浪花濃厚水路…14

(『浪花濃厚水路…13』のつづき)

15231.jpg旧堂島川可動堰で、今ひとつ気になったのがこれです。

くぐってから、南側に見えたこの低い背割堤…橋脚に接して、一径間分を区切り上流側に延びています。向こうにはポンツン桟橋が設けられ、現在は船着場として使われているようですが、これ、もしかして閘室の跡じゃないですか?

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ホンモノのGoogleマップで堂島川可動堰閘門を表示

例のごとく帰宅後、Googleの航空写真で確かめてみると、やはり! 閘室だったようです。南側のみ、扉体の収納される凹みがあるところを見ると、上流側扉体は、扉一枚のスイングゲートだったのでしょう。下流側ゲートは、もちろん可動堰の一径間、ラジアルゲートを使い、閘門を形成していたというわけですね。

干潮に向かう時間帯、各可動堰が全閉となって、水位差が生じたときは、当然舟運に支障が出ますから、この閘門を使って通船を確保していたのですね。他の可動堰にも、やはり閘門がついていたのでしょうか?

この閘門について触れた記事や、画像がないかしらと検索してみたら…、ありました。「大川の美観をになう水晶橋」(808bashi.jp)。あ、フラッシュ放水について、ここにも書いてあった…。
閘門部分を写した、写真もありました。「堂島川ダム付近」(土木学会付属土木図書館戦前絵葉書 1.橋 27.大阪府)絵葉書ですが、スイングゲートの姿が、はっきりとらえられていますね。

15233.jpg緊迫の堂島川連続すり抜けは、名残惜しくも水晶橋でおしまい。

緑色の桁橋、鉾流橋(昭和4年竣工)は、すでに充分な桁下高がありました。沈下が著しかったのは、西側の橋が多いようですね、このあたりの理由が知りたいところです。


15234.jpg堂島川・土佐堀川と、中之島を横断して架かる難波橋。立派な親柱と、石張り装飾の橋脚が印象的です。

鋼桁部分は戦後の架け替えながら、親柱やライオン像など装飾は大正4年竣工当時のものを活かしており、現在も「ライオン橋」の愛称で親しまれているとか。

15235.jpg中之島の東端部分、堂島川と土佐堀川を短絡する、短い水路があるのですが、ここにも2径間のアーチ橋が。

難波橋から東の中之島は、後に延長された部分だそうですので、見た目ほど古くはないなのかもしれませんが、小水路を渡る石造風アーチ、いい雰囲気ですね。
撮影地点のMapion地図


(21年9月12日撮影)

(『浪花濃厚水路…15』につづく)

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タグ : 旧堂島川可動堰 堂島川 閘門 大阪水上バス

浪花濃厚水路…13

(『浪花濃厚水路…12』のつづき)

15226.jpgお次も有名な橋ですね、水晶橋…旧堂島川可動堰です。こちらも沈下が著しいのに加えて、満潮に向かう時間帯と来ては、少々哀れな感じがするのも致し方ないところですが、昭和4年竣工の風格は失われていません。

径間が短く、アーチリングの半径が小さいこともあって、船長さんからは「くぐる時、もしかしたらちょっと手すりがぶつかるかも知れませんが、大丈夫ですから気にしないでください!」と、異例のアナウンスが(笑)。イイぞ船長さん! 思わず外人ばりに「グッジョブ!」と親指を立ててしまったよ!

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接近しつつ、側面のディテールを堪能。柱に取り付けられた橋側灯、中の模様は何か意味があるのかしら…。中央2径間のアーチは、改修されて厚みが増しており、ちょっとバランスを欠いているのが残念。両岸沿いの径間のように、ツライチに近いほうがやはり、美しいですね。

径間中央、アーチの上には長方形の鉄板が貼られていますが、昔の写真を見ると、3灯式信号のようなものが取り付けられています。そういう形の装飾だったのか、または本当に、ゲート開閉を船に知らせるための信号灯だったのか…。ご存知の方、ご教示ください。
撮影地点のMapion地図

15228.jpgブレてしまいましたが、内部の構造を何とか撮影。
ご存知のように、つい最近(平成14年に撤去されたとのこと)まで、橋の中にはラジアルゲートが設備されていました。いや、橋の中と言うと逆になりますか、水門を橋に擬してあつらえた、と言った方が正しいでしょう。

内部は当然ながら空間が広く取られ、鉄骨を組んだ複雑な構造が、この橋が「水門」であったことをしのばせ、一人コーフンする船頭。

こちらで使われていたラジアルゲートは、先ほど東横堀川・道頓堀川の2閘門で紹介した扉体とほぼ同じ構造で、軸を中心にして湾曲した扉を回転させる型式。写真左側、アーチの近くの柱に、曲線の戸溝が見えますが、あそこを通って扉が上下していたのですね。

15229.jpgすり抜けてから振り返って。ゲート設備が撤去された今は、人道橋として再整備され、橋上には植え込みも設けられているようですね。

旧堂島川可動堰、景観重視型水門の成功例として、その手の本には必ず採り上げられる著名物件ですが…。見方を変えれば、橋という隠れ蓑で人目を忍んだ、言わば水門としては日陰者ですから、水門愛好家の皆さんの間では、好みが分かれるところもあろうと思います。

まあ、水晶橋というオブラートでくるんだがゆえに、大阪市民からは長きに渡り愛されているのですから、この試みが大成功だったのは、間違いありますまい。国内では珍しい、変わり型の水門としても、長く記憶されるべき存在でしょう。

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堂島可動堰…水晶橋が竣工間もなかったころの、美しい姿を伝える絵葉書があったので、ご覧に入れましょう。まだ堤防がかさ上げされる前ですので、手前の径間からの連続した側面を楽しめます。

「大阪名所 ダム(可動堰)」と題されたこの絵葉書、キャプションが昔の大阪弁で書かれており、面白いので全文をご紹介します。
ここで川の流れを加減して水を淨めるのだす。大阪は水の都やけど川もほっといたらきたのうなってどむならんのでこんな立派なダムができたんだす。橋になってますさかいに人は渡れますが階段がおますので車は渡れまへん。

そうそう、ひとつ気になっていたことがあったのだった…。
絵葉書にも「水を淨める」と書かれているように、堂島川可動堰をはじめとする、大阪市内の橋型(?)ラジアルゲート群が建設された目的は、その手の本を読んでも「河川の水質浄化のため」とありました。
ただし、肝心の水質浄化の方法については触れられておらず、長い間の謎だったのです。

「水門の開閉だけで、どうやって水をきれいにしているんだろう? もしかして、何門か閉めて流路を狭め、流速を早くするとか?」などと考えていたのですが、こうして訪ねたのもご縁と、例のごとく帰宅後に検索してみると…。

…「淀川下流域の維持流量の変遷」なる、プレゼン資料のようなPDFがヒット。これの5ページ目「2.大阪市の発展と市内派川浄化用水の必要性」を読んで、ようやく長年の謎が解けました!

可動堰の操作は、満潮時に堰を閉鎖して堰上流に水をため、干潮時に堰を解放して派川の流速を速め、汚濁をフラッシュするものであった。」
なるほど! 干潮時に一気に堰を開放することによって、言葉は悪いですが、ちょうど水洗トイレのように押し流す効果を狙ったものだったのですね。

しかし、道頓堀川など、支派川の5つの可動堰群(6ページ『可動堰の概要』に、位置と詳細が掲載されています)と呼応して、連日ラジアルゲートがガンガン運転され、湛水と放流を繰り返していたなんて、想像するだに武者震いがする壮観じゃないですか! 

水門というのは、閘門を別格として、非常時以外動かないことが普通なので、毎日運転される…しかも、複数同時に動き、その上溜めた水をドーッと放流するなんて! 血湧き肉躍る「動の水門風景」! 水門好きとしては、堪えられない眺めだったことでしょう。


(21年9月12日撮影)

(『浪花濃厚水路…14』につづく)

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タグ : 旧堂島川可動堰 堂島川 絵葉書・古写真 大阪水上バス