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神田川・分水路の通航について

ご存じ、神田川の可航分水路である、お茶の水分水路・水道橋1・2号分水路(以下『分水路』と略)。
今まで何度も艇で出たり入ったりしておきながら、通航することの可否については、恥ずかしながら真剣に考えたことがなかったのです。

今回、あることがきっかけで、初めてこの件と向き合ってみて、さまざまなことがわかりました。以下長くなりますが、そのまとめです。

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水道橋分水路・お茶の水分水路のまとめ

先日の分水路ツアーの折にいただいた資料をもとに、以前Googleマップ上に作った「神田川・お茶の水分水路略図」に追記し、題も「神田川・水道橋分水路・お茶の水分水路略図」と改めてみました。

以下、神田川の可航分水路2系統3区間についての、船頭なりのまとめということで、気になったところをかいつまんでご紹介できればと思います。過去の記事「分水路まつり覚え書き」、「お茶の水分水路覚え書き」と、あわせてご覧いただければ幸いです。


ホンモノのGoogleマップで神田川・水道橋分水路・お茶の水分水路略図を表示

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タグ : 水道橋分水路 お茶の水分水路 分水路 神田川

文京区主催・神田川分水路ツアーのご案内役をさせていただきました

51001.jpg2月27日と3月6日は、2週連続で水路ツアーのご案内役を務めさせていただきました。「『文の京』日帰り体感ツアー」と題する、文京区主催の観光開発を目的とした、短期集中イベントのうちの一つです。

今回の目玉は、何といっても分水路航行。私を含め、ごく一部のモノ好きしか面白がらないであろう、と思われた神田川の分水路が、ついに自治体お墨付き(?)で商業航路化(??)されるというところにも興味を惹かれ、楽しくお手伝いさせていただきました。

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タグ : 神田川 水道橋分水路 お茶の水分水路 分水路 シールドマシン発進縦坑

三土氏と水路行…2

(『三土氏と水路行…1』のつづき)

39006.jpgというわけで分水路突入。このころはすでにだいぶ涼しくなっていたのですが、地中の世界は、長きにわたる猛暑であぶられた熱が冷めてないのか、ムッとする蒸し暑さです。

何より残念だったのは、デジカメの設定を間違えてしまったこと。フルオート+ストロボ強制発光が正解だったのに、愚かにも「夜景」モードを選んでしまい、ご覧のとおりブレブレ、ボケボケのていたらく。舵を握る身としては途中で訂正することもできず、悔しい結果に終わりました。

39007.jpg
全景をしっかり撮り直しておきたかった大地下空間・発進縦坑(『分水路打通作戦【お茶の水分水路編】…7』参照)も、ヒトダマが飛んだようになり、もう何が何やらわけのわからんモノに…。三土氏と大野氏の傑作写真を、ぜひウェブ上で発表していただきたいものです。

この後、水道橋分水路に入ってからは、例の低い区間で、大野氏が天井にさわってみたり、2号分水路との疎通口「地下水門」では、三土氏が「反対側から見られるなんて思わなかった」と感動されたりとかなりの盛り上がり。

しかし良いことばかりではなく、何かチクチクするな、と思ったら、蚊の大群に囲まれて刺されまくるというハプニングも。

狭い穴倉の中では逃げ場もなく、手を振り回したり、ふんづけたりひっぱたいたりと大騒ぎ。血を吸える獲物もなく、ボウフラが湧くような水たまりもない分水路の中で、どうして大量の蚊が住みついていたのか、今もって謎ではあります。

39008.jpg白鳥橋上流の呑口から脱出、2900mの打通を達成しました。地熱のこもった、蒸し暑いよどんだ空気の中から出てきただけに、さすがに外の空気がうまい! 三土氏はまだくぐり足りないのか、ポータルを名残惜しそうに振り返っています。

ここでメーターパネルの警報ランプが点灯すると同時に、エンジンの警報ブザーが鳴り、一気に緊張が高まりました。

39009.jpg停止・チルトアップして点検の後、しばらくアイドリングで漂泊していたら警報が止まったので、あまり回転を上げないように、そろそろと下ることに。まあ、先日お伝えしたとおり、この時点ですでに1気筒死にかけていたわけで…。

幸い海の真ん中などではなく川ですから、ゆっくり走っていれば、仮にエンジンが止まっても、まず大事には至りません。首都高の桁裏を眺めつつ、のんびりとまいりましょう。

39010.jpg上流側から船河原橋の裏側を撮ってみました。この角度から眺めると、飯田橋の橋台地の隅というか、旧橋詰広場の存在を匂わせる、丸みをつけて組まれた石垣のスペースを利用して、突っ込まれていることがわかります。

う~ん、この乗っかり具合、いつ見ても不安を掻き立てられる…。いや、吊られる桁や喰われるトラスの強烈さにくらべれば、はるかにおとなしめではあるものの、これはこれで違ったインパクトがありますよね。
撮影地点のMapion地図

(22年9月19日撮影)

(『三土氏と水路行…3』につづく)

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タグ : お茶の水分水路 水道橋分水路 分水路 神田川 高架下水路 橋の裏側

汐留川に昔、可航暗渠があった?

去る7月10日の、江東ドボクマッピング・水路ツアーに参加させていただいたときのこと。参加者の方から「(水道橋・お茶の水分水路のように)ボートで通れる暗渠って、他にはないのですか?」というご質問をいただきました。

話の流れから、私の艇と同クラスの艇で、しかも都内の水路限定という意味でお話ししてよいかな、と思ったので、「おそらく水道橋・お茶の水分水路の他にはないと思います」とお答えしましたが、さらに小型の機付き和船やインフレータブル、ローボートにカヤックと、小さい艇種を選ぶなら、通り抜けられないにせよ、江戸川橋分水路も範疇に入るでしょう。
カヤックやカヌーで通れる暗渠なら、私が知らないだけで、それこそ、全国いたるところにあるに違いありません。

帰宅してから、ひとつ思い出したことがありました。昔読んだ本の中で、都内の、カヌーで通れる暗渠のことを書いた下りがあったなあ…。

探してみたら、ありました! 「路地裏の文明開化 新橋ロマン物語」(竹内宏著・実業之日本社・平成5年)という、明治から戦後に至るまでの、新橋を中心にした界隈の変遷を描いた本です。

気になる部分を抜き書きしてみましょう。「水の都の消滅」という一節、界隈を縦横に走っていた掘割群が、次々と埋め立てられ、また首都高に造り替えられてゆくことを書いたくだりですが、その中に、

また、溜池から第一ホテルの地下にかけては、雨水等を流すための巨大な地下水道があり、それは運河とつながっていた。子どもたちは、カヌーに乗って、地下水道の中を遊んでいたという。

とあったのです。他に関連する記述はなく、「えっ、それだけ?」と、物足りない感じもしましたが、これは地元にながく住んだ方でなくては、出てこない話であることを思うと、少ないとはいえ貴重な証言に思えたものです。

溜池から出ていた水路といえば、汐留川の旧流路に他なりません。おおむね現在の外堀通りの北側を流れ、線路をくぐった後は東京高速道路のカーブ区間に沿い、浜離宮の北側角で現存の流路に接続していました。Googleの航空写真でいうと、このあたりですね。

記事の中では、暗渠があった年代については、特に触れられてはいませんでしたが、首都高ができるまでの、水路群や橋の様子を描写していた前後の文脈から判断すると、昭和戦前から20年代といったところでしょうか。

オールで漕ぐローボートを貸す貸しボート屋が、都心の堀割や川にも結構な数の店を開いていたというこの時代、カヌーというのも少し妙な感じがしますが、当時「貸しカヌー屋」なるものがあったのか、またはベカやローボートをカヌーと間違えたのか、そのあたりはわかりません。
今でも、子どもたちが探検した当時の暗渠が、そのまま下水として使われているのでしょうか。

ともあれ、機会があったら、水路跡をたどったり、文献をあさって調べてみたくなりました。また、詳しいことをご存じの方がおられたら、ぜひご教示いただきたいものです。




(水道橋1号分水路呑口付近、22年9月19日撮影)

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