栃木市RC橋めぐり…3
(『栃木市RC橋めぐり…2』のつづき)

●會橋の上から奥に目をやると…、おお! 家並の奥にひっそりとたたずむ、可愛らしい反橋を発見! 乱れ積みの石垣護岸、塀にそってのびる路地と、橋の形が醸し出す箱庭のような水路風景にハートをわしづかまれ、思わず駆け寄ってしまいました。
●南側橋詰から見たところ。四角柱に半球を乗せたような、可愛らしい親柱を4本とものぞき込んでみたのですが、竣工年や銘はなく、無名橋のようでした。
南側には、上の写真にも写っているように川沿いの路地ががありますが、対岸の北側には道はなく、犬走り程度の余地で駐車場の敷地になっています。もしかしたら、この橋は私設の橋で、北側に建物があったときは、家の玄関など出入り口に接していたのかもしれませんね。
●両側面は低い駒止め程度で、高欄と呼べるものではありませんが、ちょうど中央、橋脚の真上には、何やら四角い穴と、継目というにはあまりにも自然なひび割れが。ひび割れは道床の上にも続いています。
ここはいわば継手の部分で、2径間の桁橋ということになります。かつてはこの穴に、ズレ止めのくさびか何かが打ち込まれていたのでしょうか。
●反橋のすぐ奥は、暗渠の出口になっていました。もちろん元々は、ここと同じくらいの幅を持つ、開渠の水路だったことでしょう。石垣の様子からしても、それと察せられます。水質は巴波川同様澄んでいて、河底が透けて見えました。
地図を見ると、現市役所の周りをめぐる環状水路、「県庁堀」付近につながっている水路なのですね。かつては可航水路だった可能性もありそうで、こんな素敵な橋の下を小舟がたたずんでいたと妄想すると、ワクワクしてしまいます。

●北岸、西側から會橋を望んで。反橋の向こう右側のお宅は、河上に柱を立てて張り出しており、待合か料亭を思わせる造りなのも惹かれるものがあります。こちら側の橋脚には、まだま新しい「キケン! 川の中に入らないで!」なる注意書きの看板が掲げられていました。
桁側面の放射状の紋様が施され、親柱の造作やわざわざ反橋に造ったことも併せて、タダモノではない雰囲気を漂わせる無名橋。今回見た橋の中では文句なく一番の個性派で、末永く、こっそりひっそり息づいてほしいものだと、願わずにはおれませんでした。
【撮影地点のMapion地図】
(24年9月16日撮影)
(『栃木市RC橋めぐり…4』につづく)

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●會橋の上から奥に目をやると…、おお! 家並の奥にひっそりとたたずむ、可愛らしい反橋を発見! 乱れ積みの石垣護岸、塀にそってのびる路地と、橋の形が醸し出す箱庭のような水路風景にハートをわしづかまれ、思わず駆け寄ってしまいました。

南側には、上の写真にも写っているように川沿いの路地ががありますが、対岸の北側には道はなく、犬走り程度の余地で駐車場の敷地になっています。もしかしたら、この橋は私設の橋で、北側に建物があったときは、家の玄関など出入り口に接していたのかもしれませんね。

ここはいわば継手の部分で、2径間の桁橋ということになります。かつてはこの穴に、ズレ止めのくさびか何かが打ち込まれていたのでしょうか。

地図を見ると、現市役所の周りをめぐる環状水路、「県庁堀」付近につながっている水路なのですね。かつては可航水路だった可能性もありそうで、こんな素敵な橋の下を小舟がたたずんでいたと妄想すると、ワクワクしてしまいます。

●北岸、西側から會橋を望んで。反橋の向こう右側のお宅は、河上に柱を立てて張り出しており、待合か料亭を思わせる造りなのも惹かれるものがあります。こちら側の橋脚には、まだま新しい「キケン! 川の中に入らないで!」なる注意書きの看板が掲げられていました。
桁側面の放射状の紋様が施され、親柱の造作やわざわざ反橋に造ったことも併せて、タダモノではない雰囲気を漂わせる無名橋。今回見た橋の中では文句なく一番の個性派で、末永く、こっそりひっそり息づいてほしいものだと、願わずにはおれませんでした。
【撮影地点のMapion地図】
(24年9月16日撮影)
(『栃木市RC橋めぐり…4』につづく)

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タグ : 栃木市
栃木市RC橋めぐり…2
(『栃木市RC橋めぐり…1』のつづき)

●光線のよい、東岸下流側の橋詰に回って見たところ。下端に少し剥落はありますが、状態は悪くなく、ほどよく風化してざらついた質感が堪能できます。
木製橋の、肉が退いて木目が浮き出た手触りといい、コンクリートの骨材が梨地になった感触といい、時間を経て風化したものに惹かれるたちのようです。
●橋名は「倭橋」…やまとばし、と読むのでしょう。湊橋同様、東岸のこの一帯の町名、倭町から名付けられたようです。昭和5年12月の竣工とありました。
親柱右側面の配管(橋灯への電線のようでした)がちょっと残念ですが、巴波川橋のそれより汚れや欠けた部分は少なく、状態はよいようです。橋灯の台座など全体のデザインも、巴波川橋とよく似ていますね。標準化が図られていたのかもしれません。

●倭橋のすぐ下流の西岸に、派川に架かる橋があるのに気づいたので、まずは東岸のベストポジションから一枚。この間わずか50mほど、実に効率のよい橋めぐりであります。
ううん、高欄のパターンや親柱の形こそ、先ほどの湊橋と略同ながら、派川とはいえそこそこの径間長があり、しかも桁は浅いアーチ状と、また違った魅力を発散していますね。
今でこそ、礫の目立つ河床を薄く水が流れているに過ぎませんが、かつては可航河川だったに違いないと思わせる、ナニカを勝手に感じ取るおっさん一名。対岸に渡って、間近に眺めてみましょう。
●その前に、上の写真を撮った位置の、河畔の遊歩道に設けられていた案内板、「街しるべ」を一枚。ううむ、この橋が架かる派川が描いていないのう。
舟航区間である幸来橋~うずま公園と、倭橋付近の位置関係がおわかりいただけるかと思います。この範囲だけ見ても、結構な水路密度なのが感じられ、「橋めぐりにはまさにうってつけの土地柄だな」と、好都合な妄想がふくらみます。
●さて、倭橋を渡って西岸に至り、目指す小橋梁の上に降り立ちました。親柱に刻まれた橋名は「會橋」。あいばし…いや、かいばし、と読むのかな? 旧地名なのか、何か他に由来があるのか、気になるところです。
ちょっと興味をそそられたのが、親柱の天端にある段々(?)、湊橋は2段だったのに、この會橋は3段に造られていたこと。
ちょうど兵隊さんの階級章のように、「径間何m以上は何段」といったふうに、橋の規模によって親柱の造りも決められていたのかな、と思わせる面白さがありました。
【撮影地点のMapion地図】
(24年9月16日撮影)
(『栃木市RC橋めぐり…3』につづく)

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木製橋の、肉が退いて木目が浮き出た手触りといい、コンクリートの骨材が梨地になった感触といい、時間を経て風化したものに惹かれるたちのようです。
●橋名は「倭橋」…やまとばし、と読むのでしょう。湊橋同様、東岸のこの一帯の町名、倭町から名付けられたようです。昭和5年12月の竣工とありました。
親柱右側面の配管(橋灯への電線のようでした)がちょっと残念ですが、巴波川橋のそれより汚れや欠けた部分は少なく、状態はよいようです。橋灯の台座など全体のデザインも、巴波川橋とよく似ていますね。標準化が図られていたのかもしれません。

●倭橋のすぐ下流の西岸に、派川に架かる橋があるのに気づいたので、まずは東岸のベストポジションから一枚。この間わずか50mほど、実に効率のよい橋めぐりであります。
ううん、高欄のパターンや親柱の形こそ、先ほどの湊橋と略同ながら、派川とはいえそこそこの径間長があり、しかも桁は浅いアーチ状と、また違った魅力を発散していますね。
今でこそ、礫の目立つ河床を薄く水が流れているに過ぎませんが、かつては可航河川だったに違いないと思わせる、ナニカを勝手に感じ取るおっさん一名。対岸に渡って、間近に眺めてみましょう。

舟航区間である幸来橋~うずま公園と、倭橋付近の位置関係がおわかりいただけるかと思います。この範囲だけ見ても、結構な水路密度なのが感じられ、「橋めぐりにはまさにうってつけの土地柄だな」と、好都合な妄想がふくらみます。

ちょっと興味をそそられたのが、親柱の天端にある段々(?)、湊橋は2段だったのに、この會橋は3段に造られていたこと。
ちょうど兵隊さんの階級章のように、「径間何m以上は何段」といったふうに、橋の規模によって親柱の造りも決められていたのかな、と思わせる面白さがありました。
【撮影地点のMapion地図】
(24年9月16日撮影)
(『栃木市RC橋めぐり…3』につづく)

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栃木市RC橋めぐり…1
(『瀬戸ヶ原堰…2』のつづき)
●瀬戸ヶ原堰を楽しんだ後は、やはり同じくらい気になっていた橋たちを愛でてみようと、ガツガツと後戻り。まずは最初に気になった、西岸の派川に架かる小さい方の橋から。
親柱に刻まれた銘は「湊橋」、昭和8年7月竣工とありました。このあたりの町名は、かつての河岸を思わせる湊町ですから、そこからとられた名前でしょう。震災復興橋より少し後の世代といってよいですね。
小なりとはいえ、4つの親柱に御影石(人造石かな?乞うご教示)をおごった、がっしりとした感じのRC橋。しかも角の剥落やひび割れもなく、状態は極上です。橋詰に和菓子屋さんが店を構えているのも、しっとりと落ち着いた風情で、橋の雰囲気に似合っていました。

●舟行でくぐる唯一の橋、巴波川橋のひときわ高い、橋灯付きの立派な親柱。カメラを構えたら…ううん、残念ながら暗く撮れてしまった。こちらも石造の一本ものではあるものの、右左折して渡るクルマが多いせいか、内側の角に剥落が見られ、汚れも少々目立ちました。
竣工年を読みとろうと、左の親柱に近づいてみたのですが、風化したのか読み取りにくく、おそらく昭和9年12月竣工だと思われます。しかし、この古びた表面の感触に、ガス灯風にあつらえた橋灯の醸し出す雰囲気、古建築ともしっくりきて、悪くないですね。
●巴波川をいったん離れ、神社参拝や街めぐりを楽しんだ後、昼食をとりました。食事を済ませたところで、重苦しかった空模様も好転してきたので、川景色を眺めようとふたたび巴波川へ。
例幣使街道から適当に路地に入り、河畔へ出たところ。ここは舟の通る区間と違って、藻が流れにそよいで青々と茂り、浅瀬も多いですね。
この状態を目にして、200数十mとはいえ、舟航区間を維持・整備してゆくのは、並大抵のことではあるまいと、頭が下がる思い。ちょっと手入れを怠れば、このように、たちまち藻が繁茂してしまうのでしょう。

●何とはなしに、自転車を下流方向へ走らせると、おおお、またもイイ感じのRC橋が! 親柱は巴波川橋と略同ながら、高欄はより高く、「窓」のパターンも違うムクっぽい造作です。
これはもしかして、川沿いをうろついてみれば、まだまだ古いコンクリート桁橋に出会えるのでは? と、何やらアテにならない妄想を広げて、「RC橋めぐり」を決意。「河岸の街・栃木」の残り香は、RC橋にあるかもしれない…。妄想をエンジンに、まずは目の前の橋へ吸い寄せられてみました。
【撮影地点のMapion地図】
(24年9月16日撮影)
(『栃木市RC橋めぐり…2』につづく)

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親柱に刻まれた銘は「湊橋」、昭和8年7月竣工とありました。このあたりの町名は、かつての河岸を思わせる湊町ですから、そこからとられた名前でしょう。震災復興橋より少し後の世代といってよいですね。
小なりとはいえ、4つの親柱に御影石(人造石かな?乞うご教示)をおごった、がっしりとした感じのRC橋。しかも角の剥落やひび割れもなく、状態は極上です。橋詰に和菓子屋さんが店を構えているのも、しっとりと落ち着いた風情で、橋の雰囲気に似合っていました。


竣工年を読みとろうと、左の親柱に近づいてみたのですが、風化したのか読み取りにくく、おそらく昭和9年12月竣工だと思われます。しかし、この古びた表面の感触に、ガス灯風にあつらえた橋灯の醸し出す雰囲気、古建築ともしっくりきて、悪くないですね。

例幣使街道から適当に路地に入り、河畔へ出たところ。ここは舟の通る区間と違って、藻が流れにそよいで青々と茂り、浅瀬も多いですね。
この状態を目にして、200数十mとはいえ、舟航区間を維持・整備してゆくのは、並大抵のことではあるまいと、頭が下がる思い。ちょっと手入れを怠れば、このように、たちまち藻が繁茂してしまうのでしょう。

●何とはなしに、自転車を下流方向へ走らせると、おおお、またもイイ感じのRC橋が! 親柱は巴波川橋と略同ながら、高欄はより高く、「窓」のパターンも違うムクっぽい造作です。
これはもしかして、川沿いをうろついてみれば、まだまだ古いコンクリート桁橋に出会えるのでは? と、何やらアテにならない妄想を広げて、「RC橋めぐり」を決意。「河岸の街・栃木」の残り香は、RC橋にあるかもしれない…。妄想をエンジンに、まずは目の前の橋へ吸い寄せられてみました。
【撮影地点のMapion地図】
(24年9月16日撮影)
(『栃木市RC橋めぐり…2』につづく)

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瀬戸ヶ原堰…2
(『瀬戸ヶ原堰…1』のつづき)
●石碑のかたわらから(右)と、東岸に渡ってから見た、木製スライドゲート2態。スピンドルを動かすハンドルはすべて取り外されており、手すりも根元が腐食したのか、外れてひしゃげた部分もあり、久しく手入れされていないことが感じられました。扉体はこのまま朽ちてゆくのでしょうか。
これが調整ゲートだったとすると、起伏ゲートは竣工時にはなく、後の追加装備と考えた方が自然のようですね。石碑がおそらく、改修を記念したものらしいことからも、そう思えました。

●東岸に渡ったところで、基礎護岸(?)に降りて、起伏ゲートと角落としの径間を間近に堪能。このちんまりとまとまった、可愛らしさがタマランです。
水位差もご覧のとおり、ほんのわずかとはいえ、唯一の開口部である角落としには、それなりの流速があります。鯉や小魚たちは、今はともかく増水時など、流されてしまわないのかしら。

●角落とし径間のまとまり具合(?)が気に入ってしまい、しゃがみ込んでまじまじと眺めるバカ一名。
ふと、ここは「舟通し」の機能を期待して造られたのかしら? と妄想したのですが、よくよく観察してみると、水を透かして見える底部の戸当りが、河底よりはるかに高く造ってあり、小舟でも通ることは難しいことがわかりました。カヤックくらい軽量小型なら、充分行けそうではありますが。
●ううん、しかし、眺め回るほどに魅力的で、しかも歴史もありそうな堰ですよね。改めて、舟行の途中で紹介しないのが、実にもったいなく思えてきました。
状況が許すなら、木製スライドゲートの前まで舟を入れて、その古びた味わいと経てきた星霜を、船頭さんの名調子で語ってもらうなんていうのも、充分にアリだと思うのですが。
●角落とし径間のすぐ近くに、「やすらぎ川面の再生 その1 固定堰の改修」と題した、立派な説明板がありました。なるほど、もともと固定堰だったのを、堆積土砂を排出し水質をよくするため、起伏ゲートを設けたというわけですね。
気になったのは、左上の冒頭「瀬戸ヶ原堰と三番堰」という下り。三番堰という堰が、ここでないどこかにあるのか、それとも、先ほど見た鋼製扉体に改装されたゲートが三番堰なのかしら? ご存知の方、ご教示いただきたいものです。
【撮影地点のMapion地図】
(24年9月16日撮影)
(『栃木市RC橋めぐり…1』につづく)

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これが調整ゲートだったとすると、起伏ゲートは竣工時にはなく、後の追加装備と考えた方が自然のようですね。石碑がおそらく、改修を記念したものらしいことからも、そう思えました。


水位差もご覧のとおり、ほんのわずかとはいえ、唯一の開口部である角落としには、それなりの流速があります。鯉や小魚たちは、今はともかく増水時など、流されてしまわないのかしら。

●角落とし径間のまとまり具合(?)が気に入ってしまい、しゃがみ込んでまじまじと眺めるバカ一名。
ふと、ここは「舟通し」の機能を期待して造られたのかしら? と妄想したのですが、よくよく観察してみると、水を透かして見える底部の戸当りが、河底よりはるかに高く造ってあり、小舟でも通ることは難しいことがわかりました。カヤックくらい軽量小型なら、充分行けそうではありますが。
●ううん、しかし、眺め回るほどに魅力的で、しかも歴史もありそうな堰ですよね。改めて、舟行の途中で紹介しないのが、実にもったいなく思えてきました。
状況が許すなら、木製スライドゲートの前まで舟を入れて、その古びた味わいと経てきた星霜を、船頭さんの名調子で語ってもらうなんていうのも、充分にアリだと思うのですが。

気になったのは、左上の冒頭「瀬戸ヶ原堰と三番堰」という下り。三番堰という堰が、ここでないどこかにあるのか、それとも、先ほど見た鋼製扉体に改装されたゲートが三番堰なのかしら? ご存知の方、ご教示いただきたいものです。
【撮影地点のMapion地図】
(24年9月16日撮影)
(『栃木市RC橋めぐり…1』につづく)

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瀬戸ヶ原堰…1
(『巴波川の遊覧舟…3』のつづき)

●船頭さんたちにお礼をいって舟を降りた後、ふたたび自転車に乗って巴波川西岸を下り、まずは先ほど見た堰へ。
カーブを描く低いコンクリートの堤体が、なんともいえぬいい雰囲気。奥には起伏ゲートらしい扉体が顔をのぞかせており、その向こうにも1径間、小さいゲートがあるようですね。
【撮影地点のMapion地図】
●そして右に目を移すと…うひょひょ、木製スライドゲートだ! しかも5径間!
堰柱の肌や苔むし方からして、5~60年は経っていそうな、これまたイイ感じでコーフン度も倍加であります。見たところモーターライズもされていない、原形のままのようですね。折悪しく小雨が降ってきて、レンズに水滴が付いてしまったのが痛いところです。

●堰上げられた水は、西側の水路に導かれるのですが、こちらの水門は2径間と思っていたところ、下流側に回ってみると、元は4径間だったものを改修したことがわかりました。堰と同じくらい古そうですね。
もっとも、昇降装置こそラック式に「近代化改装」されているものの、電動化されている風には見えなかったので、動かすには今でも人力によっているのかもしれません。
●堰を分流点の鼻先、真っ正面から眺めてみたくなり、下流の瀬戸河原橋を渡って「うずま公園」の中へ。公園は東岸から、この「鼻」にまで巴波川を渡って広がっています。左に苔むしたスライドゲート、カーブを描く堰、起伏ゲート、右側はやはり小径間の角落としで、今は開放されているようですね。
古びた堰の向こうに、穏やかな表情の川に沿って広がる低い家並。美しく整備された両岸とあいまって、落ち着いた佳い雰囲気の水辺風景を楽しむことができました。
●そして、この「鼻」を訪れてラッキーだったのは、ご覧の石碑に出会えたこと!
ああ、この堰は「瀬戸ヶ原堰」というんだ! やはり分流点、象徴的な場所として選ばれたのですね。ちなみに、上の写真でいうと右側が巴波川の本流で、左の堰上げられた方の水路は、名前を確認できませんでした。
さて、石碑を詳しく検分しようと、いろいろと足掻いてはみたのですが、石碑は高い柵の外側にあって、おまけに下半身を高密度の植え込みに埋もれさせており、枝をかきわけることも敵わないありさま。おそらく「瀬戸ヶ原堰改修記念碑」と題したものと思われますが、建立年月もわからないまま、むなしく立ち去らざるをえませんでした。残念…。
【撮影地点のMapion地図】
(24年9月16日撮影)
(『瀬戸ヶ原堰…2』につづく)

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●船頭さんたちにお礼をいって舟を降りた後、ふたたび自転車に乗って巴波川西岸を下り、まずは先ほど見た堰へ。
カーブを描く低いコンクリートの堤体が、なんともいえぬいい雰囲気。奥には起伏ゲートらしい扉体が顔をのぞかせており、その向こうにも1径間、小さいゲートがあるようですね。
【撮影地点のMapion地図】

堰柱の肌や苔むし方からして、5~60年は経っていそうな、これまたイイ感じでコーフン度も倍加であります。見たところモーターライズもされていない、原形のままのようですね。折悪しく小雨が降ってきて、レンズに水滴が付いてしまったのが痛いところです。

●堰上げられた水は、西側の水路に導かれるのですが、こちらの水門は2径間と思っていたところ、下流側に回ってみると、元は4径間だったものを改修したことがわかりました。堰と同じくらい古そうですね。
もっとも、昇降装置こそラック式に「近代化改装」されているものの、電動化されている風には見えなかったので、動かすには今でも人力によっているのかもしれません。

古びた堰の向こうに、穏やかな表情の川に沿って広がる低い家並。美しく整備された両岸とあいまって、落ち着いた佳い雰囲気の水辺風景を楽しむことができました。

ああ、この堰は「瀬戸ヶ原堰」というんだ! やはり分流点、象徴的な場所として選ばれたのですね。ちなみに、上の写真でいうと右側が巴波川の本流で、左の堰上げられた方の水路は、名前を確認できませんでした。
さて、石碑を詳しく検分しようと、いろいろと足掻いてはみたのですが、石碑は高い柵の外側にあって、おまけに下半身を高密度の植え込みに埋もれさせており、枝をかきわけることも敵わないありさま。おそらく「瀬戸ヶ原堰改修記念碑」と題したものと思われますが、建立年月もわからないまま、むなしく立ち去らざるをえませんでした。残念…。
【撮影地点のMapion地図】
(24年9月16日撮影)
(『瀬戸ヶ原堰…2』につづく)

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