水運趣味天国・江東区の本
●先日、神保町の三省堂書店をのぞいたら、「昭和30・40年代の江東区 なつかしい昭和の記録」(三冬社発行、監修・青木満、協力・江東区/江東区書店組合)という、変型判の上製本が平積みされていて、思わず手に取りました。非常に開きがよく、表紙張りも美しい、しっかりした製本の本です。
閘門あり、狭水路あり、最低橋あり…「水運趣味天国」といっても言い過ぎでない江東区の水路に惹かれ、かつ、さんざんお世話になってきた船頭としては、前を素通りすることなどできません。
きっと興奮ものの写真が載っているに違いないと期待して、さっそくページをめくってみると…期待を裏切らないどころか、斜め上をゆく強烈なモノが載っている! 即購入決定。
●先にネタばらしをしてしまうと…。冒頭のグラフページ「運河と水門」の項に当然のごとく吸い寄せられ、貴重な写真の数々に、血圧の上がる思いで眺め回していたら、「砂町水門の竣工式 昭和38年8月26日」と題された小さな写真に、目が釘付けになりました。
これは! 以前「新砂水門の謎の穴」で、木場在住の大阪人さんにご指摘いただいた、「旧・新砂水門」の写真に違いない! 小さい写真ながら、扉体を搬機で持ち上げて開口部にはめ込む、トラベリングゲートのディテールがとらえられていました。
長い間謎だった、「地図に描かれていながら、現存しない幻の(?)水門」砂町水門の姿を見ることができて、もう興奮のきわみ。横っ飛びにレジへ向かうには、この一枚の写真で充分な理由になったのです。
●一人で興奮していても仕方がないので、以下簡単に内容をご紹介しましょう。
内容自体は、昨今よく見られる郷土の記録的なもので、昔の写真と地元の方のお話をまとめたものです。グラフページは、小さなサイズの写真をちりばめて、かつての姿を回顧するパートがいくつか配されています。
「変貌する臨海部」、「運河と水門」、「川と橋」そして「木場」といった具合に。こと水路が縦横に走り、また港湾部を擁する、水辺そのものが土地柄のような地域ですから、水運趣味的に面白いのは、言うまでもありません。
●「変貌する臨海部」では、煙突を林立させた火力発電所や、石炭をうず高く山積みした豊洲埠頭の現役時代の姿、入渠船で喧騒を極める、石川島播磨重工造船所のスナップなど、まさに全盛期の圧倒的な光景を掲載。
「運河と水門」でも、いまはなき油堀川水門(昭和36年ごろ)の写真、豊洲水門をはじめとする臨海部の水門群の、現在とは違った竣工時の姿など、貴重な映像が盛りだくさん。
また、どのページを開いても、臨海部や新木場の貯木場はもとより、細い水路に至るまで原木が水面を埋め尽くしており、木とともにあった街だったことを、改めて認識させてくれること請け合い。土木ファンにとって、実に楽しい本であることは、まず間違いありますまい。
●今ひとつ、個人的にハートをわしづかまれたのは、「豊洲水門 昭和38年」と題された写真のキャプション。「『豊洲水門』『辰巳水門』(昭和37年竣工)、『東雲水門』『あけぼの水門』(昭和40年竣工)、『新砂水門』(昭和51年竣工)は、『江東地区5水門』と呼ばれる。」…おお!
「7大戦艦」とか「3大がっかり」(笑)のたぐいに弱い私としては、ぜひ「大」を冠して、
江東5大水門と呼んでいただきたい! その規模と、外郭堤防とともに高潮から街を守る重要な任務は、「5大水門」と呼ぶにふさわしいものがあると、信じてやみません。
●さて、この本のグラフページ、旧ブログでもよく資料として引用させていただいた、「江東古写真館~思い出のあの頃へ~」(江東区教育委員会編、平成16年刊・中川船番所資料館で購入)掲載のものと、重複している写真がかなりあります。
「江東古写真館…」は、いわば今昔対比の定点写真集で、街並みや水路の変貌ぶりを見るには格好のもの。写真も大きなサイズで割り付けられているので、個々の風景として楽しみたい向きには、こちらもお勧め。撮影地点の地図もついており、写真も資料性の高いものばかりです。
●冒頭の、砂町水門の件に話を戻すと…。「昭和30・40年代の…」では、昭和38年に竣工したとありますが、「新砂水門の謎の穴」でも触れたように、「水門工学」(技報堂出版)には、1953年(昭和28)竣工とある。う~ん、どちらが正しいのでしょう?
木場在住の大阪人さんのご指摘にもあるように、航空写真を見てみると、昭和38年の写真では、まだ外郭堤防もできたばかりのようで、内側のほとんどが水面です。ふと、国土変遷アーカイブで、昭和31年の航空写真「USA-M288-3」を見てみると…。
そもそも外郭堤防はおろか、夢の島もない!昭和28年竣工は、何かの間違いであることが判明。ううう、早く気づけばよかった…お粗末さまでした。
●しかしそうなると、砂町水門は竣工わずか13年で、新砂水門に役目を譲ったことなりますね。
このような結構な規模の水門が、短期間で廃された理由は、どのあたりにあったのか…。設計に不備でも見つかったのか、何か事故でもあったのか? いずれにせよ、またひとつ、楽しい宿題が増えてしまいました。

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閘門あり、狭水路あり、最低橋あり…「水運趣味天国」といっても言い過ぎでない江東区の水路に惹かれ、かつ、さんざんお世話になってきた船頭としては、前を素通りすることなどできません。
きっと興奮ものの写真が載っているに違いないと期待して、さっそくページをめくってみると…期待を裏切らないどころか、斜め上をゆく強烈なモノが載っている! 即購入決定。

これは! 以前「新砂水門の謎の穴」で、木場在住の大阪人さんにご指摘いただいた、「旧・新砂水門」の写真に違いない! 小さい写真ながら、扉体を搬機で持ち上げて開口部にはめ込む、トラベリングゲートのディテールがとらえられていました。
長い間謎だった、「地図に描かれていながら、現存しない幻の(?)水門」砂町水門の姿を見ることができて、もう興奮のきわみ。横っ飛びにレジへ向かうには、この一枚の写真で充分な理由になったのです。
●一人で興奮していても仕方がないので、以下簡単に内容をご紹介しましょう。
内容自体は、昨今よく見られる郷土の記録的なもので、昔の写真と地元の方のお話をまとめたものです。グラフページは、小さなサイズの写真をちりばめて、かつての姿を回顧するパートがいくつか配されています。
「変貌する臨海部」、「運河と水門」、「川と橋」そして「木場」といった具合に。こと水路が縦横に走り、また港湾部を擁する、水辺そのものが土地柄のような地域ですから、水運趣味的に面白いのは、言うまでもありません。
●「変貌する臨海部」では、煙突を林立させた火力発電所や、石炭をうず高く山積みした豊洲埠頭の現役時代の姿、入渠船で喧騒を極める、石川島播磨重工造船所のスナップなど、まさに全盛期の圧倒的な光景を掲載。
「運河と水門」でも、いまはなき油堀川水門(昭和36年ごろ)の写真、豊洲水門をはじめとする臨海部の水門群の、現在とは違った竣工時の姿など、貴重な映像が盛りだくさん。
また、どのページを開いても、臨海部や新木場の貯木場はもとより、細い水路に至るまで原木が水面を埋め尽くしており、木とともにあった街だったことを、改めて認識させてくれること請け合い。土木ファンにとって、実に楽しい本であることは、まず間違いありますまい。
●今ひとつ、個人的にハートをわしづかまれたのは、「豊洲水門 昭和38年」と題された写真のキャプション。「『豊洲水門』『辰巳水門』(昭和37年竣工)、『東雲水門』『あけぼの水門』(昭和40年竣工)、『新砂水門』(昭和51年竣工)は、『江東地区5水門』と呼ばれる。」…おお!
「7大戦艦」とか「3大がっかり」(笑)のたぐいに弱い私としては、ぜひ「大」を冠して、
江東5大水門と呼んでいただきたい! その規模と、外郭堤防とともに高潮から街を守る重要な任務は、「5大水門」と呼ぶにふさわしいものがあると、信じてやみません。

「江東古写真館…」は、いわば今昔対比の定点写真集で、街並みや水路の変貌ぶりを見るには格好のもの。写真も大きなサイズで割り付けられているので、個々の風景として楽しみたい向きには、こちらもお勧め。撮影地点の地図もついており、写真も資料性の高いものばかりです。
●冒頭の、砂町水門の件に話を戻すと…。「昭和30・40年代の…」では、昭和38年に竣工したとありますが、「新砂水門の謎の穴」でも触れたように、「水門工学」(技報堂出版)には、1953年(昭和28)竣工とある。う~ん、どちらが正しいのでしょう?
木場在住の大阪人さんのご指摘にもあるように、航空写真を見てみると、昭和38年の写真では、まだ外郭堤防もできたばかりのようで、内側のほとんどが水面です。ふと、国土変遷アーカイブで、昭和31年の航空写真「USA-M288-3」を見てみると…。
そもそも外郭堤防はおろか、夢の島もない!昭和28年竣工は、何かの間違いであることが判明。ううう、早く気づけばよかった…お粗末さまでした。
●しかしそうなると、砂町水門は竣工わずか13年で、新砂水門に役目を譲ったことなりますね。
このような結構な規模の水門が、短期間で廃された理由は、どのあたりにあったのか…。設計に不備でも見つかったのか、何か事故でもあったのか? いずれにせよ、またひとつ、楽しい宿題が増えてしまいました。

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