fc2ブログ

「道の駅あきた港」にて…4

(『「道の駅あきた港」にて…3』のつづき)

302031.jpg道の駅のエリアと岸壁が、いかに近いかを記録しておきたくて一枚。右手は駐車場の周回道路で、一般車だけでなく、路線バスも入ってきます。

歩道をはさんで、岸壁のスペースとを隔てるのはご覧のとおり、チェーンを渡した低いポールの柵だけ。おフネ見の眺望をさえぎるものは、何もないに等しいのです! いや、この開放感、素晴らしいじゃないですか。


302032.jpg
先ほどから気になっていた巡視艇‥‥おっと巡視船に近づいて。PS20「しんざん」、秋田海上保安部、「びざん」型巡視船の一隻で、平成31年竣工。こちらもまた、なんとも間近で眺め放題といったところ。ありがたいことです。

302033.jpg同じ岸壁の左手に横付けしているのは‥‥入港船に燃料を供給する、油船ですね。まるでお祭りの提灯のように、玉状のフェンダーをいくつもぶら下げているため、船名が隠れているのが残念。

Rのついた操舵室の妻に掲げられた社章、両舷に大書きされた「火気厳禁」の書体と、ディテール一つ一つに味わいのある、ベテランの香りがする油船、いいものでした。

302034.jpg
さらに左手、少し離れた岸壁にもやっていた「ちょうかい」なる艇は‥‥。検索してみたら、秋田船川税関支署の監視艇とのこと。小型のステップバウが、任務柄の引き締まった感じがしますね。

302035.jpg
タワー上から廃線跡が見えたので、そちらにも少し寄ってみようと歩いていくと、特に柵もなかったので線路敷に入り(ごめんなさい)、一枚ものしてきました。

秋田臨海鉄道南線の跡で、秋田運河を渡り日本製紙工場まで線路が伸びていましたが、一昨年廃止になったそうです。ご覧のようにレールがはがされ、枕木と道床だけになった寂寥感あふれる風景でしたが、まだ撤去から間がないせいか草に埋もれてはおらず、足元から鉄の匂いが立ち昇ってくるようでした。
撮影地点のMapion地図

(令和5年7月25日撮影)

(『八郎潟の閘門を訪ねて…1』につづく)

にほんブログ村 マリンスポーツブログ ボートへ
にほんブログ村
クリックお願いします

タグ : 旧雄物川秋田港巡視船

「道の駅あきた港」にて…2

(『「道の駅あきた港」にて…1』のつづき)

302021.jpg
北東方向には、扇状に広がる広大なヤードが。貨物駅・秋田港駅ですね。何分貨物列車が入らなくなっているので、車輌も見られずがらんとして寂しいものですが、コロナ禍前まではクルーズ客船が入港するたび、短い区間列車ながら、いわゆる"ポート・トレイン"が運行されていたとのこと。

かつては八橋油田ほか、国内でも有力な油田を後背地に控えていたこと、周辺工業地帯への枝線も各所に通じていたことから、さぞ賑わったことでしょう。

302022.jpg
港の眺めを賑わいあるものにしているのが、この南西側に見える日本製紙の工場と、その手前に接岸していた撒積船。

工場の煙突は盛んに白煙をたなびかせ、撒積船は3本ある自らのクレーンをニョキニョキ動かして、忙しそうに荷役していました。動きのある港湾風景! 生き生きと躍動するさまを目の当たりにできたのは、嬉しいことでした。

302023.jpg展望台南側の説明板。「秋田運河(旧雄物川)」! キチンと書いてくれていて、泣けてきますわ(涙)。

江戸時代、北国七港の一つにまで数えられた土崎港も、河口港の宿命である土砂の堆積が災いし衰微。近代港湾への脱皮は明治18年、古市公威の名を冠した古市波止場築造からですが、飛躍を決定的にしたのはやはり、大正6年の雄物川放水路竣工でしょう。歴史ある土崎港の名が秋田港になったのは昭和16年、土崎港町が秋田市に合併されてからです。

302024.jpg

302025.jpgフネブネの姿を拾ってみましょう。対岸、貯木場のある向浜埠頭に接岸していたクレーン船。船橋前にちょこんと載せた豆曳船がいいですね。船名はわかりませんでしたが、(株)肥前建設の看板を掲げていました。

こちらも同じく対岸、少し沖合の岸壁にいた、テトラポッドを荷役中のプッシャーバージタイプのクレーン船。本体のなりにくらべて、押船がずいぶん小さいように見えるんですが、どうでしょう。ジブの社名は、(株)加藤建設とありました。

(令和5年7月25日撮影)

(『「道の駅あきた港」にて…3』につづく)

にほんブログ村 マリンスポーツブログ ボートへ
にほんブログ村
クリックお願いします

タグ : 旧雄物川秋田港

「道の駅あきた港」にて…1

(『新屋水門…3』のつづき)

302016.jpg新屋水門を離れて、「道の駅あきた港」へ。堤防道から改めて眺める雄物新橋、本当に美しいですね。高水敷や背後の防砂林に広がる夏ならではの緑が、橋の構造を一層引き立てています。

そうそう、雄物新橋について詳しく知りたい方は「橋梁レポート 雄物新橋 解説編」(山さ行がねが)がお勧め。木造先代橋時代から、たびたびの補修・改架があった現橋まで、興味深いお話が盛りだくさんです。

302017.jpg
道の駅あきた港」に到着。高さ143mのガラス張り展望塔「ポートタワーセリオン」を中心に、物産館やイベント施設、屋内緑地公園などを併設、平成22年に竣工したもの。

何より港に隣接しているのが嬉しく、展望台は高さ100mだそうですから、秋田港が文字どおり一望のもとに眺められるでしょう。着いて早々、さっそくタワーへ上がってみることに。

302018.jpgポートタワーセリオン自体は、道の駅に先んじて平成6年の開設だそう。かつては入場料が設定されていたようですが、現在は無料で利用することができます。

外壁のほとんどを、6272枚に及ぶ強化ガラスとした塔屋は、いわば巨大な展望エレベーター。外の眺めとともに、構造をつぶさに観察できるのも嬉しく、到着を待つひとときも退屈させることがありません。


302019.jpg
展望台から南側の眺望。いや、これは素晴らしい眺めですね! 好天も手伝い視程も良好とあって、無料なのが申しわけなくなるような絶景であります! 巡視艇、クレーン船ほかフネブネ、対岸で盛業する日本製紙工場の頼もしい姿などなど、どこから見ようか目移りするような眺めですね。

かつて土崎港と呼ばれ、東北地方では酒田と並んで、北前船の通う内貿航路上の重要な河口港だった秋田港。眼下に広がる雄物川の旧河道は、放水路開鑿によって堆砂・洪水の憂いがなくなると港湾として開発が進み、現在では秋田運河と称しています。秋田運河! いい名前だなあ‥‥(涙)。

302020.jpg
こちらは北西側、港口方向を望んだところ。右手前はクルーズ客船もたびたび寄港するというフェリー埠頭。中央はるか沖合に伸びる防波堤は、戦後の一時期、廃海防艦や駆逐艦を沈置した"軍艦防波堤"だったとのこと。

冬の季節風で形成された海岸砂丘に沿って、ほぼ南北に伸びる雄物川旧河道を拡幅・浚渫して、本船運河を修築した様子がよくわかります。

かつて河口港だった港は、いわゆる"河海分離"をして本流と港を切り離すか、放水路を設けて洪水や堆砂をコントロールできるようにし、河口を活用し続けるかの二通りに分かれると思いますが、新潟や秋田は後者のパターンといってよいでしょう。
撮影地点のMapion地図

(令和5年7月25日撮影)

(『「道の駅あきた港」にて…2』につづく)

にほんブログ村 マリンスポーツブログ ボートへ
にほんブログ村
クリックお願いします

タグ : 旧雄物川秋田港

新屋水門…3

(『新屋水門…2』のつづき)

302011.jpg
水門の吐口右手に白い看板が掲げられているのに気づき、近づいてみました。
左の図の水門を通航する舟又はいかだの長さ幅並びに水面上の高さ又は運航時間を次のように指定します。

「通航する舟又はいかだ」「運航時間」の文言に目線がひゅっと吸い寄せられる思い。何と、旧雄物川は舟航があったのですね!いや、現状はともかく、このきまりが施行された昭和46年までは、そこそこの通航量があったと見たほうがよいでしょう。何年ごろまで、どんなフネブネや筏が行き来していたのか、興味をそそられます。

302012.jpg銘板を探してさらにうろついていると、おお、ありました。巻上機室右手の壁面、フェンス越しですが、3枚掲げられているのが見えました。近寄って判読に及ぶと‥‥。

東北地方整備局の銘が入った上の2枚から、径間4m、高さ5m、樋管の長さ57m、平成22年竣工とわかります。ゲート型式は「引き上げ横転式ゲート」というのですね。

302013.jpg
気になったのは、左下の1枚。色味や質感がこれだけ異質で、しかもこの距離からでは、うまく判読できません。ズームでたぐって拡大してみると‥‥。

302014.jpg
何と、基礎まで含めた正面・側面図が。先ほどの看板の図より、細密度が格段に上ですね。エッチングに墨入れしたものでしょうか。

天地の「雄物川下流割山地区新屋水門改築工事」、「東北地方整備局 秋田河川国道事務所」は読めたものの、図面各部の説明らしき文字は、細かすぎて残念ながら判読できないものが多く‥‥。しかし、書き込まれた字数と雰囲気から、扉体の直上に動力らしいものがあることはわかります。先ほどまで巻上機室と呼んできた建屋は、操作室、運転室と改めた方がいいでしょう。

帰宅後に検索したところ、「河川事業 事後評価 雄物川下流 特定構造物改築事業(新屋水門)」(PDF)という改築事業の詳細な記事がヒット。大変興味深いもので図版も多用されわかりやすく、お勧めです。

記事中の図でも、ゲートの引き上げ機構は径間直上に描かれています。先代水門は、昭和15年に竣工した3径間のローラーゲート! 結構な古豪水門だったのですね。

302015.jpg出発の前の週は雨の予報で、豪雨の被害を思うと、旅行の中止も視野に入れていたくらいでしたが、ご覧のとおり好天に恵まれ、このような珍しいタイプの水門がつぶさに観察できて、まずは幸先のよいスタート。

お次の水運趣味スポットは、旧雄物川の河道であり、北前船時代から栄えた歴史のある河口港、秋田港です。お天気もよいので、楽しい散策になりそうですね。
撮影地点のMapion地図

(令和5年7月25日撮影)

(『「道の駅あきた港」にて…1』につづく)

にほんブログ村 マリンスポーツブログ ボートへ
にほんブログ村
クリックお願いします

タグ : 新屋水門旧雄物川秋田市

新屋水門…2

(『新屋水門…1』のつづき)

302006.jpg高水敷はご覧のように、分厚く積もった泥があちこちに見られ、ひび割れながらもまだ湿り気を帯びていて、足を踏み込むとヌルリと滑るところも。増水時の激しい泥流が思われました。

痛ましく思いながらも、そろそろ歩きながらよく見てみると、トリさんがつけた三つ指の足跡が点々と‥‥。水の引いた後は、野鳥たちにとって格好の餌場でもあるのでしょう、可愛らしい痕跡にほっこりしたのでした。

302007.jpg
さて、新屋水門スクリーンから振り返って見えたこれが、新屋水門の本体。堰柱など目立つ構造物はなく、堤防の土中に大半が埋もれた、いわば樋管の中にゲート設備が設けられたかたちの水門。スクリーンがなければ、見逃して通り過ぎてしまいそうな、地味なスタイルではあります。

302008.jpg
中をのぞき込んでみると、スキンプレートを下にして上に開いた扉体が、2組見えました。その開き方から、上端ヒンジフラップゲートかと思ったのですが、扉体の小口にローラーが備えられていたので、開いて水平に近くなってからさらに、奥へ引き込むような動きをするのかも。

開放した後に引き込まれるタイプというと、平成23年に新潟の通船川で訪ねた、津島屋閘門の「展開式スルースゲート」に近いものを感じました。後でゲート設備の銘板を探して、名称を確認してみましょう。

302009.jpg堤防上から、旧雄物川の下流側を眺めて。その名のとおり、水門のあるここは雄物川の旧本流で、秋田大橋から下流の雄物川は、荒川や淀川下流と同じ新規開鑿の放水路。いいですねえ、旧のつく河川名って!

左手は旧河道のスペースを上手に利用した、三角沼公園。駐車場もあるので、水門や水辺の探訪にはもってこいの環境であります。

302010.jpg
水門の内蔵された(?)樋管を、下流側東岸から眺めたところ。数少ない上部構造である、巻上機室も堤防の天端よりちょっと高い程度の詰所風建屋で、まことに控えめな、目立たぬ外観。

何分これが初めての訪問なので、これが普通なのか、増水時ならではなのか分かりませんでしたが、流速は相当早く、雄物川から流入する河水がときに白波を立て、轟々と水音を響かせておりました。
撮影地点のMapion地図

(令和5年7月25日撮影)

(『新屋水門…3』につづく)

にほんブログ村 マリンスポーツブログ ボートへ
にほんブログ村
クリックお願いします

タグ : 新屋水門旧雄物川秋田市