楽しそうに騒いでいました。体が濡れていたところを見ると、どうやら川で泳いでいたようです…って、こんな流れが速い川で、危険じゃないのかな?
「あの子供ら、うちらが来ると怒られるんで、今は上がっておるんですが、フネがいなくなるとまた飛び込みよるんですわ」と船頭さん。
う~ん、子供が川で泳いでいる、という光景自体、今やめったにお目にかかれないと思っていたのですが、こちらでは、ごく日常的なことのようですね。何かこの一事で、伏見という土地に、すごく惹かれるものがありました。
【撮影地点のMapion地図】
(21年9月11日撮影)
(『三栖閘門…1』につづく)

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今まで遡ってきた水路は、正式には宇治川派流といい、かつては現在とは逆に、宇治川から西へ流れていたのが、宇治川の河床低下により、濠川からの水を宇治川に落とすようになったとのことです。(参考:日本の川と災害『宇治川派流』)
なるほど…、「逆流河川」とも言うべき川なのですね。成り立ちは異なりますが、江戸川東岸にある真間川を思い出しました。真間川も、かつて江戸川に注いでいたのを、新流路の開鑿で、上流と下流が逆転した区間がある川です。旧ブログでも、真間川の最下流区間を航行し、ご紹介したことがありましたね。

ここは、琵琶湖疏水の実質的な最下流部…早瀬のように流れ下るこの水は、はるか琵琶湖からもたらされたもの。
戦後しばらくまで、墨染・蹴上のインクラインと、幾多の閘門を介して、淀川から琵琶湖まで舟運路が打通していたことを考えると、陸上交通の発達した今となっては、気の遠くなる思いがします。
そこまで手間をかけても、のどから手が出るほど水運の便がほしい、そんな時代が、確かにあったのです。

●であい橋を左折して南下してゆくと、弁天橋に向かう帰りの便とすれ違いました。こうして見てみると、30馬力だけあって、和船らしからぬパワフルな走り。丸い船首でぐいぐいと流れに抗してゆくさまが見て取れます。
船頭さんが、おどけたようにビシッと敬礼をしたあと、乗客の皆さんが、いっせいに手を振ってくれました。先ほどの淀川といい、こちらは船に乗るもの同士、手を振りあう習慣があるのかしら?

橋の向こう、京都外環状線の高架に隠れて、左に三栖洗堰、右に三栖閘門が見えてきました。終点はもう間もなくです。

「あの子供ら、うちらが来ると怒られるんで、今は上がっておるんですが、フネがいなくなるとまた飛び込みよるんですわ」と船頭さん。
う~ん、子供が川で泳いでいる、という光景自体、今やめったにお目にかかれないと思っていたのですが、こちらでは、ごく日常的なことのようですね。何かこの一事で、伏見という土地に、すごく惹かれるものがありました。
【撮影地点のMapion地図】
(21年9月11日撮影)
(『三栖閘門…1』につづく)

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伏見十石舟…2
(『伏見十石舟…1』のつづき)
●船着場を出てしばらくゆくと、右手に重厚な造りの蔵が、建ち並んでいるのが見えてきました。船頭さんによると、明治時代に建てられた酒蔵を博物館とした、月桂冠大蔵記念館だそうです。
よい水の得られるご当地伏見は、酒蔵の街の一面も持っているのですね。記念館では、400年近くに及ぶ月桂冠の歴史はもとより、酒づくりの見学や、利き酒も体験できるとか。
●酒蔵の前を過ぎると、水路は直角に近い急カーブ区間に。
水面に目をやると、流速がかなりあるのがわかりました。舟に乗る前に船外機をチラッと見たら、30馬力という、なりの割には強力なエンジンを装備していたので、おやと思ったのですが、速い流れに抗して舟を進ませるには、大馬力が必要ということなのでしょう。
先ほど見た繋留の仕方も、この流れの速さに理由がありそうですね。

●カーブを曲がりきると、感じのよいコンクリートアーチが見えてきました。蓬莱橋です。(タイトルは帰路に撮ったもの)
全体の雰囲気から、東京にある震災復興橋たちと、同世代の橋ように感じられます。この後、舟を降りてから、散策がてら親柱の銘を確認したら、やはり、昭和5年3月竣工とありました。
竣工年の割にはとてもきれいで、手入れが行き届いており、地元の人々に可愛がられているようです。橋が素敵だと、舟での観光がぐっと楽しくなりますね。
●蓬莱橋をくぐった右側にあった、親水テラス。
出来上がってから、まだ年数を経ていないのでしょうか、水に浸った部分もきれいで、藻がついたりしていません。こちらも橋同様、時々手入れしているのかもしれませんね。
●竹田街道を渡す京橋の橋詰近くには、木製の灯籠を配した船着場が。
船頭さんによると、十石舟より大型の、三十石舟の船着場なのだそうです。コースは三栖閘門までの往復とほぼ同じ、本数は1日6本、土日のみの運航なのだとか。
【撮影地点のMapion地図】
(21年9月11日撮影)
(『伏見十石舟…3』につづく)

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よい水の得られるご当地伏見は、酒蔵の街の一面も持っているのですね。記念館では、400年近くに及ぶ月桂冠の歴史はもとより、酒づくりの見学や、利き酒も体験できるとか。

水面に目をやると、流速がかなりあるのがわかりました。舟に乗る前に船外機をチラッと見たら、30馬力という、なりの割には強力なエンジンを装備していたので、おやと思ったのですが、速い流れに抗して舟を進ませるには、大馬力が必要ということなのでしょう。
先ほど見た繋留の仕方も、この流れの速さに理由がありそうですね。

●カーブを曲がりきると、感じのよいコンクリートアーチが見えてきました。蓬莱橋です。(タイトルは帰路に撮ったもの)
全体の雰囲気から、東京にある震災復興橋たちと、同世代の橋ように感じられます。この後、舟を降りてから、散策がてら親柱の銘を確認したら、やはり、昭和5年3月竣工とありました。
竣工年の割にはとてもきれいで、手入れが行き届いており、地元の人々に可愛がられているようです。橋が素敵だと、舟での観光がぐっと楽しくなりますね。

出来上がってから、まだ年数を経ていないのでしょうか、水に浸った部分もきれいで、藻がついたりしていません。こちらも橋同様、時々手入れしているのかもしれませんね。

船頭さんによると、十石舟より大型の、三十石舟の船着場なのだそうです。コースは三栖閘門までの往復とほぼ同じ、本数は1日6本、土日のみの運航なのだとか。
【撮影地点のMapion地図】
(21年9月11日撮影)
(『伏見十石舟…3』につづく)

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伏見十石舟…1
(『鍵屋資料館』のつづき)
●本日2回目の舟遊びは、淀川をぐっと遡った派川の一つ、宇治川のほとりは伏見の中書島を半周するかたちでめぐる、濠川の観光船、十石舟。
短い距離ですが、河畔道が整備された、しっとりとした川景色の中をゆく和船の姿は、各所で紹介されており、一度乗ってみたいと思っていたのです。
(十石舟については、「伏見夢工房」をご覧ください)
中書島の駅を降りると、もう出発時刻が迫っていました。小走りに路地を抜け、息せき切って弁天橋の上から船着場を見ると…。よかった、何とか間に合ったようですね。
●下流側には、3艘の十石舟が、両岸からもやいを取り、整然と一列に繋留されているのが見えました。もやいは一艘4本づつ、どれもピンと張り詰めてあります。
なぜ岸につけず、川の真ん中に? 何か理由がありそうですね。
【撮影地点のMapion地図】

●船着場に下りて、受付を済ませると、お客さんは我々を含めて二組。う~ん、この水面の近さ、いい感じですね。
私が息を切らしているのを見て、気を遣ってくれたのか、「まだ1分ありますよ。一休みしてから出ましょう」と、船頭さんが声をかけてくれました。ありがとう…。
●乗り込むと、船頭さんは船尾の一段高くなった回転イスに腰掛け、船外機のティラーを握り、準備完了。
遠目には、一見バラック風(失礼)に見えたこの舟ですが、乗ってみると、実にしっかりとした造りでした。特に船体は、以前近江八幡水郷でも乗った、マルコブネ系の船首構造なのには驚き、興味深く思ったものです。
●もう一人、ガイド役の船頭さんが船首に乗り込み、もやいを解いて出発。
船頭さんたちは、いかにも地元のオヤジさんといった、リラックスした雰囲気なのが好ましく、関東の世間知らずから見ると、ようやく濃い目の関西人(これまた失礼)に会えた気がして、かえってホッとしたくらいでした。
魚影が水面を透かして見える、透明度の高い川面を丸いミヨシで押し分け、舟は一路、三栖閘門へ!
(21年9月11日撮影)
(『伏見十石舟…2』につづく)

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短い距離ですが、河畔道が整備された、しっとりとした川景色の中をゆく和船の姿は、各所で紹介されており、一度乗ってみたいと思っていたのです。
(十石舟については、「伏見夢工房」をご覧ください)
中書島の駅を降りると、もう出発時刻が迫っていました。小走りに路地を抜け、息せき切って弁天橋の上から船着場を見ると…。よかった、何とか間に合ったようですね。

なぜ岸につけず、川の真ん中に? 何か理由がありそうですね。
【撮影地点のMapion地図】

●船着場に下りて、受付を済ませると、お客さんは我々を含めて二組。う~ん、この水面の近さ、いい感じですね。
私が息を切らしているのを見て、気を遣ってくれたのか、「まだ1分ありますよ。一休みしてから出ましょう」と、船頭さんが声をかけてくれました。ありがとう…。

遠目には、一見バラック風(失礼)に見えたこの舟ですが、乗ってみると、実にしっかりとした造りでした。特に船体は、以前近江八幡水郷でも乗った、マルコブネ系の船首構造なのには驚き、興味深く思ったものです。

船頭さんたちは、いかにも地元のオヤジさんといった、リラックスした雰囲気なのが好ましく、関東の世間知らずから見ると、ようやく濃い目の関西人(これまた失礼)に会えた気がして、かえってホッとしたくらいでした。
魚影が水面を透かして見える、透明度の高い川面を丸いミヨシで押し分け、舟は一路、三栖閘門へ!
(21年9月11日撮影)
(『伏見十石舟…2』につづく)

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