川跡の首都高をゆく…2
(『川跡の首都高をゆく…1』のつづき)

●ここで、川跡区間独特の標識、「橋脚注意!」が登場。たまに通っても、横目で見ながら意識するだけだった、「もともと川ですから」と主張するが如きこの標識を、ゆっくり眺められるこの面白さ。
●頭上を覆う東京高速線の橋脚の間から、松幡橋が見えてきました。側面に大きな看板が掲げられていて、橋のディテールはほとんど見えません。
看板に「カーブ注意」の表示が見られますね。楓川の区間は次の弾正橋でおしまい、京橋ジャンクションから新富町出口までの短い区間は、「築地川・楓川連絡運河」といって、震災復興事業の一環として新たに開鑿された部分で、このカーブは連絡運河の始まりを示しているのです。
●弾正橋、今は八幡橋として江東区に保存されている、国産初の鉄橋が最初に架けられたところとしてよく知られています。個人的には、日本橋川の一ツ橋に劣らない、立派な「鋼桁橋のラーメン橋台橋」が今なお存在していることを、むしろ強調したいです。
もっとも、ご覧のとおり北側にデッキが造られて、こちらからではまったく観察しようがないのが残念ですが。
この橋の向こうは、左に桜川(八丁堀)、右に京橋川、そして先ほど触れた築地川・楓川連絡運河と、船影濃い水路が集中する都心の十字流でしたから、橋の意匠にも相応の意が用いられたに違いありません。

●さっきから妙に車間をあけていますが、お察しのとおり前を走るトラックさんが視界をさえぎるので、間合いを取っているのであります、はい。
まあ、いかに間合いを取っても、周りがこのありさまでは如何ともしがたい…。数少ない原形を残している橋、新富橋もご覧のとおり、京橋ランプの防音壁にさえぎられて、なんともギギギな状況。それでも橋脚や桁の側面をチラチラ盗み見ることができて、結構楽しめました。
●あっ、中央区役所が見えてきた! 川跡区間に残された橋で、もっとも気になる橋が間近に迫ってきている!
しかし、新富橋同様、橋を見上げる余裕はほとんどなさそうな雰囲気…。ほんの一部でもディテールが拝めれば、よしとするしかなそうですね。
【撮影地点のMapion地図】
(23年6月6日撮影)
(『川跡の首都高をゆく…3』につづく)

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●ここで、川跡区間独特の標識、「橋脚注意!」が登場。たまに通っても、横目で見ながら意識するだけだった、「もともと川ですから」と主張するが如きこの標識を、ゆっくり眺められるこの面白さ。

看板に「カーブ注意」の表示が見られますね。楓川の区間は次の弾正橋でおしまい、京橋ジャンクションから新富町出口までの短い区間は、「築地川・楓川連絡運河」といって、震災復興事業の一環として新たに開鑿された部分で、このカーブは連絡運河の始まりを示しているのです。

もっとも、ご覧のとおり北側にデッキが造られて、こちらからではまったく観察しようがないのが残念ですが。
この橋の向こうは、左に桜川(八丁堀)、右に京橋川、そして先ほど触れた築地川・楓川連絡運河と、船影濃い水路が集中する都心の十字流でしたから、橋の意匠にも相応の意が用いられたに違いありません。

●さっきから妙に車間をあけていますが、お察しのとおり前を走るトラックさんが視界をさえぎるので、間合いを取っているのであります、はい。
まあ、いかに間合いを取っても、周りがこのありさまでは如何ともしがたい…。数少ない原形を残している橋、新富橋もご覧のとおり、京橋ランプの防音壁にさえぎられて、なんともギギギな状況。それでも橋脚や桁の側面をチラチラ盗み見ることができて、結構楽しめました。

しかし、新富橋同様、橋を見上げる余裕はほとんどなさそうな雰囲気…。ほんの一部でもディテールが拝めれば、よしとするしかなそうですね。
【撮影地点のMapion地図】
(23年6月6日撮影)
(『川跡の首都高をゆく…3』につづく)

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タグ : 楓川築地川・楓川連絡運河首都高中央環状線
川跡の首都高をゆく…1

橋や護岸に、水路として現役だった当時のままの部分もあり、かつての姿を髣髴できるあたりに興味が注がれるのですが、通る機会があっても高速道路ともなれば、文字どおり高速で走り抜けるしかなく、いつもの水路行のように、ノンビリ橋を眺めるわけにもいきません。
●ところがある日、江戸橋ジャンクションから、例の旧楓川の区間にダイブする急勾配を下って川跡に入ってみると…、渋滞している! 普通なら、舌打ちの一つもしたくなるところでしょうが、船頭的には、これはまたとないチャンスです。
しかも、たまたまカメラの用意があったということもあり、これは何か「呼ばれている」のだと都合のよい解釈をして、がぜん張り切り出すはめになりました。以下、こんな危ないことをしてとのお叱りは覚悟の上で、ヨタ写真を披露させていただきます。

本材木町河岸と呼ばれたこのあたり、かつて日比谷入江と隅田川河口に挟まれてあった半島・江戸前島の東岸部で、いわばこの楓川から東は、埋め立てによって新たに開かれた土地だったわけです。

橋詰に取りついたランプが出っ張って陰になり、全容を眺めるにはいま一つの環境ですが、分厚いムクの量感は、震災復興橋の貫禄を感じさせるに十分!

●くぐりざまに見上げて。いや~、首都高でコレができるとは思っていなかったので、嬉しいです。
昔の写真と見比べてみると、高欄は後年の改修によるもののようですが、ここから見るかぎりしっくり来ていて、悪くない雰囲気ですね。

イカロスMOOK「首都高をゆく」に掲載されていた、現役(という言い方もおかしいですが、船頭的には水路に架かっていたころが現役と脳内規定)時の写真を見ると、今より幅がずいぶん狭く見えました。後に拡幅されたのでしょうか?
ちなみに橋本体とは別に、南側には橋に連続するかたちでデッキが設けられ、公園となっています。
【撮影地点のMapion地図】
(23年6月6日撮影)
(『川跡の首都高をゆく…2』につづく)

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