都市計画運河橋梁に触れる
(『11月13日の水路風景』のつづき)
●曙北運河を北上、左へ折れ汐見運河へ入ろうとしていたときのこと。越中島線の都市計画運河橋梁の、桁が目の高さくらいになっているのに気づき、ふと行き足を止めました。
この日は日中の潮位が高かったので、余裕で触れられるレベル。よし、ちょっと触っていこうと、妙な気を起こして舵を切ったのでした。

●桁下に頭を突っ込んだ状態でゴースターン、フロントグラスの線に合わせるようにして停止。風も流れも穏やかなので、ピタリと止まってくれました。
桁に触れると、手袋越しのざらりとした感触と、人差し指に陽光で温まったぬくもりが同時に伝わってきて、古豪鋼橋との文字通り「ふれあい」に、満足満足。

●せっかく鼻先で拝めるのだからと、これ以上ない間近からディテールを記録しておこうと考え、すぐ右手に見えたアングル材の継手を一枚。
塗膜が風化してはがれ、生じた錆が表面を流れて、褐色のまだら模様をつくっていくさまが、長い時間の経過を想わせ凄まじくもあり、また愛おしくもあり。

●桁裏をのぞくと、リベットの頭が弾けたような格好で、塗料が剥離しているのに目を奪われました。表面を流れた雨水がリベットの先に集まり、乾くのに時間がかかったせいでしょう。
腔腸動物の群落をのような桁裏の様子、こちらも過ごしてきた星霜が思われて、しみじみと見入ったものでした。
【撮影地点のMapion地図】
●おまけ。桟橋に着けて艇の清掃をしていたら、久しぶりのクラゲ君ご来訪。ミズクラゲですか、傘をしきりにひらひらさせて、なかなか活発で元気そう。
表層の流れが桟橋と並行していたので、可愛らしい姿をしばらく堪能することができました。過去にも何度か紹介していますが、クラゲが桟橋に来ると、妙に嬉しくなってしまう性癖の持ち主です‥‥。
(令和4年11月13日撮影)
(この項おわり)

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この日は日中の潮位が高かったので、余裕で触れられるレベル。よし、ちょっと触っていこうと、妙な気を起こして舵を切ったのでした。

●桁下に頭を突っ込んだ状態でゴースターン、フロントグラスの線に合わせるようにして停止。風も流れも穏やかなので、ピタリと止まってくれました。
桁に触れると、手袋越しのざらりとした感触と、人差し指に陽光で温まったぬくもりが同時に伝わってきて、古豪鋼橋との文字通り「ふれあい」に、満足満足。

●せっかく鼻先で拝めるのだからと、これ以上ない間近からディテールを記録しておこうと考え、すぐ右手に見えたアングル材の継手を一枚。
塗膜が風化してはがれ、生じた錆が表面を流れて、褐色のまだら模様をつくっていくさまが、長い時間の経過を想わせ凄まじくもあり、また愛おしくもあり。

●桁裏をのぞくと、リベットの頭が弾けたような格好で、塗料が剥離しているのに目を奪われました。表面を流れた雨水がリベットの先に集まり、乾くのに時間がかかったせいでしょう。
腔腸動物の群落をのような桁裏の様子、こちらも過ごしてきた星霜が思われて、しみじみと見入ったものでした。
【撮影地点のMapion地図】

表層の流れが桟橋と並行していたので、可愛らしい姿をしばらく堪能することができました。過去にも何度か紹介していますが、クラゲが桟橋に来ると、妙に嬉しくなってしまう性癖の持ち主です‥‥。
(令和4年11月13日撮影)
(この項おわり)

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後楽橋の改修工事
(『8月11日の墨田川造船辰巳』のつづき)
●この日は定番の神田川~日本橋川の一周コースをお散歩してきたのですが、道中で特記すべきことといえば、後楽橋が塗装をはがした状態で姿を現わしたこと。
改修工事はだいぶ前から取りかかっていましたが、塗装を剥離させた段階で養生が撤去され、生地があらわになった姿を目にできるのは珍しく、くぐりながら興味深く拝見したのでした。

●従来の塗膜はサンドブラストでしょうか、きれいに取り除かれて、一面錆色の構造が頭上に広がっていました。継手の段差からリベットまで、ディテールがシャープに眺められて、とても新鮮。

●塗膜がはがされた貴重な状態の記録も兼ねて、今まで触れてこなかった部分を一つ。ブレてしまったのが痛いですが‥‥。
赤矢印の先、道床板に穴が開き、縁がめくれ返ったところが見えますね。これ、戦時中の空襲時に機銃弾が貫通した痕とされているもの。「機銃掃射痕」として各所でも取り上げられているので、ご存じの方も多いでしょう。
この橋にかぎらず、「機銃掃射痕」とされている痕跡が残る構造物は都内にも多くありますが、いつ、何から発射された、どんな弾が貫通したものなのか、研究も進んでいるのでそろそろ解明できそうな気がするのですが、いかがでしょう。例えば米軍機からではなく、自軍の砲や機体から発射された流れ弾や、炸裂した高射砲弾の弾片という可能性はないでしょうか?
●くぐって上流側から。歩道部分は道床も取り去られ、陽が差し込んでいますね。
検索したところ、「後楽橋補修補強工事概要」(PDF)がヒット。図示されている工事箇所によると、短かった親柱が復元(?かどうかは不明)され、アーチ中央には今までなかった、橋側灯も設けられるとのこと。竣工時はあったのかもしれませんが、現在は見当たらないので、新設ということになりますね。

●橋の規模としては小なりといえ、改修と同時に復元的なこころみがなされるあたり、聖橋並みの扱いといってもいい過ぎでないように感じられ、竣工が楽しみになってきました。
かつての改修手法とは違う、オリジナルを活かした形でリニューアルされる古豪橋がまた現れたわけで、川面から橋を見上げて楽しむ者としては、嬉しいかぎり。現存しているもの全てに、とはいかないまでも、この恩恵をできるだけ多くの橋に波及させていただきたいものです。
【撮影地点のMapion地図】
(令和4年8月11日撮影)
(『8月11日のフネブネ』につづく)

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改修工事はだいぶ前から取りかかっていましたが、塗装を剥離させた段階で養生が撤去され、生地があらわになった姿を目にできるのは珍しく、くぐりながら興味深く拝見したのでした。

●従来の塗膜はサンドブラストでしょうか、きれいに取り除かれて、一面錆色の構造が頭上に広がっていました。継手の段差からリベットまで、ディテールがシャープに眺められて、とても新鮮。

●塗膜がはがされた貴重な状態の記録も兼ねて、今まで触れてこなかった部分を一つ。ブレてしまったのが痛いですが‥‥。
赤矢印の先、道床板に穴が開き、縁がめくれ返ったところが見えますね。これ、戦時中の空襲時に機銃弾が貫通した痕とされているもの。「機銃掃射痕」として各所でも取り上げられているので、ご存じの方も多いでしょう。
この橋にかぎらず、「機銃掃射痕」とされている痕跡が残る構造物は都内にも多くありますが、いつ、何から発射された、どんな弾が貫通したものなのか、研究も進んでいるのでそろそろ解明できそうな気がするのですが、いかがでしょう。例えば米軍機からではなく、自軍の砲や機体から発射された流れ弾や、炸裂した高射砲弾の弾片という可能性はないでしょうか?

検索したところ、「後楽橋補修補強工事概要」(PDF)がヒット。図示されている工事箇所によると、短かった親柱が復元(?かどうかは不明)され、アーチ中央には今までなかった、橋側灯も設けられるとのこと。竣工時はあったのかもしれませんが、現在は見当たらないので、新設ということになりますね。

●橋の規模としては小なりといえ、改修と同時に復元的なこころみがなされるあたり、聖橋並みの扱いといってもいい過ぎでないように感じられ、竣工が楽しみになってきました。
かつての改修手法とは違う、オリジナルを活かした形でリニューアルされる古豪橋がまた現れたわけで、川面から橋を見上げて楽しむ者としては、嬉しいかぎり。現存しているもの全てに、とはいかないまでも、この恩恵をできるだけ多くの橋に波及させていただきたいものです。
【撮影地点のMapion地図】
(令和4年8月11日撮影)
(『8月11日のフネブネ』につづく)

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帷子川ほんの少し…9
(『帷子川ほんの少し…8』のつづき)

●前回の写真と近い角度でごめんなさい。こちらの方が旧橋のディテールにピンが合っているので‥‥。
ご覧のとおり「へ」の字型に架けられた2径間の鋼桁橋で、いま頭上にしている南側の人道橋部分は、桁側面から出された持ち送り(?)で接続され、同じ橋の増設部分として扱われているようです。Googleストリートビューで探したところ、親柱のプレートが残されていて、「昭和二十九年竣功」とありました。震災復興橋世代と思ったら、戦後の建造なのですね。

●まあ、毎度のことながらこちらも相当な低さ。剥離したところから、元の塗色らしい緑色がのぞいているのが見えました。
●右写真は帰路のスナップですが、南幸橋の北側、拡幅部分というか、もはやデッキと呼んでよい広大な構造物。歩道としては一体化しているにもかかわらず、「幸川橋」と名乗る別の橋なのだそう。
南北を実質拡幅されて、まるで閉じ込められたようになってしまった南幸橋。他にも同様の例はありますが、かえって古豪橋のディテールが保存されて、艇上からしか見られない貴重な光景になっていますよね。
●幸川橋の広大さ、川跡の首都高に造られた、橋併設デッキ上の公園を思い出させるものが。繁華街のど真ん中、歩行者のスペースを少しでも稼ぎたいのはうなずけます。
さて、国境の長いトンネルならぬ、幅広い桁下を抜けると‥‥見えてまいりましたよ。本日、この時点の潮位での最奥部が!

●内海橋です。
【撮影地点のMapion地図】
(令和3年12月12日撮影)
(『帷子川ほんの少し…10』につづく)

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●前回の写真と近い角度でごめんなさい。こちらの方が旧橋のディテールにピンが合っているので‥‥。
ご覧のとおり「へ」の字型に架けられた2径間の鋼桁橋で、いま頭上にしている南側の人道橋部分は、桁側面から出された持ち送り(?)で接続され、同じ橋の増設部分として扱われているようです。Googleストリートビューで探したところ、親柱のプレートが残されていて、「昭和二十九年竣功」とありました。震災復興橋世代と思ったら、戦後の建造なのですね。

●まあ、毎度のことながらこちらも相当な低さ。剥離したところから、元の塗色らしい緑色がのぞいているのが見えました。

南北を実質拡幅されて、まるで閉じ込められたようになってしまった南幸橋。他にも同様の例はありますが、かえって古豪橋のディテールが保存されて、艇上からしか見られない貴重な光景になっていますよね。

さて、国境の長いトンネルならぬ、幅広い桁下を抜けると‥‥見えてまいりましたよ。本日、この時点の潮位での最奥部が!

●内海橋です。
【撮影地点のMapion地図】
(令和3年12月12日撮影)
(『帷子川ほんの少し…10』につづく)

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帷子川ほんの少し…6
(『帷子川ほんの少し…5』のつづき)
●ここで左から合流してくる石崎川をのぞいて。一見した印象では、基礎護岸も高い位置にあるし、瀬ができていなければ流路幅の割に安心できそう。
背後を通過していった京急の電車が、石崎川の橋で再び姿を現わし、上り勾配をせわしなく駆け上がってゆきました。あの橋も低そうだなあ‥‥。

●そして、先ほどから視界に入っていたこのトラス橋! 往路は陽が陰っていていま一つだったので、帰りのスナップです。このあたりはGoogleマップで何度も見たはずなのに、どういうわけだか気づきませんでした。
まず側面形が四角い、あまり見ない形なのに惹かれたのはいうまでもありません。ええと、ダブルワーレントラス‥‥でいいのかな? この手の四角いトラスだと、大阪環状線の木津川橋梁が有名ですよね。いやまあ、ほんの短い距離なのに、次々と濃厚な見どころが連続する帷子川、あなどれません!

●珍しい橋との出会いに喜びながらも、第一印象は「何か、仮設の橋みたいだな」と。工兵が渡河時に架ける橋のような、そんな雰囲気を感じたのです。近づいて観察すると、鋼材の途中にボルト穴が開けられていて、何かから転用してきたような感じがします。もっとも仮設にしては、色褪せ錆が垂れて、ずいぶん年季が入っていますね。
路床は鉄板一枚のようだし、高欄も簡素で、工事か何かのために設けられた雰囲気濃厚。河川工事の現場でときどき目にする「ランドクロス」のような、既製桁の一種なのかしら? でも、トラスとなればなかなか堂々たるもので、眺めていてもそそられる外観です。
●興味をそそられて、桁裏も眺めまわして観察。やはりこちらもボルト穴が開いていて、規格材臭がします。ここに架けられて、どのくらい経つのでしょうか。
Googleマップで確かめたところ、南岸にあるJR東日本横浜支社の建物の前から、鉄板の道は川を渡って線路沿いに伸び、東海道線と根岸線にはさまれた三角の地所に至っていました。何かの搬出入路であることは間違いなさそうです。

●仮設っぽいトラスに心奪われていたら、浮かれて気を抜くな、といわんばかりに低い古豪鈑桁が頭上を圧してきました。むう、築地橋に勝るとも劣らない低さ、しかもリベット組み。
この先は、JR各線に加え相模鉄道も隣接する、鉄道橋みっちり区間。これは当分、頭を上げられそうにありません(ちょっと喜んでる)。
【撮影地点のMapion地図】
(令和3年12月12日撮影)
(『帷子川ほんの少し…7』につづく)

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背後を通過していった京急の電車が、石崎川の橋で再び姿を現わし、上り勾配をせわしなく駆け上がってゆきました。あの橋も低そうだなあ‥‥。

●そして、先ほどから視界に入っていたこのトラス橋! 往路は陽が陰っていていま一つだったので、帰りのスナップです。このあたりはGoogleマップで何度も見たはずなのに、どういうわけだか気づきませんでした。
まず側面形が四角い、あまり見ない形なのに惹かれたのはいうまでもありません。ええと、ダブルワーレントラス‥‥でいいのかな? この手の四角いトラスだと、大阪環状線の木津川橋梁が有名ですよね。いやまあ、ほんの短い距離なのに、次々と濃厚な見どころが連続する帷子川、あなどれません!

●珍しい橋との出会いに喜びながらも、第一印象は「何か、仮設の橋みたいだな」と。工兵が渡河時に架ける橋のような、そんな雰囲気を感じたのです。近づいて観察すると、鋼材の途中にボルト穴が開けられていて、何かから転用してきたような感じがします。もっとも仮設にしては、色褪せ錆が垂れて、ずいぶん年季が入っていますね。
路床は鉄板一枚のようだし、高欄も簡素で、工事か何かのために設けられた雰囲気濃厚。河川工事の現場でときどき目にする「ランドクロス」のような、既製桁の一種なのかしら? でも、トラスとなればなかなか堂々たるもので、眺めていてもそそられる外観です。

Googleマップで確かめたところ、南岸にあるJR東日本横浜支社の建物の前から、鉄板の道は川を渡って線路沿いに伸び、東海道線と根岸線にはさまれた三角の地所に至っていました。何かの搬出入路であることは間違いなさそうです。

●仮設っぽいトラスに心奪われていたら、浮かれて気を抜くな、といわんばかりに低い古豪鈑桁が頭上を圧してきました。むう、築地橋に勝るとも劣らない低さ、しかもリベット組み。
この先は、JR各線に加え相模鉄道も隣接する、鉄道橋みっちり区間。これは当分、頭を上げられそうにありません(ちょっと喜んでる)。
【撮影地点のMapion地図】
(令和3年12月12日撮影)
(『帷子川ほんの少し…7』につづく)

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帷子川ほんの少し…1
(『帷子川ほんの少し…0』のつづき)
●みなとみらい橋をくぐった直後、ゆるく右に曲がった河道なりに舵を当て、大野町と正対したときの眺め。
水面はいよいよ平らかに、ビル群を水鏡に映して静かな水路風景が広がっていました。右手、横浜市場のある岸から小さな突堤が出ているので、中央より少し左へ寄せながら奥へ。

●この突堤は古そうですね。石垣護岸で先端は丸みを帯びているあたり、かつての船溜を守る防波堤だったもののように思えます。側面が一部崩壊し、天端も陥没しているのも星霜を感じさせ、目を引かれます。
国際港としては若い東京港と異なり、護岸や突堤にこうした遺構を散見できるのが、横浜港の大きな魅力の一つ。港湾としての歴史の厚みを実感させられ、興味をそそられますよね。

●河道がほぼ直角に左へ折れるあたり、斜めに横切って架かるのは貨物線・JR高島線の鋼桁橋。こちらも太い円柱を並べた形の橋脚が、いかにも古そうです。
写真を撮り忘れましたが、このすぐ右手には滝の川の河口があります。今回は帷子川の訪問が最優先なので、取舵を切って鉄橋をくぐりましょう。

●どの径間をくぐるべきか少し迷いましたが、右側通航に従い、桁のゼブラ塗装がない径間を選択。半分は線路が撤去されたリベット組みの桁を仰ぎ、天端にレンガの見える円筒型の橋脚を横目で見てと、古豪らしいディテールを眺めつつ、微速で通過。
と、魚探の感がもっこりと急上昇し、2m台後半に! ヒヤリとしましたが、桁下を抜けると水深はすぐ元に戻りました。時刻は8:35、この日の横浜新港の推算潮位で潮高1.1mほどですから、大潮の干潮時に水深は1.8m前後になる計算です。
径間によって浚渫していない場所があるのか、直下はおしなべてこうなのか‥‥。自艇ならまず大丈夫ですが、肝を冷やしたことではありました。
【撮影地点のMapion地図】
(令和3年12月12日撮影)
(『帷子川ほんの少し…2』につづく)

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水面はいよいよ平らかに、ビル群を水鏡に映して静かな水路風景が広がっていました。右手、横浜市場のある岸から小さな突堤が出ているので、中央より少し左へ寄せながら奥へ。

●この突堤は古そうですね。石垣護岸で先端は丸みを帯びているあたり、かつての船溜を守る防波堤だったもののように思えます。側面が一部崩壊し、天端も陥没しているのも星霜を感じさせ、目を引かれます。
国際港としては若い東京港と異なり、護岸や突堤にこうした遺構を散見できるのが、横浜港の大きな魅力の一つ。港湾としての歴史の厚みを実感させられ、興味をそそられますよね。

●河道がほぼ直角に左へ折れるあたり、斜めに横切って架かるのは貨物線・JR高島線の鋼桁橋。こちらも太い円柱を並べた形の橋脚が、いかにも古そうです。
写真を撮り忘れましたが、このすぐ右手には滝の川の河口があります。今回は帷子川の訪問が最優先なので、取舵を切って鉄橋をくぐりましょう。


と、魚探の感がもっこりと急上昇し、2m台後半に! ヒヤリとしましたが、桁下を抜けると水深はすぐ元に戻りました。時刻は8:35、この日の横浜新港の推算潮位で潮高1.1mほどですから、大潮の干潮時に水深は1.8m前後になる計算です。
径間によって浚渫していない場所があるのか、直下はおしなべてこうなのか‥‥。自艇ならまず大丈夫ですが、肝を冷やしたことではありました。
【撮影地点のMapion地図】
(令和3年12月12日撮影)
(『帷子川ほんの少し…2』につづく)

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