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水郷観光の華をしのんで

久しぶりに水郷のお話とまいりましょう。過去にもたびたび触れてきましたが、下利根・霞ケ浦・北浦一帯に覇を唱え、関東の内水汽船時代に最後の輝きを見せた船社、水郷汽船。その花形として知られた2隻の鋼製ディーゼル船、「さつき丸」「あやめ丸」の姿に惹かれて入手したリーフレットと絵葉書、二葉を紹介させていただきます。

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水郷めぐり
190㎜×263㎜  「昭和拾貮年九月八日」の印あり。裏面絵柄なし。


4色の版を使った贅沢な水郷観光案内。その目に沁みるような鮮やかな色使いもさることながら、枠の赤版に白抜きで路線や名勝を配し、緑版では菖蒲をと、実に細やかな気配りを見せるデザインに、水郷観光の意気盛んな息吹が感じられて、よいものですね。

「さつき丸」の写真に目を移すと、光線の角度はバッチリ、わずかな追い風を受けているのか、マストトップに掲げられた社旗らしき旗が船首側にはためいて、最上甲板にも真新しい天幕がフルオーニング状態と、プロによるオフィシャルフォトであることがうかがえます。原版があれば、数ある「さつき丸」を写したものの中でも、最高クラスの仕上がりといって間違いはないでしょう。

この手の印刷物は絵葉書同様、発行年代が漠然としか推測できないものですが、一見しただけで二つの材料が明示されていて、その点は大いに助かりました。

まず右下に天地逆ながら、「昭和拾貮年九月八日」の印が見えますね。これは発行日というより、配布された日を示すのでしょうか。もう一つは、本文左手「さつき丸就航」の文言「陽春四月より」云々の下り。本船の竣工は東京石川島で昭和6年10月とされており、その直近とすれば昭和7年4月より就航、ということになるのでしょうか? とすれば、本紙が発行されたのは昭和7年以降、以後、少なくとも昭和12年までは配布されていた、と見てよいかと思います。

通運丸船隊などを擁していた東京通運が、鹿島参宮鉄道船舶部ほかを合併、水郷遊覧汽船を設立したのがの昭和6年11月。水郷汽船への改称は昭和7年8月だそうですから、社名変更の決まったころ、「さつき丸」の就航とタイミングを合わせて、気合の入った宣伝物を作り誘致に力こぶを入れた‥‥、といったストーリーが妄想されたものです。

明治初め以来、隻数こそあれスタイルには大きな変化のなかった、川蒸気船隊を主力としてきた水郷一帯の航路に、一足飛びに鋼製ディーゼル主機の大型船を二隻も投入したのですから、気合も入ろうというもの。水郷一帯の内水沿岸を、細々と綾なすように結んでいた実用航路から、観光航路の時代へ大きな変化を遂げつつあった瞬間のエッセンスを凝縮したような、そんな一葉といっていい過ぎではありません。

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水郷の女王 さつき丸 あやめ丸
宛名・通信欄比率1:1、大正7年4月以降の発行。裏面分割線に「水郷汽船株式會社發行」とあり


もう一つは絵葉書で、「さつき丸」だけでなく「あやめ丸」も併載、新造鋼製ディーゼル船隊が揃い踏み。「水郷の女王」と自称(?)してしまうあたり、自信のほどがうかがえてそそられるものが。それぞれ「船内賣店あり・船室明朗清麗なり」、「船内食堂・賣店・ラヂヲ・其他設備完全・船室明朗清麗・日本間あり」と、設備の宣伝怠りありませんが、「さつき丸」に日本間があったのは興味を惹かれるものがあります。

船内か、あるいは水駅(船着場)で購入時に押印したのか、風景ゴム印が見えますね。こちらも年月日が記されているのはありがたいところ。「8.7.19」とあるので、昭和8年7月19日ということがわかります。

ちなみに「あやめ丸」は95総t、昭和6年5月と、「さつき丸」(155総t)より少し早めの竣工。この2隻がいわば水郷汽船の看板となって、津宮、銚子ほか下利根各所から横利根川を経て、潮来、鹿島や息栖、土浦と、戦前の水郷観光時代を華やかに彩ったことが想われて、胸の熱くなるものがあります。

水郷汽船に関心を覚えられた向きは、以下の関連過去記事もご覧になってみてください。
「参宮丸」船隊? の面影を拾う
東京通運時代の河川航路図二題
土浦再訪…2
水郷案内にしのぶ航路とフネブネ

【参考文献】
水郷汽船史 白戸貞夫 羽成裕子 編 筑波書林 昭和59年1月

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タグ : 水郷水郷汽船霞ケ浦絵葉書・古写真