毛馬閘門の絵葉書

●「大阪毛馬閘門」
宛名・通信欄比率2:1、明治40年4月~大正7年3月の発行。
●委細はひとまず置いて、この絵葉書の素晴らしさを垂れ流させて下さい。水面上、ほぼど真ん中から望んだ閘室! 後扉室のマイタゲートは全開され、閘室内にはすでに数隻の舟が舷を接して入閘し、竿を寝かせて注水を待っています。
●カメラマンが乗った舟も、この後を追って通航したのでしょうか。閘門通過の前の、期待と不安が入り混じったようなワクワク感が、ビリビリと伝わってくるような低い目線からのこの構図! 護岸上から見下ろす人々の姿も、これから始まるシーンへの期待をいや増しているように思えます。
●私が今まで出会った、閘門を主題とした絵葉書では、以前紹介した横利根閘門のそれ(『関宿水閘門と横利根閘門の写真』参照)とくらべても甲乙つけがたい素晴らしさで、しかも稼働時の姿を船上から写したという意味でも貴重なもの。舟航施設である閘門の、魅力を余さずとらえた写真といってもいい過ぎではないでしょう。
●さてこの絵葉書、タイトルにもあるとおり、大阪は淀川本流と大川の間を分かつ、毛馬洗堰に併設された毛馬閘門を写したもの。レンガの壁面に、湛水線や汚れもほとんど見られないことから、竣工からさして年月がたっていないことが感じられます。見物人が多いあたりにも、まだ閘門が登場して間がなく、珍しかったことを思わせますね。
●ちなみに、毛馬閘門のうち、現在記念物になっている第一閘門は明治40(1907)年竣工、船溜として使われている第二閘門は、大正7(1918)年の竣工で、ともに昭和51年に用途廃止され、現閘門に役目を譲りました。
●目地の一本一本まで判別できそうな鮮明さに、ルーペを使ってディテールを堪能していたら、一つ気になるものが。両岸に植え込みのような木立が見えますが、右側のそれ、何か文言を書いた柱と、立札のようなものがありますね。拡大してみると、柱には「紀念×××」と書かれているようです。植え込みの中には、記念碑でもあるのでしょうか。今でも現地に行けば見られるのかな?
●そうそう、絵葉書を入手した当初は、以前実見した第二閘門だと思い込んでいたのですが、あるとき撮った写真(21年9月11日訪問、『毛馬閘門…1』参照)とみくらべてみたところ‥‥。

●開閉装置の立ち上がりや、扉体の形式の違いは、後年の更新があったとしても、天端や角にある石材のピッチがどう見ても違うし、径間も絵葉書のそれより広いようです。そして、前扉室のゲートに段差がある‥‥。
これは違うようだと、毛馬第一閘門を訪ねた各サイト(中でも『混沌写真』さんの『旧毛馬閘門』が面白かったです!)を拝見して、絵葉書は第一閘門であることを確認。

●しかし、かつては大川~淀川本流間を、二段の閘門で通船していたんだよなあ‥‥。第二閘門竣工後、第一閘門は常時開だったようですが、それでも閘門バカとしては最高の贅沢です。
ときには閘室が一杯になるような、大形の外輪川蒸気も通った旧毛馬閘門、第一・第二ともに、末永くその姿を淀川畔に留めていてほしいものですね。

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毛馬閘門…3
(『毛馬閘門…2』のつづき)
●閘室に入ってから、10分と経たないうちに、ほぼ満水となったようです。
毛馬閘門、注水方式はバイパス管ですが、さすが大きな船だけあって、注水される水の流圧で船があおられたり、もやいがギシギシきしんだりといった、木っ端ブネではおなじみのディテールは味わえず、気づいたら水面が上がっていた感じで、静かなものでした。
●ゲートが上がる瞬間を撮りたくて、操縦席のドアが開け放ってあるのを幸い、フロントグラス越しに狙ってみました。
まだ扉体の左右から、勢いよく水が流れているシーンがかいま見られたのはいいのですが、やっぱり外から見てみたい…。私が情けない顔でもしていたのでしょうか、いま一人の船員さんが、「出てみますか?どうぞ!」と、側面のハッチを開けてくれたのです!
あ、ありがとうございます…(泣)。
●側面のタラップから、半身を乗り出して目に入った光景は、上流側ゲートをくぐった直後のこれ。え~と、以前から、ここを写した写真を見るたび、気になってしまうのですが…。
何ゆえ「こうもん」が平仮名なのか。
これを見ると、20ン年前に初めて大阪を訪ね、梅田の駅頭に降り立った瞬間目に入った、「そねざきけいさつ」と大書きされた看板を見たときの衝撃を、思い出さずにはいられない私です。
…まあ、詳細は省きますが、何と申しましょうか、「違う文化圏に来たんだなあ」と、カルチャーショックをおぼえたのですね。ええ。

●大阪で初めての閘門、毛馬閘門とのひとときは、想像以上に素敵なものでした。ありがとう!
閘門と毛馬水門に別れを告げて、船は一路、淀川本流を遡上開始。大阪の母なる川であり、長きに渡り、京への舟運路として賑わった、国内でも一二を争う歴史のある水の道、淀川はどんな川景色を見せてくれるのでしょうか。

●そういえば…と、以前集めた昔の絵葉書に、毛馬閘門があったことを思い出して、探してみました。結果は…う~む、タイトルには毛馬閘門とあるものの、人着写真の絵柄は、洗堰の方でしたね。
この旧毛馬洗堰も、旧毛馬第一閘門同様、陸上に一部が保存されているそうです。
(21年9月11日撮影)
(『水上バスで淀川遡上…4』につづく)

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毛馬閘門、注水方式はバイパス管ですが、さすが大きな船だけあって、注水される水の流圧で船があおられたり、もやいがギシギシきしんだりといった、木っ端ブネではおなじみのディテールは味わえず、気づいたら水面が上がっていた感じで、静かなものでした。

まだ扉体の左右から、勢いよく水が流れているシーンがかいま見られたのはいいのですが、やっぱり外から見てみたい…。私が情けない顔でもしていたのでしょうか、いま一人の船員さんが、「出てみますか?どうぞ!」と、側面のハッチを開けてくれたのです!
あ、ありがとうございます…(泣)。

何ゆえ「こうもん」が平仮名なのか。
これを見ると、20ン年前に初めて大阪を訪ね、梅田の駅頭に降り立った瞬間目に入った、「そねざきけいさつ」と大書きされた看板を見たときの衝撃を、思い出さずにはいられない私です。
…まあ、詳細は省きますが、何と申しましょうか、「違う文化圏に来たんだなあ」と、カルチャーショックをおぼえたのですね。ええ。

●大阪で初めての閘門、毛馬閘門とのひとときは、想像以上に素敵なものでした。ありがとう!
閘門と毛馬水門に別れを告げて、船は一路、淀川本流を遡上開始。大阪の母なる川であり、長きに渡り、京への舟運路として賑わった、国内でも一二を争う歴史のある水の道、淀川はどんな川景色を見せてくれるのでしょうか。

●そういえば…と、以前集めた昔の絵葉書に、毛馬閘門があったことを思い出して、探してみました。結果は…う~む、タイトルには毛馬閘門とあるものの、人着写真の絵柄は、洗堰の方でしたね。
この旧毛馬洗堰も、旧毛馬第一閘門同様、陸上に一部が保存されているそうです。
(21年9月11日撮影)
(『水上バスで淀川遡上…4』につづく)

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毛馬閘門…2
(『毛馬閘門…1』のつづき)
●すでにタイトルでもご覧に入れましたが、もう嬉しくてしょうがない入閘の一瞬。

●船員さんに「水が少したれてきますよ!」と注意されても、「ええ、いつものことですから」と上の空で口走ってしまい、いぶかしい顔をされる始末。
この船一隻で、閘室が一杯になりそうなのもイイ感じです!
●閘室に進入完了。逆光の中、下流側ゲートを振り返って。
船員さんいわく、「ここは管理が厳しくて、つい数年前までは砂船しか通さなくてね。かつては客船など、通航まかりならんという方針だったのですが、ようやく最近になって(水上バスも)通してくれるようになったんです」。う~ん、そうだったんですか。
●お話をうかがって思い出されたのが、以前読んだ、月刊「オーシャンライフ」06年7月号の川走りガイド記事、「リーバークルージングシナリオ」にあった、毛馬閘門についての下り…。
その記事によると、プレジャーボートが毛馬閘門を通るには、最低でも一週間前に通航申請が必要で、その上業務船優先のため、通航時間は閘門側が指定するとのことでした。
今でも状況は、4年前と変わらないのでしょうか…。行けばまず確実に開けてくれる都内の閘門や、セルフサービス運転で自由に通航できる、利根川筋の閘門群から考えると、ずいぶん厳しいようですね。
●閘室に入ると、船は向かって右側の側壁に達着、ビットにもやいを取りました。上流側の扉体をよく見ると、上がったままの紫色の扉と、降りている青い扉の二枚があります。増水時に備えた、二段式ゲートなのですね。
ここで残念ながら、船員さんにうながされて一旦船内へ戻ることに。
●側壁上に立っていた、通航標識の看板。
淀川は、淀川大堰の上下流の、かなりの面積が通航禁止区域で、閘門は堰の上流側のみにあり、大川から堰の下流側へは出られないことがわかります。
●船内で、じりじりと上昇する水面に沈みゆく、チェーンの渡された側壁を見ながら注水待ち。
ちなみに閘室の寸法は、幅11.35m、長さ107m(『淀川大堰写真集』より)。船員さんによると、「砂船なら、10杯は入ります」とのこと。う~ん、「ぎっしり閘門」にあこがれる私としては、そのシーン、ぜひナマで見てみたい!
【撮影地点のMapion地図】
(21年9月11日撮影)
(『毛馬閘門…3』につづく)

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●すでにタイトルでもご覧に入れましたが、もう嬉しくてしょうがない入閘の一瞬。

●船員さんに「水が少したれてきますよ!」と注意されても、「ええ、いつものことですから」と上の空で口走ってしまい、いぶかしい顔をされる始末。
この船一隻で、閘室が一杯になりそうなのもイイ感じです!

船員さんいわく、「ここは管理が厳しくて、つい数年前までは砂船しか通さなくてね。かつては客船など、通航まかりならんという方針だったのですが、ようやく最近になって(水上バスも)通してくれるようになったんです」。う~ん、そうだったんですか。
●お話をうかがって思い出されたのが、以前読んだ、月刊「オーシャンライフ」06年7月号の川走りガイド記事、「リーバークルージングシナリオ」にあった、毛馬閘門についての下り…。
その記事によると、プレジャーボートが毛馬閘門を通るには、最低でも一週間前に通航申請が必要で、その上業務船優先のため、通航時間は閘門側が指定するとのことでした。
今でも状況は、4年前と変わらないのでしょうか…。行けばまず確実に開けてくれる都内の閘門や、セルフサービス運転で自由に通航できる、利根川筋の閘門群から考えると、ずいぶん厳しいようですね。

ここで残念ながら、船員さんにうながされて一旦船内へ戻ることに。

淀川は、淀川大堰の上下流の、かなりの面積が通航禁止区域で、閘門は堰の上流側のみにあり、大川から堰の下流側へは出られないことがわかります。

ちなみに閘室の寸法は、幅11.35m、長さ107m(『淀川大堰写真集』より)。船員さんによると、「砂船なら、10杯は入ります」とのこと。う~ん、「ぎっしり閘門」にあこがれる私としては、そのシーン、ぜひナマで見てみたい!
【撮影地点のMapion地図】
(21年9月11日撮影)
(『毛馬閘門…3』につづく)

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毛馬閘門…1
(『水上バスで淀川遡上…3』のつづき)
●後部デッキに出ると、毛馬閘門と水門、排水機場が一望できる、土木構造物の一大パノラマが広がりました。
イヤ~、水の匂いがする、川の空気が美味い!
案内してくれた船員さんは、かつて本船に乗り組まれていたそうで、海外の閘門も通航された経験があるとのこと。日焼けした「潮っ気」の感じられる風貌、船乗りの貫禄充分です。
●左手に見える赤レンガの構造物は、旧毛馬第二閘門。大正7年に竣工した、マイタゲートの閘門です。今は陸上に保存されている、明治40年完成の旧毛馬第一閘門とともに、長きに渡り大川~淀川間の舟航を支えてきました。
今ではご覧のとおり、奥には上屋と桟橋が設けられて、船溜として使われているようです。Google航空写真を見ると、手前のマイタゲートは閉まった状態で写っており、今でも動かせるみたいですね。閘門としてはお役御免になっても、ゲートは可動状態のまま、第二の人生を送っているなんて、まるで動態保存のよう。何だか素敵じゃないですか。

●ゲートは開いていますが、入閘の指示待ちなのでしょうか、船はコースから外れた位置で、しばしの漂泊。おかげで、心置きなく写真を撮ることができました。閘門の前に掲げられた標識は、荒川などでよく見かけるものと、同じデザインのものが見られます。
話に聞いたところでは、右側の背の低いゲートも、かつては閘門だったということですが、本当でしょうか。とすると、毛馬は現存する廃閘門が3つも集中している、珍しい場所ということになります。
●入閘待ちの間、船員さんと四方山話。7月に広島の水上バスに乗ったことを話すと、「広島は立ち上げの時、ウチにずいぶん研修に来たんですよ」と、意外なところで広島のルーツを知ることに。
船員さんによれば、すでに廃止された江東水上バスの研修も、受け入れたことがあるとのこと。お話が本当だとすると、大阪は「水の都」としての範を示し、各地の河川航路の活性化に、大いに貢献したことになりますね。
●淀川の水を、轟々と大川に注ぎ込む毛馬水門の左隣、毛馬排水機場。淀川大堰によって仕切られた淀川下流に、増水時の大川の水を排水するための設備ですね。
巨大な建屋は、なかなかの威容ですが、遠目には排水機場と思えない、何か官庁の庁舎のような雰囲気です。

●足元でエンジンの爆音が高まり、船が閘室に向かって動き出しました。頭上に迫り来る扉体、したたる水滴…ガラス越しでなく、ナマで味わえて、本当に良かった!
大阪の閘門初体験、いやが上にも気分がてんこ盛りに盛り上がります!
【撮影地点のMapion地図】
(21年9月11日撮影)
(『毛馬閘門…2』につづく)

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イヤ~、水の匂いがする、川の空気が美味い!
案内してくれた船員さんは、かつて本船に乗り組まれていたそうで、海外の閘門も通航された経験があるとのこと。日焼けした「潮っ気」の感じられる風貌、船乗りの貫禄充分です。

今ではご覧のとおり、奥には上屋と桟橋が設けられて、船溜として使われているようです。Google航空写真を見ると、手前のマイタゲートは閉まった状態で写っており、今でも動かせるみたいですね。閘門としてはお役御免になっても、ゲートは可動状態のまま、第二の人生を送っているなんて、まるで動態保存のよう。何だか素敵じゃないですか。

●ゲートは開いていますが、入閘の指示待ちなのでしょうか、船はコースから外れた位置で、しばしの漂泊。おかげで、心置きなく写真を撮ることができました。閘門の前に掲げられた標識は、荒川などでよく見かけるものと、同じデザインのものが見られます。
話に聞いたところでは、右側の背の低いゲートも、かつては閘門だったということですが、本当でしょうか。とすると、毛馬は現存する廃閘門が3つも集中している、珍しい場所ということになります。
●入閘待ちの間、船員さんと四方山話。7月に広島の水上バスに乗ったことを話すと、「広島は立ち上げの時、ウチにずいぶん研修に来たんですよ」と、意外なところで広島のルーツを知ることに。
船員さんによれば、すでに廃止された江東水上バスの研修も、受け入れたことがあるとのこと。お話が本当だとすると、大阪は「水の都」としての範を示し、各地の河川航路の活性化に、大いに貢献したことになりますね。

巨大な建屋は、なかなかの威容ですが、遠目には排水機場と思えない、何か官庁の庁舎のような雰囲気です。

●足元でエンジンの爆音が高まり、船が閘室に向かって動き出しました。頭上に迫り来る扉体、したたる水滴…ガラス越しでなく、ナマで味わえて、本当に良かった!
大阪の閘門初体験、いやが上にも気分がてんこ盛りに盛り上がります!
【撮影地点のMapion地図】
(21年9月11日撮影)
(『毛馬閘門…2』につづく)

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