江戸川・三郷中之島覚え書き
●「水門先生と水路行…3」でお約束した、三郷中之島付近の澪筋などについて、覚え書き的に少し…。
航路情報うんぬんと言うよりは、ちょっと気になる点がいくつか思い当たったので。

●上の写真は、平成7年8月に撮った、坂川放水路河口・松戸水門です。写真でもわかるように、西岸(水門のあるほうが東)にかなり寄った位置から撮っており、水門の基部は、手前にある中之島の木立で隠れているのがわかります。
【撮影地点のMapion地図】
これは、この前の航行で、下流側で中之島に寄せ過ぎ、結果座洲した反省から採った航路で、無事中之島付近を通過、常磐道流山インター上流まで到達しました。この時は、三郷放水路のかなり下流から西岸に寄せたことを憶えています。下のGoogleマップ上に描いた赤線が、おおむねその時の航路です。
●すでにお話したように、今回は平成7年と同様、西岸寄りに遡上しようとして浅瀬につかまり、東に向けて進んだところ、澪筋が東岸寄りから中之島沿いにあることがわかり(航路はGoogleマップ上の青線)、かつての感覚とはだいぶ違うことを実感しました。
恐らく、現在の澪筋は、黄線で描いたように走っているように思われました。
すでに「江戸川限界遡上」にも書かれているように、佐藤氏には「坂川・三郷両放水路から流下する土砂が、このあたりの河床を上げ、澪筋を変えてしまったようだ」とお話したものの、帰宅してからGoogleマップに浅瀬の推定エリアを落としてみて、「ハテ、ちょっと違うかな?」と、また別の感想(イヤ、妄想に近いかな)を持つようになったのです。

ホンモノのGoogleマップで江戸川 三郷中之島付近を表示
●まず、合流河川の堆砂で河床が上がった件ですが、常時水を流している坂川放水路はともかく、三郷放水路は逆に、年に数回あるかないかの放水時に、その流速で堆砂を押し流しているように思えたのです。
中之島下流付近から東岸に至る深みは、その前後の区間にくらべて唐突で、角度も三郷放水路の取付け角に一致しているため、そうでも考えなければ、説明がつかないように思えました。
三郷放水路からの放水は、中川が危険な状態にならない限りないはずで、いざ放水が始まれば、相当な流速で東岸下流方向に向かってぶつかるはずですから、この考えもあながち外れてはいないと思えるのですが、いかがでしょうか。
今回はまった浅瀬の推定エリアも、同じ考えから、上流側を三郷放水路の吐口の角度に合わせて描いてみました。もっとも、平成7年に通過したときは、たまたま水位が高かったので、気づかずに通ってしまった…という可能性も、否定できません。
●今ひとつ…。ボート乗り諸先輩の非難も空恐ろしいので、念のため記しておくと、このあたりが動力船の遡上限界では、もちろんありません。
Googleマップの航空写真を拡大してご覧になればおわかりのように、中上流部にも結構な数の繋留船が見られます(私の艇より大きな艇も、たくさんありました)し、これは特殊な例ですが、大雨直後の増水時を狙って、関宿閘門を通られた方も、過去には一人ならずおられる(水路をゆく 過去ログ『江戸川走破の快挙!』参照)わけです。
●私のお世話になっている、ボートサービスの社長によると、流山付近で漁をしている舟の、船外機の整備を請け負っており、その舟は年に一回ほど江戸川を下って来て、エンジンの修理をしてこともなげに(!)帰っていくとのこと。
その社長ですら、「松戸のあたりから上は怖いから、上がりたくないねえ」と尻込みするのですから、まさに地場の、わずかな川船乗りしか知り得ない澪筋が延々と続く川、それがかつてのメインラインであった江戸川の、現在の姿なのでしょう。
●お隣の中川が、三郷放水路のはるか上流まで、難なく遡上できる環境にあることを思うと、まさに動力船にとっては「航路の廃墟」と呼んで言い過ぎではない荒廃ぶりで、かつての賑わいを考えると、やはり寂しさがつのるのを、抑えることができません。

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●上の写真は、平成7年8月に撮った、坂川放水路河口・松戸水門です。写真でもわかるように、西岸(水門のあるほうが東)にかなり寄った位置から撮っており、水門の基部は、手前にある中之島の木立で隠れているのがわかります。
【撮影地点のMapion地図】
これは、この前の航行で、下流側で中之島に寄せ過ぎ、結果座洲した反省から採った航路で、無事中之島付近を通過、常磐道流山インター上流まで到達しました。この時は、三郷放水路のかなり下流から西岸に寄せたことを憶えています。下のGoogleマップ上に描いた赤線が、おおむねその時の航路です。
●すでにお話したように、今回は平成7年と同様、西岸寄りに遡上しようとして浅瀬につかまり、東に向けて進んだところ、澪筋が東岸寄りから中之島沿いにあることがわかり(航路はGoogleマップ上の青線)、かつての感覚とはだいぶ違うことを実感しました。
恐らく、現在の澪筋は、黄線で描いたように走っているように思われました。
すでに「江戸川限界遡上」にも書かれているように、佐藤氏には「坂川・三郷両放水路から流下する土砂が、このあたりの河床を上げ、澪筋を変えてしまったようだ」とお話したものの、帰宅してからGoogleマップに浅瀬の推定エリアを落としてみて、「ハテ、ちょっと違うかな?」と、また別の感想(イヤ、妄想に近いかな)を持つようになったのです。

ホンモノのGoogleマップで江戸川 三郷中之島付近を表示
●まず、合流河川の堆砂で河床が上がった件ですが、常時水を流している坂川放水路はともかく、三郷放水路は逆に、年に数回あるかないかの放水時に、その流速で堆砂を押し流しているように思えたのです。
中之島下流付近から東岸に至る深みは、その前後の区間にくらべて唐突で、角度も三郷放水路の取付け角に一致しているため、そうでも考えなければ、説明がつかないように思えました。
三郷放水路からの放水は、中川が危険な状態にならない限りないはずで、いざ放水が始まれば、相当な流速で東岸下流方向に向かってぶつかるはずですから、この考えもあながち外れてはいないと思えるのですが、いかがでしょうか。
今回はまった浅瀬の推定エリアも、同じ考えから、上流側を三郷放水路の吐口の角度に合わせて描いてみました。もっとも、平成7年に通過したときは、たまたま水位が高かったので、気づかずに通ってしまった…という可能性も、否定できません。
●今ひとつ…。ボート乗り諸先輩の非難も空恐ろしいので、念のため記しておくと、このあたりが動力船の遡上限界では、もちろんありません。
Googleマップの航空写真を拡大してご覧になればおわかりのように、中上流部にも結構な数の繋留船が見られます(私の艇より大きな艇も、たくさんありました)し、これは特殊な例ですが、大雨直後の増水時を狙って、関宿閘門を通られた方も、過去には一人ならずおられる(水路をゆく 過去ログ『江戸川走破の快挙!』参照)わけです。
●私のお世話になっている、ボートサービスの社長によると、流山付近で漁をしている舟の、船外機の整備を請け負っており、その舟は年に一回ほど江戸川を下って来て、エンジンの修理をしてこともなげに(!)帰っていくとのこと。
その社長ですら、「松戸のあたりから上は怖いから、上がりたくないねえ」と尻込みするのですから、まさに地場の、わずかな川船乗りしか知り得ない澪筋が延々と続く川、それがかつてのメインラインであった江戸川の、現在の姿なのでしょう。
●お隣の中川が、三郷放水路のはるか上流まで、難なく遡上できる環境にあることを思うと、まさに動力船にとっては「航路の廃墟」と呼んで言い過ぎではない荒廃ぶりで、かつての賑わいを考えると、やはり寂しさがつのるのを、抑えることができません。

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