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清澄排水機場のあたり…4

(『清澄排水機場のあたり…3』のつづき)

122027.jpg4本保存されている、上之橋の親柱を見てみました。ご覧のとおり、コンクリート+石材製の基部から、青銅風に塗り上げられたランプケース(?)まで中々凝った形で、現役時代は重要な橋であったことがうかがえます。銘板は漢字・平仮名とも、左横書きでした。

どんな橋だったのだろう、と、たびたび引用させていただいている「東京の橋」(石川悌二著)を開いたところ、ごく不鮮明な小さいものながら、タイドアーチらしい写真が載っていました。隅田川に面した第一橋のパターンに漏れず、下路式の橋で、一種の「目印の橋」として造られたのでしょう。竣工は昭和5年といいますから、震災復興橋の仲間ですね。この南にあった、中ノ堀の中之橋、油堀の下之橋と名前も揃って、いわば第一橋のトリオ的な存在だったようです。

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122029.jpg親柱の奥には、清澄排水機場の説明と、平断面図が掲げられていました。あっ、平面図の一番左、暗渠を横断する点線が描かれていますね! あれが「謎の土手」の下に埋まっている、管渠か何かを現わしているのでしょうか。

せっかくなので100mほど歩き、排水機場の東側…呑口も、清川橋から眺めてみました。ゴミよけの格子の前には、角落としをはめる溝を切った管理橋があり、右手には格子に溜まったゴミを掃除する、クレーンが備えられているのが見えます。

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清川橋から南詰のテラスに下りて、大島川西支川、松永橋を望んだところ。そういえば、この川にもずいぶんご無沙汰しているなあ…。南側は21年3月「最狭水路を抜けてみたい!…1」のシリーズ以来、永代通りの福島橋以北に至っては、19年3月の「大島川西支川…1」から訪ねていないというていたらく。

ご存知のように、福島橋の南で閉塞同然の状態で、川幅も狭く転回が難しいため、やはり、足が遠のいてしまうのでしょう。陸路では、ちょくちょくお散歩に来ているのですが…。

122031.jpg清川橋橋詰近く、ちょっとわかりにくい場所に、仙台堀川の歴史を記した説明板を発見。カラーの図まで入った、かなり詳しい記事ながら、掲げるところが地味過ぎて、もったいないような…。

名前の由来や開鑿・拡幅の経緯のみならず、東京運河土地株式会社による、旧砂町運河(『仙台堀川公園を歩く…1』参照)のことまで、きちんと触れられていたのが嬉しかったです。
撮影地点のMapion地図

(25年5月5日撮影)

(この項おわり)

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タグ : 清澄排水機場仙台堀川大島川西支川江東内部河川

清澄排水機場のあたり…3

(『清澄排水機場のあたり…2』のつづき)

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花壇のへりに腰かけて、川面をのんびり眺めていると、ほんの10分弱のうちに、4隻のプレジャーボートが目の前を通過する賑やかさ。さすが大川、支派川筋ではこうはゆきません!

122023.jpg彼らが去った後に、下流から一段と力強い爆音が…。水辺ラインの「さくら」と、古川の船溜でおなじみ、縄定さんの赤いオープン観光艇が、ともにお客さんを満載して、抜きつ抜かれつのデッドヒート(?)。盛り上がる東京の水上観光を、象徴するようなシーンでした。

縄定さんの艇、最近よく出会うようになったのですが、今年に入っての竣工でしょうか。収容力優先の、幅広で角ばった船形が目を引きますね。船首波を盛大に盛り上げていますが、船底形状はどうなっているのでしょう?

122024.jpgテラスから戻って、「謎の土手」の上に立ってみました。河川標識を掲げた姿は、まるで旧堤防の痕跡といわんばかりですが、ここはもともと仙台堀川の流路。土手が築かれたのは、排水機場ができた後で間違いないでしょう。

青々と芝が繁った土手は、定期的に刈り込まれているのか、雑草も少なくさっぱりしています。ビルの間に何の説明もなく盛り上がる、手入れの行きとどいた短い土手…。見れば見るほど、不思議な光景ではあります。

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土手の東側に少し降りたところから、排水機場の樋門の裏側を眺めて。ここだけ切り取ると、都心近くとは思えない長閑な感じです。

しかし、なぜ旧河道の幅だけ、土手を盛り上げてあるのでしょうか。この下を通っている、排水機場の暗渠の構造上こうしているのか、それとも、暗渠を乗り越えている水管か何かがあって、それを埋設したものなのでしょうか。いずれにせよ、何かトマソン的な、不思議な空気を発散している物件であることは、間違いありません。

122026.jpg土手の上をしばらくうろついていたら、周りの電線やビルの屋上から、ハトが数羽づつ降りてきて、たちまち十羽を超える集団となってしまいました。のどを鳴らしながら、私の足元をもの欲しそうに歩きまわるのです。この人懐こさから見て、近所の方が餌付けされているようですね。

ちょうど、おやつにカステラを持ってきていたので、ちぎって与えると大騒ぎ、仲間の上にのしかかって、カステラの争奪戦を演じていました。毎日おいしいものを与えられているのか、どのハトも毛づやがよく健康そう。このあたりは、愛鳥家が多いのかもしれません。

(25年5月5日撮影)

(『清澄排水機場のあたり…4』につづく)

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タグ : 隅田川清澄排水機場水上バス

清澄排水機場のあたり…2

(『清澄排水機場のあたり…1』のつづき)

122017.jpgテラスに下りてみました。木製デッキ調の台あり、ベンチを兼ねた花壇や東屋ありと、下手な公園よりきれいに整備されていますね。これで眺めも良いのですから、まずいうことはありません。

ここは堤外地、大雨や高潮時の増水で、冠水することも少なくない場所です。しかし見たところ、どこにもそんな跡が見当たらないのが素晴らしい。関係者の不断の整備の賜物でしょう。

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122019.jpgそして清澄排水機場樋門。艇からは上り下りのたびに目にする、いわばおなじみの物件ですが、間近で眺めるのは初めて。側面の階段が思ったよりゴツい感じで、遠目に見た時の印象と違います。

排水機場の吐口であるからには、艇は通らなくとも水路が必要ということで、テラスは途切れて、I形鋼を桁にした簡単な橋がかけられていました。


122020.jpg堤防側面には、里程標が掲げられていました。道のりだけでなく、階段やお手洗いの位置まで、地図で示されている親切なもの。次の橋が見たくなって、どこまででも歩いていってしまいそう。

あれっ、現在位置に「仙台堀川水門」と書いてある! 旧仙台堀川水門は、排水機場建設時に撤去されたのですが…。実は、この樋門が「2代目」なのかしら?

122021.jpg何といっても楽しいのが、水路をゆくフネブネを間近で眺められること! しかも天下の大川、都大路とくれば、座って呆けていても飽きさせないほどの通船量があるのですから、なおさらです。

腰かけて一服していると、さっそく一隻のバウカディ艇が、プレーニングで飛ばしてきました。フェンダーの付け方や、救命浮環をハンドレールにくくりつけているところを見ると、プレジャーでなく、業務艇かもしれませんね。

(25年5月5日撮影)

(『清澄排水機場のあたり…3』につづく)

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タグ : 隅田川清澄排水機場

清澄排水機場のあたり…1

(『萬年橋をお散歩』のつづき)

122012.jpg萬年橋から少し南下したところで、隅田川の堤防沿いに出てみました。コンクリート堤防の向こうに、清洲橋の主塔がちらりとのぞいています。

堤防道はよく陽があたって、雑草や砂の吹きだまりもなく、さっぱりと片付いていますね。この向こうに河畔のテラスがあることもあってか、散歩道として、常に整備の手が入っているのでしょう。


122013.jpg堤防の側面に掲げられていた、黒い銘板らしきものが目に入り、近づいて読んでみることに。ふむふむ、このあたりから上流側129mあまりは、昭和36年1月に、高潮対策事業として竣工したのですね。

この中で最も惹かれたのは、やはり「荒川左岸護岸建設工事」と書かれていたことです。昭和36年の時点では、荒川下流部の本流は依然としてここ、隅田川であり、現在の荒川は、あくまでも「放水路」であったころ…。冠水の憂いから脱出する、第一歩を踏み出した時代の想いが、この立派な銘板へ込められているように感じられました。

122014.jpgさて、ここを訪ねたのは、清澄排水機場の周辺を見て歩くためです。かつて、仙台堀川が隅田川と接していた場所であり、小名木川や竪川同様、河口は水門(仙台堀川水門)で守られていましたが、排水機場の建設により、船艇の行き来はできなくなりました。

何か遺構でもあれば、と訪ねたものの、むしろこのスペースの一風変わったというか、独特な雰囲気に惹かれるものがあったのです。ちょうどテラスに出る階段があったので、あそこから眺めてみましょう。

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左手が排水機場と仙台堀川のある東側で、右手が隅田川。この地下を、排水機場の樋管が走っているわけです。変わっているのは、ほぼかつての河道…というか、樋管の幅だけ、芝生の土手が唐突にもこり、と盛り上がっていて、土手の上には「隅田川」と大書きされた、河川標識まであること。

この土手が、柵をされるでもなく、さりとてベンチ一つ置かれるわけでもなく、かたわらに遊歩道を走らせてそこにあるさまは、のどかながら、ちょっと異様な光景でした。向こうには旧第一橋、上之橋の親柱だけが記念碑的に残されているのも手伝い、何か、遺跡の一部のような感じもしたものです。

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さっそく検分におよぼうとすると、爆音とウェーキを引く水音が背後から聞こえてきて、振り返ってしまったのがいけませんでした。

明るい静かなテラスと、上り下りするフネブネ、そして堂々たる清洲橋の姿! ううん、こっちも逆の意味で楽しそうだなあ…。排水機場の周りをうろつくのもいいですが、川景色を愛でてからでも遅くないでしょう。
撮影地点のMapion地図

(25年5月5日撮影)

(『清澄排水機場のあたり…2』につづく)

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タグ : 隅田川清澄排水機場

仙台堀川


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仙台堀川
所在地:東京都江東区千石2~江東区清澄1
延長:1.8km
最小水深:A.P.-1.2m
最小桁下高:A.P.+3.0m
メモ:寛永年間(西暦1624~1644年)に開鑿されたと伝えられる運河。仙台堀の名称は、現在の清澄1丁目付近に、仙台藩主・伊達家の蔵屋敷があったことによるという。かつては、隅田川から東砂1丁目付近で小名木川に接続する、5.5kmにおよぶ全長があったが、大横川以東は昭和53年から埋め立てられ、親水公園となった。
西から、大島川西支川(青印)、平久川赤印)、大横川(緑印)に接続している。西端部、かつて隅田川と接していた場所には、清澄排水機場(青鋲印)があり、水門閉鎖時の内水排除に備えている。
橋の桁下高は総じて低く、最も低い橋は、大横川との丁字流近くにある2橋で、A.P.+3.0mである。航行時の潮位には、充分注意されたい。
水深は全体的に浅く、特に平久川との丁字流は浅くなっているが、船外機艇の航行に障害があるほどではない。
水路をゆく 過去ログ」で仙台堀川を検索
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タグ : 仙台堀川清澄排水機場