新井郷川水門の周辺…2

(『新井郷川水門の周辺…1』のつづき)

70261.jpg堤防を降りて、北岸から新井郷川水門を見たところ。水門から、阿賀野川の水がゆるゆると流れ込んでくるのがわかります。

水門の北側、堤防に沿った道路との間のスペースは小公園になっており、桜も植えられていました。春先にはお花見客で賑わうのでしょうね。


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視線を少し右に振ると、岸壁、コンクリ-ト堤防、そして道路を同時に視界に収めることができ、水面と地表高の差がとても少ないことが、リアルに感じられる角度に。地元の方には申しわけないのですが、こういうひたひたの可航水路(ここ重要)に、家並が迫っているのを見ると、ワクワクしてしまう性分でして…。

いやしかし、岸壁といってもフェンダーの効かない低さ、堤防もガードレールより低そうなミニサイズ。漁師さんたちは、この堤防をひょいと飛び越えて、もやいを解くことを日常にしているのですね。

70263.jpg右の写真のように、出入りのため堤防にはいくつかの分断箇所があり、スロープで岸壁に盛り上がりを造って、陸閘を閉じなくとも、ある程度の増水には耐えられえるようになっています。この陸閘のミニサイズぶりもグッとくるものが。

他の陸閘には角落しがはめ込まれ、土嚢で補強してあったり、岸壁のフラットが泥で覆われていたりしていたのを見ると、ここも先日の増水で、緊張状態にあったことが感じられました。

70264.jpgいやもう、この船溜の雰囲気の佳さには、すっかりやられました。このあたりはもちろん初めてで、詳しくないのですが、ここ、松浜本町というのは古くからある町なのでしょうか、新興住宅地とは違った生活感があり、それでいて活気も感じられます。

そうした町自体の雰囲気も手伝って、水路の印象を好ましいものにしているのかもしれません。

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というわけで、何か立ち去りがたいものがあり、船溜に面した喫茶店で、涼みがてら休憩することにしました。桜並木に見え隠れする水門と船溜を、窓からチラチラのぞき見ながらの一服。水門と船溜が眺められる喫茶店なんて、そうそう出会えるものではありません。

しかもタダの水路ではない、「葛塚蒸気」も通った、伝統ある舟航路としての歴史を持つ旧河道でもあるのです。これを至福といわずして、何というのでしょう!
撮影地点のMapion地図

(23年8月10日撮影)

(『満願寺閘門…1』につづく)

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新井郷川水門の周辺…1

(『新井郷川閘門…5』のつづき)

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70257.jpg新井郷川の旧河口も見てみたくなり、新井郷川閘門のある丁字流より600mほど西へ移動、阿賀野川畔の新井郷川水門を訪ねてみました。

外観は、阿賀野川西岸で見た通船川水門によく似て…というより、瓜二つですね。利根川下流の水門・閘門群のように、同じ図面から起こしたとしか思えない「量産型」水門のようです。銘板によると、昭和41年3月竣工とのこと、通船川のそれより、ちょうど1年後輩ということになります。

70258.jpg高水敷に立って、はるか対岸を眺めると、通船川水門が見えました。その向こうに津島屋閘門もほんのちょっと、頭をのぞかせていますね。

通船川と新井郷川、大河を挟んで向き合う閘門つきの舟航路というと、どこか小名木川と新川を思い出させるものがあります。かつての「葛塚蒸気」と行徳航路が、今でいう近郊の衛星都市を結んだ、重要な河川航路であったことも、よく似ています。

70259.jpg増水からまだ間もないとあって、高水敷は乾いた泥で覆われており、流木やひっくり返ったボートなど、爪痕も生々しい状態。

水門の近くでは、写真のように重機とトラックが盛んに働いており、漂着した流木を片付けていました。



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管理橋の上から見た河口付近が、またいい雰囲気! 旧河道の名残か、水面が写真左側(北側)へふくらんだ形になっており、地元漁船の船溜として利用されていました。岸に下りての眺めも、さらにいい感じなんですよ。次回ご覧に入れましょう。
撮影地点のMapion地図

(23年8月10日撮影)

(『新井郷川水門の周辺…2』につづく)

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新井郷川閘門…5

(『新井郷川閘門…4』のつづき)

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管理橋の上から西側を見ると、これまた素晴らしい水路風景。草深い岸辺を枕にするかのごとく、河岸棒を突いたフネブネがずらりともやい、低い家並が水際近くまで迫る眺めは、まさに水郷そのものです。

かつて、ここが新井郷川の本流だったころ、川蒸気が走っていた時代は、川幅ももっと広かったことでしょう。分水路が海まで通じ「派川」になってこそ、このひなびた佳さが醸し出されたのかもしれません。

70252.jpgゲートの撤去跡。肉厚でごつい角落としの戸溝はそのまま、堰柱を取り去った部分もきれいにコンクリートで埋められています。こうなってから何年が経過したのでしょうか。

ゲートを片方撤去して、閘門から水門に用途転換されたものとしては、水郷の旧扇島閘門(『さようなら、扇島閘門…1』ほか参照)が思い出されます。国内には他にも、同じような例がありそうですね。


70253.jpg管理橋を渡り、閘室の北岸をのぞいてみると、児童遊園を兼ねた公園になっていました。廃墟というわけではなさそうですが、あまり手を入れていないのかずいぶん草ぼうぼうで、人気もなく寂しげです。

おや、左手に石碑のようなものが見えますね、閘門や水路に関するものかしらと期待して、見てみることにしました。


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70255.jpg石碑の題は「新井郷川治水碑」やはり、水路に関する記念碑でした。まだ新しい説明板が設けられていて、碑文の内容が解説されています。

閘門のある派川新井郷川分水路がかつて本流だったこと、洪水に悩まされたことから、大正9年から昭和9年の15年に及ぶ大改修が行われ、水門・閘門と分水路が造られたこと、そして本工事の功労者として、濁川村村長・近藤耕太の名が挙げられていました。

砂丘に育まれた大小の河川と潟湖を縫って、越後平野に航路を広げた舟運の時代は、すでに遠く去りましたが、閘門のゲートと治水碑をしのぶよすがとして、かつての賑わいが末長く伝えられてゆくことを願っています。
撮影地点のMapion地図

(23年8月10日撮影)

(『新井郷川水門の周辺…1』につづく)

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新井郷川閘門…4

(『新井郷川閘門…3』のつづき)

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管理橋から西側、閘室に目をやると、両岸ともこんもりと草木が茂って、自然に還らんばかり。かつてこの地域でよく見られた、点在する潟湖をつないで流れていた堀割や小河川は、こんな風景だったのかも…と思わせる、ひなびた佳さがありました。

向こうのゲートは、閘門として用途廃止された際、きれいに取り去られてしまったようで、いま一つの管理橋のみが見えます。後で行ってみましょう。

70247.jpgふと足元を見ると、閘室の水際に降りる階段が目に入りました。草が生い茂ってほとんど隠れてしまっていますが、法面は石垣か、コンクリートブロックの護岸で固められていたようです。

ちなみに、Mapion地図の上で測ったところでは、ゲートを含めた閘室の長さは約60mでした。径間5~6mと思われる小型閘門としては、そこそこの広さが取られており、一度の操作でかなりの数の舟をさばけたことでしょう。 

70248.jpg西側の管理橋を南岸から眺めて。イヤ、思った以上にいい雰囲気ですね! 両橋詰に並ぶ鋳鉄の柵と、RC橋の竣工年代が同じで、バランスが取れていることも大きいのでしょうが、それだけではないような気がします。

ふと、橋の径間のほどよい短さが、この空気を醸し出す要素の一つなのかも、と思い当りました。江東内部河川の震災復興トラス橋群を好ましく思う理由が、径間と天地寸法がイイ塩梅であること…、気持ちよく眺められるスケールとでもいうのでしょうか。それに近い感覚があったのです。

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南詰から正面を。親柱には、残念ながら銘板はありませんでしたが、この距離から見ても触感が手のひらに伝わってくるような、骨材の洗い出されたざらついた肌、角に鉄筋が露出した様子に、風雪を経たもの特有の雰囲気が感じられて、草いきれの中、汗がしたたるのも忘れてしばし立ちつくしました。

70250.jpg西側からゲートを眺めて。向こうの管理橋が、より交通量の多い道に架かっているとくれば仕方がないのですが、こうして眺めると、架け替えてしまったのがいかにも惜しいですね。

もし東側の管理橋がこちらと同様だったら、酷暑ならずともクラクラするような、いにしえを思わせる完璧に近い水門風景となったであろうだけに、やはり惜しまれます。
撮影地点のMapion地図


(23年8月10日撮影)

(『新井郷川閘門…5』につづく)

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新井郷川閘門…3

(『新井郷川閘門…2』のつづき)

70241.jpg扉体の上下は、ワイヤーでなくチェーンで行う方式でした。チェーン式のゲートを見るのは三栖閘門(『三栖閘門…1』ほか参照)以来ですが、三栖は引退した静態保存の閘門。今でも可動状態を保っている現役ゲートとなると、ここが初めてです。

三栖閘門同様、この下にはカウンターウェイトがぶら下がっていると見て、カメラを突っ込んだりとあれこれ悪あがきしてみたのですが、うまく撮れませんでした。

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さて、前々回に「戸溝の左右からチラリとのぞくアレは?」と触れた件ですが、裏側から戸溝をのぞき込んで、やはり! と嬉しくなりました。戸溝の中に、チェーンのような恰好のものが、半分水に浸かってはまっているのが見えますね。これ、ストーニーゲートの梯子状ローラーだ!

70243.jpg右の写真は、正面から撮った扉体の戸溝部分をアップにしたものです。動滑車に吊られて、梯子状ローラーの先端が、戸溝から顔を出していますね。動滑車を吊るワイヤーの一端は堰柱の梁に、もう一端は扉体の上端につながれており、扉体と戸溝に挟まれながら2分の1のストロークで上下します。

これも三栖閘門と同じ方式で、やはり現役ゲートとしては数少ないタイプですから、大切にしていただきたいものですね。

70244.jpg柵に取り付けられていた説明板。閘門は昭和6年の竣工。あれ、分水路の竣工が昭和8年となっている…まあ、年度の関係などで、1年程度の差が文献によって生じるのは、よくあることではあります。

写真が小さいので、竣工時の扉体や動力装置の様子がわからないのが残念ですが、通航を待つ和船の数から、盛んに利用されていたことが感じられる写真ですね。

閘門の径間の狭さと低さは、いかにも和船専用で、川蒸気など大型船の通航は不可能な寸法です。恐らく、計画が持ち上がった大正半ばから末の時点で、明治以来の川蒸気はすでに衰えており、考えに入れなくともよい状況だったのでしょう。

70245.jpg赤錆びた柵の柱は鉄鋳物で、簡素ながら意匠が施されており、閘門の雰囲気とぴったり。もちろん竣工当時からのものでしょうね。

陽射しでカンカンに焼けた鋳物の肌に触れながら、昭和一桁生まれのゲートが現役でいるありがたさを、実感したことでした。
撮影地点のMapion地図


(23年8月10日撮影)

(『新井郷川閘門…4』につづく)

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