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1月2日の水郷風景…2

(『1月2日の水郷風景…1』のつづき)

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ところどころでスナップしながら、閘室北岸をお散歩です。雲一つない好天とあって、どこを撮ってもディテールくっきりで、気持ちのよいこと。

光線の角度もよいので、レンガの朱と扉体の黒のコントラストも目に快く、この時代の構造物らしい味わいを、改めて噛みしめたことではあります。

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215013.jpg外観はほぼ原形を保ちながら、扉体の更新と電動・セルフ操作化を成し遂げ、逆水防止こそ横利根水門に譲ったとはいえ、今なお通船の役目を果たす古豪。水運華やかなりしころを知る閘門数ある中で、横利根閘門は幸せな部類に属するといってよいでしょう。

北西側、後扉室(?)は逆光に沈んでいましたが、河中には釣り人さんの小舟が何組か見られ、いつもと変わらぬのどかな雰囲気でした。

215014.jpg23年5月2日、「震災後の水郷を訪ねて…7」のときは、方々にクラックが入り、寸断されていた遊歩道も当然ながらきれいに修復されて、冬枯れの芝生に陽光が降り注いでいました。

ところで、水郷汽船が健在だったころ、佐原を発した船は、必ず閘門を通って牛堀・潮来に向かったわけです。当時の時刻表や観光案内パンフには書かれていないけれど、確かこのあたりにも船着場があった記述を、どこかで読んだような‥‥。思い違いかしら。

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‥‥というわけで、例によって国土変遷アーカイブ・空中写真閲覧システムの力をお借りし、昔の様子を見てみることに。意外や、あまりよい写真がなく、何とか判別できそうなのをここに掲げさせていただきました。昭和37年5月14日、国土地理院撮影の「MKT622-C18-27」をトリミングしたものです。

白飛びしてわかりにくいですが、画面ほぼ中央、閘門の左上に桟橋があり、割と大型の船が横付けしていますね。桟橋の設けられた岸は、道路に接して大きな平地と建物が見え、船着場の設備が整えられているように思えます。

かつては水郷大橋北詰であるここが、水郷十六島の陸路の玄関口でありました。横利根橋南詰には「閘門前」バス停と、待合所を兼ねた観光協会直営の売店があり、現在は中洲の水生植物園前に移設されている、徳富蘇峰の「水郷之美冠天下」の碑も、もともとはこの地に建立されていたのです(参考:『水郷の原風景』千葉県立大利根博物館)。

船着場が設けられていても、決しておかしくない土地柄だったわけで、バスとの連絡も考えられていたのではないでしょうか。この点もう少し調べて、改めてお話しできればと思います。

(30年1月2日撮影)

(『1月2日の水郷風景…3』につづく)

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タグ : 横利根川 水郷 横利根閘門 閘門

1月2日の水郷風景…1

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1月2日は例年どおり、あんば様‥‥阿波大杉神社へ初詣。極彩色の拝殿を仰いで参拝の後、昨年1年、艇を守っていただいたお札をお返しし、新しいお札をいただきました。

早く出て9時前には着いたのですが、すでに駐車場は一杯。霊験あらたかなのは我が艇でも証明済み(!)ですから、人気のほどもむべなるかな。今年も艇と乗員の安全、お世話になっている皆様のご多幸を、よろしくお願いいたします。

215002.jpg冬の好天に誘われて、これも例年のごとくささやかな水郷散歩へ。国道125号線を南下し最初に立ち寄ったのは、おなじみ横利根閘門公園。冬の陽光に照らされて、レンガの側壁が美しく輝いています。

駐車場から横利根水門と閘門の間、船着場のある水面前へ出てみると、たくさんの鴨がゴマ粒をばらまいたように浮いていました。

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堤防で風が適度に防がれ、よほど居心地がよいのかまあえらい数ですが、まだ数十m離れているにもかかわらず、鴨さんたちは口々にグァッ、グァッと警戒音を発して、こちら側から遠ざかりつつあるのが何とも。

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驚かさないようにゆっくり水辺に降り、ズームでたぐって、対岸で丸くなっている鴨さんたちを愛でることに。

陽が当たっているとはいえ、地面まですっかり冷え切っては、ツブれることもかなわぬようです。それでも寒さは寒し、ふくらんで片足立ちし、首を突っ込んで暖を取るさま、可愛らしいものですね。

215005.jpg閘門扉室の上から、横利根水門を望んだところ。私がほんの1分ほど左側の岸にいただけで、見事に右側へ寄っているという、鴨さん群の露骨なこと(笑)。

陽が高くなるにつれて、だんだん風が強くなってきました。冷たい川風になぶられながらも、広く抜けた空のもと、水の匂いに近しい水郷の冬枯れ風景、毎年のことながらやはりよいものです。
撮影地点のMapion地図

(30年1月2日撮影)

(『1月2日の水郷風景…2』につづく)

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横利根閘門の外輪川蒸気二題

横利根閘門の絵葉書六題」でも紹介したように、横利根閘門は水郷の名所として、絵葉書の題材にもよく取り上げられ、ために通航シーンも数多く残されています。今回はその中から、外輪川蒸気船の姿をとらえた絵葉書2枚を眺めてみましょう。

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潮來名所 利根川水門口
宛名・通信欄比率1:1、大正7年4月以降の発行。


利根川方から、閘室に進入しつつある川蒸気。水線付近、かすかに見える船首波は低く、減速している様子が見てとれます。煙突の白線は1本なので、通運丸船隊の1隻ですね。

左上、法面上の植木は支え木こそ見えないものの、枝も伸びていないことから、横利根閘門が大正10年に竣工して、まださほど時を経ていないころでしょう。

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川蒸気ファンとしては、シャッターを下ろすのがいかにも早すぎたなあ、あと10秒でも遅ければ‥‥といいたくなるもどかしい一枚ではあります。拡大して眺めてみましょう。

ううん、ピント自体が甘い上、印刷の加減か絵柄もツブレ気味なので、拡大しても読み取れるディテールは限られますね。操舵室正面の窓3つと、出入口の扉は開放されていること、煙突の周りには若干の積荷らしいものと、2名ほど人影が見えること、くらいでしょうか。

あと、外輪カバーがトップから大きく盛り上がり、幅もずいぶん広く、はみ出したようなあたりも目を引きますね。「続・川蒸気のイメージを求めて」で紹介した、「銚子名所 利根川の桟橋」に写っている船体によく似ています。ディテールから特定ができればよいのですが。

ちなみに通運丸を名乗った外輪船で、最末期まで残ったものは以下のとおりでした。

第二号、第五号、第六号、第八号、第二十九号、第三十三号、第三十五号の7隻。これらは東京通運の所有で、昭和11年末まで船名録に記載されていたのこと(『川の上の近代』より)。トン数は49~83tと比較的大型で、明治25年から36年と、利根川航路がまだ意気盛んだったころに建造されたもの。写真の船はさて、このうちの何号だったのでしょう?

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(佐原名所) 佐原沖の關門
宛名・通信欄比率1:1、大正7年4月以降の発行。


2枚目のこれは、1枚目のもどかしさを忘れさせるような、鮮明かつほどよい距離から撮影されたもの。川蒸気を主な題材とした写真の中でも、出色の一枚といって、いい過ぎでないものではないでしょうか!

船尾から伸ばされた竿(ボートフック?)、船首付近を歩く船員の姿、そこかしこに積み上げられた各種の積荷と、看取できるディテール一つ一つが生き生きとした情景を演出していて、川汽船の現役時代を濃厚に髣髴させてくれます。ちなみに方向は1枚目とは反対の、横利根川から利根川に向かう便を写したもので、煙突の白線は3本、銚子丸船隊ですね。

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これも拡大して堪能してみましょう。まずは船首付近から。操舵室周り、出入りも難しくなりそうなくらい、所狭しと積まれているのは、醤油か酒の樽みたいですね。霞ケ浦各所や潮来からの便だとすれば、中身が入ったものでなく、佐原などの醸造所に還送する空き樽でしょうか。

しかし、船首周りや手すりの構造、屋根外縁のガンネル(?)の段差、客室からぐっと絞った操舵室の幅など、細部が鮮明に写っていて嬉しくなります。よく見ると、右端の窓から身を乗り出している人がいますね。

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煙突から外輪にかけて。煙突の三本の白線が巻かれた部分、少し太くなっているように見えます。塗装でなく、帯材など別パーツを巻いて表現したのかもしれません。白線の上あたりから3~4本のリギンが甲板に張られていて、煙突を支えているのがわかります。

ツブレ気味で分かりにくいですが、煙突の前に2人座っているのと、外輪カバー手前には腹ばいに寝そべっている人も! その後ろにはたくさんの竿と、外輪カバー上の1本は丁字形の金具らしきものが先端にあることから、ボートフックと思われます。いや~、ここまで生々しく判別できるなんて、実に楽しい写真じゃないですか! これを撮った写真師に、お礼をいいたくなるほどです。

煙突の後ろには、これまたうず高く荷物が積まれています。手前は四角く結束したもの、後ろは円筒形の俵積みにしたもの。あまり重いものは高所に上げないでしょうから、かさ高で軽い荷物でしょう。

昭和に入っても、河川物流は運賃の低廉さから高瀬舟が活躍しており、船賃が高くスペースも限られる川蒸気で運ぶものは、荷がさの少ない小荷物レベルのものか、足の速い生鮮食品など、急ぎのものがせいぜいだったことは容易に想像できます。ちなみに銚子丸船隊、昭和14年の船名録では第一~第七の7隻が確認でき、71tから84tの外輪船だったとのこと(『水郷汽船史』より)。

さて、横利根閘門がレンガ造りということもあり、大時代な外輪川蒸気といかにもしっくりくるものがありますが、よく考えてみると、閘門が竣工した大正10年って、川蒸気の世界から見ればすでに往時の勢いを失った、晩年といってもいいころ。活躍の時期は重なっていても、決して全盛期を共有した「同時代人」というわけではないのです。

してみれば、川蒸気が輝いていたころの川景色とは、一見江戸時代とさして変わらないような、近代構造物の乏しい、浅瀬や急流がところどころに残された、河相も厳しい情景だったと思って間違いないのでしょう。関東の川にも閘門が続々と現れ、安全な通航が担保されつつあった大正末~昭和初期、同時に水運のたそがれが始まったとは、何とも皮肉としかいいようがありません。

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タグ : 通運丸 銚子丸 川蒸気船 横利根川 横利根閘門 閘門 絵葉書・古写真

「参宮丸」船隊? の面影を拾う

201054.jpg東京通運時代の河川航路図二題」で紹介した、鹿島参宮鉄道の汽船「参宮丸」の絵葉書を目にしてから、あっ、アレはもしかして‥‥と、思い当る件がいくつか出てきました。

以下はほんのメモ書きですが、以前掲げた絵葉書から再掲しつつ、備忘録としたいと思います。

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秋の水郷三昧…18

(『秋の水郷三昧…17』のつづき)

198086.jpg船着場の前に戻ってきて、一息ついているとトーイングボートが入ってきました。柵にもたれて眺めていたら、艇を操作盤に寄せて、乗り組みのお一人がボートフックで器用に把手をひっかけ、ぐっと引っ張ったのです。閘門を通るんだ!

ラッキーな展開に嬉しくなり、カメラを構えるのも忘れて、警報音とともにマイタゲートが開くさまを堪能。いや~、来た甲斐があったというものですわ!

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全開したゲートを通って、閘室に進入するボート。乗り組みの方たちも楽しんでおられるのか、お一人はずっとカメラを構えられていて、動画を撮っているようでした。

ここでハッと我に返り、そうだ、橋の上から通航風景をものしておこうと、ふたたび法面を全速力で駆け登って、橋の真ん中へ。ハァハァ、さすがに2度の直登はきつい‥‥。

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何とか間に合って、キンコン、キンコンと警報音を鳴らしつつ、水面に微かな渦を作って閉まりゆく様子を、特等席から堪能することができました。


198089.jpg珍しく動画も撮ってみたので、お目汚しまでとアップしてみますが、改めて見てみると天地にやたらブレていて、息が切れているのが露骨にわかり、また風とクルマの音で警報音がかき消されてしまい、何ともお恥ずかしい仕上がり。文字通りお目汚しであります。

右はゲートが閉じてから、進入してきたもう一隻のボート。トランサム近くに、黄色い落水者救助訓練用のブイを立てているところから、教習艇のようですね。この艇も通航するかしらと期待していたら、転回して出ていってしまいました。

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前扉か後扉か‥‥ううん、どっちでもいいや。向こう側のゲートが開いたのを、背伸びして一枚。水位差が小さいせいか、こちらが閉じてから間なしに開いた印象でした。

(28年11月6日撮影)

(『秋の水郷三昧…19』につづく)

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