福地運河の水門…2

(『福地運河の水門…1』のつづき)

19051.jpg巻上機室の脚部に掲げられていたプレート。

今回、この表示に従い「梨ノ木水門」としたのですが、前回触れた北上川下流河川事務所のサイトには「梨木水門」とあり、どちらが正式名称なのかはわかりません。まあ、読み方は同じだと思うのですが…。
そうそう、呼び名については、もうひとつ気になる発見があったのです。

19052.jpg堤防道から水門に入る道の角に、ご覧のような壊れかけのバス停があったのですが、停留所名をよく見ると…「梨ノ木閘門」!

イヤ、閘門じゃないでしょう!とツッコミたくなりながらも、はて、これは本当に間違いなのだろうか、と、ある疑いを抱くに足るモノを、実は出発前に見てきたのです。
そのモノとは、梨ノ木水門周辺を写した、このGoogle航空写真…。水門の右手に、分流している短い水路が写っていますね。

19053.jpg右の写真が、その水路を管理橋の上から見たところ。旧流路の跡にしては、形がはっきりし過ぎています。Google航空写真には、取り付け道路の土手を隔てて、旧北上川の側にも、水路の痕跡のような澪筋が写っている…。

バス停の名前、怪しげな水路の痕跡…。まあ、もうおわかりとは思いますが、この「水路跡」に昔、閘門があったのではと妄想させるには、充分過ぎる材料があったわけです。

19054.jpg補強だらけの管理橋の上から、改めて、初めての福地運河にご挨拶。

ここはまだ、かつての追波川の河道をそのまま利用した区間ですから、河川敷もいにしえの大河相応に広いのですが、狭められた流れは運河らしい雰囲気。晴れた日に、山並みを眺めながらの航行は、さぞ楽しいことでしょうね。

19055.jpg
幸いにして、雨脚も少し弱まってきました。

管理橋が渡す道は、格好の抜け道になっているようで、交通量が多く、クルマがひっきりなしに通るので、ちょっと気圧される場所ではありましたが、雨雲をバックにしたトタン小屋水門・梨ノ木水門との逢瀬は、予想以上に楽しいひとときでした。


(21年12月3日撮影)

【追記】妄想しているだけでは収まらず、国土変遷アーカイブの航空写真で、昭和23年と36年の梨ノ木水門付近を閲覧してみたのですが…。23年は水門の姿は全くなく、36年も梨ノ木水門のみで、この場所に閘門はなかったことがわかり、ちょっとがっかり。昔から、水門を閘門と呼んでしまう例は各地にあったので、まあ、ここもその伝であったということです。

(『福地運河の水門…3』につづく)

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タグ : 福地運河 追波川 梨ノ木水門

福地運河の水門…1

(『北上運河閘門めぐり…8』のつづき)

石井閘門を最後に北上運河を離れ、国道45号線を急ぎ北上、県道30号線を挟んで、北上川の現河道に沿った形で流れる、福地運河を目指しました。

「福地運河」の名をご存じない方でも、「追波川」といえば、ピンと来る方が多いのではないでしょうか。地図やお役所の公式サイト上でも、この水路の名は追波川とされていますから、本当はそちらが正式名称なのでしょう。

北上川下流部は、古来より幾多の河川改修を受けて流路を変えてきましたが、よく知られているのは、明治44年から着手された大規模な流路変更でしょう。この工事によって、仙台湾に注いでいた北上川は、柳津から開鑿された新河道を経て、かつての追波川を拡幅した新流路へと瀬替えされ、追波湾に注ぐようになりました。

ところが、この改修によってかつての追波川本流が分断され、追波湾~追波川~北上川~石巻の水運ルートが利用できなくなってしまいました。そこで、現北上川の堤防に沿って、現在の福地水門から、以下に紹介する梨ノ木水門まで、新たに掘られた運河が、お題の福地運河です。
(流路の変遷や河川改良については、北上川下流河川事務所の「舟運と改修①」にわかりやすくまとめられています。)

私が、初めて福地運河のことを知ったのは、昨年、月刊誌「世界の艦船」20年5月号掲載の、「福地運河(二俣水路) 知られざるもう一つの宮城県の運河」(大内健二氏)という記事を読んで。
旧ブログでも昨年8月に紹介したので、詳細は省きますが、記事中で大内氏は「(前略)この運河の存在は現在では地元の人々以外にはほとんど知られておらず、まさに幻の運河と呼ぶにふさわしい存在であることに興味が注がれるのである」と思い入れたっぷりの筆致で、一読して大いに興奮させられました。

貞山運河をはじめとする、有名な一連の沿海運河の陰に隠れ、こんな素晴らしい内陸運河が、しかも可航状態を保って(ここ重要。船が走れなければ、こんなに萌えはしなかったでしょう)現存していたなんて! 機会があったら一目でもよいから、見ておきたいと思っていたのです。
そんなわけで、ここは大内氏に敬意を払い、追波川ではなく、通称である福地運河で統一したいと思います。

19046.jpg…前置きが長くなりましたが、そんな暑苦しい思い入れを胸に、激しい雨をついて降り立ったのが、かつての追波川の河道が、旧北上川から分流していた地点にある水門、梨ノ木水門

おなじみ水門写真家・佐藤淳一氏のFloodgates List 11にも収録されているので、そのトタン小屋っぽいスタイルの巻上機室には惹かれていましたが、やはり実物を前にした印象は大違い。壁はサビサビで、橋は補強の足場だらけと、くたびれかたが強烈です

この先梨の木水門老朽化のため大型車通り抜けできません
大型車通行禁止
看板のたたみかけ方を見ると、水門や併設された管理橋が、もはや末期症状と言ってよいほど老朽化して、崩壊寸前なのではと、心配になってしまいます。
撮影地点のMapion地図

19047.jpg
雲は低く垂れ込めて遠方の山並みを見え隠れさせ、雨脚はますます激しく、まさに風雲急を告げるといった言葉、そのままの景色をバックにすると、このただでさえ物々しい鉄骨上のトタン小屋が、何か鬼気迫る迫力をかもし出しているように見え、これまでにない鮮烈な印象。

悪天候でなければ、この表情は拝むことができなかったでしょう。妙なところで、雨降りに感謝する気持ちすら湧いてきました。

19048.jpg雨で濡れて、つるつる滑る法面をへっぴり腰で降りて、水面に近い位置から狙いますが、橋台部分の厚みが結構あり、扉体を眺めることができません。何より暗くて、ディテールがよくわからないのが残念。

一見した限りでは、肉厚でしっかりした感じですが、橋のコンクリート桁に問題があるということなのでしょうか。


19049.jpg反対側から。12月4日からのタイトルでもお見せした側(福地運河側)ですが、扉体のスキンプレートの向きからわかるように、旧北上川からの背水に備えた施設であることが見て取れます。

ここから扉下高を見た限りでは、25ftクラスの艇も通航できそうですね。年間何隻くらいの艇が通るのでしょうか。
扉体が赤く塗られているのも、ちょっと嬉しい点。上に戻って、扉体を観賞してみましょう。

19050.jpg扉体の継ぎ手はリベット組み、裏に走る構造は、最近の水門にくらべると華奢な感じで、さらにローラーは、貨車かキャスターを思わせる突出した軸受けに取り付けられているなど、時代を感じさせる部分が多く、なかなか楽しめました。

北上川下流河川事務所の現場見学案内・河川管理施設によると、昭和30年の竣工、高さ8m・幅8m・長さ13.5mとのこと。見学を申し込めば、係の方が説明してくれるようですね。もしかしたら、巻上機室の中も、見せてくれるのかしら…。


(21年12月3日撮影)

【21年12月15日追記】4段目、「かつての追波川の河道と、新開鑿水路である福地運河の境目にある水門」の下りは間違いでしたので、訂正しました。

(『福地運河の水門…2』につづく)

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