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8月19日の晴海橋梁…2

(『8月19日の晴海橋梁…1』のつづき)

210011.jpgRC桁に設けられた待避所。薄い床板に、持ち送りなどの補強が見られない分、何とも頼りなげな印象です。アングル材で組んだ手すりが微妙に歪んでいますが、船にコツンとぶつけられたことでもあったのでしょうか。

人道橋化するとなると、このあたりの処理も気になるところ。どこまで原形を活かせるでしょうか。横浜の「汽車道」の例が参考になりそうですね。

210012.jpg
中央径間を晴海側から見て。むらなく錆びているせいか、あまり悲壮感はないように思えるのですが、豊洲側にはタワーマンションが立ち塞がり、水際もテラスが整備されて、この橋がすっかり孤立してしまっていることを感じさせます。

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210014.jpgローゼ桁とRC桁を載せた橋脚、支承のアップ。流れ出た錆が星霜を感じさせます。この橋脚にも銘板が掲げられていますね。橋脚全てに銘板が付された例、他にもあるのでしょうか。

右はアーチリブのアップ。吊り材の継ぎ手先端を細めたり、何ていうんでしょう、放射状の梁もテーパーが付いており、無骨なようでいて、細部への気遣いがなされたデザインに見えるんですよね。

210015.jpg
そして裏側を仰いで。この上を歩ける日が来るのかなあ‥‥。

同じ都専用線の橋でも、豊洲橋梁は早いうちに撤去されましたが、あちらはやはり桁下高が低く、通航の支障になっていたことが大きいと思います。そういった意味では、晴海橋梁は桁下高の高さゆえに生きながらえた、といえるかもしれません。

(29年8月19日撮影)

(『8月19日のトリさん』につづく)

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タグ : 春海運河晴海橋梁橋の裏側

8月19日の晴海橋梁…1

(『8月19日のフネブネ』のつづき)

210006.jpg毎度おなじみ、旧・都港湾局専用線の晴海橋梁(普段は正式名で呼んだことがほとんどないあたり)、このたび人道橋として再利用するお話が出たということで、改修される前に現状を記録しておこうと、スロットルをゆるめて接近。

この曇りですから、錆色の橋は暗く沈んで、いいお顔をものしたかった船頭としては、興が削がれることおびただしいのですが、せっかく訪ねたのだからとカメラを構えました。

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腹は錆び崩れて穴が開き、たび重なる衝突で変形しと痛々しい防護杭。それでも天端から生えた草が風になびくさま、どこかとぼけた感じがしてユーモラスで、雰囲気をだいぶやわらげているようですね。

210008.jpg晴海側のRC桁を見たところ。橋台付近はまあ、木がこんもりと盛大に繁っていて、廃線になってから経た年月の長さを感じさせます。

ここでようやく、橋脚の側面にそれぞれ一つづつ、錆色のプレートらしいものが掲げられていたのに気づきました。よし、あれを撮ってみれば何かわかるだろうと、スロットルをコツンと入れてチョイ前進。

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3枚目の写真で、手前側の橋脚のプレート。おお、やはり銘板のようですね! 読み下してみると‥‥。

晴海橋りょう/設計 日本国有鉄道東京工事局/施行 白石基礎工事K.K./設計荷重 KS15/基礎工 潜函工 4.5M×3.5M/基礎根入 天端から21.8M/着手 昭和31年8月25日/しゅん功 昭和32年3月24日

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こちらは3枚目の写真でいう奥、晴海に近い側の橋脚のそれ。衝突されたのか、右下の割れたさまから、銘板は鉄鋳物だったことがわかります。内容はほとんど同じで、唯一基礎の根入れだけが、19.7mと浅くなっていました。

イヤ、平成のはじめに先代艇でくぐって以来の、いうなれば長い付き合いなのですが、こんな銘板があるなんて、今回初めて気づかされました! 今までただ中央径間をくぐっては、赤錆びた桁を仰ぐのがせいぜいでしたから、お恥ずかしいかぎりです。しかし、根入れの深さは倍くらいあると思っていただけに、意外ではありました。素人目にも、むしろ内陸の沖積地などより、堅固な地盤が浅いところにある印象を受けたものです。
撮影地点のMapion地図

(29年8月19日撮影)

(『8月19日の晴海橋梁…2』につづく)

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タグ : 春海運河晴海橋梁