雨上がりの巴波川
(『栃木市RC橋めぐり…7』のつづき)
●県庁堀を離れて、小雨ぱらつく中、雨宿り先を探しつつ自転車を走らせていたら、裏通りに鉢植えとアンティークでいっぱいの素敵な喫茶店を発見。ここで一休みさせてもらいましょう。
注文したお茶が出てきて間もなく、雷が鳴ったと思うが早く、滝のような大雨に! 早めに引き揚げてよかった…。お茶をおかわりして、パラソルをたわめんばかりの豪雨を眺めていたら、30分ほどで雨が上がりました。

●このまま帰ってもよかったのですが、増水した川や堰の表情が見たくなり、みたび巴波川へ。幸来橋の上から下流を眺めると、河水は茶色く濁り、2~30cmは増水したでしょうか、丸太の護岸もほとんど水没して、荒々しい表情。雨に濡れた瓦屋根や舗装が夕日に光って、しっとりと美しい川景色…(10月7日からのタイトル参照)。
そういえば、舟たちはどこへ行ったのでしょう?上架して裏返すか、屋根のあるところに保管しないと、水が入ってたちまち沈没してしまうに違いありません。
●もしかして、橋の下にいるかも…と、下流側から幸来橋の下をのぞいてみたら、おお、いました!
前後にもやいを取るだけでなく、右の舟は桁裏から8本も控えを取って、吊り下げんばかりの厳重ぶり。過去の経験から編み出された方法なのでしょうか、興味深く見入ってしまいました。
●湊橋を対岸から見てみると、先ほどの水叩きが見えそうな細流とは打って変わり、濁流となって巴波川を責め立てていました。
小魚や鯉が群れ、藻が流れにゆらめくのどかな表情からは一変、やはり都市河川なのだなあと、改めて感じ入った次第でありました。

●瀬戸ヶ原堰も、木製扉体の方はあとわずかで越流、鋼製扉体も下のすき間がなくなるほどの増水ぶり。鯉や小魚たちは、だいぶ流されてしまったのかなあ…。
ともあれ、小舟での遊覧に始まり、バラエティー豊かなRC橋たちを楽しみ、可航河川時代の残影もかいま見ることができて、楽しいお出かけでした。蔵造りの商家など建物だけでなく、昭和一桁のRC橋たちも貴重な歴史的建造物の仲間として、大切にしていただきたいものですね。
【撮影地点のMapion地図】
(24年9月16日撮影)
(この項おわり)

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注文したお茶が出てきて間もなく、雷が鳴ったと思うが早く、滝のような大雨に! 早めに引き揚げてよかった…。お茶をおかわりして、パラソルをたわめんばかりの豪雨を眺めていたら、30分ほどで雨が上がりました。

●このまま帰ってもよかったのですが、増水した川や堰の表情が見たくなり、みたび巴波川へ。幸来橋の上から下流を眺めると、河水は茶色く濁り、2~30cmは増水したでしょうか、丸太の護岸もほとんど水没して、荒々しい表情。雨に濡れた瓦屋根や舗装が夕日に光って、しっとりと美しい川景色…(10月7日からのタイトル参照)。
そういえば、舟たちはどこへ行ったのでしょう?上架して裏返すか、屋根のあるところに保管しないと、水が入ってたちまち沈没してしまうに違いありません。

前後にもやいを取るだけでなく、右の舟は桁裏から8本も控えを取って、吊り下げんばかりの厳重ぶり。過去の経験から編み出された方法なのでしょうか、興味深く見入ってしまいました。

小魚や鯉が群れ、藻が流れにゆらめくのどかな表情からは一変、やはり都市河川なのだなあと、改めて感じ入った次第でありました。

●瀬戸ヶ原堰も、木製扉体の方はあとわずかで越流、鋼製扉体も下のすき間がなくなるほどの増水ぶり。鯉や小魚たちは、だいぶ流されてしまったのかなあ…。
ともあれ、小舟での遊覧に始まり、バラエティー豊かなRC橋たちを楽しみ、可航河川時代の残影もかいま見ることができて、楽しいお出かけでした。蔵造りの商家など建物だけでなく、昭和一桁のRC橋たちも貴重な歴史的建造物の仲間として、大切にしていただきたいものですね。
【撮影地点のMapion地図】
(24年9月16日撮影)
(この項おわり)

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栃木市RC橋めぐり…7
(『栃木市RC橋めぐり…6』のつづき)
●小雨にたたられつつも、もうちょっとねばってから帰ろうと、市役所別館の前から県庁堀をさらに北上。このあたりは住宅地で、架かっているRC橋もいわば私有橋で、俎板のような簡素なものになり、今までとは違った面白さが。米子市の旧加茂川(『旧加茂川周辺を歩く…1』ほか参照)を思い出させるものがありました。
雨さえなければ、県庁堀を一周してから帰りたかったのですが、本降りになりそうな気配になってきたので、残念ながらここで撤収、雨宿りできるところを探すことにしました。

●二つほど積み残しがあったのを忘れていました。舟を降りて巴波川橋を見た後、街をあちこちうろついていた途中で出会った橋です。
大小2種類の、麻雀牌(?)を思わせるコンクリ塊に鉄パイプを渡した高欄…戦前製の橋とは雰囲気の違った、明らかに戦後のものらしいRC橋。下を流れる水路は、瀬戸ヶ原堰で巴波川と分岐した方の水路で、この橋の先でさらに分流していました。
●親柱というか、両端の大きい塊に掲げられた銘板を見ると、名前は「新開橋」、昭和33年3月の竣工。
興味を引かれたのは、東詰に「新開橋架橋記念碑」なる、立派な石碑が建てられていたこと。規模からいえば、小橋梁というほかないささやかな橋ですが、地域の皆さんにとっては、架設によって大きな利便をもたらした、大切な橋であったことがうかがえます。新開橋という名前からも、新たに架けられた橋への、期待の大きさが感じられるようでした。
【撮影地点のMapion地図】
●新開橋のさらに下流、二本の水路にはさまれた親水公園があるあたりにも、古そうなRC橋が。径間にくらべて幅広の橋で、前後に鋼製の人道橋が架けられているため、鑑賞にはいささか具合の悪い環境ではあります。
クルマの通行が頻繁なだけあって、親柱に帯金の補強が見られたり、角が欠けていたりする部分はあるものの、上回りは原形を保っています。名前は「富士見橋」、竣工は昭和5年1月とありました。

【撮影地点のMapion地図】
(24年9月16日撮影)
(『雨上がりの巴波川』につづく)

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雨さえなければ、県庁堀を一周してから帰りたかったのですが、本降りになりそうな気配になってきたので、残念ながらここで撤収、雨宿りできるところを探すことにしました。

●二つほど積み残しがあったのを忘れていました。舟を降りて巴波川橋を見た後、街をあちこちうろついていた途中で出会った橋です。
大小2種類の、麻雀牌(?)を思わせるコンクリ塊に鉄パイプを渡した高欄…戦前製の橋とは雰囲気の違った、明らかに戦後のものらしいRC橋。下を流れる水路は、瀬戸ヶ原堰で巴波川と分岐した方の水路で、この橋の先でさらに分流していました。

興味を引かれたのは、東詰に「新開橋架橋記念碑」なる、立派な石碑が建てられていたこと。規模からいえば、小橋梁というほかないささやかな橋ですが、地域の皆さんにとっては、架設によって大きな利便をもたらした、大切な橋であったことがうかがえます。新開橋という名前からも、新たに架けられた橋への、期待の大きさが感じられるようでした。
【撮影地点のMapion地図】

クルマの通行が頻繁なだけあって、親柱に帯金の補強が見られたり、角が欠けていたりする部分はあるものの、上回りは原形を保っています。名前は「富士見橋」、竣工は昭和5年1月とありました。

【撮影地点のMapion地図】
(24年9月16日撮影)
(『雨上がりの巴波川』につづく)

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タグ : 栃木市
栃木市RC橋めぐり…6
(『栃木市RC橋めぐり…5』のつづき)
●右手両岸に更地と駐車場があるため、周囲は割と開けていて、遠くからでも目に入りやすい位置にあるのがわかります。道路は最近舗装を改めたのかきれいで、橋詰もさっぱりと片付いており、橋の古さと対照的ではありますね。
一区画向こうには、栃木市役所別館の瀟洒な建物が顔をのぞかせており、古くからの中心地といってよい地域だけに、橋の凝り具合も納得できようというものです。
●橋の名前は、忍橋…。「イヤ、ぜんぜん『忍んで』なんかいないよ!」と、思わず突っ込んでしまいそうなオーラ(?)の強さ。名前の由来が知りたいものです。
ちなみに竣工は、昭和8年7月。下を流れる水路は、先ほど見た反橋のあるところ(途中、暗渠区間はありますが)へ続いているのですね。

●可愛らしい時計台を戴いた木造2階建ての洋館、栃木市役所別館の格好よさに惹かれて一枚。「旧栃木町役場(栃木市役所別館)」(有限会社建築相談センター)によると、旧栃木町役場庁舎として大正10年竣工、国登録有形文化財にも指定されているのだとか。
大正の、しかも結構な規模の木造建築が、こんなに美しく整備されているだけでも感動モノ。塗装が明るめなだけに、重苦しく曇ってしまった空をバックに撮らなければならなかったのが、本当に残念でした。

●さて、旧県庁のあった場所をぐるりとめぐる、県庁堀に架かる橋はどれほど凝っているんだろうと、市役所別館の向かいにある橋を検分すると…。期待にたがわず、高欄、親柱とも、これまで見た橋とは格の違いを感じさせる造形です。
ここでついに小雨がポツリ、ポツリと降り始めました。雨脚によっては、急いで撤収しなければなりません。焦って周りを小走りに移動しながら撮ったためか、ただでさえ腕のよくない写真が、ますますアレな仕上がりになってしまいました。
●鳥居状の意匠を浮き出させた、どっしりとした感じの親柱の銘を見ると、「御幸橋」と縁起のよい橋名。反対側の親柱には「元縣廰堀」と、水路名まで入れられていました。明治17年に県庁は宇都宮に移転しましたから、「元」がつくのが正しいのでしょうね。ちなみにこの県庁堀、遺構として県指定文化財にもなっているそうです。
市役所…旧町役場に近いほど、橋の造りが凝ってくるのを見て、即座に思い出されたのが、伊東孝氏が著書「東京の橋 水辺の都市景観」の中で一項を設けられていた、「皇居を頂点としたデザイン・ヒエラルキー」という記事です。
皇居から離れるほどに、震災復興橋の装飾に見られる「デザイン密度」が低くなり、また素材や構造の面から見ても、廉価かつ簡素になってゆく傾向にあることから、皇居の内濠に架かる橋をトップにした、ある種の階級がある、というお話でした。今回見た栃木の小橋梁たちにも、明らかにそれと同様のパターンが感じられ、興味深く思ったことでした。
【撮影地点のMapion地図】
(24年9月16日撮影)
(『栃木市RC橋めぐり…7』につづく)

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一区画向こうには、栃木市役所別館の瀟洒な建物が顔をのぞかせており、古くからの中心地といってよい地域だけに、橋の凝り具合も納得できようというものです。

ちなみに竣工は、昭和8年7月。下を流れる水路は、先ほど見た反橋のあるところ(途中、暗渠区間はありますが)へ続いているのですね。

●可愛らしい時計台を戴いた木造2階建ての洋館、栃木市役所別館の格好よさに惹かれて一枚。「旧栃木町役場(栃木市役所別館)」(有限会社建築相談センター)によると、旧栃木町役場庁舎として大正10年竣工、国登録有形文化財にも指定されているのだとか。
大正の、しかも結構な規模の木造建築が、こんなに美しく整備されているだけでも感動モノ。塗装が明るめなだけに、重苦しく曇ってしまった空をバックに撮らなければならなかったのが、本当に残念でした。

●さて、旧県庁のあった場所をぐるりとめぐる、県庁堀に架かる橋はどれほど凝っているんだろうと、市役所別館の向かいにある橋を検分すると…。期待にたがわず、高欄、親柱とも、これまで見た橋とは格の違いを感じさせる造形です。
ここでついに小雨がポツリ、ポツリと降り始めました。雨脚によっては、急いで撤収しなければなりません。焦って周りを小走りに移動しながら撮ったためか、ただでさえ腕のよくない写真が、ますますアレな仕上がりになってしまいました。

市役所…旧町役場に近いほど、橋の造りが凝ってくるのを見て、即座に思い出されたのが、伊東孝氏が著書「東京の橋 水辺の都市景観」の中で一項を設けられていた、「皇居を頂点としたデザイン・ヒエラルキー」という記事です。
皇居から離れるほどに、震災復興橋の装飾に見られる「デザイン密度」が低くなり、また素材や構造の面から見ても、廉価かつ簡素になってゆく傾向にあることから、皇居の内濠に架かる橋をトップにした、ある種の階級がある、というお話でした。今回見た栃木の小橋梁たちにも、明らかにそれと同様のパターンが感じられ、興味深く思ったことでした。
【撮影地点のMapion地図】
(24年9月16日撮影)
(『栃木市RC橋めぐり…7』につづく)

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栃木市RC橋めぐり…5
(『栃木市RC橋めぐり…4』のつづき)
●入舟橋というんですから!
可航河川ファンとしては、「やはり!」と膝を叩きたくなるところであります。今でこそこんな細流に、と思える小水路にも、かつては小舟が竿さして出入りし、沿岸の商家に荷揚げをしていたことが思われるこの名前、グッとくるものがありますわ。
まあ、この一帯の地名が「入舟町」であり、それをそのまま付けたのは、先ほどの湊橋同様ではありますが、「舟」の一文字が入っている効果はけた違いで、興奮も倍加し、妄想も広がろうというもの。これで本当に竿船が行き来できる可航水深が維持されていたら、走り回って騒ぐレベルであります。
●水路を西に向かってゆくと、さらに、さらに妄想を裏付けるような物件が!
河畔に接した黒塗りの下見板の壁に、小さな扉があり、その右には看板が掲げられていました。「麻苧真縄問屋 荷揚場 横山郷土館」と! やはり、ここはかつての可航水路だったんだ!
この建屋、かつて麻縄問屋と銀行を営んでいた商家、横山家の建物群を保存・公開した博物館である、「横山郷土館」の一部。建物はもちろん、石垣も当時のものなのでしょう。さすが「入舟町」、水運時代の残影がみごとに残されていました。

●横山郷土館の敷地が尽きるあたりに架けられたRC橋、いきなり高欄のカタチが凝ってきて、ちょっと驚かされました。
鼓を横にしたものを連ねたような、独特のスタイルです。先ほど妄想したように、市役所に近いほど手の込んだ造作にしているのかしら?
【撮影地点のMapion地図】
●親柱をのぞいてみると、風化が進んで読みづらく、名前は中橋、もしくは中之橋でしょうか。竣工は昭和7年7月とありました。
周りをうろうろしながら眺めていたら、写真右手の更地の奥、赤矢印をつけた場所に、いま一つのRC橋を発見! 水路が縦横に走っているだけに、橋の数もなかなかのものです。街場をひと区画歩くごとに、橋を渡る…。かつての日本橋など隅田川西岸や、新潟の旧市街もきっと、こんな感じだったのでしょうね。

●おおお、中橋よりさらに手の込んだ造作ですね! リムを浮き出させたアーチ状の窓には、各々3本づつ鉄棒の柵まで。補強がなく、苔むしているのもポイント高し。
市役所はもう指呼の間とはいえ、周りは閑静な、古民家などないごく普通の住宅地。そこに古びた、小さなRC橋がある違和感は…何ていうんでしょう、いい意味で悪目立ち(わけがわからないな)して、まるでこの地のヌシのような雰囲気でした。
【撮影地点のMapion地図】
(24年9月16日撮影)
(『栃木市RC橋めぐり…6』につづく)

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可航河川ファンとしては、「やはり!」と膝を叩きたくなるところであります。今でこそこんな細流に、と思える小水路にも、かつては小舟が竿さして出入りし、沿岸の商家に荷揚げをしていたことが思われるこの名前、グッとくるものがありますわ。
まあ、この一帯の地名が「入舟町」であり、それをそのまま付けたのは、先ほどの湊橋同様ではありますが、「舟」の一文字が入っている効果はけた違いで、興奮も倍加し、妄想も広がろうというもの。これで本当に竿船が行き来できる可航水深が維持されていたら、走り回って騒ぐレベルであります。

河畔に接した黒塗りの下見板の壁に、小さな扉があり、その右には看板が掲げられていました。「麻苧真縄問屋 荷揚場 横山郷土館」と! やはり、ここはかつての可航水路だったんだ!
この建屋、かつて麻縄問屋と銀行を営んでいた商家、横山家の建物群を保存・公開した博物館である、「横山郷土館」の一部。建物はもちろん、石垣も当時のものなのでしょう。さすが「入舟町」、水運時代の残影がみごとに残されていました。

●横山郷土館の敷地が尽きるあたりに架けられたRC橋、いきなり高欄のカタチが凝ってきて、ちょっと驚かされました。
鼓を横にしたものを連ねたような、独特のスタイルです。先ほど妄想したように、市役所に近いほど手の込んだ造作にしているのかしら?
【撮影地点のMapion地図】

周りをうろうろしながら眺めていたら、写真右手の更地の奥、赤矢印をつけた場所に、いま一つのRC橋を発見! 水路が縦横に走っているだけに、橋の数もなかなかのものです。街場をひと区画歩くごとに、橋を渡る…。かつての日本橋など隅田川西岸や、新潟の旧市街もきっと、こんな感じだったのでしょうね。

●おおお、中橋よりさらに手の込んだ造作ですね! リムを浮き出させたアーチ状の窓には、各々3本づつ鉄棒の柵まで。補強がなく、苔むしているのもポイント高し。
市役所はもう指呼の間とはいえ、周りは閑静な、古民家などないごく普通の住宅地。そこに古びた、小さなRC橋がある違和感は…何ていうんでしょう、いい意味で悪目立ち(わけがわからないな)して、まるでこの地のヌシのような雰囲気でした。
【撮影地点のMapion地図】
(24年9月16日撮影)
(『栃木市RC橋めぐり…6』につづく)

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タグ : 栃木市
栃木市RC橋めぐり…4
(『栃木市RC橋めぐり…3』のつづき)

●ふたたび巴波川畔に戻って、数百m上流へ進んだところで、現われたのがこの橋。親柱は下流の2橋と略同であるものの、老朽化が進んでいるのか鉄製の補強が痛々しく、高欄も直線的で、装飾性の薄いものとなっているのが印象的でした。質感の違いから見ると、桁は後年改修されたもののようですね。
河畔のテラスから上がって、親柱に近づいてみると、名前は常盤橋と判明。補強に加えて汚れもあり、橋灯も錆が目立って、状態はあまりよくありません。ううむ、竣工年を撮り忘れてしまった…。空はふたたびどんよりとして、今にも降り出しそうなあやしい雲ゆきになってきました。

●ところで、常盤橋下流は、県庁堀から巴波川に流入する堀割との丁字流でもあります。常盤橋東詰から、その堀割を眺めると…ご覧のように、イイ感じの小橋梁がたたみかけるように重なって見える、ステキな水路風景が!
この距離からも、橋一つ一つの意匠の違いが見て取れ、楽しみでウズウズするような眺め。さっそくRC橋のハシゴとまいりましょう。ちなみに左側のチラリと見える階段、ポンプアップされた水が流されていて、ちょっとした水辺の小公園になっています。

●常盤橋を渡って、小橋梁群の第一橋に近づいてみましょう。幅員も広過ぎず、長さとの塩梅もよく、バランスのとれた外観に思えました。桁は鋼材で補強がされていますね。
高欄は下流の湊橋、會橋と似た形ですが、親柱はパターンから外れ、四角錐台に半球を乗せたタイプ。なぜここに至って親柱を違う型にしたのか、やはり市役所に近いからでしょうか。
竣工年はご覧のとおり、昭和3年10月。橋の名前は…これが実にそそるというか、大いにうなずかされる名前だったのです。
【撮影地点のMapion地図】
(24年9月16日撮影)
(『栃木市RC橋めぐり…5』につづく)

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河畔のテラスから上がって、親柱に近づいてみると、名前は常盤橋と判明。補強に加えて汚れもあり、橋灯も錆が目立って、状態はあまりよくありません。ううむ、竣工年を撮り忘れてしまった…。空はふたたびどんよりとして、今にも降り出しそうなあやしい雲ゆきになってきました。

●ところで、常盤橋下流は、県庁堀から巴波川に流入する堀割との丁字流でもあります。常盤橋東詰から、その堀割を眺めると…ご覧のように、イイ感じの小橋梁がたたみかけるように重なって見える、ステキな水路風景が!
この距離からも、橋一つ一つの意匠の違いが見て取れ、楽しみでウズウズするような眺め。さっそくRC橋のハシゴとまいりましょう。ちなみに左側のチラリと見える階段、ポンプアップされた水が流されていて、ちょっとした水辺の小公園になっています。


高欄は下流の湊橋、會橋と似た形ですが、親柱はパターンから外れ、四角錐台に半球を乗せたタイプ。なぜここに至って親柱を違う型にしたのか、やはり市役所に近いからでしょうか。
竣工年はご覧のとおり、昭和3年10月。橋の名前は…これが実にそそるというか、大いにうなずかされる名前だったのです。
【撮影地点のMapion地図】
(24年9月16日撮影)
(『栃木市RC橋めぐり…5』につづく)

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