松川と彼岸花
(『庄川峡の船旅…10』のつづき)

●小牧ダムを離れた後は、一つ下流にあるやはり戦前竣工のダム、合口堰堤にちょっと寄り道。昭和14年竣工、7カ所の水力発電所に給水し、11,000haの田畑を潤しているとのこと。
休憩所など近隣の施設も充実しているせいか、多くの人で賑わっていました。ダムそのものは扉体ともきれいに整備されて、戦前にできたとは思えないほどでしたが、手前の魚道は苔や草が生い茂り、コンクリートの表面も風化して、過ごしてきた時間の長さを感じさせました。
●帰路は違ったルートをたどってみたくなり、福光駅より城端線、高岡であいの風富山鉄道に乗り替えて、富山に出ることに。
写真は城端線ですが、懐かしくなるような朱色のディーゼルカー2輌編成に乗って、開けた窓から入る風を受けつつ、田園地帯を爆音高らかに疾走するのは楽しいものです。
●富山到着後、帰りの新幹線まで少し時間があったので、市内線に乗って松川茶屋へ。
船に乗るのは時間的に無理にしても、ちょっとお茶でも‥‥と思っていたら、河畔は生バンドの演奏が聞こえるなど大変な賑わいで、橋台跡をステージにしてこれからイベントが始まる模様。中村専務もお忙しそうなので、失礼してお散歩に切り替えました。

●法面では彼岸花がちょうど満開で、本当に見事です。花の名前などろくに知らない、無粋ものの船頭ですが、こと大好きな松川畔。これは一枚スナップしておきたく、カメラを向けてみました。
相変わらず下手な写真ですが‥‥。よく陽が当って目に沁みるような彼岸花の紅と、木陰に黒く沈む川面、さらに遊覧船の赤い塗色がよいコントラストをなして、素敵な川景色が撮れました。

●少し歩いて、七十二峰橋を渡ろうとしたら、いま一隻の遊覧船‥‥たぶん「神通Ⅰ」が、いいタイミングで戻ってきました! くぐる前に迎え撃ち、くぐった後を見送って(10月1日からのタイトル)と、何度もシャッターを切りました。
底まで陽の射した澄んだ河水、玉石垣を固めた法面にテラスと、松川ならではの川景色を愛でる遊覧船。絵になりますねえ。次回はぜひ乗ってみたいものです。ともあれ2日間、最後までお天気に恵まれた旅行になり、何よりでした。お世話になった皆様、ありがとうございました!
【撮影地点のMapion地図】
(29年9月24日撮影)
(この項おわり)

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●小牧ダムを離れた後は、一つ下流にあるやはり戦前竣工のダム、合口堰堤にちょっと寄り道。昭和14年竣工、7カ所の水力発電所に給水し、11,000haの田畑を潤しているとのこと。
休憩所など近隣の施設も充実しているせいか、多くの人で賑わっていました。ダムそのものは扉体ともきれいに整備されて、戦前にできたとは思えないほどでしたが、手前の魚道は苔や草が生い茂り、コンクリートの表面も風化して、過ごしてきた時間の長さを感じさせました。

写真は城端線ですが、懐かしくなるような朱色のディーゼルカー2輌編成に乗って、開けた窓から入る風を受けつつ、田園地帯を爆音高らかに疾走するのは楽しいものです。

船に乗るのは時間的に無理にしても、ちょっとお茶でも‥‥と思っていたら、河畔は生バンドの演奏が聞こえるなど大変な賑わいで、橋台跡をステージにしてこれからイベントが始まる模様。中村専務もお忙しそうなので、失礼してお散歩に切り替えました。

●法面では彼岸花がちょうど満開で、本当に見事です。花の名前などろくに知らない、無粋ものの船頭ですが、こと大好きな松川畔。これは一枚スナップしておきたく、カメラを向けてみました。
相変わらず下手な写真ですが‥‥。よく陽が当って目に沁みるような彼岸花の紅と、木陰に黒く沈む川面、さらに遊覧船の赤い塗色がよいコントラストをなして、素敵な川景色が撮れました。

●少し歩いて、七十二峰橋を渡ろうとしたら、いま一隻の遊覧船‥‥たぶん「神通Ⅰ」が、いいタイミングで戻ってきました! くぐる前に迎え撃ち、くぐった後を見送って(10月1日からのタイトル)と、何度もシャッターを切りました。
底まで陽の射した澄んだ河水、玉石垣を固めた法面にテラスと、松川ならではの川景色を愛でる遊覧船。絵になりますねえ。次回はぜひ乗ってみたいものです。ともあれ2日間、最後までお天気に恵まれた旅行になり、何よりでした。お世話になった皆様、ありがとうございました!
【撮影地点のMapion地図】
(29年9月24日撮影)
(この項おわり)

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萩之浦閘門跡を訪ねて…1

その足で富山城址の松川遊覧船を訪ね、中村珠太専務に諸々お世話になった御礼を兼ねてご挨拶。第一便出航前のお忙しい時間にもかかわらず、応対していただきありがとうございました!

●お話を伺っていると、上流から艫を前にして、棹を突きつつササブネが下ってきました。中村氏が「乗っているのは漁師さんで、月一回の河川清掃をしているんですよ」と説明してくださったのを聞き、にわかに色めき立ちました。
おお、「松川の舟通しと和船のことなど」でも触れた、貴重なササブネの実稼働に出くわしたんだ! 月一便に偶然出会えるとは、早起きはしてみるものです。
●「目の色が変わりましたねえ」と中村氏が笑う横で、カメラを構えてシャッターを切る、切る! 艫を先に進んでくるあたり、ベカの海苔摘み作業を思い出させるものが。スペースに余裕があって、安定もよい船尾を作業の立ち位置にするのは、小舟艇では理にかなっています。
我々や遊覧船の船長に声をかけながら、棹を突き、タモ網でゴミを丁寧にすくい取る漁師さんたち。静かな朝の松川ならではの、清々しい舟航風景を目にできて、嬉しくなりました。

別れ際、中村氏に「これからどちらに行かれます?」と尋ねられ、「萩之浦閘門の跡を見にゆこうと思います」と答えました。そう、中村氏のご教示がなければ、その存在に気づくこともなかったであろう、あの萩之浦閘門です!
●そのいきさつはすでに「富山港・知られざる閘門?!」、その後の解明編として「『富山港・知られざる閘門』の図面が!」で詳述しているので、ぜひご覧いただきたいと思います。
河道整理と同時に河口港を分離築港した、「河海分離」後の舟航維持策として建造された閘門の例としては、酒田港~最上川の下瀬閘門(『下瀬閘門跡を訪ねて』参照)がありますが、撤去後も痕跡が残り、説明板で顕彰されもしている下瀬閘門にくらべ、萩之浦閘門はほぼ跡形もないのが大きな違いではあります。それがわかっていても、いやそれだからこそ、現地をこの足で踏んでみたい思いは強くあったのです。

●富山駅前から数えて6㎞あまり。堤防上の道をひたすら走り、萩之浦閘門のあった富山市草島102付近に到着。この道の曲がり具合! あの曲がったあたりが、閘室の北側護岸の位置だったんだよなあ‥‥。「知られざる閘門」の地を踏んだ感慨に、しばししみじみと立ち尽くすおっさん。
とはいっても、ここまでならGoogleストリートビューで、自室にいながらにして見られる光景。現地を訪ねられただけでもよしとは申せ、せめて、何か痕跡めいたものを見つけたい気持ちがあるのは、いうまでもありません。

く~っ、残念! 川向こうにそびえる富山火力発電所を眺めながら、唇を噛んだことではありました。
【撮影地点のMapion地図】
(29年9月23日撮影)
(『萩之浦閘門跡を訪ねて…2』につづく)

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